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グラタンとミラーボール [愚]

Tuesday, 20th December 2022

積立預金の通帳が見つからず、どのくらい貯まっているのか或いは貯まっていないのか確かめようがない。70万円くらいあったら素敵なのだけどと思いながら積立預金をしている金融機関へ出向き、「使う予定ができたけれど通帳がない」と言うと残高を教えてくれた。54万円だった。なるべく早く通帳を見つけるようにとの教育的指導を受けたのち、普通預金へ移し替える方法でなら引き出し可能と許しを得た。20万円を残して34万円を下ろして使った。使ってしまった。食べるもの、飲むもの、食べるものを入れるもの、着るもの、履くもの、被るものなんかで使い果たした。それらのいくつかはAmazonで買ったのだけれど、発送の都度、残高がぐんぐん減っていった。自分で頼みながら「わあ、こんなに」などと言い、減っていくのを見ていた。見ていたところで使った金額が減らぬものでもないけれど。とは言え見ていてよかったことはあって、使っていない金額が引かれているのに気付いた。問い合わせると先方の誤りとわかり、返金されることとなった。そんな訳でAmazonに二万円くらいの貸しがある。

持ち金を使い果たしながら、Apple Watch Ultraも買った。冒険とか旅は無論、身体を動かすことそのものと無縁で、重篤な出不精であるのに。そんな私がなぜ買ったかと言えば、Ultraという名の時計があれば買わずにいられぬと思ってしまったから。Apple Watchに限らず、そうした名の時計があったかしれぬが、私が知るのはそれだけだった。だからと言って直ぐに飛びついた訳でなく、ひと月くらいは迷ったり、迷ったフリをしたり、auへキャンペーンについて問い合わせるなどして気が変わらず、それならと買うことに決めた。auへはチャットで問い合わせたのだけど、「キャンペーンを見込んで買おうと思うのですけどXXですか?」と問うと「キャンペーンを見込んで買おうと思うけどXXかどうかというお問い合せですね?」と聞いてきて、そのような鸚鵡返しにも程があるのではと思うやり取りを何度も繰り返さねばならず、真綿で手首を絞められるくらいの苦労はしたのであった。腕時計なだけに。

それで、どんな具合かと言うと、とてもよいのですねこれが。眠っているときどうだったとか、嬉しかったことを思い出せとか、息を吸えとか吐けとか、立ち上がれとか眠る時間だとか、あれこれ言ってきて、親身な家族がいるかのよう。同居人と同居していれば要らないかもしれないけれど、そうでない今はあってよかった。無くてよく生きていた。とすら思えてくるので、山の天辺、海の底、ジャングル、砂漠、底なし沼、どこにいるにしても、孤独なひとには向いている時計なのではないかしら。ぐっすん。そうそう、大好きだった主治医が山登りをするひとで、SUNNTOを愛用していたのだけど、あまりにも似合うことに感心して、Ultraという名の響きとは別に、そういうものへの憧れというのはどこかにあったかも知れない。よって、同じ色のベルトにしてしまった。くふふ。って、どれだけ暢気なのかってお思いかしれませんけれど、買ったり食べたりでもせねばやってらんねーってことがあるのが浮世というもので、私にも私なりの苦難がございます。ご安心を。

それから、偉そうに、ユニクロと無印良品では買い物をしないとか書きましたけれど、普段着や下着を安上がりにするなら避けては暮らせぬと気付きました。エアリズムにヒートテック、スフレヤーンを重ねるような心神耗弱に極めて近いふらふらの情緒でここ数年生きています。お許しください。

それから、まだダラダラと書きたいことはあるのですが、Apple Watch Ultraがそろそろ寝なさいと言ってきたので寝ます。おやすみなさい。
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武器と楽器と泡だて器 [愚]

Thursday, 19th April 2018

本当にしたかったのは猫の話ではなかった。

とだけ書いて二年が過ぎており
何の話をするつもりでいたのかわからない。
昨秋出掛けたMUSEのライヴが大変素晴らしかったのだけれど
二年前にそうした予定はなく
MUSEの話ではなかったに違いないのにMUSEのことを書くのは
いつもと違っていたから。

大抵何か幸せな感じの出来事があると
もうこれ以上よいことは起こらない
あとは暗く貧しく辛く厳しいことのみ続く、即死せねば。
そんな具合になる。
決まり切ってそうなるからまたそうなるものと思っていたら
ならなかった。

