元祖ぶりぶらぶろ
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頭が腐っているのじゃよ。
hinemosu-bomb
2023-01-01T00:15:28+09:00
ja
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Kill Or Be Killed Or セロリパセリ
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-12-31
Saturday, 31st December 2022今月半ばに予約しておいた年越し蕎麦を行きつけの蕎麦屋へ受け取りに行く。ついでにPさんが買い忘れたと言う正月用品を買うためにショッピングモールへ寄った。私は特に買い忘れたと思うものはなく、モールの広場を犬と散歩した。晴れの予報だったけれど空は雲に覆われて暗く肌寒い。駐車場へ向かって広場の脇を通ったとき、車窓からシロクマを見た気がしたけれど、とシロクマを探すとシロクマは確かにいた。ペンギンと鹿の仲間に見える何かしらの生き物もいた。縮尺が狂っているようで、それらの大きさの比率に不安を覚える。どことなくうす汚れた感じも曇天の冷たい空気を更に凍てつかせて寒い。この頃の私は百貨店の売る食品の取り寄せにはまっていて、朝から晩まで百貨店の売る食品のWEBページを眺めていて飽きない。これで時給が発生したらよいのにと思うほどで、誤字脱字なんかもずいぶん見つけているから、真面目に言って百貨店は私を雇うべきではないかしら。そんな具合に食品を買っていたら、Pさんのお金が余ったそうで、正月は贅沢をしようなどと言う。それで、昨日、Pさんがひとりで横浜へ出かけ、職人手作りのかまぼこやら私の好きなえぼしの伊達巻やら買ってきてくれた。今日は確か雑煮に入れる肉と野菜を買うと言っていた気がするのだけれど、犬と犬と私がシロクマ一味の周りをうろついている間に毛蟹を買ってきたのだった。ひねの好物でしょうなどと言って。好物ではあるけれど高嶺の花、好物であるのを忘れるくらい長いこと食べておらず、Pさんの言う贅沢が本当に贅沢に感じられてたじろぐ。アンチョビ入りラー油だとか子持ちししゃもだとかエゾシカのパテだとか私の好む或いは興味を持つものを私が買って、どれほどPさんのお金が余ったというのだろう。朝食を済ませて出かけたのに蕎麦屋へ行く前にPさんはバターシュガークレープを買ってくれた。クレープにバターと砂糖を塗りつけた飾り気がないけれど一番美味しいと思うクレープで、冷たいベンチに腰かけひと息に食べた。その後、昼食の焼き鳥弁当を買ってもらい、蕎麦屋で年越し蕎麦を受け取って帰った。手洗いうがいのついでに顔を洗うと口の周りが砂糖まみれで、それはクレープの砂糖に違いなく、こんなにもと思う量で、焼き鳥屋と蕎麦屋は砂糖まみれの顔で行ったものと思う。マスクがあってよかった。焼き鳥弁当を食べ終えると満腹で眠くなり、いつの間にかソ..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2023-01-01T00:15:28+09:00
今月半ばに予約しておいた年越し蕎麦を行きつけの蕎麦屋へ受け取りに行く。ついでにPさんが買い忘れたと言う正月用品を買うためにショッピングモールへ寄った。私は特に買い忘れたと思うものはなく、モールの広場を犬と散歩した。晴れの予報だったけれど空は雲に覆われて暗く肌寒い。駐車場へ向かって広場の脇を通ったとき、車窓からシロクマを見た気がしたけれど、とシロクマを探すとシロクマは確かにいた。ペンギンと鹿の仲間に見える何かしらの生き物もいた。縮尺が狂っているようで、それらの大きさの比率に不安を覚える。どことなくうす汚れた感じも曇天の冷たい空気を更に凍てつかせて寒い。
