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突然ですがメリークリスマス [ずっと、ずっと、前のこと]

Friday, 25th December 2020

私がマフラーを贈るなど気のあるように見せ、何故か同居人から付き合ってと言われ、その場でいいよと答えて付き合い始めたのだけど、軽々しくいいよと言った理由が今になっても解らない。私は他のひとと同じように暮らすことはできぬものと自覚していた。普段の感覚であれば、断るか、考えてみると曖昧にするかした筈である。どこかに、このひとならと思う何かがあったのだろうか。

早々に同居人が結婚を口にしたのは、私が抱える問題を伝えたあとで、普通のように暮らすことが出来る、全て引き受ける、そんな宣言だったのかもしれない。それを聞いても、指輪を買わせても、まだ自分の気持ちがはっきりしなかった。クルマで送ってもらうと、家の近くで暫く話をするのだけど、ある夜、同居人と私で考えの合わないことがあった。私はクルマのドアを開けて、帰るねと言って降り、続けてドアを閉じながら同居人にも帰るよう言った。家へ入ると同居人のクルマの走り出す音がして、私は急にどうしようと慌てた。普段通り帰っただけで、その前に私が機嫌を悪くしたに過ぎず、慌てる理由はないのだけれど、二度と会えないのではと思った。そんなことは極端な思い込みなのだけど、二度と会えないのは困ると思った。玄関を出て、クルマを停めていた辺りへ戻ると、同居人のクルマも戻ってきた。言い争いのままにするのはよくない、考えが違っても話し合おうと言われた。またねって言い合えるようにしようと言われた。私は安心して、うん、と言って、このとき、初めて、同居人を失いたくないと思った。

三月の終わりには同居人が近所へ越してくることになり、その手続きを口実に実家から出て来た同居人母と会った。不動産屋には同居人と母と私の三人で会い、もう、いつ同居しても構わないことになっていた。私は段々自分の家へ帰る日が減り、五月半ばには同居人の部屋に住んでいた。同居人と私はそこで二年半ほど暮らして、同居人母のお告げがあって、婚姻届を出した。それが、十二月二十五日。かつての友人マキちゃんが走るクルマの前へ飛び出してくれて、同居人へマフラーを渡した日から三年めのことだった。

誰しも、運命の分かれ道の連続で今があるに違いないけれど、同居人と出会った勤務先で私がアルバイトを始めたのは時給が高かったからで、他に条件のよいところがあれば他へ行っていた。同居人が電気技師と美容師の両親の間に生まれ、耕す土地もないのに農業高校へ行ったのは、米国へ行って農民になるつもりでいたからで、米国で農民になっていたら、多分、会うことはなかった。同居人が実家を離れたのは実家にいては暴力団員となるに違いないと同居人母が友人からの隔離策をとったからで、預けた先の同居人伯母の働く米軍基地が私の住む地域にあった。放逐されなければ、別の基地なら、話は変わるし、そもそも伯母が米軍で働くのは英語をネイティブに劣らず使えるからで、同居人父と伯母は米国生まれ、そこに留まっていれば父と母は会わず、同居人は生れていない。様々な条件をするするすり抜けて出会った、奇跡的に出会った、そう思う。

何より奇跡と思うのは、私を受け入れるひとがいたことで、同居人とうまくいかなければ別のひとというようなことは考え難い。私は私の思うように生きたくて、望まぬことは何もしたくなかった。相手が誰でも性的関係を持ちたくなかった。自分の中ではこれ以上ない勇気を出して同居人へそう言うと、大丈夫だよ、大したことじゃないと言った。途中で考えが変わるようなことにはならない決定事項だと付け加えても、大丈夫と言って、私は大丈夫な訳がないのになと思っていた。付き合おうと言った手前、では、さようならとは言い難いのではと思っていた。

本当に大したことではないと思っていたのか、何か信念があったのか、解らないけれど、同居人母から籍を入れるまでは子どもを作らぬように言われると、そういうことはしないんだと普通に答えていて、隠すことでもないと考えているらしかった。何をどう言おうと母には理解できない話で、兎に角気をつけなさいと言われた。二十代の交際中の男女が一緒に住んで友人や兄妹のように眠るなんてことは私自身も無いものと思っていたので、母が解らなくても無理はない。

