SSブログ

雨の降る日に履く靴の跡 [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 18th June 2020

朝6時から8時まで片付けをして、衣類とペットボトルでゴミ袋2つ分のゴミを捨てた。洋服は別の何か、雑巾やパジャマへの転用を考えるものを捨ててみた。充分使ったものを処分するのは悪いことではないと思おうと思う。
年末か年明け辺りにダウン製品を千円の買い物券と交換してくれるサービスがUNIQLOであって、何年も着ていないコートを返した。ポケットの中を確認せずにいたせいか何かわからないけれど、全ての大切なものがコートのポケットへ入っていて、私は今、それらを失った。そういう思いが消えず、怖くてどうにもならなくなった。ポケットへ何が入るのだと思っても駄目だった。返したところへ戻り、ご迷惑をおかけしますがと頼んでポケットの中を確かめて貰った。紙切れの一片すら入っていなかった。何て言うか、全ての大切なものを一瞬で失う恐怖症、そんなものを患っていてモノを捨て難く、捨て難いだけに捨てねばと強く思う悪循環の中にいる。(処分済み 43/500)

8時20分から70分、亀の歩みで散歩した。アガパンサス、トリトマ、ハルシャギクを見た。ハルシャギクは前夜図鑑で読んでいて、想像通りに咲いていた。

04085675-C826-4BE3-AB2D-BB4B444934CC.jpeg
51DA6C7C-6B0A-4166-9BDC-7F32DE0D9108.jpeg

帰宅して、犬へ豚モモ肉とツナと胡瓜と魚ベースのドッグフードをあげた。私は11時前に胡瓜とアボカドと紫玉葱をマヨネーズと胡椒とマスタードで和えたものとトーストを食べ、緑色のコップで豆乳を飲んだ。13時前に森永MOWバニラを食べた。

雨が降る前にと思い、14時頃散歩へ出て、直ぐに降り出して帰宅した。
19時過ぎ、犬に鶏のささみとキャベツと胡瓜と魚ベースのドッグフードをあげた。私は19時40分頃、鶏のささみとキャベツとアボカドと紫玉葱をマヨネーズと胡椒で和えたものを食べた。

EFC3183A-F81F-4BC2-82EE-A7B80A34E09D.jpeg

散歩で通る道に勤労農場と書かれた札の立つ畑のような土地がある。作業するひとを見ないし、何か植えられているのも見た気がしない。勤労農場がどういうものか全くわからない。

とても古い人生ゲームには億万長者になるほかに、貧乏農場行きという結末があった。貧しい農場へ行くことがどんな感じか判然とせぬものの行かずに終われるよう望んでいたように思う。資産で勝敗が決まるのに貧乏農場へ行っては勝てぬので。

数年前入院したとき、娯楽室のような部屋に人生ゲームがあり、患者に人生ゲームをやたらやりたがるひとがいて、何回か付き合った。色分けされたクルマに虫ピンのようなひとを乗せたり、ルーレットを回すことに変わりなかったが、貧乏農場は無くなっていた。貧乏農場が無くなって勤労農場が出来たということはなかったが、別の何があったかはっきりしない。借金を抱えて火星に移住というようなものがあると、確か瑛太が言っていたが、それとも違う気がする。それではなかったとだけわかり、何があったとは思い出せない。痒いところへ手が届かない。

人生ゲーム好きの患者は田口浩正っぽい外見の女性で、エビちゃんと呼ばれていた。エビちゃんはパンをオーブントースターで毎回真っ黒に焦がしたり(出されたパンを自分好みの加減で焼く仕組み、焼かずに食べてもよいがボソボソして不味い)、風呂へ入りたくないと駄々をこねたり、20分くらい起こされ続けてもなかなか起きられなかったり、テレビドラマのキスシーンでキャーキャー言ったり、見た目に比して幼さを感じさせるところがあった。

机へ新聞を広げて読んでいるときエビちゃんが右隣に座り、机に右頬をぴったりくっつけた。新聞を読み続ける私は、エビちゃんが私の横顔を見ているのがわかった。また人生ゲームがしたいのだろうか、そう思っているとエビちゃんが言った。「ひねちゃん、私、生理が来ないの」
環境が変わり体調がおかしいという話なのか、妊娠したかもしれぬという話か、考えているうちにエビちゃんが言った。「私、子宮、取っちゃったんだよね、何年か前に手術して」それを聞いてようやく打ち明け話をしているのだとわかった。「私、赤ちゃん、産めないよね」

タマキという40代半ばの女性患者は160cm弱の身長35kgの体重でまだまだ痩せたいと言っていて、何年も生理がなかった。頭の中で声がして様子がおかしくなったり鏡へ話しかけたりすることがあるが大抵は会話が成り立つ。彼女は松潤のような外見の自営業の男性と結婚し、こどもを産む夢を持っている。

食堂のテレビのチャンネル権を持つエビちゃんがコウノドリというドラマを選び、40歳を過ぎた妊婦に問題が生じる話が放送されたとき、タマキは自分の夢が否定されたようで辛くて見ていられないと私に言い、エビちゃんは何もわからないから平気であんな番組を選ぶとも言った。エビちゃんが何もわからないなんてことはない、誰のこともそんなふうに言わないで欲しい、私はそう言った。
これはエビちゃんを庇った訳ではなく善人を装った訳でもなく、私自身がひとにそう言われたくないのと、隠そうとしない悪意が苦手なために言ったことで、思うのは勝手だけど口にするのは私のいないところにして欲しかった。

そんなことがあってからのエビちゃんの打ち明け話だった。私は子宮がないと産めないと思うと答えた。エビちゃんはそうだよねと机に右頬をつけたまま言った。わかりきっていて聞いた、そんな感じだ。さみしいか聞くとわからないと言う。私は私も赤ちゃんを産まないよと言った。夫と犬とで楽しいよ、楽しく暮らせるよ。そこに嘘はなかった。本当にそう思っていたけれど、春が来る前に死ぬ。そうも思っていた。

エビちゃんは犬かと言った。グループホームでは飼えないと思うと言った。私はエビちゃんは時々面会に来るお母さんの家へ帰るものと思っていて、グループホームで暮らすことはそのとき初めて知った。どう返事をしてよいかわからず、新聞に目を戻して、そうなんだと言った。ほかに言えることがなかった。

私は新しい薬を試したり、身体と心の解放や会話のコツを習ったり、廊下をひたすら歩いたりして退院した。春になっても生きていた。治療が効いたのかもしれないし、入院中の担当医が好みのタイプだったから死ぬのが惜しくなったのかもしれない。
同居人や入院を勧めてくれた主治医の支えはとても大きかった。彼らの思いに報いたいと思えたから、奥底にある生きたい気持ちが動いたものと思う。これを持続させられればよいのだけれど思う通りにはうまくいかない。理屈として解ること思うこととは別に、筋の通らぬ考えや理由のわからぬ感情が勝手に現れて、堤防はあるのに決壊する、そんな感じ。
9878758D-6C90-4FD7-8248-39EBC7C5724C.jpeg
2621A534-6D16-4779-A288-49ABB462E751.jpeg

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。