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部屋猫のそれよりヤワな私の肉球 [日々の暮らしで思うこと]

Wednesday, 22nd September 2021

しばしば、同居人を指して兄かと訊かれることがあり、身内ではありますが血のつながりは皆無ですよなどと返答してきた。はじめは全く似ていないのにと思ったものの訊かれ続けるうちに暮らしを共にすると外見が似通うものなのかと思うようになった。食べるものも見聞きするものも殆ど同じで似て不思議ない、似てきたのだろう、そういうことでいいや、そう思っていた。けれど出会って然程経っていない頃の古い写真を見てみるとその段階で割と似ていて拍子抜けした。全く違うので足りぬところを補い合うのに丁度よいような感じがあったが、見た目だけで言えば大差なかった。どちらが美でどちらが獣かなど分け隔てしたことはないけれど野獣と人間くらいの違いはありそうに思っていた。

大人になりつつある娘が父親の匂いを嫌うのは近親婚を避けるため組み込まれたプログラムのようなものという話があるけれど、自分に似た人間を選ぶというのは何か意味があるのかないのか。自惚れか自暴自棄か気まぐれか。何にしても私にとって一番と思うひととおもしろおかしく暮らすことになって、私ひとりに限れば幸せな結婚をしたと言える。結婚なんて社会秩序を守るための制度策略でしかないと思ってはいても。そして思うのは策略であってもなくても結婚するなら好きなひととするのがよいだろうということ。別の脳みそを持つひとと過ごすとき、何の苦労もないということは殆どなく、それを和らげるなり何なりしようとしたなら、相手が好きなひとであるほうが好きでない或いは嫌いなひとであるより頑張りが利くように思うし、乗り越えたときの喜びが大きい気がする。好きなひとということで言えば眞子さんは正しい結婚相手を選んだ。生まれがどうあろうと幸せになるのも不幸せになるのも本人の自由である。

求婚された訳でもないけれど私なら躊躇するわねと思うのは、太陽に例えられるのを受け入れて相手を月のような存在という物言いで、そう思っていたとして人前で言うのはどうかしら。太陽も月も同等という評価もあるだろうけれど、消えてなくなったときの影響で言えば大きく違うんじゃないかしら。と思ってしまうので、対等ではないと言い切ったように思うひとと仲良くやっていく自信がない。普通の暮らしをしてきたひとが記者会見なんかしたら思ってもいないことを言ってしまうのかもしれないと思いもするけれど、願い下げですわという気持ちのほうが強い。誇れるものなどこれと言ってないのにそういうことにはこだわりがあり、同居人について「ご主人」と言われると「主従関係にないのです」と言い張るなどして、ぽかんとされたり恐縮されたり、物事がすんなり進まないことが度々あった。一事が万事そんな私を面倒がらずに支えてくれた同居人を有り難く思う。

呼び名の不自由さは他にもあって、赤の他人にお父さんやらおばあちゃんやら言うのはどうにかならないかしら、名前で呼べばよいのにと思う。本名に限らず、本人の呼ばれたい名前で呼べばよいと思う。それが柿本だろうと人麻呂だろうとティラノザウルスだろうとアラン・スミシーだろうと。私がそう呼ぶよう頼んだことはないけれど、同居人にはみけとかたまとか、ちゃんを付けたり付けなかったりで呼ばれ、それには抗うことなく返答してきた。仕返しでも何でもないけれど私より二十センチは背がある同居人を私はチビと呼んだ。変形としてちーちゃんとか珍味とか。呼ぶひとと呼ばれるひとの間で納得があれば、どう呼んでも構わない。

コンビニエンスストアのアルバイト店員をしたときには胸ポケットに顔写真入りの名札を付けさせられた。姓が半径三十キロ以内に拙宅よりほか存在せぬ感じなので住む家が特定されそうで嫌だった。名札にはミケランジェロと書いて欲しかった。オフィーリアもしくは草枕でもよいけれど。何にしても個人情報の取り扱いとして接客業の名札などはもう少し気遣いがあってよい。付け入られ得る隙は出来るだけ無くしておきたい。

昨年末だったろうか、地域の店を応援する名目で、住民ひとりひとりに三千円分の商品券が配られた。滅多にないことと思い念入りに考え、ハーモニカ屋でギターの弦を換えてもらった。弦と手間賃で三千円丁度で若干の割高感は否めぬものの地域の店を応援するというのはこういうことだと思う。ハーモニカ屋でハーモニカを買わぬ話ではなく、ガツガツ得を求めぬ姿勢のことね。何の努力もせず社会の一員みたいな経済活動をしちゃいました。とヘラヘラ油断していると、滅多にないことと思われた商品券配りが再び行われるのだった。前回は参加しなかった行きつけのパン屋が応援を受ける店に加わったので三千円全てをパンに使おうと思う。

再度配るにあたり追加されたのが独居高齢者への支援で、三千円分の商品券とは別に千円分の商品券をあげるというもの。三千円の商品券は額面500円が六枚綴りなのだけど独居高齢者に配る千円は200円が五枚で、ご丁寧に色も変えてあるらしい。少額の買い物に小刻みに使えて他の商品券と間違えにくいという利点はあるものの不用心だ。応援を受ける店を出入りするひと皆が皆、安定した経済状態で安定した心持ちとは限らず、ひとり住まいとわかる目印をやり取りさせるのは暢気な役所仕事に思う。日々、防災スピーカーで特殊詐欺云々と放送していますよね。と両腕を掴んで揺らし目覚めさせたい。罪を犯そうとするとき、それはそれみたいな見過ごしや配慮などないと思う。分別を失うから犯罪に走るのでしょうと思う。

Pさんは洗濯物を都度洗濯槽に入れていき一回分とおぼしき嵩に増した頃合いで洗うひとで、私は洗濯かごに入れておいて一緒に洗えるものを選り分けるタイプのアライグマなのだけれど、Pさんの家で暮らしている今は郷に従う。故に洗い終えた洗濯物を干していて、わ!わ!わわわ!となることが少なからずある。マスク(ユニクロのエアリズムマスク)がバラでバラバラ出てくるのは当たり前、ハンカチやタオルに便座カバーが紛れ、時にはスリッパも一緒なんですの。洗い終えたならキレイと考えればアリなのでしょうけれど、闇鍋過ぎではないかしら。悉く、別の脳みそを持つひとだなあと思う。私はひとりなのだなあと思う。珍味、カムバック。

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