SSブログ

踊ろうハマースミス橋の下で [日々の暮らしで思うこと]

Friday, 27th November 2020

水曜日の朝、プラスティックゴミを集積所へ持って行く途中、隣人が部屋の窓から塗装の足場防護ネット越しにすいませんねーと声をかけてきたので、こういうことが無断で出来るとは思っていなかったので驚きましたと答えた。すいませーん、業者に言っておきますねーと隣人は無関係の立場を選ぶようだ。下見見積もりの時点で足場を何処へ組むか想定しないのかしらと思う私は隣人が何も知らずにいたとは考え難いけれど。

クルマが二台あったらどうにも無理だが、今なら足場があって酷く困るということはない。いいですかと訊かれたら、嫌でも、いいですよと言う。断る理由がない。事前に言わず留守中に無断でやってしまう意味が解らない。留守なので菓子を置くとメモを残すくらいなら足場について書くべきで、Zのあるときであれば同居人に殺されかねない事態だ。貧乏人のポルシェと言いはしても、自慢の愛車だったから。

心配性のPさんから、嫌な思いをするのではと日中をPさん宅で過ごすよう言われ、PCなどの荷物を抱え犬と犬を連れて玄関を出ると塗装業者が立っていた。足場の方向を指しながら、留守だったもんですいませんと、留守でなければ正しい手順手続きが出来たかのように言う。留守だからと勝手に入って勝手にやるのはどうかと思う、三週間もかかることなら許可を得てからにすべきと答えた。業者は明後日を見ながらそっかぁと独語して、撤去したほうがいいですねと私に訊く。頼むひとが馬鹿なら頼まれる業者も馬鹿なのかと思いながら、私に責任を押し付けないでください、あなたのことも足場も許しはしませんが組んだ足場をわざわざ外すような合理的でないことは却って気分が悪いですと言う。これでは許可したも同然で無理が通って道理が引っ込む形は全く気に入らないけれど、心底、無駄というものが嫌いで、気に食わぬひとが使った時間労力だからと大した理由も無しに元へ戻せとは言いたくない。

細かいことを言えば、すいませんの意味がよくわからない。呼び止めなのか注意を引きたいのか謝っているのか、ストローや煙草を吸わぬの意か、曖昧な言葉で有耶無耶にしたいのか、何も考えていないのか。隣人も業者も揃って使い、相手を思い遣る気持ちのないことは確か。

806BC474-2824-48E2-9F02-B9F9009EF627.jpeg

木曜日は資源ゴミの日で、隔週回収の紙類は回収時間が早い。前回はギリギリで、集積所にトラックが来ており、回収のひとに手渡してどうにか間に合った。間に合ってないか。なので早めに段ボール箱や雑誌を運ぶ。疾うに捨てると決め、捨てた気でいたハリセンが何故かまだあって、未練があって持ち帰った記憶もなく、鮭のように戻って来たのだろうか。戻るならもう少し遡ってと思う。ハリセンは十年以上前にルミネザよしもとへ行ったとき一番前の席にいてチャンバラトリオのひとがくれたもの。帰るならチャンバラトリオだよと言い聞かせて集積所へ置いてきた。ハリセンが資源ゴミで合っているか気になり、時間をおいて見に行くと紙ゴミとして回収されていた。良かった。
こうしたハリセン案件、捨てたつもりが残っている或いは戻って来た、ということが積もり積もって、五百袋分のゴミを捨てる五百袋計画を立てた。ずっと前に捨てている筈のものを捨て、文化的な最低限度の生活を目指す、遅ればせながら。全く威張れた話ではないけれど。