この頃の私は百貨店の売る食品の取り寄せにはまっていて、朝から晩まで百貨店の売る食品のWEBページを眺めていて飽きない。これで時給が発生したらよいのにと思うほどで、誤字脱字なんかもずいぶん見つけているから、真面目に言って百貨店は私を雇うべきではないかしら。そんな具合に食品を買っていたら、Pさんのお金が余ったそうで、正月は贅沢をしようなどと言う。それで、昨日、Pさんがひとりで横浜へ出かけ、職人手作りのかまぼこやら私の好きなえぼしの伊達巻やら買ってきてくれた。今日は確か雑煮に入れる肉と野菜を買うと言っていた気がするのだけれど、犬と犬と私がシロクマ一味の周りをうろついている間に毛蟹を買ってきたのだった。ひねの好物でしょうなどと言って。好物ではあるけれど高嶺の花、好物であるのを忘れるくらい長いこと食べておらず、Pさんの言う贅沢が本当に贅沢に感じられてたじろぐ。アンチョビ入りラー油だとか子持ちししゃもだとかエゾシカのパテだとか私の好む或いは興味を持つものを私が買って、どれほどPさんのお金が余ったというのだろう。
朝食を済ませて出かけたのに蕎麦屋へ行く前にPさんはバターシュガークレープを買ってくれた。クレープにバターと砂糖を塗りつけた飾り気がないけれど一番美味しいと思うクレープで、冷たいベンチに腰かけひと息に食べた。その後、昼食の焼き鳥弁当を買ってもらい、蕎麦屋で年越し蕎麦を受け取って帰った。手洗いうがいのついでに顔を洗うと口の周りが砂糖まみれで、それはクレープの砂糖に違いなく、こんなにもと思う量で、焼き鳥屋と蕎麦屋は砂糖まみれの顔で行ったものと思う。マスクがあってよかった。
焼き鳥弁当を食べ終えると満腹で眠くなり、いつの間にかソファで午睡、同居人の夢を見た。ひたすらほっとして温かかった。目覚めてがっかりすることもなく、夢の温もりが続く。時に学校の先生をお母さんと呼んでしまい恥ずかしかったなどと聞くけれど、私は犬へ同居人の呼び名で話しかけたりする。犬は誤りを正したりせぬけれど、私は違う違うと言って謝る。悪いと思ってと言うよりは、同居人を呼ぶ自分の声にびっくりして何故か謝ってしまう。
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グラタンとミラーボール
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-12-20
Tuesday, 20th December 2022積立預金の通帳が見つからず、どのくらい貯まっているのか或いは貯まっていないのか確かめようがない。70万円くらいあったら素敵なのだけどと思いながら積立預金をしている金融機関へ出向き、「使う予定ができたけれど通帳がない」と言うと残高を教えてくれた。54万円だった。なるべく早く通帳を見つけるようにとの教育的指導を受けたのち、普通預金へ移し替える方法でなら引き出し可能と許しを得た。20万円を残して34万円を下ろして使った。使ってしまった。食べるもの、飲むもの、食べるものを入れるもの、着るもの、履くもの、被るものなんかで使い果たした。それらのいくつかはAmazonで買ったのだけれど、発送の都度、残高がぐんぐん減っていった。自分で頼みながら「わあ、こんなに」などと言い、減っていくのを見ていた。見ていたところで使った金額が減らぬものでもないけれど。とは言え見ていてよかったことはあって、使っていない金額が引かれているのに気付いた。問い合わせると先方の誤りとわかり、返金されることとなった。そんな訳でAmazonに二万円くらいの貸しがある。持ち金を使い果たしながら、Apple Watch Ultraも買った。冒険とか旅は無論、身体を動かすことそのものと無縁で、重篤な出不精であるのに。そんな私がなぜ買ったかと言えば、Ultraという名の時計があれば買わずにいられぬと思ってしまったから。Apple Watchに限らず、そうした名の時計があったかしれぬが、私が知るのはそれだけだった。だからと言って直ぐに飛びついた訳でなく、ひと月くらいは迷ったり、迷ったフリをしたり、auへキャンペーンについて問い合わせるなどして気が変わらず、それならと買うことに決めた。auへはチャットで問い合わせたのだけど、「キャンペーンを見込んで買おうと思うのですけどXXですか?」と問うと「キャンペーンを見込んで買おうと思うけどXXかどうかというお問い合せですね?」と聞いてきて、そのような鸚鵡返しにも程があるのではと思うやり取りを何度も繰り返さねばならず、真綿で手首を絞められるくらいの苦労はしたのであった。腕時計なだけに。それで、どんな具合かと言うと、とてもよいのですねこれが。眠っているときどうだったとか、嬉しかったことを思い出せとか、息を吸えとか吐けとか、立ち上がれとか眠る時間だとか、あれこれ言ってきて、親身な家..
