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陽炎のトイプードル [犬のこと]

Monday, 29th August 2022

自分で書いた過去の日記を読むと自分で書きながら何を書いているのか解読出来なかったりするけれど、様々なできごとに懸命に向き合おうとしている形跡はうっすら解り、日頃頑張りが足りぬと自嘲しがちながら、そうして否定的に捉えて落ち込む日も、後日見直せば持つ力すべてを注ぎ込んだと思えることがあるかもしれない。ブログや日記は自分自身を他人の目で見直すデータとなるかもしれない。そう思った。思ったようにならずとも備忘録として充分役立つ。ドッグフードがどのくらい持つとか、犬の給水器のフィルターをいつ交換すべきかなど、到底憶えていられぬことを思い出させてくれる。憶えていたことを整理することができる気もする。と言って、今年の手帳は空白ばかりなのだけど。

白犬と茶犬は昨年全身麻酔にて歯のスケーリング(高圧の水で歯の汚れを取り去る処置)を受けた。白犬は抜歯せねばならない歯が数本あって、術後は常に舌が少し出ている顔になった。犬は基本丸飲みするので多少歯を抜いても大丈夫と獣医は言ったけれど白犬は魚の干したものなんかを齧るのが好きで、抜歯に至ってしまいどうにも申し訳ない。干し魚をこれまでと変わらず嬉しそうにガリガリ噛んでくれるのが救いである。また抜歯が元でありながら四六時中舌を出し放す白犬の顔は底抜けに愛らしい。転んでもただでは起きない。誰が転んで誰が起き上がったのか知らぬが。茶犬は歯を磨かせるのが割と上手だったためか一本も抜かずに済んだ。その後、これまで使ってきたどの歯ブラシより磨きやすい歯ブラシが見つかり、日々歯磨きに励んでいる。歯ブラシはトリマーさんに教えてもらった歯ブラシで、トリマーさんのペットショップでは六百円くらいで売られているけれどAmazonでは大抵三百円ちょっとなので、そちらで買ってしまっている。

ペットショップにはいつからか他店から移ってきたらしいトリマーさんがいて、そのひとは店のルールを完璧に守りたいらしく、ショップ全体に緩さがなくなった。そう頼んだこともないまま白犬の頭はまん丸にカットされ続けて何年か過ぎ「いつも通り」と頼めばまん丸頭になっていたのだけど、そのひとに「いつも通り」とお願いしたら初回時に持ち込んだと思しき年代ものの参考写真を元に仕上げてくれて、少しもいつも通りにならなかった。また、2か月より先の予約は一切できなくなったし、書類や何かも期日ごとに確認される。ギッチギチのガッチガチ。とは言え事務的な整頓が行き届き、予約の空きが直ぐにわかるなど利点がないとは言えない。多分。

気になる白内障は昨年とは診断が変わり、茶犬の右目にだけ少し兆しがあるということだ。注意事項の多い目薬は茶犬の右目だけに使い、他は眼球の表面に傷がつくのを避けるための乾燥を防ぐ目薬になった。白犬は肝臓、茶犬は心臓が健診で引っかかったけれど再検査で治療が必要とまでは言えず様子見となっている。茶犬は六年前から命に関わる病に罹っていて、心臓の不具合が見つかったのは長生きした証と循環器科の獣医に言われた。喜んで良いのかよくわからない。次の金曜日、再診がある。



少し前、Pさんが夏休みだった。Pさんは何だかんだと出かけるのが好きなのだけど遠出もできず、書店やスーパーマーケットや蕎麦屋に行くくらいの夏休みだった。そうした外出に私は漏れなく道連れとなった。ある日どこかから帰って来たとき、見覚えのある人間と犬を見かけた。あれは確か、ムーちゃんとその飼い主だ。ひとの顔をなかなか憶えられないのだけど犬の顔で思い出した。

