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Kill Or Be Killed Or セロリパセリ [日々の暮らしで思うこと]

Saturday, 31st December 2022

今月半ばに予約しておいた年越し蕎麦を行きつけの蕎麦屋へ受け取りに行く。ついでにPさんが買い忘れたと言う正月用品を買うためにショッピングモールへ寄った。私は特に買い忘れたと思うものはなく、モールの広場を犬と散歩した。晴れの予報だったけれど空は雲に覆われて暗く肌寒い。駐車場へ向かって広場の脇を通ったとき、車窓からシロクマを見た気がしたけれど、とシロクマを探すとシロクマは確かにいた。ペンギンと鹿の仲間に見える何かしらの生き物もいた。縮尺が狂っているようで、それらの大きさの比率に不安を覚える。どことなくうす汚れた感じも曇天の冷たい空気を更に凍てつかせて寒い。

この頃の私は百貨店の売る食品の取り寄せにはまっていて、朝から晩まで百貨店の売る食品のWEBページを眺めていて飽きない。これで時給が発生したらよいのにと思うほどで、誤字脱字なんかもずいぶん見つけているから、真面目に言って百貨店は私を雇うべきではないかしら。そんな具合に食品を買っていたら、Pさんのお金が余ったそうで、正月は贅沢をしようなどと言う。それで、昨日、Pさんがひとりで横浜へ出かけ、職人手作りのかまぼこやら私の好きなえぼしの伊達巻やら買ってきてくれた。今日は確か雑煮に入れる肉と野菜を買うと言っていた気がするのだけれど、犬と犬と私がシロクマ一味の周りをうろついている間に毛蟹を買ってきたのだった。ひねの好物でしょうなどと言って。好物ではあるけれど高嶺の花、好物であるのを忘れるくらい長いこと食べておらず、Pさんの言う贅沢が本当に贅沢に感じられてたじろぐ。アンチョビ入りラー油だとか子持ちししゃもだとかエゾシカのパテだとか私の好む或いは興味を持つものを私が買って、どれほどPさんのお金が余ったというのだろう。

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朝食を済ませて出かけたのに蕎麦屋へ行く前にPさんはバターシュガークレープを買ってくれた。クレープにバターと砂糖を塗りつけた飾り気がないけれど一番美味しいと思うクレープで、冷たいベンチに腰かけひと息に食べた。その後、昼食の焼き鳥弁当を買ってもらい、蕎麦屋で年越し蕎麦を受け取って帰った。手洗いうがいのついでに顔を洗うと口の周りが砂糖まみれで、それはクレープの砂糖に違いなく、こんなにもと思う量で、焼き鳥屋と蕎麦屋は砂糖まみれの顔で行ったものと思う。マスクがあってよかった。

焼き鳥弁当を食べ終えると満腹で眠くなり、いつの間にかソファで午睡、同居人の夢を見た。ひたすらほっとして温かかった。目覚めてがっかりすることもなく、夢の温もりが続く。時に学校の先生をお母さんと呼んでしまい恥ずかしかったなどと聞くけれど、私は犬へ同居人の呼び名で話しかけたりする。犬は誤りを正したりせぬけれど、私は違う違うと言って謝る。悪いと思ってと言うよりは、同居人を呼ぶ自分の声にびっくりして何故か謝ってしまう。

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グラタンとミラーボール [愚]

Tuesday, 20th December 2022

積立預金の通帳が見つからず、どのくらい貯まっているのか或いは貯まっていないのか確かめようがない。70万円くらいあったら素敵なのだけどと思いながら積立預金をしている金融機関へ出向き、「使う予定ができたけれど通帳がない」と言うと残高を教えてくれた。54万円だった。なるべく早く通帳を見つけるようにとの教育的指導を受けたのち、普通預金へ移し替える方法でなら引き出し可能と許しを得た。20万円を残して34万円を下ろして使った。使ってしまった。食べるもの、飲むもの、食べるものを入れるもの、着るもの、履くもの、被るものなんかで使い果たした。それらのいくつかはAmazonで買ったのだけれど、発送の都度、残高がぐんぐん減っていった。自分で頼みながら「わあ、こんなに」などと言い、減っていくのを見ていた。見ていたところで使った金額が減らぬものでもないけれど。とは言え見ていてよかったことはあって、使っていない金額が引かれているのに気付いた。問い合わせると先方の誤りとわかり、返金されることとなった。そんな訳でAmazonに二万円くらいの貸しがある。

持ち金を使い果たしながら、Apple Watch Ultraも買った。冒険とか旅は無論、身体を動かすことそのものと無縁で、重篤な出不精であるのに。そんな私がなぜ買ったかと言えば、Ultraという名の時計があれば買わずにいられぬと思ってしまったから。Apple Watchに限らず、そうした名の時計があったかしれぬが、私が知るのはそれだけだった。だからと言って直ぐに飛びついた訳でなく、ひと月くらいは迷ったり、迷ったフリをしたり、auへキャンペーンについて問い合わせるなどして気が変わらず、それならと買うことに決めた。auへはチャットで問い合わせたのだけど、「キャンペーンを見込んで買おうと思うのですけどXXですか?」と問うと「キャンペーンを見込んで買おうと思うけどXXかどうかというお問い合せですね?」と聞いてきて、そのような鸚鵡返しにも程があるのではと思うやり取りを何度も繰り返さねばならず、真綿で手首を絞められるくらいの苦労はしたのであった。腕時計なだけに。

それで、どんな具合かと言うと、とてもよいのですねこれが。眠っているときどうだったとか、嬉しかったことを思い出せとか、息を吸えとか吐けとか、立ち上がれとか眠る時間だとか、あれこれ言ってきて、親身な家族がいるかのよう。同居人と同居していれば要らないかもしれないけれど、そうでない今はあってよかった。無くてよく生きていた。とすら思えてくるので、山の天辺、海の底、ジャングル、砂漠、底なし沼、どこにいるにしても、孤独なひとには向いている時計なのではないかしら。ぐっすん。そうそう、大好きだった主治医が山登りをするひとで、SUNNTOを愛用していたのだけど、あまりにも似合うことに感心して、Ultraという名の響きとは別に、そういうものへの憧れというのはどこかにあったかも知れない。よって、同じ色のベルトにしてしまった。くふふ。って、どれだけ暢気なのかってお思いかしれませんけれど、買ったり食べたりでもせねばやってらんねーってことがあるのが浮世というもので、私にも私なりの苦難がございます。ご安心を。

それから、偉そうに、ユニクロと無印良品では買い物をしないとか書きましたけれど、普段着や下着を安上がりにするなら避けては暮らせぬと気付きました。エアリズムにヒートテック、スフレヤーンを重ねるような心神耗弱に極めて近いふらふらの情緒でここ数年生きています。お許しください。

それから、まだダラダラと書きたいことはあるのですが、Apple Watch Ultraがそろそろ寝なさいと言ってきたので寝ます。おやすみなさい。
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瓶へ詰めた真夜中の音 [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 26th September 2022

気付くと九月も終わりかけており、どうして気付いてしまったのかと思う。何にも気付きたくない。というか失神していたい。何も考えたくないし何もしたくない、永眠なら永眠でいいよ、そんな気分。だけれど来年の手帳が売り出され、それらを買い、来年も生きていく備えをしている。2023年も生きていくのか分からないけれど生きていくとしたら、一年の間そばにおく手帳は好みのものであれば使うたび気分よくいられるに違いなく、好みのものが売られているうちに買う必要があった。こうしたことも未来への投資と言えるだろうか。鬼が笑う話に過ぎぬだろうか。