同居人にはどうしてと聞かれず、私がどうしてと聞くこともなく、これといった不自由もなく暮らしてきた。時に、私の身勝手で同居人を不幸にしたのではと考えることもあったけれど、同居人は彼自身の脳味噌を装備しており、その考えで選んだことなのだから、必要以上に悪く考えるのは却って同居人の存在をないがしろにするように思う。こうでなくては、とか、こうあるべきということを思ったり言われたりするけれど、他のひとはどうしているかなんてことは置いておいて、自分がどうしたいかが解れば、割と自由に楽しく暮らせる。こともある。

子どもの頃、何になりたいか聞かれて、返事に困った。私は何にもならず、私でいたかった。同居人がいてくれて、その夢が叶った。会えてよかった。
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いつか根子岳へ登る気でいた [ずっと、ずっと、前のこと]

Friday, 18th December 2020

同居人とはじめて出かけたのは江の島だった。その後もふたりで、或いは犬と犬を連れて度々出かけたのでそれらと混ざり合い、その日にどうしたか判然としない。同居人のクルマで出かけたけれど、時期的にワーゲンだった気がするものの確かにそうか曖昧だ。クルマで聴くための音楽があって、私が流行りの曲を知らぬらしいと聞いたのか野生のカンでか、同居人はビートルズの何かを持ってきていた。ビートルズを示しながら聴くか訊ねられ、聴いて構わない筈なのに聴かないと答えた。聴かなかったビートルズの何かは、その後我々の間に再登場せず、どこから来てどこへ行ったか知らない。何かしらのタイミングでごはんを食べ、テーブルに向かい合い、ふうん、こういう顔なのかとじっくり見て、思っていた顔と違う気がした。帰途見かけて、行ったことがないと言い、それならとパチンコ屋へ連れて行かれ、当たり前にビギナーズラックで、山と詰められた大きな紙袋ふたつにまだ余る大量の菓子をせしめた。

そんなことでしたとかつての友人マキちゃんとかつての親友日本海君に報告したところ、江の島は拙いのではとマキちゃんが言い、日本海君はそういう話もあるくらいには同意した。江の島へ行くと別れるという風評ジンクスがあったためである。私はそうしたことに疎く、また信じてもおらず、それで別れることになるならそれはそれ、知らない顔だったし、と思った。当時マキちゃんが結婚するつもりでいたひとと四人でお好み焼き屋へ行ったり、当時同居人と親しかったE田君とその彼女と四人でディズニーランドへ出かけたり、人並みなことをしようとして違和感しかなく、自分が自分でない気がした。けれど、同居人とふたりであれば平気で、誘われれば、出かけた。違和感しかない会合を除いて五回めくらいの外出で横浜へ行った。ふらりと寄った店に装飾品が並べてあって、物欲しそうにした気はないけれど、同居人が何か買ってくれると言う。そうなの?とあれこれブローチや首飾りを見たあと指輪を嵌めてみて、店のひとは宝石の付いた高いものを勧めてきて、何十年経っても絶対に壊れないのが欲しいんですけどと言って、それだとこういうのかなと店のひとが出した中から、三千円の銀の指輪を買ってもらった。

そんなことでしたと日本海君に報告したところ、「何十年経っても絶対に壊れない」のところが面白いと笑われた。駄目だったか聞くと素直でよろしいと言い、本当か念を押すとカワイイよと褒められた。流石に気恥ずかしくなったものの日本海君の前で格好をつけても仕方ないので、そうかなと言いつつ形ばかりに肩をすくめて指に嵌めた指輪を眺めた。どれほどの意味で言ったか自分でも解らない。ただ思ったことを言っただけである。同居人には原付では大変でしょうと、出退勤時クルマで送り迎えしてもらったりして、ぞれはそれは楽で、付き合いたいのか送迎に恩を感じているのか判然としなかった。

指輪を買ってもらう前、大雪が降って、勤務先の駐車場が雪で埋もれた。自家用車通勤の者も会社の送迎バスで帰宅するよう指示が出て、同居人と私もバスに乗った。勤務先を出たところから酷い渋滞で、目的地まで四分の一ほど行ったところで、乗り捨てられたクルマなどに阻まれ、バスは全く進むことが出来なくなった。同居人と私はバスを降りて歩いた。片側二車線の国道の長く長く続く緩やかな下り坂を転ばぬよう支え合って歩いた。私は靴底の平べったい真っ赤な靴を履いていて、五組ほどの穴へ通した紐を一番上で蝶結びしていた。歩くうちに靴紐の先で雪が固まりチュッパチャプス大の氷の球が出来た。あまりにも真ん丸で嘘のようで面白く、降り続く雪の中を歩くことに何の苦痛も感じなかった。我々が歩く音以外何も聞こえず、クルマのヘッドライトや街灯がぼんやり光っていた。同居人は立ち止まって私を見て「いつになるかわからないけど、いつか結婚したいと思うんだ、ひねちゃんと結婚したいと思うんだ」と言った。それは何て言うか、気持ちとして有り難かった。気が早いとかそういうことは一切思わなかった。現実として私が結婚できる気はせず「ふうん」とか何とか間抜けな返答をした。それから歩きに歩いて、公共交通機関がどうにか動くところまで辿り着き、それぞれの住処へ帰った。夕方に勤務先を出て、帰宅したのは夜半を過ぎ、日付が変わっていた。このときのことは日本海君に報告していない。

