SSブログ

糾う縄と蛇のとぐろと [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 11th June 2020

朝5時半から7時過ぎまで片付けをしてゴミ袋6つ分のゴミを捨てた。紙と瓶と不燃ゴミの捨てられる日で段ボール箱や雑誌や家庭用電話機や何と何を繋ぐかわからない数々のケーブルやどこへどう使うかわからない数々の基板を捨てた。ほかの日に捨てるゴミの袋詰めも少しした。(処分済み27/500)

8時前から8時過ぎまで40分くらい牛の歩みで散歩した。
時季の過ぎた幾つもの蚕豆が畑へそのまま残され、サヤが黒く変色している。蛇花火の燃え残りのような物悲しさがあるけれど、もしかしたらこれが来年蒔かれる種になるのかもしれない。今を未来へつなぐタイムカプセルかもしれない。ただただ捨て置かれ朽ちつつあるのかもしれない。考えようは幾らもあって、こぼれた豆が明日にも天まで蔓を伸ばすと思うのは私の勝手で、そうだ明日、豆の蔓をよじ登り雲の上で午睡しよう、白犬と茶犬を両脇に抱えて行こう、そうしよう。

そらまめ

9時40分頃、犬に豚肉と鶏胸肉と南瓜と胡瓜に魚ベースのドッグフードをあげた。10時頃、胡瓜とキャベツにマヨネーズと胡椒を混ぜたものとイチゴジャムを塗ったトーストを食べ、炭色のコップで豆乳を飲んだ。

前夜からの不調で眠れなかったこともあり身体中が鈍く痛む。不調は不調のままある。先週木曜日に買ったガーベラがさすがに事切れそうで、花を買いに出たいがクルマを運転出来る気がせず諦める。
これからますます暑さが増しますね、暑さが増すと花が日持ちしなくなりますねと犬へ言う。また、暑さが増すとチョコレートが溶けるので(冷蔵庫の)野菜室へしまいますねとも犬へ言う。誰もいないところへ言うより正気のように見える気がして。
誰もおらず正気に見えようと見えなかろうと変わりないようなものだけれど、振りすら出来なくては終わってしまう。大丈夫でないひとがそれぞれに大丈夫な振りをして世の中をどうにかそれらしく見せている。

特に何の期待もなく銀行口座を調べると特別定額給付金が振り込まれていた。近いうちに引き出し、ほかとは分けて、何に使うか考えたい。生活費に消える可能性が高いけれど、一通りの欲望を並べてみたい。

Faith-In-Nature

夕方、壊れた風呂釜で風呂を沸かし、シャンプー、コンディショナー、ボディウォッシュの試供品を使う。好みの香りで、洗った髪も身体もさらっとさっぱりして悪くない。とは言え、こういうものは続けて使わないと本当のところはわからない。1本丸ごと使わないとわからない。1本となるとそれはもう試供品ではなく売り物で、買うか買わぬかの話。どれもが400ミリリットル税抜き1300円、ラックスならシャンプーとコンディショナーとボディソープが買えてしまう。どうしようかな、グレープフルーツとオレンジの香りとか、誰もが普通に要ると思う。壊れた風呂釜で沸かす風呂であろうとなかろうと。

不要不急を逆の意味で使うひとがいて、外へ出るのも仕方ない、何故なら不要不急だからというような言葉を直接聞いたりテレビで見たりした。そういう場合、火の不始末とか不治の病とか不可能とか不正とか不夜城とか不幸せについてどういう解釈なのだろうか。

19時半頃、犬に鶏胸肉と卵焼きと胡瓜とキャベツとズッキーニに魚ベースのドッグフードをあげた。私は卵焼きと焼きズッキーニを味付けせず食べ、赤いコップで豆乳を飲んだ。午後のグミの食べ過ぎを贖う野菜がちょうど食べ頃で懲りることなく美味しく食べた。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。