帰ったらMUSEを聴きたい
これまでよりもっともっと聴きたい
楽しく厳かで華やかな一夜から苦しいばかりの現実へ戻っても
MUSEを聴いて日々を過ごそう。
そんな無邪気な私がいた。
私自身が知らずにいた私がいた。
これまでどこに隠れていたのだろう。


付け加えると、ある晩眠れずにいてテレビをつけた。
暗い部屋の壁に画面が反射するのをぼんやり見ていたら
テレビから「宇宙一のバンド」というのが聞こえて
MUSE以外のバンドに軽々しくそんな言葉を使いますかと
テレビを注視したところ
それは正しくMUSE来日公演の広告で
それを見たからどうにかチケットの手配が間に合ったのだった。

これをひとに言うと
MUSEが宇宙一などと誰が決めたのだと叱られたけれど
重要なのは実際に宇宙一かなんてことではなく
宇宙一と思う私に宇宙一という惹句が偶然届いたこと。
その晩、ぐっすり眠っていたなら
私の知らない私は一生出番がなかったかも知れない。



2015年10月12日のメモ
男性女性というのは
弾力性柔軟性信頼性協調性のように傾向を示すもので
二分出来ない。
線の両端に男と女があるとして
中心点からどちらよりかというだけのこと。
線の一方の端が伸びたなら中心点は変わり性傾向も変わる。
では私はどこにいるかというとその線とは交わらぬ
別のところ。

そんな寝言を真面目な顔で書いたのは
自宅を離れた紅葉しつつある木立の見える窓辺の寝台だった。
寝台に添えられた車輪付きの可動式机は
食事にも読書にも
血を抜くための注射針の刺さる腕を伸ばしておくにも使ってよい万能品で
私は一日のうちに何度もそれを除菌シートで拭いた。
拭いてしまうと食器や文具を机の縁に垂直平行となるよう慎重に並べ
食べ物を食べたり残したり本を読んだり日記を書いたりした。

念入りな戸締まりと限られた手荷物と窮屈な規則で
全て見張られている様子があるのに誰からも見放された感じがして
何の糸口もなく悟りを開けと命ぜられた修行僧の心で日々を暮らした。
心づもりはそうであっても修行僧が何をするか知らない。
私はただただ廊下を歩いた。
中庭を囲み四角形を作る廊下を日に幾度も周回した。
四角い中庭を硝子窓で四角く囲んだ外側に廊下があり
窓硝子を四角く囲んだ廊下の外側を四角く囲んで病室が並んでいた。
中庭と硝子窓と廊下を囲む病室のひとつに私はいた。
入院患者として収容されていた。

ある日研修医が病室へ来て私が壁に貼るポスターに目をとめた。
「これはもしかして」と研修医が言うので
「マシュー・べラミです」と答えると「ですよね」となった。
彼はマシュー・べラミより優れたミュージシャンを知らないなどと
抱擁すべきかしらと思うようなことを言い
単独ライヴがあったら必ず行くという全く同じ思いを持ってもいて
明日を考える余裕のない身ながら
いつあるかわからない先のことを種に
再会した場合のことまで話し合った。

実物のべラミファンに会うのは初めてだった。
例えば武道館或いは大阪城ホールにMUSEファンらしき人々を見たが
人混みを構成する塊の一部でしかなかった。
こんにちはと声をかけたり巻き毛の理由を訊ねたり
向き合って言葉を交わす相手が同じ趣味であることは
音楽でも本でも映画でも初めてのことだった。
積年の経験則でそんなひとはどこにもいないと諦めていた。
ここにいたのか。

入院は2015年末までの三月ほどのことで
昨秋、研修医が横浜アリーナにいたかどうかは知らない。
再会しようとしまいと我々は既に出会っている。
充分奇跡的に出会っている。



当時の私は2016年の春を迎えることはないと信じていて
そうならなかったから苦しみが減ったということもないのだけれど
生きようと積極的に考えるには至らぬものの
死ななくてはと切羽詰まった気持ちになることは減りつつある。



過日、主におにぎりを扱う店で
知己が彼女自身と私のためにいなり寿司を買ってくれた。
持ち帰って彼女の家で食べるつもりであった。
「いなり寿司ふたつ」と言うのを確かに聞いたのだけれど
おにぎり屋に渡された袋へ入っていたのは
梅ひじきのおにぎりだった。

