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海のきゅうりとえんどう豆のカニ [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 14th January 2021

マスクはできるだけ丁寧に押し洗いして、清潔を目指しつつ素材が傷まぬような手入れを心がけてはいるものの、そう思い通りになるものでなく、目詰まりか素材の劣化か何か、使うと息苦しくなるマスクが出てきた。初めはどれが何回目の洗濯とわかっていたけれど、次第にどれがどれだかわからなくなった。そんなものが三十枚くらいあって、総入れ替えできるほど未だマスクの入手は容易でなく、呼吸しにくくなったものを徐々に捨てていこうと思う。ウレタンマスクはいつまでも呼吸しやすさが続くけれど、感染予防に効果的でないと聞いて、散歩など外気に触れるときならよさそうに思って使う。見たところ劣化した気がせず半永久的に使えてしまうのではと淡く期待したら、そっと引っ張って耳へ掛ける部分が千切れて、こちらも順調に古くなっていた。マスクは元々消耗品だったことを思い出す。一回使って捨てていたなんて遠い過去のことのよう。

私も順調に古くなっていて、ひとはどこで老化を思うか知らないけれど、前後に太る感じがして、あら、と思った。太るのは横へ広がるものと思っていると、前後へ厚みが増すように肥大する私、というものに気付いて歳をとるというのはこれだと思った。これだと見つけて喜べる宝物や隠し絵とは異なり、野放しに進まれては困る老化で、真面目に痩せるべきだと思う。正面から入れぬ幅だからと横向きになりスイスイ抜けようとして進路へハマるような悲喜劇が起こる前にどうにかしたい。それにしても、人生には様々なトラップが用意されている。癪なのでこれと言った反応をせずに、無表情で無感動にかわしていきたい。誰に対する意地だかわからないけれど。

コンビニエンスストアがもう無理だなと思った頃、宅配便の中継センターで荷物を仕分けるアルバイトをした。一時的には重複しており、コンビニエンスストアへ行った後、荷物の仕分けへ出るなど、私にしては頑張った。センターは宅配便企業の中では最先端の設備を導入したものらしいのだけど、機械ができることには限界があり、と言うか、機械化自動化に現場を知るひとがいなかったとしか思えぬ設備だった。配送地域ごとに大きな滑り台みたいなものがいくつもあって、機械に振り分けられた荷物が滑り落ちてくる。伝票を読み取り、どの滑り台へ流すか、それだけが機械化されていた。じゃんじゃん滑り落ちてくる荷物を配送小型コンテナへ詰めるのは人間の仕事である。

荷物には番号が振られていて、バラバラに落ちてくる荷物を番号ごとに指定のコンテナへ詰める。ひとつの滑り台に大抵ふたりが配置され輸送先別に十個くらいのコンテナへ詰めていく。荷物の大きさは様々あって組み合わせが難しいけれど、次々に滑り落ちてくる荷物を停滞させず、指定のコンテナへ誤りなく、無駄なく、隙間なく詰め込まなくてはならない。それらをしながら重さが規定を超えていそうなものや伝票の剥がれたものなどを選り分けもする。企業からの大口のものなど短時間に大量の荷物が流れると作業が追いつかず、滑り台に荷物が溜まり、溢れるばかりになっても機械は振り分けるのを滅多にやめない。溜まった荷物をコンテナ脇へ取り敢えず積み上げて、他の滑り台から手伝いに来てもらってこなす、逆に間に合わない滑り台へ手伝いに行くというのが日常的で、機械化してこの効率の悪さは何なのか疑問だったけれど、皆、荷物の流れに追いつかない人間が悪いと考えているようだった。

扱う荷物は冷凍品と冷蔵品で、小型コンテナは冷凍庫や冷蔵庫、作業する部屋は4℃から6℃くらい。詰め終えると荷出し口別に人間がぞろぞろ列をなしてひとつひとつコンテナを運ぶ。コンテナに轢かれたり押し潰されたりせぬよう指導を受けたけれど、コンテナの中に積み木のように荷を積むのは難しいにしても、詰め終えたコンテナを指定の荷出し口へ移動させるくらいのことは機械化すべきだ。化粧室へ行くと明かりが自動で灯ったり消えたり、手を出せば石鹸や湯が出たりしたけれど、どう考えても、そこじゃない。そんな気持ちと常に追われる感じと寒さに耐えられず、不甲斐ないように思ったけれど、荷分けのアルバイトは長く続かなかった。二か月働いて一か月休むような社保逃れを行う企業でもあって、もっと頑張るべきだったとも言い切れない。精神的に弱っていると不採用になることを過度に恐れ、採用されやすさだけで仕事を選んで失敗する悪循環のようなものは痛切に学んだ。
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