こう並べて書くと雪の日に求婚があり指輪の日に返答したかのようだけれど、そのときに具体的な考えや思いはなかった。一緒にいて自然な感じ、気の休まる感じはあった。今思えば、日本海君も同居人も、私を否定することがなく、貶されたり馬鹿にされたり詰られたりしたことがない。切羽詰まったところで藻搔いていると知ってくれていたのか、駄目な奴と見限られていたのか、ただただ愛玩動物として甘やかされていたのか、判らないけれど。
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ミカエリデスミカエルデス [ずっと、ずっと、前のこと]

Wednesday, 9th December 2020

同居人と初めて会ったのはかつての勤務先である。アルバイト初日に職場で会った悟りを開いたような風変わりなひとに惹かれ、片思いをして、同居人のことは同じ職場の妙なひととして覚えた。風変わりも妙もおかしなひとではないかと言われれば、確かにとしか言えない。当時比べたことはないけれど、今思えば、風変わりさんが格好良く生きることを心がけていたとしたら、妙なひとは思いのまま自由に生きていた。

アルバイト仲間に容姿の美しい女性がいて、その美貌で裕福な男性と結婚する目的で勤務先へ働きに来た。これは揶揄でも何でもなく、マキちゃん本人が私にそう教えてくれた。男性の前でそれを言うことは戦略上しなかったけれど、生きていくには一番賢い方法と固く信じていたので、私にもお金のあるひとと結婚なさいと言い続けた。

マキちゃんはやたらと私の恋に干渉して、日々告白するよう迫り、私には私の思いや事情があって積極的になれず、困った。暫くして風変わりさんが転勤となり、毎日顔を合わせるような環境ではなくなったが、マキちゃんは告白すべきと粘り強い。それで根負けして手紙を出すことにした。風変わりさんには折々に何かしら話を聞いて貰っていたので、近況を短めに書いて何度か送った。マキちゃんは私たちの交際につながるよう期待したけれど、好きだという気持ちには触れておらず、望みは薄い。

手紙を何通か送り、少し間が空いたあと、出張してきた風変わりさんと久しぶりに会った。素敵なひとだなと思って七か月経っていた。以前であれば、キャーと舞い上がっていたのだけど、何の感慨もない。これまで通りヤーとかオーとか挨拶して二言三言交わしたあと、風変わりさんが背の低い私に合わせて屈み込み目を見て「また手紙書いてね」と、至近距離から魅力炸裂で言ってくれたのに、うーんと考え込んでしまう。ああ、熱が冷めたな、これ。と直ぐに気付いた。このことはそのままマキちゃんに言って、もう後押しされても無駄と伝えた。マキちゃんは残念がった。このあと、風変わりさんは「俺、ロックで飯食ってくことにしたから」宣言を残し、カッコよく退社した。

同居人は、まあ好き勝手にやっていて、方角が似ていたので通勤途上で見かけたりすると、歩道を、爆音を、信号を、スピードを、他のクルマをと詳細は省くけれど、交通法規を全く知らないようだった。そして、その後も夏が来るたび上司が上司でいるうちはずっと繰り返されたのだけど、頭髪の無い上司がいて、他のひとは陰でハゲと言っても面と向かって話題にすることはなかったけれど、同居人はキャッキャッ言いながら上司本人に協力させて、日焼けした頭部から丁寧に剥がし半球型に一枚で繋がるヒトの皮膚の採取を試みるなど、説明のつかないことに熱心だった。