梅干しとひじきのおにぎりがあること自体知らなかったし
文字数しか合っていないし、ひじきは苦手だし
死のうかなと思ったけれど
もう彼女の家の食卓でお茶の入ったコップなんかも用意されていて
意外とあれだよねなどと言って頬張るしかなかった。泰平。
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靴、或いは泥、或いは友に等しく [愚]

Tuesday ,12th January 2016 

帰宅した同居人は玄関から「猫のやつ!」などと騒がしく居間へ姿を見せると問うより先に彼の愛車へ猫の拵えたひっかき傷の深刻さを訴える。

猫というのは長いこと隣家の飼い猫と思っていた猫で、というのも隣家のひとが朝晩餌をあげているのを見ていたからなのだけれど、過日拙宅駐車場で寛ぐ猫をかいぐりかいぐりしている小学生にそんなところで現を抜かされていてはいつ彼らを轢いてしまうか知れず危ないし邪魔なので「その猫は誰の猫ですか。連れて帰って貰えませんか」と言ってみたら「この猫は誰の猫でもないです」という返事で猫でも犬でも猿でも人間でも誰だって誰かのものではないに違いないが、小学生の言う「誰の猫でもない」は帰る家が無いという意味なのだった。食糧は貰えるけれど寝床は貰えない、そういうことだ。大雪の日も台風の日も路面から湯気の立つような熱帯と例えらえる日も、どれほど過ごしにくそうであっても夜通し外へ出されている謎が解けた。

同時に猫が何をしようと苦情をもっていく先のないことも知った。ベランダを走り回ろうとそこからクルマへどすんと飛び降りようと、思いの外滑るわと慌てて立てた爪が思いの外長く、思いの外深い傷をボンネットに残そうと猫は聞く耳を持たぬし、代わりに話を聞く飼い主も持たない。猫が網戸越しにシャアと威嚇して拙宅の犬を発狂させられたなら猫へ網戸越しにシャアと私が応えるしかない。馬鹿を見るばかりの人生である。主に鏡の中に。


先日、死んだ猫を見た。クルマに撥ねられたものと思う。あの猫も帰る家を持っていなかったのかも知れない。

りかちゃんというのはかつての同僚で、可愛らしい女の子のように憶えていたのだけれど、最近会ったひとの話によればババァになり果てたとのことである。そしてその最近会ったひとの話によれば、りかちゃんは捨て猫の保護をしているらしい。更にその最近会ったひとの話によれば、りかちゃんの捨て猫の保護とは道端にいる猫を餌などを用いて呼び寄せ捕まえて家へ連れ帰ることらしく、元々の飼い主がいるかどうかについて考えることは全くないそうで、りかちゃんの思考のあれこれが私には風変わりというか何というか、捨て猫の保護なのか飼い猫の誘拐なのかよくわからない。

拙宅近辺には隣家の猫と思っていた猫によく似た猫がいたのだけれど、最近姿を見ない。あの猫も帰る家がなかった。帰る家はなかったけれど、りかちゃんに保護されていなければよいなと思う。轢死していないことを願う強さと同じ強さで思う。どうしてもそう思ってしまう。

いのうえともみ

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散髪屋の時計はいつも狂っている [愚]

Saturday ,28th February 2015 

昨年、自分自身への誕生日プレゼントに選んだのはサムライとかいう名の、腰へ巻くベルトに鞘のついたノコギリである。

同居人がおばばとか何とか呼ぶ知り合いから「どうしてもあんたに」と貰い受けたヒメコブシが「ヒメ」は矮性を示すものと思い込む私の予想を覆す成長を遂げ、上に横に伸びる枝のみでジャングルを形成するに至り、どうにかしなくてはとノコギリを手に入れたのだった。狭い庭には陽が差さず自由な枝は拙宅の囲いを大幅にはみ出してもいて、切り株だけにしてくれるくらいの気持ちでノコギリを買った。

ノコギリでギコギコやってどうにかなるものかわからないけれど、おばばは同居人へヒメコブシを押し付けて直ぐ気が済んだというように死んで、乱暴者でありつつ感傷的な同居人は、どれだけ邪魔になろうとおばばのヒメコブシをどうにもする様子がなく、かと言って放っておく訳にはいかないと思っている節はあり、小人が靴を拵えるように自分の知らないところで片付けて欲しい感じ、そういうことでしょうと悪者になる気でいた。

