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直ちには影響しない毒が効くまで [日々の暮らしで思うこと]

Sunday, 14th June 2020

朝、何をしていたか思い出せない。Google Map のタイムラインでは自宅にいたことになっているが、最寄りのコンビニエンスストア、ファミリーレストランへ行っても自宅にいたことになるので信じてよいかわからない。自分の記憶も機械も頼れず不自由だ。忘れてよいことだから忘れるのだと言ったりするが、私は忘れてよいことを憶えていて忘れてはよくないことを忘れがちで、こどものとき頭を打ったのが悪かったのだろうか。

10歳のとき、こどもみこしを担いでいて、角を曲がるときに自動車で言う内輪差のようなものの作用で、みこしの担ぎ棒と路上へ立つ電信柱の間に頭を挟むことがあった。転ぶときにあるように時間がゆっくりになり、これは挟まるなとわかりながら徐々に電信柱が近づいてきてゆっくりゆっくり、でも確実に挟まれていった。担ぎ棒やひとの配列から避ける隙はなく、防ぎようがなかった。
挟まれてみると痛いのか何なのかわからなかった。担ぎ棒と電信柱の間に頭を挟む自分がコントというかコメディというかどうにも変な気がして、でも自分で考えてしたならコントだけれど勝手にそうなってしまうのは間の抜けたことだと思い、とても恥ずかしかった。
主催者は慌てて私を医者へ連れて行って、あれこれ検査をさせた。頭のレントゲンを撮ると医者は大変だと大きな声で言い、頭蓋骨が陥没しているということだった。写真を見ると雷に撃たれたひとの図、白い電球のようなものが私の頭らしかった。電球上部には斜めに直線となっている部分があり、そこが陥没部位と教えてくれた。
ああ、それなら、それならこどものときに出来た傷です。と私は言った。こどものときに、とおうむ返しされたあと、高いところから落ちて頭を打ったんです。と続けた。ざっと落ちたときの話をして、挟まった部位と電球の欠けの位置の違いから私の言うことが正しいようだと判断された。当時預けられていた親戚の家へ送り届けられ、こどもみこしを担いで貰えるお菓子セットをふたり分貰った。中途で担ぐのをやめたのに。と頭を打ったときでなく挟んだときの話になってしまった。
頭を打ったのをこどものときと言ったように10歳の私は自分をおとなだと思っていた。それでいて、こどもみこしを担ぐことは私の中で矛盾しなかった。お菓子セットをふたり分貰って喜ぶことも同様である。こども扱いされることを、こども扱いで生じる利益不利益を受け入れて、おとなであると思っていた。

10時前、犬に豚モモ肉とサーモンと胡瓜と魚ベースのドッグフードをあげた。私は10時過ぎに茹でアスパラガスと茹でズッキーニと山盛りの胡麻をのせた豆腐に麺つゆをかけたものとイチゴジャムを塗ったトーストを食べ、紫色のコップで豆乳を飲んだ。

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15時過ぎにPさんのクルマで犬と一緒に隣町の川縁に出かけた。朝から家へ籠る犬を風に当たらせるためである。Pさんはよく風に当たらせないとと言って犬を連れ出す提案をする。私は雨で出かけられない日があってもよく、ただクルマで走るだけでも構わない。出来ることを出来るようにするのが犬にも私にも無理がなく、穏やかに過ごせると思っている。Pさんは傘を差して抱いてでも外気へ触れさせるべきと考えている。これはもう信仰の違いで、互いに尊重し干渉せぬのが平和をもたらす。それぞれが対等と認め合っている場合は。
そうでないときはまあ悲惨で、普段行かぬ隣町の川縁で泥沼に見える水溜まりへ入ったりダチョウの卵より大きな石を乗り越えたりする軽自動車の中で、風に当てるとは何なのか、今していることは本当に必要なのか、生きる意味とは、なんてことを考える羽目になる。赤べこに劣らず揺れる頭の中のぐちゃぐちゃの脳味噌で。
川縁を離れると路面の乾いたところもあり、犬を歩かせることが出来た。犬は楽しそうに歩き、足の裏を冷たい泥で汚した。帰途コンビニエンスストアでPさんが桃のアイスクリームを買い(私にも買ってくれると言ったが断った)、16時半頃帰宅した。

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18時頃、犬に豚モモ肉とブリと胡瓜と魚ベースのドッグフードをあげた。私はブリの照り煮と胡瓜と胡麻の酢の物とトーストを食べた。ブリは前日、マツキヨ近くのスーパーマーケットで三割引で買ったものだ。刻み生姜と醤油と日本酒と砂糖とで工夫なく煮て美味しく出来た。ほかにルーミックミートソースの素と三割引のサーモンを買い、735円使った。

以前はチューブに入った生姜を使うこともあったけれど風味が足りない気がして自分で刻むなりおろすなりしてチューブ入りは殆ど使わなくなった。同居人がそう言ったこともあって、ただ美味しいからそうしている。健康食品の宣伝で胡麻からセサミンを摂るのは難しいなどと言っているのを見たりするが、胡麻なんて美味しい以外に食べる理由があるのかと思う。
最初の数頁で止めたか最後まで読んだか憶えておらず、当然どんな内容か憶えていない本で、胡椒が口から入って何も摂取されず体外に出る事実を叔母が知ると困るというようなことを主人公が思っていたことだけ憶えている。とても曖昧な記憶なのに胡椒は身体の中を通るだけと書かれていたのは憶えている。
毒にも薬にもならないというのは貶しているように聞こえるが、胡椒がなかったらラーメンも餃子も味気ない。少なくとも私には。
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