ムーちゃんは五月上旬ひとりでいるところをPさん宅隣接アパートメントの住人に保護された犬だ。二十代後半くらいの男性らしき住人がゴミを捨てに出たところ、気付くと傍に毛むくじゃらのムーちゃんが佇んでいたらしい。ムーちゃんにはリードが付いていて、これが我々に謎を投げかけた。我々と言うのは住人と住人が初めに相談を持ちかけたハナちゃんという名の犬のいる家のおっさんと、その後どうしたどうしたと集まった暇な人々である。リードが付いているということは散歩の途中だろうか。散歩の途中で犬がいなくなって飼い主はどこで何をしているのか。コンビニエンスストアでちょっとした買い物をしたとして、直ぐに出てくるだろうし、それで犬がいなくなっていたら必死で探す筈、どうなっているのだ云々。

しばらく待ってみても飼い主らしきひとは現れず、洗濯の途中だったと一旦家へ帰る主婦、あそこの家の犬に似ているとその家に向かう自転車乗りなどが出て、住人とおっさんは困り顔なのだった。特に考えがないようなので私は「防災無線で放送してもらえないか役所に聞いたら?駄目なら警察を呼ぶとか」と言った。で、私も一旦Pさん宅に戻り、携帯電話を持ってきた。それで?と住人とおっさんを見ると放送は人間の行方不明にしか使えぬ、警察が来るけど40分かかるとの返答だった。40分と鸚鵡返しをして時間を確かめると九時だった。自転車乗りがあそこの家の犬はご在宅でしたと肩を落とし、洗濯中だった主婦が戻り、新たにクルマで現れるひともいたけれど、犬を探しているらしきひとは全く見当たらない。

十時まで待っても警察は来なかった。私は以前、別の犬を見つけて警察に二回連絡したことがある。割と大きめの大人しい犬だった。初めの電話ではそういう犬がいることを把握しているし、数か月捕獲に動いているけれどなかなか捕まえられずにいるとの話だった。警察官を向かわせるとも言われたけれど本当に来たのかわからない。来たとしても捕まえるのに失敗したのは確かで、何故なら数日後に再び同じ犬を見つけたから。それで、もう一度電話して、今度は警察官が来るまで待った。30分くらいして警察官がふたり来たけれど、ふたりして及び腰、更には食器洗いに使うようなビニル手袋をする有様で捕獲には至らなかった。大きめの犬を数か月追い求めて用意したのがビニル手袋ひとつとは意外性があった。シュールなコントに見えなくもなかった。

そんなことがあったので警察官が来たところで解決するのか疑問だったけれど、他に打つ手も思いつかず、今度は私が警察署へ電話した。今向かっているとか、もう少し時間がかかるとか言って、どのくらいかかるか問うと40分くらいとの返答だった。住人とおっさんに「あと40分だって」と伝えるとふたりして空を仰いだ。他のひとたちも随分かかるわねとかどこから来るのかしらなど、あれこれ言った。ムーちゃんは分け与えられたハナちゃんのフードをモリモリ食べ、水をガブガブ飲み、路傍の草を喰み、雄犬の臀部へまたがり腰を振るなど自由気ままだった。「男の子同士で何してるの!」と大きな声で注意されても気にしない様子だ。

私が電話をしてからまた一時間が経とうとする頃、この辺で一番大きな家に住む地主っぽいひとが通りかかった。そのひとはムーちゃんを見たことがあるそうで、脱走の常習犯だと言い、コムギアパートの一階の犬だよと教えてくれた。ミニチュアダックスを飼うひとがコムギアパートへ出向き、飼い主かどうか聞いてくることになった。警察が来る前に解決しそうで、よかったよかったと安堵の空気が流れた。束の間。ミニチュアダックスのひとがささっと戻って来て、随分後ろに百歳を過ぎているかもしれない感じのひとがゆっくり歩いてくるのが見えた。ミニチュアダックスのひとは「探してなかった、いなくなったことを気にしてなかった」と早口で言った。

