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散髪屋の時計はいつも狂っている [愚]

Saturday ,28th February 2015 

昨年、自分自身への誕生日プレゼントに選んだのはサムライとかいう名の、腰へ巻くベルトに鞘のついたノコギリである。

同居人がおばばとか何とか呼ぶ知り合いから「どうしてもあんたに」と貰い受けたヒメコブシが「ヒメ」は矮性を示すものと思い込む私の予想を覆す成長を遂げ、上に横に伸びる枝のみでジャングルを形成するに至り、どうにかしなくてはとノコギリを手に入れたのだった。狭い庭には陽が差さず自由な枝は拙宅の囲いを大幅にはみ出してもいて、切り株だけにしてくれるくらいの気持ちでノコギリを買った。

ノコギリでギコギコやってどうにかなるものかわからないけれど、おばばは同居人へヒメコブシを押し付けて直ぐ気が済んだというように死んで、乱暴者でありつつ感傷的な同居人は、どれだけ邪魔になろうとおばばのヒメコブシをどうにもする様子がなく、かと言って放っておく訳にはいかないと思っている節はあり、小人が靴を拵えるように自分の知らないところで片付けて欲しい感じ、そういうことでしょうと悪者になる気でいた。

そういう気でいることを木が気付いたのかどうか、毎年片手で数えるほどの花しかつけたことのないヒメコブシは昨春に限って枝という枝に花を咲かせて見せた。日陰をつくるばかりで邪魔と言い切るには花の咲かなさがあった。積もる落ち葉は掃いても掃いても際限なく降るのに比して咲く花といったらふたつみっつと数え甲斐のないこと甚だしく、その花も見つけたときには枯れはじめる素っ気なさでよいところがない。そうして何年ものあいだ邪魔者でいたというのに切ろうと思った途端、数えきれぬ花をつけ満開にした。何なのだ。

元々庭仕事とか草花の手入れとか屋外のあれこれが苦手で、人工的な灯りの下で音楽を聴き本を読み鼻歌っていたい私は、サムライは鞘へ収めておく、直ぐにそう決めた。大抵の場合、後回し先送りしてよいことなどないのだけれど。

寿命の残っているものを自分の手で始末するとなれば、どうにもそうするしかないと思わなくては難しい。取り返しのつかないことを敢えてするだけの決心がいる。ヒメコブシの延命は私が私をまだ生かしておく理由にほぼ等しい。



母が電車に揺られてひとり実家へ出かけたのは私が生まれる筈とされる日よりふた月も前のことだ。けれど実家へ着いた翌日早朝、母は産気づき病院へ行くためのクルマへと歩きながら路傍に私を産み落とした。産声を上げず田舎道に転がる紫色の肉塊が私のはじまりである。

八歳くらいのとき妊娠していた母が顔色を悪くして誰かひとを呼ぶよう言ったあと、やはり足の間をするすると紫色の肉塊を滑らせたことがあって、血にまみれたそれは母胎で死んだ弟だった。穏やかに眠るような顔をしていたけれど死んでいるのは何故かわかった。

確かその夏、私は何匹かの金魚を殺した。
理由なく殺した。

いつだって自分のことがわからない。

himekobushi.jpg

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