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最も適切な単語で空欄を [日々の暮らしで思うこと]

Thursday,19th November 2020

カレーが食べたいのだけどレトルトカレーのひとつもなくて、ベーコンと茄子のナポリタンを拵えた。茄子は買ってから日が経っており、半分に切るとドラゴンフルーツのよう、食べ物を無駄にしないのは人生のテーマたり得る大問題なので慌てた。ナポリタンに入れる茄子を2本にして、残る1本を浅漬けの素に浸けた。ドラゴンフルーツ化した茄子を生で食べてよいのかわからず、"茄子 ドラゴンフルーツ" で検索すると茄子とドラゴンフルーツのサラダがずらりと並び、茄子とドラゴンフルーツのサラダがあることを知る。茄子の生食については不明なまま。

茄子2本はさすがに多過ぎた。麺類を翌日回しにして美味しく食べられる訳がないのでスパゲティを残さず食べ、茄子とベーコンを保存した。茄子とベーコンのトマトソース味の炒めものと茄子の浅漬けの待つ明朝。

誰に聞かせるでなく "ガーンバロウ、ガーンバロウ、バイ、ザ、スィー、イー" などと鼻歌っているとPさんは、それってBungalow(xtcの曲)だよねと的確に指摘する。理解があると思う。Pさんは概ね批判的支配的で常に苦手意識を持ってしまうものの。

口の中の違和感はいつの間にか気にならなくなっていて、Pさんに貰った銀杏を悪くなる前に食べなくてはと思う。悪くなるのが銀杏なのか私なのかわからないけれど。

今年は銀杏拾いをせず、来年も拾わない。長いこと割と好きな食べ物のつもりでいたが昨秋を最後に銀杏拾いを引退した。一昨秋に美味しかったものが昨秋は全く駄目で、何故なのか考えて味覚異常のことは少しも疑わず、一昨秋は同居人と一緒で昨秋は私ひとりで拾ったからではと思った。多分私は、銀杏を拾いながら犬とじゃれたり同居人とあれこれ話したりという背景込みで銀杏が好きだったのだ。そう茶碗蒸しの救い主みたいなところが出発点だった気がする。やわらかくていつ嚥下すべきかわからない料理の中の数少ない噛み応えのある、味わいでなく弾力を誇る食べ物。HARIBOのグミには敵わない。

いつだったか同居人が銀杏の拾いどきは日本シリーズの頃と聞いて帰り、そっくりそのまま言ったのだけど、同居人も私も野球のことを何も知らず折角の教えを活かせなかった。落ちていたら拾えばいいじゃんねと日本シリーズがいつなのか調べもしなかった。だったら伝えなくてよい話のようだけれど、誰々はこう言ったどこへ行き何をした何を買い何を食べたなどと話し合ううちに、我々がそれぞれに何を思うのかどうしたいのかが解ってくる。互いになるほどとかそうだねということもあれば、有り得ない考えられないということも、説得を試みて平行線なんてこともある。それでも何故か同じ側に居る感じがする。同居人はただひとりの私の味方なのだろうと思う。

同居人と私はそれぞれに気難しく、ふたつの歪な塊がひとつの殻にうまく収まったピーナッツなどと言われてきた。割れ鍋に綴じ蓋の代わりに。貶したのか褒めたのか単に感想かわからぬが悪くない評価だと思う。同居人よりほかに打ち解けられる気がしない。生きている理由がほしいとき、同居人と暮らすためではと思えば、そうかと思う。何かしら依存や錯覚があるとしても私にとって最善の生き方を選んだ。誰かと暮らすのは相手がどんなひとでも苦心はする。であれば好きなひとと暮らすのが一番だと思う。誰かと暮らすのなら。

電柱に「犬のフンをしないでください」という貼り紙があって、頑張れば私にも犬のフンが出来るかのように読める。未知の力を持て余す。
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チョークで塀に書かれているのは犬のフンは持ち帰ってというようなこと
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