百歳のひとが辿り着くときになってやっと警察官がやって来た。それで、今、飼い主が見つかったところだと伝えた。警察官は発見者と飼い主に事情聴取を始めた。百歳のひとは自分の住所を覚えておらず、年齢も曖昧だった。飼い主さえ見つかれば安心と踏んでいたけれど、見つかって尚不安しかなかった。室内を掃除するため玄関先に繋いで置いたら逃げたようだというようなことをモソモソと時間をかけて言った。自分の名を何度か言い直し、犬の名はムーちゃんと答えた。そこまで聞いたところで警察官が「皆さん何の集まりですか」と聞いてきて誰も返事をしなかったので私が「通りすがりの犬好きです」と答えると「解散してください、もう帰って帰って」と追い払われた。何なの、急に。遅れに遅れて来ておいて。まあ、飼い主も見つかったのだからできることもないわね不安しかないけどと思い、白犬と茶犬の待つ部屋へ戻ったのだった。

今年の夏は酷く暑く、犬の散歩の儘ならぬ日が続いた。パン屋へ行くと外犬の暑さ避けに何か無いかと聞かれたりした。屋外というのがもう無茶なのだけど、何もしないよりはと、首に巻く冷水で冷やすタオルがあると提案した。百円ショップでも売られていると思うとか、頻繁に冷水で湿らせると少しは良いかもとか。そんな夏の夏休みの昼間、ムーちゃんと百歳のひとを見かけたのだった。ちょっと幻を見たような気がした。
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尼寺へ行け、雨靴で [犬のこと]

Friday, 2nd July 2021

月初めには犬にフィラリア予防薬をあげる。忘れぬよう一日にあげましょうと獣医に指導されるので日本中の犬の多くが一日に予防薬をもらうのではと思っているけれど確かめてはいない。犬という犬が予防薬を飲み込む図を思い描くだけのこと。フィラリア予防薬はこれまで六月から十二月に飲ませるものだったが、私の通う動物病院では今年、五月からの服用に変わった。温暖化で五月にも蚊が出るためである。気候の変わり具合はこんなところにも遠慮なく影響するのだった。

フィラリア予防薬はノミ、ダニ、お腹の寄生虫の駆除もできるオールインワンを謳う薬で、昨年まではビーフ風味で食いつきがよいというネクスガードスペクトラを使っていたけれど、全く食いつかぬので栓なくキリクリームチーズで包んでいて、だったら錠剤でよいと思ってクレデリオプラスに変えた。少し値段が安くて得したような気でいると白犬が体重を増やし2.8kgまで対応の薬なのに2.75kgくらいになっており、浅薄にも今年の分の薬をまとめ買いした私はもう体重が増えませんようにと願うしかなく、ネクスガードスペクトラであれば1.8kgから3.6kgまで対応なので来年は元に戻したい。切実に減らしたいのは私自身の体重であるのは置いておいて。

今年の十月で十歳になる犬は徐々に老化していて、晩春辺りにごく初期の白内障との診断を受け、ピレノキシンという点眼液を使い始めた。これは治すのではなく進行を防ぐためのもので、効きめがあれば生涯使い続け、悪化したときには薬を変えるか手術することになるらしい。頼りになるのかそうでないのか判然とせぬ薬ながら、一日三回の点眼ではじめて効果に期待できて、二回では全く何もしないのと同じという癖がある。そして保管時は容器を立てて置かなくてはならず、使用前にはよく振らなくてはならない。犬のためと思えば何と言うこともないけれど効くかあやふやにしては容器を寝かせると駄目になる液体だなんてちょっと生意気な気がする。