そういう気でいることを木が気付いたのかどうか、毎年片手で数えるほどの花しかつけたことのないヒメコブシは昨春に限って枝という枝に花を咲かせて見せた。日陰をつくるばかりで邪魔と言い切るには花の咲かなさがあった。積もる落ち葉は掃いても掃いても際限なく降るのに比して咲く花といったらふたつみっつと数え甲斐のないこと甚だしく、その花も見つけたときには枯れはじめる素っ気なさでよいところがない。そうして何年ものあいだ邪魔者でいたというのに切ろうと思った途端、数えきれぬ花をつけ満開にした。何なのだ。

元々庭仕事とか草花の手入れとか屋外のあれこれが苦手で、人工的な灯りの下で音楽を聴き本を読み鼻歌っていたい私は、サムライは鞘へ収めておく、直ぐにそう決めた。大抵の場合、後回し先送りしてよいことなどないのだけれど。

寿命の残っているものを自分の手で始末するとなれば、どうにもそうするしかないと思わなくては難しい。取り返しのつかないことを敢えてするだけの決心がいる。ヒメコブシの延命は私が私をまだ生かしておく理由にほぼ等しい。



母が電車に揺られてひとり実家へ出かけたのは私が生まれる筈とされる日よりふた月も前のことだ。けれど実家へ着いた翌日早朝、母は産気づき病院へ行くためのクルマへと歩きながら路傍に私を産み落とした。産声を上げず田舎道に転がる紫色の肉塊が私のはじまりである。

八歳くらいのとき妊娠していた母が顔色を悪くして誰かひとを呼ぶよう言ったあと、やはり足の間をするすると紫色の肉塊を滑らせたことがあって、血にまみれたそれは母胎で死んだ弟だった。穏やかに眠るような顔をしていたけれど死んでいるのは何故かわかった。

確かその夏、私は何匹かの金魚を殺した。
理由なく殺した。

いつだって自分のことがわからない。

himekobushi.jpg

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瓶の中、2%の果汁のしごと。 [愚]

Friday ,10th August 2012  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

いつまでも先方へ届かず、日本郵便に問い合わせると目黒区宛ての荷物が北海道へ送られていた。ゆうパックを郵便局へ出すと郵便局員が宛先を見て手入力で行き先記号印字の輸送用ラベルをつくり荷物へ貼る。それが貼られたあとは輸送用ラベルを元に振り分けられ目的地近くの郵便局へ送られる仕組みらしい。郵便局員の入力に誤りがあろうと差出人が宛先にどう書いていようと輸送用ラベルが北海道行きなら北海道へ機械的に送られてしまう。七桁の郵便番号を機械が読み取るのではと訊ねたら、それはハガキ封書の類の話でゆうパックは局員頼りと言う。人間の仕事であればどこかに確認工程が必要に思うが誰がどういう方法で誤りがないか確かめるといった明確な規則はない。呑気なのか余程優秀な人材を揃えているのか間違いが起こることを想定していないらしかった。日本郵便の考えや仕組みがどうあろうと私の目黒区宛ての荷物は北海道へと動いてしまっているのだけれど。

金策で処分品を買い取り屋へ送ったため期日までに届かなければ期日までに送金されずとても困る。経済状況を赤の他人に明かすつもりはなかったが、ちょっとした間違いを大袈裟に騒いでいると思われては心外で実情を打ち明けた。すると、これからXX君が北海道へ向かい@@で荷物を取り戻し即刻目黒へ送る手配をしますと言うのだった。それは荷物の所在確認の電話をしてから郵便局へ出向き直接話を聞くまでの間に局員が局内で決めたことである。今日中は無理としても上手くいけば明日、最悪明後日には配達できます、ご安心をと得意気に言われて局員たちの正気を疑った。確かにそうして貰えば放っておくより早く軌道修正できそうだけれど、送料六百円の荷物とXX君の交通費を比べると無駄の多さに気が滅入る。節約倹約に努める身には罪深ささえ感じる無駄だ。そんな誠意の尽くし方は全くのところ私向きでない。

縫い付けたボタンのような目をした局員たちに、そこはこちらの希望を叶えてくださいと頼み北海道行きは取り止めて貰った。発送ラベルと輸送用ラベルの行き先に違いがないか確認工程を設け誰が入力してもそこで誤りが生じても間違いのない届け先に送られる仕組みをつくってほしい。そう頼んだ。そのようにしますとの返答だったのでそのようになるものと期待しておく。