その頃、私には心を許せる友達がいた。親友と言ってよかった。仕事が辛くなったとき、彼を笑わせることを目的に出社するくらい打ち解けていて、笑いどころが似ていて、気難しいところも考え過ぎなところも好きで、一緒にいるのが自然で気持ちが安らいだ。ベンチに隣り合い、自分たちだけに解る気のする微妙なわだかまりや何かを、日々話して飽きなかった。そのひとと同居人がまた、気持ちの通じるところがあって、気難しい友達の心を捉え、私でなくてはなかなか出ない筈のクスクス笑いを度々うまく引き出していた。トラちゃん、トラちゃんと他のひとは全く使わぬ、どこから出たか判らない呼び名で気難しい友達を呼んだ。そういう些細なことの積み重ねで、妙なひととして心に残っていた。

風変わりさんに冷めたと報告したあと、マキちゃんから、次は次はと訊かれ続けた。少し気になってはいたけれど、無茶をしていることはマキちゃんも知っていたので、きっと反対されて、告白するよう言われずに済むという思いもあって、同居人の名を上げ、いいかもしれないと言ってみた。すると、意外にも、マキちゃんはいいかもと賛成した。残業もしているし、生活力あるんじゃないなどと言って。

それでまた、告白を迫られる毎日となった。そのうちとか近々とか返事をして暫くそれでやり過ごしたあと、いい加減日程を決めましょうとマキちゃんが本気になり、クリスマスにという約束をした。確か前年の10月にアルバイトで入って、13か月後に社員になってという冬のことで、何にしても初めて会ってから一年以上経って、告白などするものだろうかと考えるのだけど、すると約束したからにはするんだろうなと思った。

しかし、告白とは、どこで何をするものなのか。というか、風変わりさんはとても好きなひとだったけれど、同居人はただ気になるだけのひとで、それをどう伝えるのか、伝えられたひとはどう思うのか、考えても何も解らない。解らないまま、こう、何色だか言い表せない、目を引く色が幾つか混ざり合った毛糸を買い込み、一番簡単なゴム編みでマフラーをつくって渡すことにした。不器用さに辟易しており自分では思いつかぬことで、誰かの助言があったと思う。おかしな色の毛糸は自分で選び、ゴム編み以外出来ないので毛糸を買った時点でマフラーをつくることは決まっていた。

マキちゃんとは24日に決行と約束したけれどその日には渡せなかった。伝える気持ちが曖昧で怖気づいた。もう止めにしたかった。そう言ってもマキちゃんは諦めない。翌25日の退勤時、私の手を引き、駐車場へ連れて行った。同居人のクルマがブロロロローと走り出すのが見えて、間に合わなかった、仕方ない、縁がない、そう思った。そのとき、マキちゃんが同居人のクルマの前に飛び出した。何か聞いたことのない機械の軋む音がして、同居人のクルマが通路を斜めに滑りながら止まった。この短い距離でスピード出し過ぎだとか、マキちゃん無謀過ぎるとか、何の音?とか、クルマが斜めだとか、誰も怪我せずよかったとか、マキちゃんどうしてそこまでとか、一遍にいろいろ思った。同居人は慌てもせずクルマの窓から顔を出して「大丈夫?」と聞いたあと「なあに?」と暢気だった。それで私は、「これ」と言って、マフラーの包みを渡して逃げた。マフラーにはカードを添えていて、曖昧な気持ちをそのままに「突然ですがメリークリスマス」そう書いておいた。

マキちゃんのことは打算的というのが先ずあって、彼女から親友と言われても考え方が違い過ぎると思い、警戒していたというか、信用出来なかったというか、色眼鏡で見ていた。告白させたがるのは、偶に現れる私を好む変わり者がこれ以上出てこないように私を誰かのものにしたいのではとまで思った。そんな私のために走るクルマの前へマキちゃんが飛び出したのは確かで、ぶつからなかったのは奇跡的だったし、そうまでしてくれたのはどういうことだったのだろう。未だにどうしてなのか解らない。そして骨折り損なことに私はカードにメリークリスマスとしか書いていない。

私がそんなものを貰ったとしたら困惑するだけだと思う。それまで殆ど話したことがなく、メリークリスマス、それだけ。どういうことか、解るように書け、書いてくれと心の中で叫んで無視すると思う。だけど、同居人は、そうしなかった。どういう訳か「付き合ってください」と言ってきた。頭がおかしいと思って、どういうつもりだとも思って、私の扱いを心得ているとも思った。私はその場で、でも偉そうに「いいよ」と言った気がする。
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槍を持ち鰐を飼い馴らせ [ずっと、ずっと、前のこと]