大晦日は正午前に行きつけの蕎麦屋へ出かけ年越し蕎麦をさっさと食べてしまい、夕飯にはえぼしの伊達巻を切るやら北九州から届く丸い餅を焼くやらというのが同居人との決まりごとであった。同居人とそうしたならわしをしなくなって、Pさんと別の蕎麦屋へ行くようになった。2019年がどうだったか忘れたけれど、2020年と2021年は蕎麦屋で蕎麦と蕎麦つゆと天麩羅を買って帰り、夕飯に茹でた蕎麦を食べた。2020年は自宅で自身で茹でた蕎麦を、2021年にはPさんのところでPさんの茹でた蕎麦を食べた。

大晦日であってもPさんは当たり前にPさんで、蕎麦の支度をしながら何度も溜め息を吐いたり、目や耳にする人類の殆どに文句を言う舌打ちするなどして、Pさんの台所で暮らす私は身の置き場がない遣る瀬なさを覚えた。背を向けて台所へ立つPさんの罵詈雑言がどこへ向けてのものか、彼女を怒らせているのが私なのか私は関係ないのかすらよくわからなかった。わからないけれど緊張で身体が固まり呼吸は浅く小刻みになって苦しく、そこへいることに限界を感じた。出来るだけ感じよく何でもないことのように自宅へ帰りたい旨申し出てみるとビッグバン、Pさんは泣き叫んで怒った。「いつも大事なときに大事なことを台無しにする」と般若がスローモーションで百面相しているような、ひとコマひとコマに怨念のこもるコマ送りの顔で言うのである。過去の行き違いやなんかもあれこれ並べ立てて。

であれば別々に過ごすとお互いにハッピーではと思うのだけど、それは冷酷非道で血も涙もない私だから思いつくことで、家族思いのPさんはそのようなことはしないと言うのだった。それからmuseは全然才能がないし、ひねには繊細な味覚がなく料理が下手で、常識がなく、思いやりがなく、将来設計がダメダメで、Pさんの猫を可愛がらずと続いた。私は私で、絶望的に絶望する最中それに乗じるように一緒に住まなくちゃと言われて嫌だったとか、楽しく過ごしたいのに愚痴と舌打ちの連続で気持ちが少しも休まらないと言い返しながら処方薬を大量に掌へ載せたりして(私は混乱する気持ちを頓服で鎮めたい一心なのだけど、Pさんには銃口を自身のこめかみに向け死んでやる的な脅しに見えて)、タチの悪い喧嘩になった。途中から、私が私の家へ帰るのは却下なのでしょう、早いこと終わりにならないかしら、しつこいわねと心のうちで思いつつ嵐が去るのを待つ感じになって、Pさんの大事が年越し蕎麦を食べつつ推しの出る紅白歌合戦を見ることだったのが少し面白かった。そうした考えを馬鹿にする訳でなく、私がいなくても充分に成立する話で。蕎麦は別々の部屋でそれぞれ食べるので。

Pさんはあまり大きくない鍋にあまり多くない湯を沸かして蕎麦を茹でて、思いやりから私の蕎麦もそこで一緒に茹でられ、ぶつぶつ短く切れてふにゃりと膨らんだ不細工な仕上がり、もう蕎麦とは呼べぬ何かとなって差し出された。不味かった。「蕎麦は大きな鍋に大量の湯を沸かしさっと茹でるのが肝心です」とPさんに私見を述べた。大抵誤りのない蕎麦の茹で方で、反論はなく、ごめんねと受け入れられた。蕎麦は散々だったけれど言いたい放題言ってスッキリした感じはあってビッグバンは真の忘年会だったかもしれない。


とは言え、私を傷つけるために、museに才能がないなんて言うのはどうかと思う。音楽なんかは合う合わないの話で、何を高く評価するかはひとそれぞれ、正解などない。それを好むと言うひとにそんなものはと貶すのは野暮で自分本位が過ぎるというもの。
そして少し前にファイナンシャルプランナーが出ているテレビ番組を見たのだけど、そのプランナーに相談してきた家族に限って言えば、定年前に住宅ローンを終わらせる計画は殆どなく、総数が何組か分からないけれどそのうちひと組ふた組と滅多にないそうで、大抵70歳から75歳まで払い続けるという話だった。で、同居人と私は定年前に払い終えるよう計画し、計画通り進めてきたのだ。欲しいものしたいことを、ときに諦めるなどして。将来設計がダメダメと言うけれど誰にも迷惑をかけていないのではと思う。

アルバイトはどこも土曜日と日曜日は働かないという条件を出して採用されていたのだけれど、引っ越し屋の電話係のとき途中で主任が変わり、土日のシフトに組み込まれることがあった。日曜日も仕事になったと同居人に言うと「どうして働くことにしたんだっけ」と聞かれて「暮らしを豊かにするためって言ったかな」と答えた。すると同居人は「そう言ってたよ」と頷いて「豊かな暮らしというのは食卓に果物を並べることじゃないよ」と言い、「そうなの?」と訊ねる私に「休日を家族で過ごせなくちゃ意味がないでしょう」と続けた。そうなのかと心のうちで思って、大切にされているように思って、嬉しかった。次の出勤時、土日は働かない約束ですと主任に伝えた。元々伝えるつもりでいたけれど確たる信念をもって伝えた。


過日、ガス屋から電話があった。来月中には便器の交換が叶いそうで、犬と犬と私が正々堂々帰宅する日は近い。
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猫神家の一族 [日々の暮らしで思うこと]

Saturday, 10th September 2022

年が明けて14日めの朝、猫を獣医へ連れて行くよう、Pさんに頼まれた。Pさんは出勤せねばならず、猫は数日軟便が続いていた。Pさんの猫はPさんによる身の回りの世話も、クッションやベッドなどの貢ぎ物も、抱いたり撫でたりのスキンシップも拒みがち、他人行儀なところがあるそれはそれは気難しいお嬢様で、Pさんは手入れのたびシャアッと脅されたりあちこち噛まれたりしており、私などはごはんを出したり飲み水を換えるくらいが精々、Pさんから留守中に愛でろ撫でろと言われているので時々撫でるけれど喜ぶ様子はなく、猫も私も動きが不自然で視線が定まらず気まずい。野性味がある分、白犬茶犬とは比べようもなく敏捷で、私が獣医へ連れて行くとしたらケージに入れておいてくれないと難しいと前々から伝えていた。それで正月14日の朝、ケージに入っているから獣医へと頼まれた。7時半頃のことだった。診察が始まるのが8時半なので8時前後に出かければよい。猫入りケージをクルマで運び、あとは獣医任せ、余裕だなと思った。