これも老化ですかと獣医に聞いたのは白犬の毛の変色について。白犬と言っても血統書にはクリームと書かれており、幼い頃には背中に十字の色濃い部分があった。十字はやがて薄れて周りの毛に紛れ、ここ何年かは全体に白っぽく、膝裏など濃いところが部分的にある状態で落ち着いていた。それが今年に入った辺りだろうか、尾の付け根に濃い色が出始め、そこから背にも尾の先へも広がり、今は後頭部から背中を通り尾の先までが濃い色になっている。獣医は老化とも老化でないとも答えず、毛をくしゃくしゃ揉んだり、かき分けて皮膚を見たりしてから、痒がらなければ大丈夫でしょうと言った。耳を掻くのは時々見るけれど背中を掻いているのは見たことがなく、孫の手でもないと届かぬのではと思ったけれど、今のところ大丈夫なのだろうと理解してわかりましたと答えた。答えたあと地面に背中をこすりつける犬の映像を思い出して、痒がらなければの意味を悟った。白犬はジャーキーなんかを器用に掴んでかじるので孫の手だって使うか知れぬと思いながら。

長年通う犬の美容院は駅ビルの店子、ペット用品を扱うペットショップ併設で、ペットショップのひとたちは会計に慣れていて手際がよいのに比してトリマーさんたちは犬の扱いは上手いけれど会計はあまり芳しくない。支払いは毎回二万円を越えるのだけど、五月は18000円くらいで、おやつを買わないと随分違うことと思っていたら、駐車場へ向かう途中で戻ってほしいとの電話があって、一割引するところを三割引で会計してしまったのでやり直したいと言うのだった。かかった料金を踏み倒すつもりもなく、やり直しに応じたけれど、気軽に昇降出来る階でないためエレベータで行ったり来たりせねばならず閉所がつらかった。

行ったり来たりせず済ませるからねと待ち構えた六月の会計は6800円で、バビロニアとモンゴロイドの二匹ですがと言うと、それが何かという澄まし顔で、いつもと全く違う金額ですけど大丈夫ですかと踏み込んでやっと、んんんと考えて間違いに気付いてくれた。正しい金額は20700円であった。おやつを買わずに。どう計算したら6800円になるのか謎だ、七割引だろうか。トリマーさんからは耳の後ろにもつれ毛があったとかバブルバスでうたた寝したとか施術中の様子を手紙で知らせてもらうのだけど、獣医では悪名高い拙宅の犬について、今日もとってもおりこうさんでしたと毎回必ず書いてくれて、もらうたび気分が良い。私がトリマーさんについて手紙を書くとして、とってもおりこうさんでしたと書く気がなく恐縮だけれど。

私がPさんの台所へ寝泊まりしているばかりに犬もPさんの台所で寝泊まりするのだけれど、シートを多めに敷いてもシートでないところへ用を足すことがあって、このところPさんは仕事から帰るたび臭い臭いと何度も言って、申し訳ない気持ちと籠池夫妻かよという気持ちが同時に生じて、犬へ感情的に苦情を言うので直ぐに籠池夫妻かよの気持ちが勝って、犬に申し訳なく思って終わる。躾や生態については諸説あって絶対とは言えぬものの、叱ると排泄を我慢することがあり健康に悪いと見聞きしており、失敗は人間が解決するもので、百発百中シートにせぬだろうし匂いがしても仕方ないと思っていて、怒りをぶつけるPさんを理解できない。誰にもよいことのない暮らしで、方向性の違いを理由に解散すべきではと思う。

心も身体も健康に近付けて弱気になるあれこれを捨て去り、クルマで犬と犬と私で遠出したい。いつか海まで行くことが出来たらと思う。どんなにか幸せだろうと思う。犬と犬と同居人と私で海へ出かけると、いつもいつも楽しかったので。

犬がとってもおりこうさんでしたと書かれた手紙をもらう、いつか海まで行くことが出来たらのふたつを気分をよくするリストへ加えたい。
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迷わずに来た仔羊の災難 [犬のこと]