Wednesday, 2nd December 2020

肌寒く、曇ってもいて、今日は駄目だなと思う。プラスティックゴミを捨てず、犬の散歩をしない。茶犬は関節に症状があり、冬は注意が要る。と書いて冬なのか、と思う。秋がいつ来ていつ去ったのか判然としない。気象庁であっても梅雨入りした模様などと濁すとき、何の蓄積した歴史もなく日々の記録もせず気温の変化に鈍感では季節の移り変わりなど掴みようがない。けれど茶犬を言い訳にしたものの寒くて外へ出たくないとは思って、頭より先に身体が冬を観測した模様。それにしても。

空気がキーンと冷えた感じ、余計な水分を含まない感じ、穏やかな太陽、虫の目立たなさ、長袖の服、外套、灯油ストーブ、ストーブへ置く薬缶、薬缶で沸く湯、水溜まりに張る氷、霜柱、時に降る雪。そうしたもので出来る冬を私は好み、冬に生まれたからと思ってきたけれど、不意に、冬は苦手だ嫌いだと思っていて、一番好きな季節を失くしたかもしれない。

フィラリア予防薬ネクスガードスぺクトラを、白犬へはキリ(チーズ)で包んで、茶犬にはそのまま、どうにか朝のうちにあげた。朝ごはんに豚肉とブロッコリーと魚ベースのドッグフード、夕ごはんに鶏のささみと林檎と魚ベースのドッグフードをあげた。先日の受診で隔日投与から毎日に増えたステロイド剤には猛烈な空腹感を呼ぶ副作用があって、茶犬は明らかに腹ペコちゃんに化けた。うっかりすると食べ過ぎてしまうので気をつけなくては。私は朝と昼にいちごジャムを塗ったトーストと林檎を、夜に大根の葉と納豆を入れたスパゲティを食べた。それから、夜半に虹色の綿菓子を一息に食べ尽くした。気をつけなくては。

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父とクリスマスツリーを飾った記憶があって、父は私が十歳のときに死んだので、そう何回もしたことではないけれど、私にとって重要な行事だったように憶えている。多分、初めて飾り付けたとき、樅の木に千切った綿を載せ雪化粧した。分厚くては形が悪く、薄過ぎては雪らしくなく、程よく千切ってどうにか綿を雪に変えることが出来る。その工夫が魔法のようで面白かった。あるとき綿のないことがあって、私は父に綿がなくては飾り付けが完成しないと訴えた。もしかしたら、それを聞いた父が母に綿を買って来るよう言ったのかもしれない。母は何かにつけ私のことを「パパにそっくりで難しくて困る」と誰彼なく何遍も繰り返し繰り返し言っていたけれど、そういう私の執着で、知らずに母へ負担をかけていたのだろうか。自覚している難しさの他に。

母は私から見ると奔放で勝手なひとではあったものの彼女なりの分別があった。私が小学五年生のとき、一緒に登校する低学年のひとがいて、ある朝、持って行くべき国語のノートが無いと言って困っていた。私は少し前に子ども会のくじ引きで低学年向の国語のノートを貰っていたので家から持ってきて、これを使ってください、いらないからあげます、貰ったものなので気にしないでと言って渡した。使い道のない国語のノートが最善の形で行き先を得た、そう思い、得意な気持ちでいた。けれど夕方、低学年の母親がノート一冊には不釣り合いなお返しを持って礼を言いに来て、私は使わないものをあげただけと頑張ったけれど、母に促されお返しを受け取った。母は「ウチのような母子家庭から物を貰っては気が引ける、時には不愉快というひとは幾らでもいる」と普通の顔で言った。「難しくて困る」に戻れば「夫にそっくり」と言わず「パパに」と言うのは話し相手でなく私に聞かせていたのだと思う。十歳の私に婚約者のことを話したのも理由があるのだろう。医者や何かで裕福なひとだったらしく、父が逃げ出すように死んでは、道を誤ったと母が考えても仕方ない。

八歳まで住んでいた家の前が坂の入り口で、バス通りから家の辺りまでがほぼ平ら、家を過ぎると長い長い下り坂だった。滑り止めの丸があったように思うので急坂だったかもしれない。私は三輪車で坂の天辺から坂の終わりまで一気に滑り降りていく、という遊びが好きで、交差する道路もあって危ないのだけど、三輪車へ乗るような歳でなくなっても誰かの三輪車を借りて、ひとりで飽きることなく幾度でも滑り降りていた。母からは危ないから止めるよう言われた気がするけれど住んでいる間はずっと滑り降りていた。誰かに怪我をさせることも自動車に衝突することもなくて運がよかったと思う。

