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ガストロディア・アグニセルス [日々の暮らしで思うこと]

Saturday, 26th December 2020

思うことを整理して書こうとするけれど上手くいかない。気が散りやすく、書き始めに書くつもりでいたことを書かずに次へ移っている気がする。漂流先から瓶で送る手紙にしても混迷が過ぎて誰ひとり解読出来ない、書いた本人の解らぬことを誰が読み解くだろう、埋蔵金の在り処が書いてあるならともかく。明日と書いて、明日という言葉があるのか判然としない。今まで確かに使ってきた言葉だろうかと疑う。老化なのか、悪化なのか、気の迷いなのか、よく解らない。

自分の中に数知れぬルールがあり、例えば、漢字。手書きするときに使う漢字だけを使いたい。変換されたからと無闇に使いたくない。けれど、もう、薔薇という字を書く記憶も気力もないのに薔薇を選んでしまっていて、ルールを破る自分に、他人を見る思いがする。"わかる"は、わかる、分かる、判る、解るなど、自分なりの使い分けがあるけれど、使い分けに従わずに選ぶことをすんなりしていて、誰だお前と思ったりして、実際、誰なのだろう。

灯油ストーブは使っているうちに灯油が無くなり消えてしまう。そうした自然の成り行きを意識せず気にせず暮らしてきた。ひとりでに灯油が足されるものでないことを今更知って、どこのお姫様かと思う。茶犬は灯油タンクの立てる音が苦手らしく、ストーブから灯油タンクを抜くたび気が触れて、これをしないとストーブが使えなくなると説得するとき、知らずに同居人の口調で言っている。一人前の顔をして。

何にしても手本があるのは道筋の見える近道を行くようなもの。自転車を知らずにこれは何かと考えるところから始めるのと、乗っているひとを見て自転車を手にするのとで随分苦労が違うように。独自の自転車の使い道を見つけたい気持ちを持ちつつ、先駆者草分けに感謝する。転。同居人は豚を乗りこなせたらしい。同居人の他に出来るひとはいなかったと聞くけれど、乗りこなそうとしたひとが他にどれだけいたのか。両手で両耳に掴まり背にまたがる。右耳を引くと右、左耳を引くと左に進み、両耳を引くと利きの悪いブレーキとなる。走り出しは腹を優しく蹴る。腹を蹴って優しい訳がなく思う。かなりのスピードが出て、豚は凶暴だそうで、危ないから真似はしないでと言われたけれど、いつ、どこで、どのように。誰が。何故。

Pさんに勧められ、拙宅給湯器が壊れて以来、久しぶりの風呂へ入る。持参した入浴剤バブを放り込んだ湯へ浸かり温まった。Pさんは、空気が乾燥し過ぎだ、雨が降らぬと火事になると言って、自然発火の森林火災的なものが直ぐそこで起こるように案じている。悪くない。けれどCOVID-19感染者増大の最中、私の髪が伸ばす意図なく伸びたのが明白なので切ったほうがよい、専門家の元へ出向いてと主張して、心配の按配が悪い。何処の店だとマスクをしたまま切ってもらえるなどと、割と直ぐにも切らせたがっていて、テレビに耳目が奪われている振りで乗り切った。髪は切らない。

テレビには菅首相が出ていて、酷く顔が浮腫み、膨らむ皮膚が目立つように見えた。他人事ながら体調が気になる。拙宅のテレビを七月から見ておらず、内閣官房長官だったときしか知らず、首相ほど大映しを見ないので元からこういう顔だったのを気付かずにいたかもしれない。会食好きという勝手な印象から忘年会続きの顔に錯覚しているかもしれない。顔色のおかしいシャー・ペイに見えたので、多分、私がおかしい。シャー・ペイは藍色の舌を持つという犬なので。

物事を忘れるのを逆手に取れば、新しい本を一冊も買わずに同じ本を読み続けてよいかに思える。書かれたものは増えるばかりなので淘汰が要るのか知らないけれど、売られているうちに買わないと直ぐに絶版となる感じもあって、全く買わぬ決心は難しい。絶版など読者の不利益は簡単に決めて見えて、誤字脱字などは見逃されがちで配慮が足りなく思う。本に誤りを見つけることは滅多にないことだったけれど、今は日常的にある気がする。どこであっても、全般に、仕事の精度や熱意は大切にされていないように思う。世知辛い。
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