Thursday, 24th December 2020

昼間、白犬を動物病院へ連れて行った。火曜日に茶犬の主治医から早めの歯科受診を勧められたため、日頃通う動物病院へ行った。茶犬主治医の見立て通り、スケーリングが必要との診断で、この小さな生き物に全身麻酔かと申し訳なさが募るのだけど、話はそれに済まず、スケーリングには通常、抜歯が伴うとの説明があった。どうしても抜くものか訊くと、状態が悪いまま残してはスケーリングの効果が充分に出ず、再発や別の病気に罹るとのことで、思った以上に深刻だった。奥歯犬歯は大丈夫、前歯は抜くだろうと言う。考え込んでいると獣医が抜かない治療をご希望ですかと聞いてきて、全身麻酔までして再発の可能性があるなら抜いてもらうしかないと答えた。そう言いながら、本当にそれでよいのか迷いがある。何にしても自分が許せない。心を読み取ったかのように、獣医が、歯磨きをしていても起こることなのでと慰めを言った。

白犬と言っているけれど、血統書上はクリーム色で、今もよく見ればクリーム色で、ペットショップで同居人の選んだ犬である。犬が同居人を選んだとも言える。ペットショップでは、毛の抜ける犬と伸びる犬がいてトイ・プードルは伸びるタイプだとか、プードルは全犬種で二番目に賢いというような話を聞いた。後で調べて、乳のみごのときに尾を切ると知り、同居人は動揺した。自分の愛する犬が酷い目に遭うのは彼の苦しみらしかった。それが過去のことであったとしても。白犬の少し長めの尾に触れながら、もしかしたら切ってないんじゃないかなと聞いてくる。先が自然な感じなんだよなどと言って。私には急に途切れる気がしなくもないけれど、だといいねと答える。同居人が信じたいことを無邪気に無防備に信じていてほしかった。

そんな溺愛の白犬にこれから起こることが極めて過酷で、時に耐えられる者だけに耐えられるだけの試練が与えられるなどと見聞きするけれど、私は全くの無能力な弱いにもほどがある人間で、どのような試練にも耐えられない。はっきり降参ですと白旗を上げている。なのに、何故。簡単に言えば、神がいないから。そのように他者のせいにするのが駄目なら私が至らぬから。代われるものなら代わりたいと言うのは代われないと知ってのことに聞こえるけれど、本当に代わりたい。私が代わって、同居人と白犬と茶犬を助けたい。どうにかならないだろうか。と、嘆いても神頼みしてもどうにもならぬだろう。反省点を言えば、巧く磨く自信がなく、ブラシが360度を覆う歯ブラシを使っており、歯の根本に45度の角度で当てることに向いていないかもしれない。小さくやわらかなブラシで歯茎をやさしく丁寧に。日々の五分十分がどれだけ大切か。何事も意識してすべきだったと思う。

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白犬は幼いとき、背中に大きく茶色の毛の十字があって、十字架を背負うオトコと呼んだりしていた。茶犬と喧嘩になると、命を狙う、完全に仕留めにかかる動きに、ホワイトデビルとも。クールさを装う気取り屋でいたけれど、この頃はさみしさを隠さずいくらでも甘えるようになった。どんなときも愛する小さな授かりものである。平謝り。
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フローズンウルフパピーマミー [犬のこと]

Tuesday, 22nd December 2020

茶犬の通院日で家畜病院へ行った。今はそう名乗っていないけれど、門柱の銘板には家畜病院と書いてある。ウィンナーか何かの原材料に畜肉とあるのを見たときに似て少しドキッとする。茶犬はC反応性蛋白に大きな改善があったものの白血球数、好中球数、好塩基球数が継続して基準値外だった。薬が効いているようだけれど、安心はできない。寒くなっても関節の症状が殆どない、と言うと、寒いときに歩かないのがよくはたらいたと思うとのことで、サボった気でいたものの、現状通り昼の暖かい時間に少しの散歩がよいらしい。体重は3.78kgで先月比-100g、腹ペコちゃんに化けたのに太っていなかった。腹ペコちゃん具合が少し落ち着いてきて、常に空腹から、一日のうちで何回か超ガツガツくらいになっている。前回受診から嘔吐はグルウミング翌日の一回だけ、検査数値を除けば安定して見える。