そろそろ参りましょうかと二階へ行くとケージは空で、蓋がぱっかり虚しく開いている。え?何?どういうこと?と慌てる私の前を優雅に歩くPさんの猫。咄嗟に胴を掴むと簡単に捕まえることが出来た。心配ご無用。猫の胴、左右の脇を左右の手で押さえ、引っ掻かれず咬まれず瞬時にケージへ戻してみせましょう、そう思った。けれど、爪。猫はYの形に床へしがみ付き、両手の爪を絨毯へめり込ませている。力任せに引く訳にはいかない。爪の絡まりを解こうと掴む手を前方へ動かそうとした瞬間、猫がスッと首を回して鋭い歯を私の左手に食い込ませるのだった。そんな角度に曲がるのとか、いきなり噛むんだという驚きで手を放してしまった。手の甲、人差し指の付け根、大の月の膨らみの辺りにふたつ犬歯の跡がついた。歯形の小さな穴から血が出たけれど、予期せぬ展開への動揺が大きく、痛みは感じなかった。白犬茶犬の喧嘩を仲裁して、或いは呼び鈴に興奮する両犬に突進されるなどして、噛まれるというよりは歯が思い切り当たるというような事例は幾たびかあって、腕や足に結構立派な青痣ができるのだけど、それに比べると何ということもない感じで、お嬢様はやはりお嬢様なのだわと思うのだった。しかし。

どうにかして猫を捕まえ病院へ連れて行かねば。そう思うも猫は寝台下の奥の奥、手の届かぬところへ身を隠してしまった。困り果てていると突然、噛まれた左手が痛み始めた。ずきーんずきーんとのんびり痛み出したかと思うと次第に忙しなくなってきて、ずきんずきんずきんずきん絶え間なく痛みが走る。それに合わせるように痛みは強まり、どんどん腫れてきた。下げていては耐えられず、用もないのに左手を上げていなくてはならない。ちょっと近年稀に見る痛みじゃない、これ。と他人事のように言って自分で自分を誤魔化そうとしたけれど誤魔化しきれぬ痛みだった。それで動物病院行きを諦め、「ケージを抜け出しており捕獲に失敗、病院へは連れて行かれそうにない」と左手を上げたままの間抜け且つ疲れる体勢でPさんに連絡した。「追伸、猫に噛まれました」など。Pさんからは了承とともに「どうしてケージにいないの?」と返信があり、それを聞きたいのは私ですけど、と思った。

仕事を終えて帰宅したPさんに左手を見せるとこれは大変ということになって翌日医者へ行くものと決まる。翌日は午前中に私の普段の通院、午後は犬と犬のグルウミングの予定があった。それでグルウミングの待ち時間に左手を診てもらおうとグルウミング店のある駅ビル近くで見つけたクリニックに行ってみた。土曜日の昼過ぎ、駅近のクリニックは酷く混んでいた。2階にある入り口から階段を伝って建物の外まで列ができている。他へ行っても似たようなものだろうと、診察を待つ。

医者は放っておいても痛む私の左手をぎゅうぎゅう揉んで腫れの中身を端から傷口に寄せて見せて、日に何度もこうして膿を絞り出すよう言ってから傷口に軟膏を塗り、絆創膏を貼り、破傷風のワクチンを打ち、飲み薬と塗り薬を処方した。揉まれただけ却って痛むくらいで、診てもらったからと言って痛みが和らいだり腫れが引いたりすることはなかった。時間が要るのだろうと思うものの、医者に診せてこんなものかとも思った。打つ手のなさに消沈する。膿の揉み出しに励むも中身が出た分一時的に腫れが小さくなるだけで直ぐ元通りになってしまう。

数日過ぎて何ら変わりなく、腫れと痛みが増している感じさえして、拙宅近くの医者へ行く。そこではどういう猫に噛まれたのか、家猫か野良猫か、家猫なら外に出るかどうか、ワクチンを打っているか否かなどの聞き込みがなされ、猫の口には犬よりよほど菌が多いと教えられ、指の曲がり具合や隣り合う人差し指と中指がくっつかぬ様子も確かめられ、初めの医者より診察っぽさがあった。腫れた部位にナイロンの糸を通して膿を皮膚の外へ導き出す試みが施された。ナイロンの糸では解決せず、後日切開してもらうことになったけれど。処置は台へ寝かされて行われ、ナイロンの糸にしても切開にしても何人かの看護師が取り囲むなどして、医者も看護師も皆真面目な顔で恐縮する。プロフェッショナル感のある動きに魅了され、術前に比して変わったところはほんの微かであるのに、術後の私は改造人間の気分だった。駄目な私が改良されたような気がした。

追加の処置や薬が効き、時間を経て、痛みも腫れも概ね消えた。今となれば、よく見て少しの膨らみと皮膚の変色が分かり、気付くと鈍い痛みや自分の手でないような違和感を覚えるに過ぎない。ケージは蓋にあるダイヤル仕掛けの鍵が、内(囚人)側からも回せるつくりで、猫が開錠できると判り、ファスナーで閉じる背負う形のケージに世代交代した。



Pさんの臍から膿やら血やらが出るようになって暫く経つ。Pさんは悲観して、治療せず死にたいとか手術なんて嫌だとか言って医者へ行かない。案外呆気なく治る可能性も否定できぬと適当な希望的展望を言って医者へ連れ出したのが月曜日9月5日のこと。私が三回目の破傷風のワクチンを打つ医者へふたりで出かけた。ワクチンは予約せずに行って打てるものでなく、次の月曜日を予約して、Pさんのみ受診した。「診察室へ一緒に来て」と言いかけてPさんは「いい大人だから、ひとりでいいや」と言い直した。私はわざとらしく周りを見回して「いい大人、どこ?」と聞いてあげた。

三回目のワクチンと言えばCOVID-19のような感じだけれど、予約したのは破傷風のワクチンで間違いない。三回目のコロナワクチンは春先にモデルナを接種してもらい、腕の痛み、発熱などで少し苦しんだ。破傷風は一回目を一月、二回目を二月に受け、次は半年後くらいにと言われていたものである。Pさんの臍は何かを分泌していては正体を確かめられぬそうで、化膿止めが処方され、臍が大人しくなってから検査することとなった。
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楽園 [日々の暮らしで思うこと]

Wednesday, 7th September 2022

先週火曜日のこと。昼間、勤務先のPさんから夕食についての心構えを問われ、何ら準備を始めていないことを伝えると、だったら帰途何か買って帰るとの連絡があった。勤務を終えたPさんはマクドナルドへ寄り、炙り醤油風ダブル肉厚ビーフLLセットをふたつ携えて帰宅した。そして高らかに「仕事が明日から休みになった」と宣言した。

勤務先では勤続5年ごとに5日連続で休むことを許されるリフレッシュ休暇なんて名のお約束があり、Pさんはそれにより9/2から9/12まで休む予定だった。休日出勤した日の代休を連ねて。それが、何か知らぬが8/31から休んでよいと上司に言われたと言う。「新社屋への移動があるから、私みたいにうるさいのは邪魔なんじゃない、今日だって掃除なんかさせられて馬鹿らしかったし」と付け加えた。うるさい人間という自覚があったことに少し感心しながら私はマクドナルドの袋を受け取った。それから炙り醤油風ダブル肉厚ビーフを腕白に頬張り、口の周りを炙り醤油風ソースまみれにしつつ、明日からか、急だな、と小さく思った。永年勤続も連休も喜ばしいことだけれど、ただただ目出度いと言うとそれは嘘で、Pさんは何かと私を付き合わせたがるのに当たりが強く、一緒に過ごすと神経か心か見えない何かが摩耗する。泳いでいて息継ぎをしようとすると頭を押さえ込まれる苦しさみたいなものがつきまとう。そうか、二日増えたか。そう思った。当然ながら、私の思いとは無関係にPさんの今年二度目の夏休みは始まるのだ。