金策が間に合わなかったときのためにと郵便局長が金を貸すと言ったが金は貰うことはあっても借りませんと普段通り答えてみて、この郵便局の思考回路では実際に金をいくらか出しかねないと気付き、強請りか何かで捕まりたくはなかったので、あなた方からは一円だって貰うつもりはないと慌てて付け加えた。

そして郵便局にクレイマーのリストがあれば私の名を付け加えたに違いないとも思った。これまで載せられずに済んでいたとして。

2014-07-24 17:55 更新 714日遅れ

第49回 夏の文学教室へ行って参りました。
第49回 夏の文学教室

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鉄分の墨汁に化ける白タブレット [愚]

Tuesday ,31st July 2012  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

映画やドラマで何も身に着けず泳ぐ場面を見ると気ままさに憧れる。何ひとつ縛るもののない自由な様に強く惹かれ私もそうしてみたくなるが咎められず騒がれず裸で泳ぐことのできる場所を知らない。ひとの来ない海を川をプールを風呂を生け簀を知らない。裸で泳ぐことが叶わないのは途方も無い大きな痛手の気がして窮屈で息苦しく居心地悪いことのように思う。


保育園児のときの水着は赤と黄の二色を大胆に配し胴回りに金色帯状の細布をあしらう攻めた感のある造りだった。それは写真に残っているのではなく、ただ記憶として頭の中にある。余程気に入っていたのか奇抜な見た目のためか未だに憶えている。生まれて初めての水着だったろうか。

保育園には水着代わりに下着を着ける決まりがあるらしかったが水着があるのに下着でプールに入るとはおかしな話だと父は言い、私は私で水着を着るものと勝手に決めていた。構わないとも駄目だとも言われぬまま我を通した私は白シャツ白パンツの群れにひとりサイケデリクな水着で紛れ込み紛れようもなく浮いた。

小学校へ入学すると揃いの紺色の水着を着た。水着の奇抜さで浮きはしなかったが身体は浮いた。手足を動かすと途端に沈むので泳ぐことはできなかったけれど逆上がりや縄跳びのように苦心するところは何もなく、うつ伏せに全身の力を抜いて水面に浮かぶのは気持ちよかった。泳ぐ練習をしなさい水死体の真似はやめなさいと言われても、ぷかぷか浮くのをやめなかった。


小学四年生になると上下ふたつに分かれた水着を買ってもらった。商店街の食中毒を出して潰れかけているケーキ屋の隣のやはり潰れかけて見えるうす暗く野暮ったく黴臭い学校指定の洋品店で脱ぎ着のしやすいスクール水着のつもりで選んだのだけれど腹やへその出る水着は学校指定の水着でもスクール水着でもないらしく悶着の種となり教師の中にはそんなものを買うとはと呆れるひともいて薄々カッコいい水着と得意な気持ちでいた私はがっかりした。けれど別の水着を買えとまでは言われず、転校後に買ったのだけれど転校生だから仕方ないと諦めてくれて、指定外の水着でプールの授業を受けられることになった。

受けられることにはなったけれど調子に乗った感のある水着選びをしても泳げないのは相変わらずで手足を自在に動かし泳いだつもりが溺れていると救助されてみたり随分遠くまでと期待して振り返るとスタート地点から少しも進んでいなかったり頭の中で描いた図と現実に大きな隔たりがあった。泳ぎの真似ごとをするたび耳の中へ入った水がちゃぷちゃぷ音を立てるのや二つ口の水飲みのような仕組みの先へ開いた両目を晒すのは苦手だった。そうした苦手を乗り越えぬまま結膜炎に罹りプールの授業は見学することになった。異端の水着は箪笥にしまってしまった。

翌年の春、私は親戚の家に預けられ、転校した。箪笥の水着は父母のいなくなった家から知らぬ間に親戚の家へ移動していて預けられた親戚の家から通う小学校でプールの授業が始まると親戚のおばさんから異端の水着が手渡された。新たな転校先でも上下に分かれた水着を着るのは私だけだったけれど学校も同級生も何も言わなかった。預けられた先のおじさんに一度、水着の上の部分は必要か訊かれただけだ。私の平坦な胸をちらりと見たあと洗濯された私の水着が物干しで風に吹かれるのを眺めながら。