ある冬、大雪が降り、父は即席の橇をつくって乗せてくれた。空き地の緩やかな傾斜を父がロープで引く橇に乗って滑った。妹は確か、ギプスをしていて歩けず、父と私が橇で遊ぶのを窓から見ていた。母がどうしていたか憶えていない。父が生きていたとき、父は私の全てと言ってよく、母や妹に親しみを持てなかった。同級生や教師にも同様だったので、母や妹ではなく私に問題があったと思う。さて、大雪の日にはしゃいでいるのは父と私だけではなかった。家の前にひとが集まっており、見れば、スキー。普段、私が三輪車で滑り降りる坂道を大人が次々滑り降りていく。スキー板を履いて、ストックを握って。父以外の大人が遊んでいる姿を見ていなかったためか、大人がはしゃいで遊ぶことに胸打たれた。雪の日に遊ぶ大人になりたいと思った。私は背が低くて、家の中から道行くひとを眺めながら、早くあのひとたちのように大きくなりたいものだと考えていた。身長が二倍になることを大人になることだと思っていた。そうした見かけでなく、こういう心がけの大人になりたいと思ったのは初めてだった気がする。

まだ、そこへ住んでいたとき、坂の入り口を夢で見た。二匹で道を塞ぐ大きな狛犬のような何かが、それ自体が発する火に包まれ、ボーボーと燃えていた。燃えながら大きな狛犬もどきは二匹で踊るように滑らかな動きで牽制する。二匹の向こうに両親が、こちら側には私と妹と、ふたつに分かれ分かれでどうにも出来ない。物語はなく、ただそれだけのことなのに、それまでに見たどの夢よりも怖かった。目覚めれば、何が怖かったのか解らなくなったけれど、地獄というのはあんな感じではと思い、夢で見た景色は忘れることが出来なかった。

親戚の家へ預けられたとき、たった数か月の間に、親戚のおばさんから不条理な理由で誰々と遊んではいけないと言われることがあった。父も母もそうしたことを言わないひとで、偶々そうだったのかもしれないけれど、私をどう育てるか考えがあったのではとも思う。重荷として持て余すだけでなく、どんな人間になって欲しいか望みがあったとしたら。
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漂白ロボトミイ。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Monday , 21st February 2011  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

母親の正気を疑われるなどして
福祉事務所、保健所、児童相談所の一団による家庭訪問を受けたのは
中学生のときである。
何の前触れもなく精神科医を伴い彼らはやって来た。


父が死んで数年
母と妹と私の三人暮らしには財産も貯金も働くひとも無く
福祉事務所、保健所、児童相談所それぞれに担当者がいて
干渉を拒む術はなかった。

母親の振る舞いは異質なものとなっており
突飛な言動に妹も私も振り回され困惑していた。
それでも三人の生活を続けたく思ってもいて
母の幻聴を幻覚を妹と私も見聞きしたと言ってみたりした。

三人で見聞きしたとなれば幻聴幻覚も現実のものとされ
従前の暮らしを守れると思い、そう言ってみたのだが
担当者のひとたちは一家三人の正気を疑うようになった。
妹と私は様々なことが理解できぬ状態にあると考えられた。

そこで精神科医を連れ立っての家庭訪問である。
担当者はそれぞれに上司なども連れて来たりして
古びた公営住宅へそれだけの人数が一度に訪れるのは
初めてのことだった。

彼女にだけ見えるひとと話す母の傍らで私は午睡しており
完全な不意打ちであった。
目覚めると周りにたくさんのひとがいて面食らう。
寝ぼけた顔と頭でふらふらと奥へ引っ込むと直ぐ
あの反応はおかしいと言うのが聞こえた。
そう聞こえてようやく訪問の意図を朧げに知るが
知ったところで私は既に
彼らにとっての陽性反応を見せてしまったらしかった。

遡って死んだ父も気が違っての自害と憶測されるに至り
要らぬ血統書が拵えられつつある。
妹の項へ何が書き添えられるか知れたものでない。
妹は酷く冷めた小学生で
血統書に何か書くならそのことこそ書くべきだけれど。


妹は訪問者など存在せぬかのように窓の外を眺めていた。
精神科医が何をしているか妹に問う。
「円盤を見ているの、空飛ぶ円盤、あそこに見えるでしょう」
指先には曇り空が広がるばかりである。
口々に円盤かと呟きながら精神科医や担当者たちは
その日はそこまでとして何も決めることはなかった。