ついでにと四年通うよしみで白犬の歯を診てもらう。やはり、早めの歯科受診を勧められた。大抵真面目に歯磨きをしてきたけれど、私自身に余裕のないときなど歯磨きペーパーで済ませてしまうことが少なからずあった。ドライフードだけならともかく、肉や野菜をあげているので、より丁寧な手入れが必要だった。真面目な歯磨きと言っても、私は不器用で白犬は歯磨きが嫌いで、部位によっては不充分かもしれない。もっと早くどうにかすべきだったと落ち込むけれど、九歳ならスケーリングの全身麻酔も躊躇しない、年齢が上がると危険度が増すと聞いて、これから出来ることをしていくよりない。ちゃんとした面倒の見られる人間でなくて犬に申し訳ない。

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2011年の11月頃、Pさんの買い物で普段あまり行かないホームセンターへ行き、通りがかりのペットコーナーに犬を見て足が止まった。どれだけ自惚れているのだと思われるに違いないけれど、そこにいたポメラニアンがあまりに私にそっくりで、びっくりしたのだった。ちょっと勘違いかもしれないけどと断ってからPさんに「あのポメラニアン、私そっくりに見える」と言ってみた。否定されるなり馬鹿にされるなりあって当たり前なのに「どこをどう見てもそっくり本当にそっくり」と同意された。帰宅して、同居人へ、私によく似た感じの犬を見たと話して、一緒に見に行くことになった。同居人も私にそっくりだと言った。

犬と暮らしたいという希望はずっとあって、でも、世話や躾が出来るのか養っていかれるのかを考えて決心出来ずにいた。けれど、自分そっくりに見える犬が真っ黒な目で私を見つめるとき、これは、と思う。奇跡か、運命か、何を馬鹿な。ひとりで思ううち同居人が、このコはウチで暮らす以外ないんじゃないと言った。うーん、犬と暮らしたいと思ってきたけれど、シェパードとかラブラドールレトリバーとかとフリスビーをするイメージを思い描いていた。ポメラニアンか、私にそっくりの。同居人と見に行くと決めた時から結果は見えていた気がする。それでもちょっと考えてみようと言って、一旦家に帰った。いつかは犬をと考えていたのだし、あの犬は何処にでもいる犬とは違うし、大型犬の運動量を思えばフリスビーしたいだけで迎えるのは無茶だし、というようなことを話し合って、間違いないように思い、ポメラニアンと暮らすことにした。

翌週、ホームセンターへ行ってポメラニアンが欲しいと言った。ペットコーナーで対応してくれたのは最近責任者になったばかりという二十代半ばくらいの女性だった。確か、風邪っぽい気がする、赤ちゃんなので様子を見たい、直ぐには渡せないから二週間くらい待ってほしい、内金を払えば売約済みと出来るけれど、そうでないときは他のひとへ売るかもしれないと言われた。こちらとしては決定事項なので内金一万円を払った。払うとき、このお金は解約となっても返金できないとの説明があった。そんなことは起こり得ないとすっかり家族のような気でいた。

二週間が経とうとする頃、咳と鼻水が続くと一週間延長の電話があり、数日後には下痢があると更に延び、様子だけ見に行くと膝関節と股関節に異常があるようだと言われる。いつ引き取れるか決まらないまま、しゃっくりがとか頭蓋骨がとか具合のよくないところが増えていく。もう家族なのだから見捨てる訳にはいかないと思いつつ、私に面倒を見られるのか不安な気持ちが膨らんでいって、何をどうするのがよいか解らなくなった。それで犬のことならと思うひとに相談した。あっさり、普通なら飼わない、そう言った。本当は自分でそう決めるべきだけれど、出来なかった。それを見越して言ってくれたのかもしれない。同居人にはこういうひとがこう言っていると伝え、話し合い、ポメラニアンを諦めた。苦労を逃れた選択なのに悲しさがあった。責任者になったばかりのひとが責任感から不都合なことも全て教えてくれたものと思うけれど、引き渡す日がいつまでも決まらなかったのもただの善意だったのか、よく分からない。