日々、ピリピリした空気が漂うなか、ほどほどに気を遣いつつ、私はどうにか綱渡りをしている。Pさんの弁当を用意しなくなって曜日の感覚を失い、一昨日は月曜日で何のゴミの日でもなかったのに火曜日と間違えて可燃ゴミを捨てに出たりしたけれど。

昨朝、Pさんに「明日から先は雨の予報だから海へ行くよ、45分後に出るけど支度できる?」と聞かれた。行くかどうかは問わずに。気乗りせぬけれど支度はできるので「うん」と答え、犬と犬とPさんと私はPさんの運転するPさんのクルマで海へ出かけた。海岸線まで南下して海沿いの道を西か東へ進む。はじめは西へ向かうつもりだったPさんは「そうしたらひねの好きな薩摩揚げが買えるからよいでしょ」と言うので「薩摩揚げは買わない」と答えた。以前は感激の味わいだったのが、あまり美味しく感じられなくなったというのもあるし、海へ行く口実に使われることが嫌だった。寝起きドッキリじゃんか。クルマの助手席で次第に目が覚めてきた私は少し機嫌が悪い。Pさんは、じゃあ東へ向かうと言った。

海沿いの道を東へ走りながらPさんは行き先の候補をいくつか並べたけれど、Pさんの運転で辿り着くことができるか分からなかった。Pさん自身も不安らしく「この辺にひねがよく来ていた駐車場があったよね」と聞いてきて、私は場所を伝えて、そこへクルマを停めた。

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クルマから出て直ぐにPさんは「暑い」と言い出す。最高気温32度くらいの予報だから、午前10時ならこんなものでしょうという暑さで、明日から雨続きと知っていて気温は調べなかったのだろうか。歩道橋の向こう、防砂林の先に海があるというのに、発案者が全く乗り気でない。何なのだ。仕方なく私が「砂浜まで行ってみよう」と励ます。犬たちの首に冷水タオルを巻き、白犬をPさんが茶犬を私が抱いて歩く。ようやく砂浜が見えてきた辺りでPさんが「暑い、もう無理」と言って、クルマを降りて5分を経ず、海を少しも味わうことなく降参した。私は景色すら見ないPさんにがっかりしたけれど、代わりに砂浜をほんの少し歩いて、遠くに浮かぶ船や島や近くのサーファーをちらっと眺めて、クルマへ戻るPさんの後を追う。クルマへ戻るとPさんは「ショッピングモールか何かでお昼ごはんを買って帰ろう、さっさと家に帰ろう、暑過ぎる」と澄まして言うのだった。

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帰り道、ファミリーレストランの向こうを右折と言ったつもりが手前を右折してしまうなどしたけれど、大して揉めることなくどうにかなった。「この道なら和菓子屋に寄りたい」と言って寄ってもらい、インコの練り切りを買うこともできた。ショッピングモールでは「くたびれたからクルマに居る」とPさんに買い物を任せて、その隙に私は楽器店へ行って陳列されている電子ピアノの鍵盤を叩いてPさんより先にクルマへ戻り、ずっとそこに居た顔をする。Pさんは何も気付かず「無能な店員でやたら時間がかかった」とぶつぶつ言いながら、ずっしり重い天丼を買ってきてくれた。
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陽炎のトイプードル [犬のこと]

Monday, 29th August 2022

自分で書いた過去の日記を読むと自分で書きながら何を書いているのか解読出来なかったりするけれど、様々なできごとに懸命に向き合おうとしている形跡はうっすら解り、日頃頑張りが足りぬと自嘲しがちながら、そうして否定的に捉えて落ち込む日も、後日見直せば持つ力すべてを注ぎ込んだと思えることがあるかもしれない。ブログや日記は自分自身を他人の目で見直すデータとなるかもしれない。そう思った。思ったようにならずとも備忘録として充分役立つ。ドッグフードがどのくらい持つとか、犬の給水器のフィルターをいつ交換すべきかなど、到底憶えていられぬことを思い出させてくれる。憶えていたことを整理することができる気もする。と言って、今年の手帳は空白ばかりなのだけど。

白犬と茶犬は昨年全身麻酔にて歯のスケーリング(高圧の水で歯の汚れを取り去る処置)を受けた。白犬は抜歯せねばならない歯が数本あって、術後は常に舌が少し出ている顔になった。犬は基本丸飲みするので多少歯を抜いても大丈夫と獣医は言ったけれど白犬は魚の干したものなんかを齧るのが好きで、抜歯に至ってしまいどうにも申し訳ない。干し魚をこれまでと変わらず嬉しそうにガリガリ噛んでくれるのが救いである。また抜歯が元でありながら四六時中舌を出し放す白犬の顔は底抜けに愛らしい。転んでもただでは起きない。誰が転んで誰が起き上がったのか知らぬが。茶犬は歯を磨かせるのが割と上手だったためか一本も抜かずに済んだ。その後、これまで使ってきたどの歯ブラシより磨きやすい歯ブラシが見つかり、日々歯磨きに励んでいる。歯ブラシはトリマーさんに教えてもらった歯ブラシで、トリマーさんのペットショップでは六百円くらいで売られているけれどAmazonでは大抵三百円ちょっとなので、そちらで買ってしまっている。

ペットショップにはいつからか他店から移ってきたらしいトリマーさんがいて、そのひとは店のルールを完璧に守りたいらしく、ショップ全体に緩さがなくなった。そう頼んだこともないまま白犬の頭はまん丸にカットされ続けて何年か過ぎ「いつも通り」と頼めばまん丸頭になっていたのだけど、そのひとに「いつも通り」とお願いしたら初回時に持ち込んだと思しき年代ものの参考写真を元に仕上げてくれて、少しもいつも通りにならなかった。また、2か月より先の予約は一切できなくなったし、書類や何かも期日ごとに確認される。ギッチギチのガッチガチ。とは言え事務的な整頓が行き届き、予約の空きが直ぐにわかるなど利点がないとは言えない。多分。

気になる白内障は昨年とは診断が変わり、茶犬の右目にだけ少し兆しがあるということだ。注意事項の多い目薬は茶犬の右目だけに使い、他は眼球の表面に傷がつくのを避けるための乾燥を防ぐ目薬になった。白犬は肝臓、茶犬は心臓が健診で引っかかったけれど再検査で治療が必要とまでは言えず様子見となっている。茶犬は六年前から命に関わる病に罹っていて、心臓の不具合が見つかったのは長生きした証と循環器科の獣医に言われた。喜んで良いのかよくわからない。次の金曜日、再診がある。



少し前、Pさんが夏休みだった。Pさんは何だかんだと出かけるのが好きなのだけど遠出もできず、書店やスーパーマーケットや蕎麦屋に行くくらいの夏休みだった。そうした外出に私は漏れなく道連れとなった。ある日どこかから帰って来たとき、見覚えのある人間と犬を見かけた。あれは確か、ムーちゃんとその飼い主だ。ひとの顔をなかなか憶えられないのだけど犬の顔で思い出した。

ムーちゃんは五月上旬ひとりでいるところをPさん宅隣接アパートメントの住人に保護された犬だ。二十代後半くらいの男性らしき住人がゴミを捨てに出たところ、気付くと傍に毛むくじゃらのムーちゃんが佇んでいたらしい。ムーちゃんにはリードが付いていて、これが我々に謎を投げかけた。我々と言うのは住人と住人が初めに相談を持ちかけたハナちゃんという名の犬のいる家のおっさんと、その後どうしたどうしたと集まった暇な人々である。リードが付いているということは散歩の途中だろうか。散歩の途中で犬がいなくなって飼い主はどこで何をしているのか。コンビニエンスストアでちょっとした買い物をしたとして、直ぐに出てくるだろうし、それで犬がいなくなっていたら必死で探す筈、どうなっているのだ云々。