三人が三人ともおかしい。
小学生は小学生の、中学生は中学生の
心を病んだひとは心を病んだひとの施設へ送り込む手筈が
手筈通りの収容先でよいか担当者たちは迷う。
妹が何を思って円盤云々を言い出したのか知らぬが
結果、三人の暮らしに少しの猶予が与えられた。


それが母と暮らす最後の日々となる。2012-04-19 16:20 更新

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オレンジ色の夜、紫色の朝。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Monday , 25th October 2010  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

学級文庫というのは両手の人差し指で唇を左右へ引っ張り
文庫の「ぶ」を「う」と発音せぬ試練で知られていたりする。
その試練も廃れた今、本体が残っているか知らぬが
私が小学生のときには学校の教室に学級文庫があった。
片隅の書棚に誰でも自由に読める本が置かれていた。

私の知る限りその管理は極めて大雑把
来るものを拒まず、備えられる書物は多種多様であった。
情操教育にと厳選のうえ寄付されたものもあれば
どこを渡り歩いて辿りついたか得体の知れぬものもあった。

幽霊の目撃談ばかりを集めたもの
迷宮入り怪事件だけを集めたもの
古過ぎて時代錯誤なもの
何冊かでひと揃いの百科事典の一冊だけという具合に。

何故、学級文庫の詳細を知っているかと言えば
私にはそこに文字があれば読んでしまう癖があり
その癖で図書室とは異なる品揃えに気付いたからで
気付いたなら得体の知れぬ本に心惹かれるのだった。

幽霊や怪事件の類は直ぐに読んでしまった。
なかなか手が伸びなかったのは百科事典の一冊で
潔癖症気味の私を遠ざけるかのように
手垢まみれで変色しきり、表紙は外れかけていた。

手に取るのを諦めるか迷いながら
あの古びた感じは宝の地図みたいだ
ここで怯んでしまっては冒険に出られぬ
そんな切羽詰まった思いで百科事典を開いた。

幾ら頁を繰ってみても埃臭いばかりで宝の地図は無かった。
地図云々は自身を励ます方便で想定内のことである。
が、百科事典とは調べたいものがあってのものか知れぬ
あちこち飛ばし読みしつつ、そう思い至り、少し慌てた。

素手をドブへの意気込みで不衛生な本を開いてみればこれか。
苦労が報われない。
数冊組みのうちの一冊の百科事典が調べ物に役立つとも思えぬ。
踏んだり蹴ったりと自棄になりながら頁をめくり続ける。

ひとつの挿し絵に目が釘付けられ、手が止まった。
そこには褐色の肌をした裸の女のひとが横向きに描かれていた。
極端に突き出た臀部へ乳児を乗せており
むやみに長い胸を肩越しに伸ばし背中の乳児に吸わせている。

背負い紐を使わず乳児を背負い
自身の胸を哺乳瓶のように自在に扱う。
こんなひとは、はじめて見た。
世界は思うよりずっとずっと広いらしい。

挿し絵は宝の地図に劣らぬ収穫であった。
文字があれば読んでしまう癖は説明文を放っておかず
"日本人は黄色人種である。"と更に別の情報を得る。
こんなことは、はじめて知った。

信号やバナナやイチョウと同じ気がせず
自身の肌を眺めてこれが黄色かと不思議に思う。
ひょっとすると間違いかしらと疑いつつ物知り君に訊ねる。
「日本人って黄色人種なんだって、知ってた?」
「知ってたけど、それ、おうしょくじんしゅって言うんだよ」
黄色が「きいろ」だけでないことを知った。

いっぺんに様々なことを知った
小学校低学年の昼下がりであった。 2011-10-21 16:30 更新

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泳いで、沈んで、浮かんで。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Monday , 2nd August 2010  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

おばあちゃんが赤の他人の私を可愛がる
裏腹に実の孫娘へこれといった愛情を見せぬなどの事実は
全ておばあちゃんの都合で
耳の聞こえぬ少女と私を隔てる妨げとはならなかった。
彼女のおおらかな心頼りだった気はするが
時に午後の長い時間をふたりで過ごしたりした。

耳の聞こえぬ少女は唇を読むことができ
私が声を出さずに言ったことを唇の動きで難なく理解した。
金魚鉢の金魚が口をぱくつかせるのと変わりなしに
静まり返った部屋で言葉の通じる不思議は
到底、私には真似のかなわぬ魔法で
強く惹き付けられるものがあった。

しかし私の話を聞くには唇を読むに変わりなくとも
彼女は私が声を出すのを好んだ。
間抜けな声もくだらぬ話も
金魚鉢越しであれば輝きを帯びる錯覚がして
私は何かと口をぱくぱくさせたが
彼女はその都度、声を出すよう促す。

