SSブログ

蔓の下、七つの図形。 [愚]

Saturday , 8 august 2009 gremz 食物連鎖 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

Fはかつての同僚で、聴力を失っていた。彼は話すことが出来たし、勿論、字も読める。
誰でもそのつもりになれば意思を通わせることが出来る筈だが、それは大抵、私に託された。
込み入った話であっても他のひとより容易く伝えられはしたが、コツなんてものはなく
通じると信じていれば言葉なんてものは案外通じてしまうのである。

面倒なのか何か知らぬが多くのひとは端から投げていた。試しに語りかけることをしない。
振る舞いから騒がしさを感じたFが「奴等、ピーピーうるさいな」と軽口を叩き
馬鹿笑いする私といった日頃の在り方に、踏み込み難い話題をも乗り越える間柄と持ち上げ
少しばかり気難しいFを巧みに操る猛獣使いの座に私を据える。
しかし、Fを檻に閉じ込めるでなく、私に鞭を持たせるでなく、特に問題はない。
ただ、その諦めのよさは、ひとをひととして見ぬ冷淡さのように感じた。



ハワイアン・ミュージック・ショウを小一時間鑑賞した後、ハワイ産パパイヤの話を聞けば
パパイヤ1個を配るという催しが開かれていて、8月8日はパパイヤの日と知った。
褒美に比して我慢の多い気がして退散を決めたが
果物は貰わぬにしてもハワイアン・ソングを聴く機会は稀で数曲の間そこに留まる。
好みから離れているものの、歌声や楽器の音色に美しさを感じることは出来た。
そうした場合、ステージ上のひとは喝采を浴び、気分よくいて欲しい。

勝手な思いであるから、そう思わぬひとがいて構わぬのだけれども
「パパイヤ配布」のチラシを手に曲の途中も会場内を忙しなく右往左往
互いの会話に夢中で傍若無人に映る三人連れの態度には軽い苛立ちを覚える。
かと言って「せめて聴く振りを」とも「静かにしてほしい」とも言い出し難かった。

彼女たちが会話に用いていたのは手話で、聴く振りを強いるのは傲慢に違いなく
「静かに」が「身振りを小さく」の意味であってもいい気はせぬかもしらんと思案する。
境遇に甘えているのではと思ったりするが
「手話を堂々と使おう」なんて主張や指導があるのかもしれないと思い直す。
そうならそうで三人は明らかに「堂々と」を曲解していたのだけれど。

相手がFなら簡単なことも通りすがりのひとには難しい。
何かを伝える自信は微塵も持てず、彼女たちのことは冷淡に諦め、その場を去る。
ステージ上のひとの視界に彼女らが入り込み、不快な思いをしても詮無い。
私は忙しかった。空を眺めに出かけなくてはならなかったりして。 2009-08-25 15:20 更新

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。