しばらく待ってみても飼い主らしきひとは現れず、洗濯の途中だったと一旦家へ帰る主婦、あそこの家の犬に似ているとその家に向かう自転車乗りなどが出て、住人とおっさんは困り顔なのだった。特に考えがないようなので私は「防災無線で放送してもらえないか役所に聞いたら?駄目なら警察を呼ぶとか」と言った。で、私も一旦Pさん宅に戻り、携帯電話を持ってきた。それで?と住人とおっさんを見ると放送は人間の行方不明にしか使えぬ、警察が来るけど40分かかるとの返答だった。40分と鸚鵡返しをして時間を確かめると九時だった。自転車乗りがあそこの家の犬はご在宅でしたと肩を落とし、洗濯中だった主婦が戻り、新たにクルマで現れるひともいたけれど、犬を探しているらしきひとは全く見当たらない。

十時まで待っても警察は来なかった。私は以前、別の犬を見つけて警察に二回連絡したことがある。割と大きめの大人しい犬だった。初めの電話ではそういう犬がいることを把握しているし、数か月捕獲に動いているけれどなかなか捕まえられずにいるとの話だった。警察官を向かわせるとも言われたけれど本当に来たのかわからない。来たとしても捕まえるのに失敗したのは確かで、何故なら数日後に再び同じ犬を見つけたから。それで、もう一度電話して、今度は警察官が来るまで待った。30分くらいして警察官がふたり来たけれど、ふたりして及び腰、更には食器洗いに使うようなビニル手袋をする有様で捕獲には至らなかった。大きめの犬を数か月追い求めて用意したのがビニル手袋ひとつとは意外性があった。シュールなコントに見えなくもなかった。

そんなことがあったので警察官が来たところで解決するのか疑問だったけれど、他に打つ手も思いつかず、今度は私が警察署へ電話した。今向かっているとか、もう少し時間がかかるとか言って、どのくらいかかるか問うと40分くらいとの返答だった。住人とおっさんに「あと40分だって」と伝えるとふたりして空を仰いだ。他のひとたちも随分かかるわねとかどこから来るのかしらなど、あれこれ言った。ムーちゃんは分け与えられたハナちゃんのフードをモリモリ食べ、水をガブガブ飲み、路傍の草を喰み、雄犬の臀部へまたがり腰を振るなど自由気ままだった。「男の子同士で何してるの!」と大きな声で注意されても気にしない様子だ。

私が電話をしてからまた一時間が経とうとする頃、この辺で一番大きな家に住む地主っぽいひとが通りかかった。そのひとはムーちゃんを見たことがあるそうで、脱走の常習犯だと言い、コムギアパートの一階の犬だよと教えてくれた。ミニチュアダックスを飼うひとがコムギアパートへ出向き、飼い主かどうか聞いてくることになった。警察が来る前に解決しそうで、よかったよかったと安堵の空気が流れた。束の間。ミニチュアダックスのひとがささっと戻って来て、随分後ろに百歳を過ぎているかもしれない感じのひとがゆっくり歩いてくるのが見えた。ミニチュアダックスのひとは「探してなかった、いなくなったことを気にしてなかった」と早口で言った。

百歳のひとが辿り着くときになってやっと警察官がやって来た。それで、今、飼い主が見つかったところだと伝えた。警察官は発見者と飼い主に事情聴取を始めた。百歳のひとは自分の住所を覚えておらず、年齢も曖昧だった。飼い主さえ見つかれば安心と踏んでいたけれど、見つかって尚不安しかなかった。室内を掃除するため玄関先に繋いで置いたら逃げたようだというようなことをモソモソと時間をかけて言った。自分の名を何度か言い直し、犬の名はムーちゃんと答えた。そこまで聞いたところで警察官が「皆さん何の集まりですか」と聞いてきて誰も返事をしなかったので私が「通りすがりの犬好きです」と答えると「解散してください、もう帰って帰って」と追い払われた。何なの、急に。遅れに遅れて来ておいて。まあ、飼い主も見つかったのだからできることもないわね不安しかないけどと思い、白犬と茶犬の待つ部屋へ戻ったのだった。

今年の夏は酷く暑く、犬の散歩の儘ならぬ日が続いた。パン屋へ行くと外犬の暑さ避けに何か無いかと聞かれたりした。屋外というのがもう無茶なのだけど、何もしないよりはと、首に巻く冷水で冷やすタオルがあると提案した。百円ショップでも売られていると思うとか、頻繁に冷水で湿らせると少しは良いかもとか。そんな夏の夏休みの昼間、ムーちゃんと百歳のひとを見かけたのだった。ちょっと幻を見たような気がした。
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ガーベラのエリザベスカラー [日々の暮らしで思うこと]

Sunday, 21st August 2022

お久しぶりです。ひねもすです。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はと申せば、冬眠も永眠もせず時々午睡をして夜は夜で寝て、どうにか生きています。大学芋の拵え方を覚えたり、犬の吐瀉物臭のする毛布を洗濯によりレノア臭に変えて物干し竿へぶら下げたり、風呂へ浸かっていると湯船の湯すべてが自ら流した涙のように思えてくる悲しい感じに苛まれたり、オギくんオギくんという音声に小木博明がいると期待したテレビ画面に尾木ママを見たり、そんな具合です。そんな具合ですが、また日記を書きます。書きやがります。読んでください。

給湯器が壊れたのは一昨年のことだったと思う。風呂へ入れぬのは不便なのだけど、Pさんが私にPさんの住居で過ごしてよいと言って、お言葉に甘えて不便さを忘れた。それで愚図愚図していて重い重い腰をあげたのが昨秋終わり頃のことで、給湯器を買い替えたいとガス屋へ電話した。ガス屋が見積もりに来たのが12月になってからで、見積書を受け取ったのが二週間後くらい、受け取って直ぐに発注をしたけれど、報道にある通り給湯器は不足しており、交換されたのは5月であった。ただ大人しく待っているには時間があり過ぎた。ガス屋が置いていったチラシをめくるなどするうち、便器も交換したい、そう思いついてしまい、その旨ガス屋に伝えた。便器もご多分に漏れず品不足、こちらは未だ入荷待ちだ。なので涙を溜める湯船はPさん宅の湯船である。そう言えばホームセンターのリフォームコーナーに便器はひとりひとつまでなんて貼り紙を見たわねなんて思いながら。

交換したいものの交換が済んだなら犬と犬と私は正々堂々帰宅する算段で、そのときにはPさんも私の家へ来て一緒に暮らすものと思う。入荷待ちの時間はこれからもPさんと暮らす気持ちを固めるための猶予期間と言える。疾うに決心していていいようなものだけれどやはり同居人以外のひととの同居はしなくて済むならしたくないのだった。