愚
hinemosu-bomb
2022-12-20T23:52:20+09:00
積立預金の通帳が見つからず、どのくらい貯まっているのか或いは貯まっていないのか確かめようがない。70万円くらいあったら素敵なのだけどと思いながら積立預金をしている金融機関へ出向き、「使う予定ができたけれど通帳がない」と言うと残高を教えてくれた。54万円だった。なるべく早く通帳を見つけるようにとの教育的指導を受けたのち、普通預金へ移し替える方法でなら引き出し可能と許しを得た。20万円を残して34万円を下ろして使った。使ってしまった。食べるもの、飲むもの、食べるものを入れるもの、着るもの、履くもの、被るものなんかで使い果たした。それらのいくつかはAmazonで買ったのだけれど、発送の都度、残高がぐんぐん減っていった。自分で頼みながら「わあ、こんなに」などと言い、減っていくのを見ていた。見ていたところで使った金額が減らぬものでもないけれど。とは言え見ていてよかったことはあって、使っていない金額が引かれているのに気付いた。問い合わせると先方の誤りとわかり、返金されることとなった。そんな訳でAmazonに二万円くらいの貸しがある。
持ち金を使い果たしながら、Apple Watch Ultraも買った。冒険とか旅は無論、身体を動かすことそのものと無縁で、重篤な出不精であるのに。そんな私がなぜ買ったかと言えば、Ultraという名の時計があれば買わずにいられぬと思ってしまったから。Apple Watchに限らず、そうした名の時計があったかしれぬが、私が知るのはそれだけだった。だからと言って直ぐに飛びついた訳でなく、ひと月くらいは迷ったり、迷ったフリをしたり、auへキャンペーンについて問い合わせるなどして気が変わらず、それならと買うことに決めた。auへはチャットで問い合わせたのだけど、「キャンペーンを見込んで買おうと思うのですけどXXですか?」と問うと「キャンペーンを見込んで買おうと思うけどXXかどうかというお問い合せですね?」と聞いてきて、そのような鸚鵡返しにも程があるのではと思うやり取りを何度も繰り返さねばならず、真綿で手首を絞められるくらいの苦労はしたのであった。腕時計なだけに。
それで、どんな具合かと言うと、とてもよいのですねこれが。眠っているときどうだったとか、嬉しかったことを思い出せとか、息を吸えとか吐けとか、立ち上がれとか眠る時間だとか、あれこれ言ってきて、親身な家族がいるかのよう。同居人と同居していれば要らないかもしれないけれど、そうでない今はあってよかった。無くてよく生きていた。とすら思えてくるので、山の天辺、海の底、ジャングル、砂漠、底なし沼、どこにいるにしても、孤独なひとには向いている時計なのではないかしら。ぐっすん。そうそう、大好きだった主治医が山登りをするひとで、SUNNTOを愛用していたのだけど、あまりにも似合うことに感心して、Ultraという名の響きとは別に、そういうものへの憧れというのはどこかにあったかも知れない。よって、同じ色のベルトにしてしまった。くふふ。って、どれだけ暢気なのかってお思いかしれませんけれど、買ったり食べたりでもせねばやってらんねーってことがあるのが浮世というもので、私にも私なりの苦難がございます。ご安心を。
それから、偉そうに、ユニクロと無印良品では買い物をしないとか書きましたけれど、普段着や下着を安上がりにするなら避けては暮らせぬと気付きました。エアリズムにヒートテック、スフレヤーンを重ねるような心神耗弱に極めて近いふらふらの情緒でここ数年生きています。お許しください。
それから、まだダラダラと書きたいことはあるのですが、Apple Watch Ultraがそろそろ寝なさいと言ってきたので寝ます。おやすみなさい。
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瓶へ詰めた真夜中の音
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-09-26
Monday, 26th September 2022気付くと九月も終わりかけており、どうして気付いてしまったのかと思う。何にも気付きたくない。というか失神していたい。何も考えたくないし何もしたくない、永眠なら永眠でいいよ、そんな気分。だけれど来年の手帳が売り出され、それらを買い、来年も生きていく備えをしている。2023年も生きていくのか分からないけれど生きていくとしたら、一年の間そばにおく手帳は好みのものであれば使うたび気分よくいられるに違いなく、好みのものが売られているうちに買う必要があった。こうしたことも未来への投資と言えるだろうか。鬼が笑う話に過ぎぬだろうか。