彼女にできることが私には魔法であるように
私にできることが彼女には魔法らしかった。 2011-02-02 18:35 更新

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おばあちゃんちのにおいさめのむれ。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Sunday , 1st August 2010  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

物心ついてから暫く、よく通った家がある。
父の仕事に関係する知り合いの家で
私はそこを「おばあちゃんの家」と呼んでいた。
おばあちゃんの家にはおばあちゃんの他に
大人とこどもがそれぞれ4、5人いて
誰が父母で誰がどのひとの子というようなことは
よく分からなかった。

はっきりしているのは
私が実の祖母よりずっと多く
おばあちゃんをおばあちゃんと呼んだことと
ひとりだけ溺愛する孫娘の次くらいに
おばあちゃんが私を可愛がってくれたことだ。

おばあちゃんの家には
私と然程変わらぬ歳の孫娘が幾人かいたが
おばあちゃんの買ったピアノに触れていいのは
溺愛の孫娘と私のふたりだけで
溺愛の孫娘のひとつ違いの姉は
ピアノへ近寄ることすら許されていなかった。

普段オルガンで練習している私は
おばあちゃんに「弾いてごらん」と言われて
ピアノの前に座るのを喜んだが
同時にピアノへ近付けぬひとのいることに
息苦しさも覚えた。

おばあちゃんから
飼い猫ほども目をかけられぬそのひとは
離れたところからピアノを弾く私を見ていた。
私が誤った鍵盤を叩いても
表情を変えずに見ていた。

彼女は耳が聞こえなかった。 2010-12-23 19:45 更新

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押し潰されてワインとなる日まで。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Wednesday , 7th July 2010  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

5、6歳の頃、数週間を山梨で過ごしたことがある。
父の出張に同行したのだった。
暮らしたのは広い葡萄畑の隣の
露天風呂なんかもあるなかなか立派な造りの別荘である。
父がどういう仕事でそこへ出かけたのか
何故私を連れて行くことになったのか何も憶えていない。

葡萄畑には面倒見のいいコリイがいて
私は父が仕事に励む日中、度々葡萄畑へ潜り込んだ。
葡萄の木と葡萄の木の間に寝そべると
どうしたのだと言う顔で覗き込む大型犬の
鼻先や穏やかな目や毛むくじゃらの手足があって
その先に葡萄の葉が、その先に空が見えた。

それより他に憶えているのは
毎晩、イカの塩辛を食らっていたことくらいである。
酒飲みの父と酒を飲まぬ私ふたりで
桃屋の塩辛を日に一瓶空にしていた。
気儘で楽しい時間を過ごしたのは確かだが
今になってみると我々が留守の間
妹や母はどうしていたのかと思う。  2010-09-08 20:30 更新

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長い長い放課後。 [ずっと、ずっと、前のこと]

Saturday , 26th June 2010  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

小学生のとき。
事情通の同級生キカはありとあらゆる情報を
転入生の私に与えてくれた。
私は入学時からのあれこれを知り
その話は知らぬなどと疎外感を持たずに済んだ。

ある日、そんなキカの情報にも漏れがあることに気付いた。
ミキは同級生たちに、裕福でない家庭に育つキカの姉が
彼女の家を訪れて金を盗んだなどと触れ回っているのだった。
キカの前では親しげに振る舞いながら。

キカに恩を感じていた私は
そのまま放っておく訳にはいかぬと思い
ミキにキカの悪口はやめてくれと頼んでみた。
ミキは事実を言って何が悪いのだと言い
あなたも何か盗られぬよう気を付けろとも言った。

ミキは駄目だと考えて
今度はキカにミキの言動を伝えることにした。
「ミキがキカのお姉さんのこと」と言いかけたとき
キカは「分かってるから言わないで」と制した。
「ひねちゃん、そんなこと聞きたくないよ」
そう言うキカのほうへ顔を向けると
彼女の頬に涙が伝うのが見えた。

そのときになってようやく私は
キカに情報漏れなど無いことを知った。
私が余計なことを口にしてキカを傷付けたことも。
事実を言って何が悪いと言うミキと変わりないことも。

「ごめん」と言ってキカの正面に立つと
キカは「いいよ」と言って私の肩を抱いた。
私を抱くキカからはほんのりと食べ物の匂いがして
「キカ、納豆食べた?」と聞いた。
「ひねちゃん、あなたって子は」とキカは笑った。 2010-08-28 00:05 更新

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