血のつながりがあるとはいえ、或いはあるからこそ、Pさんとはなかなか気が合わない。例えば先日、Pさんの運転するクルマの助手席にのほほんと収まっていたときのこと。Pさんが自身の左肩あたりを顎で示しながら「肘を上げて」と言った。私は何の疑問も持たずPさんの左肘を掴んで持ち上げたのだけど「違うよ、肘掛けに決まってんじゃん」と言うのだった。左肘が肘掛けに当たり運転しにくいから座席横に格納せよという指令だったのだ。考えれば他者に肘を持ち上げてもらう理由なんて思いつかないから間違えた私が悪い感じもするけれど、肘掛けを肘と言うからだよ、そもそも。とも思う。で、お互いにそそっかしいわねとか笑い合って終われば忘れてしまえる些細なことなのにPさんは結構きつめに怒ってくるから人生って厳しいなって石ころを蹴りたい気持ちになる。

何年か前に手帳のおまけで手に入れたサイコロがある。サイコロはふたつあって、ひとつには牛や野菜や魚などの食材の絵が描かれていて、もうひとつには煮る焼く揚げるなどの調理方法が書かれている。もらったまま使わずにいたサイコロを気まぐれに振ってみると食材は豚、調理方法はそのまま(=生)が出て、メニューに迷ったときの助けとなるべきサイコロが全く役に立たないことを知る。生の豚肉なんて食べませんよ、あたいは。と、サイコロを再び紅茶の缶へ仕舞い込んだ。さて夕食。Pさんが豚ロースのソテーを出してくれて食べたら生焼けなのだよね、サイコロについて何も伝えていないのに。私は生肉が供されるなんて思いもせぬからロースの切り身にフォークを突き立てて持ち上げがぶりと齧っていて、勢いでひとくち食べてしまってから生と気付いたのだった。Pさんに生だと伝えると食べてないよねと訊かれ、ひとくち食べちゃったと答えて叱られた。割とヒステリックに。大人はそんな食べ方をしないとか何とか。豚肉の生なんて死ぬとか何とか。生で出さなきゃ済む話ですよ、そもそも。と思うだけ思って言わない。大抵毎日そんな感じで、荷が重い。もっとふざけて暮らしたい。

過日、島田雅彦の現代ビジネスへの寄稿文を読んだ。私が思うことに近く、それが的確な言葉で的確に表現されていて少し感動した。全文をコピーして携帯電話のメモ帳へ保存するくらいに。それで島田雅彦の書いたものをこれまで読んだことがなかったのだけれど「パンとサーカス」を買ってみた。この後どうなるのだろうと最後まで興味を持たせ続けるので五百ページを超えるものの一息に読むことができた。では再び読むことがあるか或いは別の作品を読んでみたいかと言うとそうでもない。先のことはわからないけれど。

島田雅彦は安倍元首相の国葬についてTwitterで「政権がカルトと持ちつ持たれつであると世界へ発信することになる」と言っていたと思う。私は事実そういうことのようなのでそれを世界へ発信してもらって構わぬのだけど、国葬に値するようなひとではなかったと思っている。理由は異なるが私も国葬に反対だ。布マスクの配布さえ止めることはできなかったのだから反対してもどうにもならぬだろうけれど反対であると言ってはおきたい。

布マスクなんかはどういう疫病かわからない状況でしたことと言われれば仕方ないと思うこともできるけれど、結果として無駄になったことを悪びれもせず軽口を叩くみたいな態度は受け入れ難い。何事にしてもほんの一瞬も国民に対して誠実であったとは思えない。国葬なんてあり得ない。民主主義とは何なのか、少数意見はいつどこで尊重されるのか。さっぱりわからない。
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明日には明日の明太子フランスパン [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 23rd September

昨日、町田さんの東山道エンジェル紀行が届いた。お願いしたことながら、ご署名と為書があって嬉しい。サインはお目にかかりいただくから有り難いのではと思ったりもしたけれど、郵送されたからと言って喜びが減るようなことは少しもなかった。町田さんの字で書かれる私の名はとても良い感じで、旧姓など何処へやら、生まれたときからこの名だった気がする。情緒がおかしいのか感激して当たり前か、ちょっと涙ぐんだりしながら、ご署名と為書を見るのだった。暫く読まずにと好きなものを後回しに食べるようなことを考えたけれど夜には読み始めてしまい夜半には読み終えた読書の秋。好きな食べ物は先に食べてしまいがちだ食欲の秋。そんな訳で明日品物を受け取りたいならこの時刻までとアマゾンの示す期限の一分半前に注文を確定させた秋の夜長。書類整理にファイルを頼んだ。昨夜で言う明日は今日なのでファイルは先程受け取った。メレルのジャングルモックこそ欲しい今日この頃。

集中力の足りなさで本に没頭し難いのだけれど、読むことをケチらないと決めて楽しくなった。何も見逃さずじっくり読まねばと思うあまり、引き返して読み直すばかりで、いつまでも先に行くことが出来ず、中途で投げ出したりしたけれど、同じ本を何度も読めばよいだけのことだった。一遍に全て逃さずというのが無茶だった。軌道修正出来てよかった。町田さんも読書の会で同じ本を百回読むといいというようなことをおっしゃっていた。これで推定余命二百年が有効利用出来るというもの。とは言え、日々、今日でおしまいとの覚悟で暮らしてはいまするる。

ワクチンの書類が届いたとき、打つか打つまいか考えていたら、Pさんが「打つに決まってんじゃん、さっさと予約しといて」と言って、そうなのかーと予約、ファイザーのワクチンを二回打ち終えた。一回目のときは迷いがあって、問診票の納得の上接種を受けるというような項目を空欄にしていた。医師の説明を聞いてから記入したいと係のひとに言うと、全て記入済みでないと受け付け出来ず、受け付けを通らずには医師の説明を受けられぬそうで、どうしようかなと考えていると係のひとが「レ点、入れときますね」と力業で納得済みに書類を整えてしまってくれて、受け付けやら問診やら形式的に流れ作業的にところてんに進み、呆気なく接種を済ませた。況んや二回目をや。予約は概ねすんなりで大した副反応もなく何の苦労もなかった。準備してくれた役所や接種してくれた医療関係者の皆様に感謝します。高齢だと副反応が少ないという話もあるけれど、丈夫な身体に生んでくれた両親にも感謝しておきます。

夏から歯医者に通っている。予約の受け具合に相当な工夫があるようで歯科医がひとりきりっぽいのに待ち時間が少ない。そして診察が丁寧、今のところ辛いことが殆どない。歯医者へ行くと身体がガチガチに固まって岩石となるのが常だった私だけれど操り人形くらいにはギクシャク動くことを覚えるリラックスムードで、先月には右上の親知らずをバキボキと抜いてもらって何ともなかった。信頼を寄せつつ、マスクした顔しか見たことがなく、それもじっくり見る訳でなく、人物像には靄がかかる。話す様子から、Pさんは武井壮、私は木下ほうかを軸にしている。声帯がごわついているかもという他共通点が見当たらず、ひとそれぞれ思うことが違うのだった。Pさんは木下ほうかが苦手と言い、歯医者通いに差し障るので悪い印象を刷り込まないでと怒って、私だって武井壮や木下ほうかが得意な訳ではないけれど、って武井壮や木下ほうかが得意って何だよって話だし、密かに※個人の感想ですを胸のうちに表示する。