大晦日は正午前に行きつけの蕎麦屋へ出かけ年越し蕎麦をさっさと食べてしまい、夕飯にはえぼしの伊達巻を切るやら北九州から届く丸い餅を焼くやらというのが同居人との決まりごとであった。同居人とそうしたならわしをしなくなって、Pさんと別の蕎麦屋へ行くようになった。2019年がどうだったか忘れたけれど、2020年と2021年は蕎麦屋で蕎麦と蕎麦つゆと天麩羅を買って帰り、夕飯に茹でた蕎麦を食べた。2020年は自宅で自身で茹でた蕎麦を、2021年にはPさんのところでPさんの茹でた蕎麦を食べた。大晦日であってもPさんは当たり前にPさんで、蕎麦の支度をしながら何度も溜め息を吐いたり、目や耳にする人類の殆どに文句を言う舌打ちするなどして、Pさんの台所で暮らす私は身の置き場がない遣る瀬なさを覚えた。背を向けて台所へ立つPさんの罵詈雑言がどこへ向けてのものか、彼女を怒らせているのが私なのか私は関係ないのかすらよくわからなかった。わからないけれど緊張で身体が固まり呼吸は浅く小刻みになって苦しく、そこへいることに限界を感じた。出来るだけ感じよく何でもないことのように自宅へ帰りたい旨申し出てみるとビッグバン、Pさんは泣き叫んで怒った。「いつも大事なときに大事なことを台無しにする」と般若がスローモーションで百面相しているような、ひとコマひとコマに怨念のこもるコマ送りの顔で言うのである。過去の行き違いやなんかもあれこれ並べ立てて。であれば別々に過ごすとお互いにハッピーではと思うのだけど、それは冷酷非道で血も涙もない私だから思いつくことで、家族思いのPさんはそのようなことはしないと言うのだった。それからmuseは全然才能がないし、ひねには繊細な味覚がなく料理が下手で、常識がなく、思いやり..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2022-09-26T17:00:41+09:00
気付くと九月も終わりかけており、どうして気付いてしまったのかと思う。何にも気付きたくない。というか失神していたい。何も考えたくないし何もしたくない、永眠なら永眠でいいよ、そんな気分。だけれど来年の手帳が売り出され、それらを買い、来年も生きていく備えをしている。2023年も生きていくのか分からないけれど生きていくとしたら、一年の間そばにおく手帳は好みのものであれば使うたび気分よくいられるに違いなく、好みのものが売られているうちに買う必要があった。こうしたことも未来への投資と言えるだろうか。鬼が笑う話に過ぎぬだろうか。
大晦日は正午前に行きつけの蕎麦屋へ出かけ年越し蕎麦をさっさと食べてしまい、夕飯にはえぼしの伊達巻を切るやら北九州から届く丸い餅を焼くやらというのが同居人との決まりごとであった。同居人とそうしたならわしをしなくなって、Pさんと別の蕎麦屋へ行くようになった。2019年がどうだったか忘れたけれど、2020年と2021年は蕎麦屋で蕎麦と蕎麦つゆと天麩羅を買って帰り、夕飯に茹でた蕎麦を食べた。2020年は自宅で自身で茹でた蕎麦を、2021年にはPさんのところでPさんの茹でた蕎麦を食べた。
大晦日であってもPさんは当たり前にPさんで、蕎麦の支度をしながら何度も溜め息を吐いたり、目や耳にする人類の殆どに文句を言う舌打ちするなどして、Pさんの台所で暮らす私は身の置き場がない遣る瀬なさを覚えた。背を向けて台所へ立つPさんの罵詈雑言がどこへ向けてのものか、彼女を怒らせているのが私なのか私は関係ないのかすらよくわからなかった。わからないけれど緊張で身体が固まり呼吸は浅く小刻みになって苦しく、そこへいることに限界を感じた。出来るだけ感じよく何でもないことのように自宅へ帰りたい旨申し出てみるとビッグバン、Pさんは泣き叫んで怒った。「いつも大事なときに大事なことを台無しにする」と般若がスローモーションで百面相しているような、ひとコマひとコマに怨念のこもるコマ送りの顔で言うのである。過去の行き違いやなんかもあれこれ並べ立てて。
であれば別々に過ごすとお互いにハッピーではと思うのだけど、それは冷酷非道で血も涙もない私だから思いつくことで、家族思いのPさんはそのようなことはしないと言うのだった。それからmuseは全然才能がないし、ひねには繊細な味覚がなく料理が下手で、常識がなく、思いやりがなく、将来設計がダメダメで、Pさんの猫を可愛がらずと続いた。私は私で、絶望的に絶望する最中それに乗じるように一緒に住まなくちゃと言われて嫌だったとか、楽しく過ごしたいのに愚痴と舌打ちの連続で気持ちが少しも休まらないと言い返しながら処方薬を大量に掌へ載せたりして(私は混乱する気持ちを頓服で鎮めたい一心なのだけど、Pさんには銃口を自身のこめかみに向け死んでやる的な脅しに見えて)、タチの悪い喧嘩になった。途中から、私が私の家へ帰るのは却下なのでしょう、早いこと終わりにならないかしら、しつこいわねと心のうちで思いつつ嵐が去るのを待つ感じになって、Pさんの大事が年越し蕎麦を食べつつ推しの出る紅白歌合戦を見ることだったのが少し面白かった。そうした考えを馬鹿にする訳でなく、私がいなくても充分に成立する話で。蕎麦は別々の部屋でそれぞれ食べるので。