同居人は犬と暮らしたことがなく、相当楽しみにしていて、犬が来ないと決まると気の毒なくらいがっかりした。それを見て、ラーメン屋のマスターが何処其処に評判のペットショップがあると教えてくれた。直ぐにふたりで行ってみて、ポメラニアンはいたものの、思い入れのあるポメラニアンのあとで心が動かなかった。あんな子はそうそういないね、そう言って帰ろうとして、店員がトイ・プードルはどうですかと言ってきた。誰も彼もトイ・プードルを連れている気がして、流行りの服を着るかのように犬を選べない、そう断る。でも、可愛いですよと言って三匹の仔犬を見せた。ちょっと抱いたり撫でたりして確かに可愛かった。消沈していた同居人も楽しそうである。終いには、どうしようかなと迷い始めている。連れて帰りたいのか聞くと頷く。仔犬を抱かせてその場の気分の高揚で買わせようとするのは良心的でないと聞いており、今ここで決めるのはよくない気がする。けれど犬を抱き可愛いと喜ぶ同居人に、今日はやめておこうと言えなかった。

犬が来ることは決まっていたのだし、同居人が気に入ったならその犬と暮らせばいい、そう思った。それでもう、どの子を家族に、そういうところへ話が進んだ。同居人に抱かれるとおとなしく腕の中に収まる甘え上手なクリーム色の犬がいて、同居人は明らかに嬉しそうで、どう見てもその犬に決まりだと思う。けれど、同居人は頭のおかしい感じの暴れん坊な茶色の犬を私が気に入っていることに気付いていた。そして、二匹とも連れて帰ろうと言い出して、それはどうかと思うと言ったのだけど、もう既に一匹失った虚しさがある、更に失う理由がない。どちらかを選んで暮らしても、何かあるたびもう一匹はどうしているか思うに違いない、犬を見るたび誰かを我慢させたと思うのは馬鹿らしい、それぞれに気に入った犬がいるなら、どちらも家族にすべきと言うのだった。理屈としては解るけれど、経済的に成り立つのか疑問だと言うと、今までもどうにかなったし、これからもどうにかなる、大丈夫。と根拠なく、でも自信ありげに言った。大きなお金が動くとき、同居人は大抵こんなふうに楽観的に決める。苦労はあるものの、確かに破産せずにいて、得たものは手にできてよかったと思うものばかりだ。それでクリーム色の犬と茶色の犬とを家族にしようと決めた。

犬には断る権利もなく、ウチへ来ることになった。さすがにファストフードのようにその場で持ち帰りとはならず、一週間後だったか十日後だったか忘れたけれど、2012年1月15日に連れ帰ることとなった。拙宅から私鉄の駅近くまでクルマで出かけ、私鉄へ20分くらい乗り、ペットショップへ迎えに行った。フード、おやつ、玩具などをもらい、保険加入の手続きをして、犬の入った箱を受け取った。箱はスヌーピーの家を小さくした形で、犬小屋型と言えば早いか、青い段ボールで出来ており、屋根の部分に横に広い楕円の穴があって持ち手となっていた。犬と暮らすことが夢のようなのだけど、犬を紙箱へ入れて電車に乗るなどということは想像もしなかった。そして、箱の犬、暴れん坊と思った犬は箱の中でおとなしく、ちゃんと生きているのか、空気穴を何度も覗き込んだ。おとなしく同居人へ抱かれた犬は大層暴れて、降りる駅へ着く前に箱へ大きな穴をつくり、駐車場のクルマへ行くまでに穴からすっぽり頭を出した。豹変した犬に、私が、猫を被っていたのかなと言うと、同居人はそうまでしてウチへ来たかったんだよねと犬の頭を撫でながら白い息で言った。小雨に雪の混じる寒い日だった。
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