空き地が区切られたかと思うと地は均され新たな建て売り住宅が次々並ぶ。戸建てが少し増えたからと空がなくなりはせぬけれど空き地は着実に減っている。かつて家庭菜園として貸し出された畑だったところにはパステルピンクの保育園と数軒の建て売り住宅が出来た。保育園と住宅の間には、あと四軒くらいは建てられそうな地面が残っており、1mはあろうかという雑草がボーボー生えていた。家庭菜園の名残りでキャベツっぽいものが菜の花を咲かせたりもした。二週間ほど前、その雑草が刈り取られた。更に家を建てるためか暑さが和らいで草刈りしやすくなってのことか知らない。散歩の犬を待たせて草の匂いの残る地面を眺め、随分見違えることと独語して見つけたのは一本の刈り残し。機械でやっつけながら一本だけ見逃がすとは。と、よく見るとアスパラガスなのだった。ボーボーの雑草のなかにアスパラガス一本となれば見逃がすどころか目敏いというものだけれど食用なのか観賞用か。見つけた日には売り場へ並ぶアスパラガスそのものという長さだったけれど数日のうちに1mくらいになり今では茎が四方八方へクリスマスツリーになるつもりかという具合に伸びている。細く細く頼りなく豆電球のひとつも飾れそうになく、クリスマスまで生きているか案じる危うさでひょろひょろと伸びている。

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部屋猫のそれよりヤワな私の肉球 [日々の暮らしで思うこと]

Wednesday, 22nd September 2021

しばしば、同居人を指して兄かと訊かれることがあり、身内ではありますが血のつながりは皆無ですよなどと返答してきた。はじめは全く似ていないのにと思ったものの訊かれ続けるうちに暮らしを共にすると外見が似通うものなのかと思うようになった。食べるものも見聞きするものも殆ど同じで似て不思議ない、似てきたのだろう、そういうことでいいや、そう思っていた。けれど出会って然程経っていない頃の古い写真を見てみるとその段階で割と似ていて拍子抜けした。全く違うので足りぬところを補い合うのに丁度よいような感じがあったが、見た目だけで言えば大差なかった。どちらが美でどちらが獣かなど分け隔てしたことはないけれど野獣と人間くらいの違いはありそうに思っていた。

大人になりつつある娘が父親の匂いを嫌うのは近親婚を避けるため組み込まれたプログラムのようなものという話があるけれど、自分に似た人間を選ぶというのは何か意味があるのかないのか。自惚れか自暴自棄か気まぐれか。何にしても私にとって一番と思うひととおもしろおかしく暮らすことになって、私ひとりに限れば幸せな結婚をしたと言える。結婚なんて社会秩序を守るための制度策略でしかないと思ってはいても。そして思うのは策略であってもなくても結婚するなら好きなひととするのがよいだろうということ。別の脳みそを持つひとと過ごすとき、何の苦労もないということは殆どなく、それを和らげるなり何なりしようとしたなら、相手が好きなひとであるほうが好きでない或いは嫌いなひとであるより頑張りが利くように思うし、乗り越えたときの喜びが大きい気がする。好きなひとということで言えば眞子さんは正しい結婚相手を選んだ。生まれがどうあろうと幸せになるのも不幸せになるのも本人の自由である。

求婚された訳でもないけれど私なら躊躇するわねと思うのは、太陽に例えられるのを受け入れて相手を月のような存在という物言いで、そう思っていたとして人前で言うのはどうかしら。太陽も月も同等という評価もあるだろうけれど、消えてなくなったときの影響で言えば大きく違うんじゃないかしら。と思ってしまうので、対等ではないと言い切ったように思うひとと仲良くやっていく自信がない。普通の暮らしをしてきたひとが記者会見なんかしたら思ってもいないことを言ってしまうのかもしれないと思いもするけれど、願い下げですわという気持ちのほうが強い。誇れるものなどこれと言ってないのにそういうことにはこだわりがあり、同居人について「ご主人」と言われると「主従関係にないのです」と言い張るなどして、ぽかんとされたり恐縮されたり、物事がすんなり進まないことが度々あった。一事が万事そんな私を面倒がらずに支えてくれた同居人を有り難く思う。

呼び名の不自由さは他にもあって、赤の他人にお父さんやらおばあちゃんやら言うのはどうにかならないかしら、名前で呼べばよいのにと思う。本名に限らず、本人の呼ばれたい名前で呼べばよいと思う。それが柿本だろうと人麻呂だろうとティラノザウルスだろうとアラン・スミシーだろうと。私がそう呼ぶよう頼んだことはないけれど、同居人にはみけとかたまとか、ちゃんを付けたり付けなかったりで呼ばれ、それには抗うことなく返答してきた。仕返しでも何でもないけれど私より二十センチは背がある同居人を私はチビと呼んだ。変形としてちーちゃんとか珍味とか。呼ぶひとと呼ばれるひとの間で納得があれば、どう呼んでも構わない。

コンビニエンスストアのアルバイト店員をしたときには胸ポケットに顔写真入りの名札を付けさせられた。姓が半径三十キロ以内に拙宅よりほか存在せぬ感じなので住む家が特定されそうで嫌だった。名札にはミケランジェロと書いて欲しかった。オフィーリアもしくは草枕でもよいけれど。何にしても個人情報の取り扱いとして接客業の名札などはもう少し気遣いがあってよい。付け入られ得る隙は出来るだけ無くしておきたい。

昨年末だったろうか、地域の店を応援する名目で、住民ひとりひとりに三千円分の商品券が配られた。滅多にないことと思い念入りに考え、ハーモニカ屋でギターの弦を換えてもらった。弦と手間賃で三千円丁度で若干の割高感は否めぬものの地域の店を応援するというのはこういうことだと思う。ハーモニカ屋でハーモニカを買わぬ話ではなく、ガツガツ得を求めぬ姿勢のことね。何の努力もせず社会の一員みたいな経済活動をしちゃいました。とヘラヘラ油断していると、滅多にないことと思われた商品券配りが再び行われるのだった。前回は参加しなかった行きつけのパン屋が応援を受ける店に加わったので三千円全てをパンに使おうと思う。

再度配るにあたり追加されたのが独居高齢者への支援で、三千円分の商品券とは別に千円分の商品券をあげるというもの。三千円の商品券は額面500円が六枚綴りなのだけど独居高齢者に配る千円は200円が五枚で、ご丁寧に色も変えてあるらしい。少額の買い物に小刻みに使えて他の商品券と間違えにくいという利点はあるものの不用心だ。応援を受ける店を出入りするひと皆が皆、安定した経済状態で安定した心持ちとは限らず、ひとり住まいとわかる目印をやり取りさせるのは暢気な役所仕事に思う。日々、防災スピーカーで特殊詐欺云々と放送していますよね。と両腕を掴んで揺らし目覚めさせたい。罪を犯そうとするとき、それはそれみたいな見過ごしや配慮などないと思う。分別を失うから犯罪に走るのでしょうと思う。

Pさんは洗濯物を都度洗濯槽に入れていき一回分とおぼしき嵩に増した頃合いで洗うひとで、私は洗濯かごに入れておいて一緒に洗えるものを選り分けるタイプのアライグマなのだけれど、Pさんの家で暮らしている今は郷に従う。故に洗い終えた洗濯物を干していて、わ!わ!わわわ!となることが少なからずある。マスク(ユニクロのエアリズムマスク)がバラでバラバラ出てくるのは当たり前、ハンカチやタオルに便座カバーが紛れ、時にはスリッパも一緒なんですの。洗い終えたならキレイと考えればアリなのでしょうけれど、闇鍋過ぎではないかしら。悉く、別の脳みそを持つひとだなあと思う。私はひとりなのだなあと思う。珍味、カムバック。