親戚の家で暮らす小学五年生の夏休みは日々学校のプールへ通い、休みが終わる頃には二十五メートル泳げるようになった。潜っても十メートル泳ぐことができた。ひと夏に成し遂げた偉業に有頂天でそのうちきっと好きなだけどこまでも泳げるようになる。そう思った。父に報告しなくては。そうも思った。度を越した運動の不得手さで常々父には心配ばかりさせており泳げるようになったと知れば喜ぶだろうし安心するに違いないと思った。

翌年、母と暮らすこととなり三度転校した先はプールのない小学校で小学六年生の夏は水泳の授業がなく親戚の家から持ってきた上下ふたつに分かれた水着の出番はなかった。私を二十五メートル泳がせた水着は引っ越し先の押し入れに永眠した。母と暮らすと決まったとき父は私が親戚の家へ預けられた頃には他界していたと教えられ安心させたり褒められたりするのは叶わぬことと知った。

中学生になると肺の病気に罹り泳ぐことも水着を着ることもなかった。水着で周りから浮くことも実際に水へ浮かぶこともなくなりそのあと泳いだのは成人してからである。
泳がずにいて困りはしなかったが土踏まずにナイフを刺すような痛みが走り立っていられなくなったり歩き難くなることが度々あった。あまりにも激しく痛んで自分の身に何が起こっているのか不安になったがナイフを刺すような痛みと言ったら人魚姫に決まっていて、なるほど、ひと夏で随分泳げるようになったのもそのためかと納得した。
自分を人魚と信じているうちは土踏まずの痛みは消えることがなく自分が人魚であるというような考えがすっかり消えて痛みは去った。これもまた成人してからのことである。


土踏まずの激痛がどんなものだったか保育園児のときの水着ほどはっきりとは思い出せないけれど何も身に着けずに泳ぐことへの強い強い憧れは人魚だった名残りかも知れない。
2014-07-15 17:05 更新 715日遅れ

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じっと手を焼く虫眼鏡。 [愚]

Saturday ,30th June 2012

病院へ行き、これまで話さずにいた症状を医者に告げる。少し強いものになりますがと提示された薬は副作用に幻覚幻聴が起こり得るという説明で使うかどうか決めずに帰る。帰って調べてみると病的性欲が抑制できなくなることがあるとも書かれていた。幻覚幻聴病的性欲どれかひとつにしても緩和したい症状と釣り合わない。出るか出ぬかわからぬ副作用だからと試してみる気にならない。一か八か賭ける気になれない。

意識混濁や痙攣や発疹などは深刻だけれど、出た!副作用!といった見た目のわかりやすさと説明不要な感じがある。幻覚幻聴病的性欲は自己申告な訳で自分で自分を診断し医師へ申し出なくてはならない。幻覚幻聴病的性欲を訴えて元からそうでしょうと言われたとき、こんなものはなかったと証明する術がない。或いは幻覚幻聴病的性欲が現れているのに自覚しないかもしれない。そういうわかりにくいところへ身を置きたくない。新しい薬は使わない。そう決める。


内田裕也というひとがロケンロールと言うのをテレビで見るたび手に持つステッキを取り上げ頭を殴りたくなるのだけれど、そう思ってしまうのは病気なのか元々の性格なのか誰もが抱く印象なのか判然としない。曖昧さを意識するともやもやしがちだがこれについては然程気にならない。いつか目前でロケンロールと言われるようなことがあって取り上げたステッキで彼の頭を殴り罪人として裁かれるとき答えが出る。それくらいの悠長さがある。にも拘らず殴りたい気持ちは変わらなくある。2013-07-28 17:05 更新 394日遅れ


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傘で目を突くな。 [愚]

Thursday ,31st May 2012 

こどもの頃母親の誕生日が変わった。例えば難産で出産に時間がかかって日をまたぎ、はじめて空気に触れた日とすっかり全身が出て来た日で迷う或いは拾われるなど、実際のものがはっきりせず仮の誕生日を設けるというような話なら、彼女がこどものうちにどうにかしたように思う。小学生ふたりの母親であった彼女にどういう事情が生じたのか長いこと五月二十日生まれと言っていたものを六月二十日生まれだったそうだった思い出したと突然言い出し、それからは六月二十日生まれで通した。戸籍やなんかがどうなっていたかは知らない。

生き死にが勝手に反映されるものでなく戸籍が事実の帳簿であるためには正確に届け出るひとが要る仕組みで、そこに書かれたことをそのまま信用する訳にはいかない。役所で発行される書類に使う日付が書かれているだけのこと。原本謄本抄本と何かと堅苦しさを匂わすけれど、二百歳のひとを幾人も易々と生かしておく夢見がちな本。