61795A31-6FC8-43F0-A437-B85DE75BACFC.jpeg

犬との散歩の途中、コンビニエンスストアへ寄る。生活費の口座から8万9千円を引き出し、6万円をクレジットカードの引き落とし口座へ移し、1万円をauPayに入金、残り1万9千円を財布にしまう。財布には3千円入っていたので手持ち2万2千円になった。9千円は千円札目当て、現金払いのときの釣り銭の面倒を減らすためで、auPayはamazonとカインズでの買い物に備えて。月初にはいつも家計簿のようなもの、メモでよいから、と思うけど、やらない。きちんとしたことが何も出来ない。6万円は22日のグルウミング代とその日のカルディでの買い物ととんかつ屋で食べた分と24日の茶犬の病院代23642円と21日の私の病院代480円薬代1650円でそのくらいかなと適当に入金したけど、12月に引き落とされるのはそれ以前十月辺りの分で、そちらに消費されると思う。
それでも進歩したと思うのはクレジットカードの引き落とし口座へ入金しようと思いついたから。一年以上放ったままで漫然と残額が減っていくのを見ていた。だったら生活費の口座に有り余るお金があってよさそうなものだけど、そういうものはない。大丈夫なのか。

コンビニエンスストアを出てバス通りを眺める。交通量があり向こう側へ渡るのは難しそうだ、横断歩道まで行って渡ろう。そう思うのはほんの一瞬のことで、そこで渡る気は全くなかった。けれど、直ぐに、ブワッフォープピプピと賑やかなクラクションの音がしてクルマが止まった。見ると運転席のひとが渡れ渡れと手で合図、合わせて対向車も止まってくれて、横断歩道まで行かずに向こう側へ渡ることが出来た。犬が好きなのか、クルマの中のひと三人が三人とも楽しそうに笑っていて、渡り切って振り返るとみんなが手を振ってまだ楽しそう。私も手を振る。民族衣装っぽい服を着てターバンかゾマホンの帽子みたいなものを被っていて、どこか遠いよその国から来た感じ。普段の散歩道なのだけど旅先で親切にしてもらった気分だ。それだけのことでと思うかもしれないけれど、すれ違う電車に乗るひとや線路沿いを行くひとなどと何の考えもなく手を振り合うというのがとても好き。ただただ楽しい。無駄は嫌いだけど、心の余裕みたいなものがあるのは嬉しい。

心配性のPさんがこの日も避難してはと招いてくれたが自宅に居た。音も匂いもしなかった。社名や屋号など何も書かれていないトラックの荷台にペンキ缶が幾つかあって、それが塗装屋のクルマだろうと思う。夜9時くらいまでトラックはあったが何の音も聞こえなかった。玄関で話した業者がひとりでコツコツやるのだろうか。

C9675923-7D51-4161-8EDD-EBDCB0E1C719.jpeg

金曜日は燃えるゴミの日でゴミ袋ひとつ分のゴミを捨てた(140/500+粗大ゴミ4)。

今朝は内科を予約しており担当医変更後初めての受診だった。家庭用の手首で測る血圧の高い日が続いて診て貰い、血圧は然程問題ない、血管年齢が心配との診断で継続通院となった経緯がある。が、新しい担当医は、毎回血液検査してるけどこんなのより他の検査だよね、血管年齢は条件次第で変わるからアテにならない、今の薬何のために飲んでるの、など何もかも根底からひっくり返す。患者へ言うより院内で方針を話し合ってはどうだろう。このひとの言う他の検査も別の医者からは無意味と言われるかもしれない。

昨年より15歳くらい血管年齢が若くなったと褒められたのが前回受診時九月の末で、そのとき次回(11/27=今日)、インフルエンザの予防接種を受けたいと頼んだ。ワクチン不足は私が案じるくらいなので医者はもっと気にかけているだろう。その上でカルテと予約票に記載されたのだからと、接種は約束されたものと思った。出来ない可能性があるとは言わないし、足りなくなったとの連絡もない。医者へ行けば受けられると思い込んでいた。あっさりワクチン不足と断られてやっと、あれは約束でも何でもなかった、甘かったと知る。もう頼んでしまったしと他で受けることをせずにいたのが虚しい。

医者に3000円、灯油18Lに1296円、現金で支払い、手持ち1万7千円になった。

犬が騒ぐので電話を使うときは浴室に籠るけれど、給湯器が絶命して浴室と言えるのかわからない。何も浴びず、電話にだけ使うからと電話室と呼ぶほど電話を使わない。浴室とも電話室とも呼び難いところから電話をしたのはディーラーで、車検の見積もりを予約した。気の重いことを少しずつ減らしたい。明日の風は明日吹くものと信じたい。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。