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プムブコ・シスオ・アモン・プクソ [日々の暮らしで思うこと]

Wednesday, 16th December

先週、先々週と捨てずにいたプラスティックゴミを捨てた。ぎゅう詰めに押し潰したからでもあるけれど、先々々週から溜めたにしてはまあまあ小さく収まり、振り回して歩くに苦にならぬ重さであった。実際の路傍で、または、映画やテレビで、鎖へつないだ鍵や何かをくるくる振り回しながら歩くひとを見る。攻撃性を示す威嚇でなく行われ、鍵が到底当たらぬ安全地帯から見れば、楽しそうに見える。知らずにあんな具合に、手にある軽めのものを振り回して歩くことがある。多分、そんなふうに気楽に生きている感じを掴みたいのだと思う。同居人のように生きていることそのものを楽しめるひとになりたい。私は重機を持ち出すかのように、あれこれ億劫に感じたり、時間や下準備や心構えがないと動けぬと思うことがあり、人生を難しくしている。重機はそうそう持ち出さなくてよく、心構えがあってもなくても、うまくいくときはうまくいき、失敗するときは失敗する。それらを胸に甦らせる、まじないの振り回しに思う。

古い記事を読むと今の私には全く意味の分からないものが幾つもあり、自分勝手に書き過ぎである。文章の書き方を習ったことがなく、自己流でやるしかないけれど、町田さんでも読むひとを考えて書くと言っていて、芸術性や技巧の追究に溺れず書いておいでなら、何もない私はせめて何を書いたか、表面的にでも何を書いているのか分かるように書きたい。星新一は流行りのものを避け普遍的に書くと聞いたけれど、時代を超えて読まれる作品であればこそで、日記なら何を幾らで買いどのように食べたと書いて構わない。気の触れた者の暗号で書くのはやめろ。と思い、今後は気をつけたい。日付の誤りも大概にしたい。

不確かな記憶で言えば星新一の父親の名が一で、一の子の筆名が新一だったと思う。ニューヴァージョンみたいでカッコいいと思った記憶がある。子の立場であれば私は私で親の改良版諸々ではないと思うだろうけれど、親からすると、自分よりよい思いを、よい暮らしを、と願うのではと想像する。親になったことがないので分からないながらに。筆名なので本人か誰かが別の理由でつけたとは思っても、新一という名は親がつけてもいい名前のように思う。何にしても私は名前を素通りしない癖がある。

同居人は三人兄弟の長子で、三人とも同じように名付けられたと思うのだけど、次弟末弟の名は好きでなく、同居人の名だけよく見える。先祖に侍がいて不思議なく、かと言って偉そうでなく、よい。そう、元が侍の家なので椿は植えぬらしい。侍は調べたひとがいて確からしく、椿がないのは私が見て確かで、侍が椿を植えぬかは知らない。解らないのは三番目に生まれた末弟が鱒二とか俊二、第二のように二の字を使うこと。いつか、兄弟が揃ったとき、同居人は病院で生まれた記録があり両親の子で間違いない、あとのふたりは。と話題になったけれど末弟の名の由来は解らないままである。ひとりっ子で浩二というようなひとはいて、長生きしなかった兄弟がいたかも知れず、名前の意味を聞かなかったことはある。

兄弟が揃ったとき、それぞれの配偶者もいて、そこへ同居人母を加え七人で寿司を食べた。配偶者のひとりが中国地方、他は九州生まれで、私だけが関東生まれ関東育ちらしかった。生まれ育ちだけが関わるものでもないけれど、そのときいた西のひとは皆が皆、数の子は食べられぬと言い、全ての数の子の寿司をひとりで食べた。ウニやイクラも食べられぬと言わないかなと思ったけれど数の子で満腹ではあった。

私だけが関東生まれ関東育ちと言ってよいか迷うのは、同居人は島流しのように今の場所へ来て、私と同じ場所で生まれ育ったと常々言っていて、そんなアクセントでと否定したりはしても、ふたりで育った成長したという思いは強くある。同居人は実家を遠く離れて滅多に帰省せず、生まれ育った場所を私と同じと言うだけの、彼なりの思いがあった。私は十歳で大人になった気でいるけれど、ひとは常に成長を求められるもの、無理ですねと投げ出したいところを、同居人がいてどうにか生きてきた。健やかなるときも病めるときも。

持ち帰り寿司で一番美味しいと思う寿司はショッピングモールの店子で売られていて如何せんパッケージがスーパーマーケット、陳列したときの見た目を重視したプラスティック容器なので、持ち帰る途中で偏ったり形が崩れたりする。折り詰めであれば、そんなこともないのではと思う。ショッピングモールだしとプラスティック容器を見逃しても、まだ思うことはあって、寿司の並び順。私は出来れば端から順に食べたいのだけど、見栄えのためか、端だと潰れ易いのか、イクラが真ん中にあって、飛び越えて次にいかなくてはならなくて、端から順が守れなくなってしまう。イクラは味が濃いから最後に食べたい。穴子とかトロも後のほうがいい。そうしたら全部を美味しく、端から見た目よく食べられるのにねと思う。まあ、端から順にこだわらなければ済む話ではある。

You keep saying what you got

芸人がコンビ仲を語るのは聞き飽きた、あなたがたが仲が良くても悪くても聞きたくない、楽屋で口を利かなくても一緒に食事をするにしても知ったことかと言いながら、依怙贔屓にも、MUSEの三人がなかなかの仲のよさで微笑ましく思う。十代から四十代を一緒にいてああなのだから百歳までだってああだろうと思う。

同居人がまだ実家にいた十代の頃、隣町へ出かけて行って喧嘩をしたことがあった。そこそこやっつけたものの隣町へ出向いているのは弱点で、不利になると隣町は助っ人を次々呼べるけど、同居人側の弱ったひとは逃げるしかなく、気付くと同居人ともうひとりのふたりだけで、隣町のひとに囲まれてしまい、戦いようも逃げようもなかった。 死ぬほど殴られて病院送りになるか、死ぬほど殴られて死ぬかという具合に追い込まれた。追い込まれたものの、隣町は隣町で、ひとを殺すかもしれないことに怯えたのか、直ぐに手を出しては来なくて睨み合いの時間があった。そこへ現れたのが同居人と残ったもうひとりのひとの兄で、ショベルカーへ乗ってきた。ショベルカーを前に殴りかかるひとはなく、無傷で帰ることが出来た。ショベルカーに助手席はなく、掘ったり掬ったりするショベル、あそこへ乗って隣町から帰ったとのこと。重機を持ち出すべきときは持ち出せばよいという話。或いは島流しにもなるわねという話。かな。前にも書いていたらごめんなさい。
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