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幻想を完璧な現実にすり替える [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 20th September 2021

八月最後の木曜日に隣町の農産物直売所で買ったバラの花は私の経験における最短記録で儚く萎れた。昼に冷水と延命剤を使って花瓶へ入れながら夕方にはくったり萎れて虚しかった。酷い暑さに直帰せねばと思いつつハーゲンダッツクリスピーアーモンドバターサンドを探してローソンを四軒はしごしたのがよくなかったかもしれない。四軒回ってどこにもアーモンドバターサンドは売られていなかった。九月も後半となって何をという話だけれど。

その前の木曜日にも隣町の農産物直売所へ切り花を買いに出かけている。道の両脇の木々が伸ばす枝々のふさふさの葉に覆われた緑色のトンネルのような坂を通るのだけど、帰途、緑色の葉と緑色の帽子を被る緑色のどんぐりの付いた小枝がフロントガラスに落ちてきた。葉もどんぐりも小枝も朽ちた感じがまるでなく落ちるには全く早い気がして、それにしても私は若死にさせるのが得意だよねと一瞬のうちに思う。雨男だとか晴れ女だとか自称するひとを自分の能力を高く見積もり過ぎでは、自然のなす業ですよねと白い目で見てきたのに。風か何かの仕業でしょうと客観的な考えも頭のどこかに微かにあるものの。

土曜日は通院の日で、Pさんの運転するPさんのクルマで連れて行ってもらう話になっていたけれど七時半になってもPさんは起きて来ず、ひとりで行ってみますと書き置き、私の運転する私のクルマでひとりで出かけて自由だった。カウンセリングでどんぐりの話をして、何かが起こり自分が悪いと思ったときにはそれが正当な評価か考えてみましょうとの導きを得た。カウンセリングは今年の三月で終えることになっていたけれど情状酌量で何回めかの一年延長をされており、次の三月こそ正真正銘おしまいなので、よくない癖は改めたい。改めるのが難しいなら考え方に癖のあることを自覚しておきたい。全か無か極端なところと自分はこうあるべきという頑なさは変えていきたい。

カウンセリングの先生は先生と呼んでも医師でなく、主治医は別にいる。四月に変わった主治医は先月今月と都合が合わず、代理の医者と面談、薬を出してもらった。三か月も主治医に会わないなんてことはこれまでなかったけれど、前の前の主治医のように心の拠り所という訳でもなく、気持ちの沈み具合やパニック発作に困ってはいても主治医に診てもらえないからと不安にはならない。これが医者と患者の適切な距離感なのかもしれない。

医者の待合室でPさんから、お金は払うので何かしら昼食を買って帰ってはくれまいかという連絡を受け、花を買いに農産物直売所へ寄りますと返答した。農産物直売所には時にキッチンカーが来て、そこで売られる何とかライスをPさんが好んで食べるのを私は知っていた。薬局で薬をもらってから農産物直売所へ寄ると件のキッチンカーが来ており、何とかライスを大盛りでとか普通盛りをひとつとか頼んで3450円請求され、これを払った。作ってもらう間に野菜と花を買い、キッチンカーへ戻り昼食を受け取った。花は仏壇に供えそうなものばかりで、バラやガーベラがひとつもなかった。染色されたらしい気の触れた色合いの菊なんて誰が買うのかしらと心のうちで貶して、真ん中が赤く縁取りが白いスプレーカーネーションとカスミソウが束ねられたものを選ぶ。

帰途、それにしてもと思うのは現金のことで、医者へ行くのに持参したのは4500円だった。受診料と薬代なら足りる筈で、花はauPay払いするつもりであった。キッチンカーと病院の駐車場は現金しか使えず受診料と薬代をクレジットカードや何かで清算して駐車場へ三百円払い残金4200円で出向いたキッチンカーへ注文して3450円、ギリギリ足りましたよねと思う。そう思ってやっと昼食代にしては高過ぎではと思い至り、助手席へ置いた昼食の箱数を数え冷静に勘定して、多くても2800円にしかならないと気付いて信号待ちのクルマの中で頭を抱えた。

行く道も戻る道も混んでおり、キッチンカーはレシートを出さぬ店で、温かいうちに食べるから美味しいと思うメニューでもあって、払い過ぎたと思うので確かめてと言いに戻る気持ちにならなかった。小梅太夫のようにちっくしょーと言ったところで気の晴れる気がせず無言でモヤモヤしつつ、空いてきた国道をスイスイ走って帰った。事情を話すとPさんはどんぶり勘定なので構わぬ、自分なら一切気付かなかったであろうと言って彼女の財布にある細かいお金全てである3370円をくれた。少し遠慮したものの、ありがとうございますと頭を下げ、差し出されたお金を私の財布へしまった。これは頑なさを抑えたのではなく、一か月を十万円で暮らしたいからで、どこからか月に十万円が届くのだけど十万円より使ってしまうと貯金を下ろさなくてはならず、貯金が減るのは嫌だなあという都合のよい話なのだった。とは言っても私ひとりなら米飯に塩を振って海苔を巻くというようなもので事足りており、お金を受け取る理由がないとまでは言えぬのである。

Pさんが起きて来なかったのは午前三時過ぎまで起きていたからで、そんな時間まで何をしていたかと言えば、携帯電話の機種変更をしていたのだった。これまでのPさんの携帯電話は通話もテキストも翌日或いは翌翌日に気付くという具合で電話として意味が無かった。通常の電話と変わらず瞬時に届いてはいるものの着信を知らせる機能が芳しくないらしかった。であれば、ちょくちょく確かめれば良さそうなものだけど、そういう工夫はPさんに装備されていない。金曜日の昼にPさんから帰りに買い物をするけれど何か要るかと問われ、亀田製菓の技のこだ割りが欲しいとテキストを返してPさんは手ぶらで帰宅、先の待合室への連絡で金曜日のこだ割りに気付かなかったと言ってきており文明的でない。機種変更で改善されればと思う。

日曜日、冷蔵庫には食べ物が沢山あるけれどPさんが足りないものがあると言うので安売りスーパーマーケットへ出かけた。堅あげポテトチップスとハーゲンダッツクリスピーアーモンドバターサンドと羊羮を買って1500円くらいを現金で払った。100円ショップに柿の種サンダーがあったので一箱とジャンドゥーヤサンダーとナッツのサンダーをバラでいくつか買い、クレジットカードで756円を払う。不要不急で買い物へ出るとこういうこと(必需品以外のバカ買い)になる。

10%オフクーポンがあったのでロフトで手帳を買いもした。1500円をポイントで払い、残りの4143円をクレジットカードで払った。手帳は持ち歩くものと家で使うものの二冊で、家で使うものは一昨年辺りのカバーを転用するつもりで本体のみ購入、持ち歩き用は大抵濃い青を選んできたけれど、明るい青にしてみた。染色で気の触れた菊の色に似ている。二冊とも来年の手帳で、私はどうやら2022年も生き残る気でいるらしい。冷静に勘定して多分あと二百年くらいは生きるんじゃないかな。禁固刑だか懲役だかお気楽な余生だか知らないけれど。

鰻丼を断った私にPさんが買ってくれた牡蠣ごはんを昼食に、甘いものはと問われ小枝のシュークリームと答えた私にPさんが買ってくれた栗の入ったプリンタルトをおやつに、それぞれ食べた。美味しかった。会話のすれ違っている感じは置いておいて。

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