松田優作は39歳で死んだとずっと思っていた。出生届けが一年遅く出されていて届け出て39年、生まれてから40年で死んだらしいと最近知った。39歳のほうが伝説に似合うという感想はおいておいて、これは本人が明かしたことだろうか。ならいいのだけど。もし松田優作が一年遅い生年月日を公式の誕生日としていたなら知りたくなかった。都合が悪いから目を瞑っておいてくれという悪事はともかく隠していたことを死んだからと勝手に明かされては気軽に死ねない。


知る知らぬで世界は大きく変わる。目の前が平穏だからと安心しているとどこかで災害や戦争が起きている。薔薇の花を浮かべた風呂のつもりでヘドロに浸かっているのかもしれない。どこも水がきれいになったなどと言うばかり、ヘドロはどうしたのか。天井裏にみっしり詰められてやしないか。時に不意打ちで天井を見る。漏れている感じはない。


犬の去勢手術をした。手術したのは獣医だけれど。
犬には相談せず勝手に決めた。
当日も手術と言わずに病院へ連れて行った。
去勢手術なんて簡単に言えない。
骨粗しょう症くらい言い難い。滑舌。2013-05-24 14:45 更新 359日遅れ

シャアツ。

さつまあげ。


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画鋲は飲まないほうがいい。 [愚]

Saturday ,31st March 2012  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

雨が降る。
雨は好きで少しくらいの雨なら濡れるのも気にならない。
気にはならないけれど
乾いた服に着替えたときのさっぱりした感じはとてもよい。
もう一度濡れた服を着るなんてことは全力で避けたい。


坂を下った道の曲がる辺り、柵の向こうに池がある。
池といってもコンクリートでいびつな四角形につくられたもので
周りに茂る木々の枝やそれに巻きつく蔓や丈のある雑草に覆われていて
陽の光も殆ど当たらず気をつけて見ないと池のあることに気付かない。
そんな目立たぬ池に40センチくらいの錦鯉が何匹かいて
観賞されにくい観賞魚になっている。

あの池にも雨が降っている。
池が溢れるほどの雨ではないがそう思う。
水の中の鯉は既に濡れており雨で濡れたと騒がぬだろうし
濡れた鱗を乾かしたいと望んでもいないように思う。
ただあの草木に埋もれた池を知るひとりとして
時々思い出すくらいのことはしたい。
してもしなくても変わりないことを無責任にしたい。
というのもあるし
忘れたら消えてなくなる。そんな思いもどこかにある。
2013-04-03 16:00 更新 369日遅れ

i'm watching you


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茱萸味のグミ。 [愚]

Tuesday ,31st January 2012  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

いろいろあって犬と暮らし始める。
窓から差す明るい陽の光と加湿器の白い靄に包まれる犬の様は
遠い国の大きな教会の天井絵の気高さで夢を見ているようだが
彼らは生きており拙宅の居間にいて私の家族なのだった。
来た日から病気がち騒々しくても静かでも安心する暇はなく
子ができて知る親心、両親の気持ちが少し分かったような気になる。

彼らを連れてはじめて動物病院へ行きもした。
待合室には犬や猫や人間がいた。
かさこそと虫ほどの足音で部屋の真ん中へ行くのは小さなチワワで
そこに仮設ステージがあるかの振る舞いで待合室の注目を集めてから
りんご三つ分くらいの身体でりんご二つ分に見える糞をした。
脱皮か出産か分身の術かという具合の作品に
驚いて椅子から立ち上がる粗忽者は私ばかりで
目を丸くしながらも明後日を見るなどして平静を装うのが礼儀らしかった。
慣習なんかは知らなくても然程困らない。
犬の糞が体形に比例しないことは知っていて構わない。
知りたいのは犬が過ごしやすく健康に暮らすために何ができるか。

遊ぶこどもが崖から落ちそうになったときに救うひと
ホールデンがそういうひとになりたいと言ったとき
私もそうなりたいと望んだけれど
自身の未熟さを思えば務まる気がしなかった。
気がしなかったが犬と暮らすというのは崖の番人に違いなく
不意に望みは叶い大役を得た。
2013-03-30 10:35 更新 425日遅れ

ちびず+++++> [TV]

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タグ: 崖の番人

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