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今日一日だけでもすなほにつつましく正しく [日々の暮らしで思うこと]

Sunday, 3rd January 2021

朝、目が覚めると熱は37度を下回った。平熱よりはまだ高いものの怠さと痛みが弱まり、昨晩より随分楽である。空腹感もあって、前夜食べるつもりでいた伊達巻と蒲鉾とおから蓮根を出して、伊達巻は消費期限が2日とあるものを8時間ズルをして食べた。昼まで愚図愚図食べたので12時間のズルかもしれない。期限切れや怪しい食べ物を食べるときに気になるのは過去に見た食中毒のニュースで、どこかの旅館のロビーに飾られていた赤いキノコを部屋に持ち帰り食べたとか、冷蔵庫に何日かあった鶏肉を大丈夫かなと思いながら食べて大丈夫でなかったとか、出来心、油断からしでかしたのを大っぴらに伝えられてしまうことで、さすがにこの頃は配慮されて実名を避け「何処其処の何歳の女性/男性」のように言うけれど、バレない気がしない。期限切れの伊達巻を食べてニュースになっても事実だから仕方ないが、いつだって詰まらせぬに限るけれど、餅すら喉に詰まらせてはならぬ昨今、徹頭徹尾家庭内のこととして収めなくてはと思う。お腹が痛くなりませんように。

腹痛で言うと私は下痢をしやすく、Pさんは便秘がちだ。母が便秘のひとで、下痢も便秘も内臓のはたらきがよくないために起こる、現象として対極に見えて似たようなものと言うひとがいて、遺伝的なものかと思いかけたけれど、下痢も便秘も遺伝しない、生活習慣、食べ物や暮らし方で決まるという話を聞いて、それはそうかとあっさり納得した。私が瀉腹がちなので比べようがないけれど、母は割と重度の便秘だったと思う。どうにもならなくなると母は私にイチジク浣腸を買って来させた。小学校高学年から中学生の頃で、喜んで引き受けるおつかいではなかった。一遍にまとめてということをせず、必要となるたびひとつふたつで、毎回、買わずに済んだらどんなによいかと思うのだけど、正規正当に売られるものを売り値で買うのに何も恥じることはないとも思って、買わずに済ませたい気持ちを意地になって抑えていた。はじめから何も思っていないならよいけれど、嫌だなと思ったなら、何だか嫌だけど頑張って買おうくらいに思えていたら、もう少し気楽だったのではと、後になって思う。何に対しても理屈や道理に適うことをしたいと思ってしまう。これは今も続いている。自分で気付かぬところで緩く温く生きていると思うけれど、何だか判らぬ何か、気の弱さ気の迷いのようなものに負けまいとして、常に正しいと思うことをしたく、考えの及ぶところでは窮屈さがある。これまで自分自身でイチジク浣腸を必要としたことはないけれど、必要になれば通販を頼らず、排便が滞ってそれを促す薬を買うのに何が悪いんですかという顔をして薬局で買うんじゃないかと思う。何の我慢大会だか。

遺伝みたいなものには恐怖があった。母はそうした病気が起こりやすいとされるより随分早く罹った病で身体の少なくない範囲で機能を失っており、そうした身体の病気と母の統合失調症と父の自殺とを受け継ぐのではないかと案じた。Pさんの見た目は母によく似ていて、言動も似ているかしれず、父が自分の考えを押し通すことやあれこれ考える癖はそのまま私にある。遺伝を全く忘れることはできない。幸いにもこれまでのところ、案じたことそのものは起こらずにいる。怠惰な暮らしをしながら一昨年までは生活習慣病の気配もなく、精神的な症状のほかは問題にならなかった。一昨年、急に血圧が高いことになって、一遍に老化した気がするけれど、かと言ってそのために診てもらった医者から血圧を下げる薬は出ておらず、生活習慣を気をつければどうにかなるのかもしれない。Viva 健康。

星占いは信じぬのだけど、生まれ月が人柄に出る感じはしている。1月2月なんかは厳冬なのでぎゅっとしているとか冷え切っているとか、4月なら華やぐとか、5月なら爽やかとか大雑把な分け方で経験則を言えば。母とPさんは6月生まれだから梅雨っぽいと言うと、これありきみたいなことになるけれど、控えめに言って梅雨っぽい。同居人と前の主治医は5月生まれでそれはそれは爽やかさっぱりはっきりくっきりでございましたよ。アルバイト先で意地悪な5月生まれのひとがいて弱気になったものの、さっぱりはっきりくっきり意地悪で、加えて6月生まれの梅雨っぽいひともいて、自説を維持。

このアルバイト先の5月生まれのひとが、「さつき」という名で何人か姉妹で、そのうちのひとりが「やよい」だそうで、渡る世間は鬼ばかりみたいでしょうと言われたけれど、見たことがなくよくわからなかった。入院したとき「さつき」というひとがいて、5月生まれだからと言っていて、もう少しで「やよい」にされるところだったとも言って、マジか卯月でなくと思って、渡る世間は鬼ばかり的なものだったのか、閉鎖病棟ユーモアだったのかよくわからない。彼女はあまり爽やかでもさっぱりはっきりくっきりでもなかった。そこは5月生まれだったのかという辺りから曖昧。残念ながら閉鎖病棟で見聞きしたことは全て疑ってみるのが妥当。

アルバイト先のさつきさんは「思うことをズケズケ言いつつさっぱりしていて面白い」という自己評価のひとで、自分でそう言っていたりするのだけど、気に入らないことがあっても相手の立場、気の強さにより言ったり言わなかったりで必ずズケズケ言う訳ではなかった。ただ、自分でさっぱりしていて面白いと言ってしまうくらいなので、思うことを思うように言う場合もある。あまりじっくり考えないのかなということが時々あった。あまり考えずにいるせいか、私の言うことに度々感心するのだった。自分の中にない表現らしく、詩のようだとか文学的だとか言う。私をおだてて何の得もなく、私はどんな反応もせず、彼女は本心で言っているように見えた。今、何て言ったの、もう一回とメモを取ろうとすらして、私はもう一度言ったりはしなかったけれど、あれが嫌みだったら相当な意地の悪さで、渡る世間は鬼ばかりと言えましょう。

Fさんの年末のTwitterの牛の絵が素敵で、その牛の絵のTシャツがほしいと思い、そのまま伝えて、五分で描いたという返事をもらった。すごいな、五分で描けてしまうのかと感心して済ませてしまったけれど、年が明けてから、牛は年賀状用の牛で、ブログを読んでくださっているという続きのあることに気付いて、お年玉になった。ありがとうございます。うっかり者で失礼いたしました。

夕方から微熱となって、喉の痛みが増した。安静にして栄養をと言って、Pさんが夕飯と干し柿を届けてくれた。干し柿はふたつ食べられる感じでいたけれど、ひとつで充分だった。

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