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壺もコップも神である [日々の暮らしで思うこと]

Tuesday, 12th January 2021

月曜日の夜から、Pさんの家に石油ファンヒーターが導入され、犬と犬と私の居場所に設置されて暖かい。ここを居間と呼んだりしたけれど、台所であることに気付いた。ソファとテレビに騙された。Pさんと猫は専ら二階に居て、犬と犬と私は台所及び食堂に寝泊まりしている。寝具は普通にあり、水道ガス電気完備で居心地は悪くない。好きなように食べてと言われて好きなように食べたら羊羹が無くなったと言われるとか、日曜日と月曜日に入らなかったので風呂へ入ったら咳が出るのはそのせいと言われたりという不自由はあるけれど。

また、石油ファンヒーターの説明書を読んでおいてと言われて読むと「石油は室内の冷暗所に置かないと劣化する、劣化した石油を使うと異常燃焼の危険も」とあり、Pさんは玄関先かベランダに置くようなことを言っていたので「石油は冷暗所へ置かないといけないらしい」と伝えると不機嫌になるのはどうかと思う。羊羹と風呂は私の落ち度の可能性があるけれど、石油の劣化は自然の成り行き、太陽の光や熱や雨が悪くはたらくらしいという話で、不機嫌になられてもどうにもならない。早く家に帰りたい。

石油ファンヒーターは私がいなければ不要だったかも知れず、申し訳ない。私の発熱をどう捉えてよいかわからず、COVID-19の流行もあり不安、というのは私もそうだけれど、Pさんは風邪をひかないひとなので、余計に混乱しているかもしれない。数日前にはホタテ貝柱の刺身を食べさせてくれたけど、体調の落ちている感じのときに生ものを食べたいとは思わない。美味しかったけど。私には、帆立貝はバターで焼くくらい、一年に一回食べるかどうかという食材で、貝柱が美味しいとはどういうことか、帆立貝など貝ひもを食べたら終わりであろうなどと思っていた。でも、刺身を食べたら、貝柱最高。びっくりした。ホタテについて、世の中の認識に追いついた気がする。

Pさんが「オムレツを作ろうと思ったけれどスクランブルエッグにする」と言って、オムレツでもスクランブルエッグでも構わない感じだった私はわかったとか何とかと返事をした。するとPさんはコツコツコツとボウルの縁で割った卵の中の全卵をゴミ箱へポイっと捨てて、卵の殻だけ手に残して真顔で、二秒くらいして「間違えた、歳を取るって怖いね」と言った。何も言われなかったり、これが新しい生活様式の卵料理と言われたら嫌だけど、誤りと言ってくれたのでよかった。別の卵が割られてボウルに入れられ、従来通りの方法でスクランブルエッグが作られた。スヌーピーの絵の描かれたハインツのケチャップを出してもらい食べた。美味しかった。

ふざけて遺書のようなものを書く訳でなく、パニック発作か何かわからないけれど苦しくて、もう死ぬのだと思って覚悟して書くけど死なない。犬と暮らし続けることができてどんなにか有り難いけれど、死刑囚のひとだって、それらしく連れ出され、刑場へ行くだけ行って房へ戻されるというようなことを繰り返されれば気が触れると思う。自分勝手に生じる発作や困惑や覚悟で、加害者も被害者も私で、訴え出るべき人権団体もなく八方塞がりで、もう終わりにしたい。全て勘違いとわかりたい。発作から解放されて楽になりたい。風邪の諸症状もなかなか治らず、踏まれたり蹴られたり。

前に、遺書のような書き置きのような紙切れを手帳型携帯電話ケースに入れていて、マツモトキヨシで会計時にレジへひらひら広がりながら落ちて気拙かった。いなくなってから読まれるつもりの、犬をよろしくとか、骨は海へ撒いてほしいなどとあるのが易々と読めて。

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