Pさんはあまり大きくない鍋にあまり多くない湯を沸かして蕎麦を茹でて、思いやりから私の蕎麦もそこで一緒に茹でられ、ぶつぶつ短く切れてふにゃりと膨らんだ不細工な仕上がり、もう蕎麦とは呼べぬ何かとなって差し出された。不味かった。「蕎麦は大きな鍋に大量の湯を沸かしさっと茹でるのが肝心です」とPさんに私見を述べた。大抵誤りのない蕎麦の茹で方で、反論はなく、ごめんねと受け入れられた。蕎麦は散々だったけれど言いたい放題言ってスッキリした感じはあってビッグバンは真の忘年会だったかもしれない。
とは言え、私を傷つけるために、museに才能がないなんて言うのはどうかと思う。音楽なんかは合う合わないの話で、何を高く評価するかはひとそれぞれ、正解などない。それを好むと言うひとにそんなものはと貶すのは野暮で自分本位が過ぎるというもの。
そして少し前にファイナンシャルプランナーが出ているテレビ番組を見たのだけど、そのプランナーに相談してきた家族に限って言えば、定年前に住宅ローンを終わらせる計画は殆どなく、総数が何組か分からないけれどそのうちひと組ふた組と滅多にないそうで、大抵70歳から75歳まで払い続けるという話だった。で、同居人と私は定年前に払い終えるよう計画し、計画通り進めてきたのだ。欲しいものしたいことを、ときに諦めるなどして。将来設計がダメダメと言うけれど誰にも迷惑をかけていないのではと思う。
アルバイトはどこも土曜日と日曜日は働かないという条件を出して採用されていたのだけれど、引っ越し屋の電話係のとき途中で主任が変わり、土日のシフトに組み込まれることがあった。日曜日も仕事になったと同居人に言うと「どうして働くことにしたんだっけ」と聞かれて「暮らしを豊かにするためって言ったかな」と答えた。すると同居人は「そう言ってたよ」と頷いて「豊かな暮らしというのは食卓に果物を並べることじゃないよ」と言い、「そうなの?」と訊ねる私に「休日を家族で過ごせなくちゃ意味がないでしょう」と続けた。そうなのかと心のうちで思って、大切にされているように思って、嬉しかった。次の出勤時、土日は働かない約束ですと主任に伝えた。元々伝えるつもりでいたけれど確たる信念をもって伝えた。
過日、ガス屋から電話があった。来月中には便器の交換が叶いそうで、犬と犬と私が正々堂々帰宅する日は近い。
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猫神家の一族
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-09-10
Saturday, 10th September 2022年が明けて14日めの朝、猫を獣医へ連れて行くよう、Pさんに頼まれた。Pさんは出勤せねばならず、猫は数日軟便が続いていた。Pさんの猫はPさんによる身の回りの世話も、クッションやベッドなどの貢ぎ物も、抱いたり撫でたりのスキンシップも拒みがち、他人行儀なところがあるそれはそれは気難しいお嬢様で、Pさんは手入れのたびシャアッと脅されたりあちこち噛まれたりしており、私などはごはんを出したり飲み水を換えるくらいが精々、Pさんから留守中に愛でろ撫でろと言われているので時々撫でるけれど喜ぶ様子はなく、猫も私も動きが不自然で視線が定まらず気まずい。野性味がある分、白犬茶犬とは比べようもなく敏捷で、私が獣医へ連れて行くとしたらケージに入れておいてくれないと難しいと前々から伝えていた。それで正月14日の朝、ケージに入っているから獣医へと頼まれた。7時半頃のことだった。診察が始まるのが8時半なので8時前後に出かければよい。猫入りケージをクルマで運び、あとは獣医任せ、余裕だなと思った。そろそろ参りましょうかと二階へ行くとケージは空で、蓋がぱっかり虚しく開いている。え?何?どういうこと?と慌てる私の前を優雅に歩くPさんの猫。咄嗟に胴を掴むと簡単に捕まえることが出来た。心配ご無用。猫の胴、左右の脇を左右の手で押さえ、引っ掻かれず咬まれず瞬時にケージへ戻してみせましょう、そう思った。けれど、爪。猫はYの形に床へしがみ付き、両手の爪を絨毯へめり込ませている。力任せに引く訳にはいかない。爪の絡まりを解こうと掴む手を前方へ動かそうとした瞬間、猫がスッと首を回して鋭い歯を私の左手に食い込ませるのだった。そんな角度に曲がるのとか、いきなり噛むんだという驚きで手を放してしまった。手の甲、人差し指の付け根、大の月の膨らみの辺りにふたつ犬歯の跡がついた。歯形の小さな穴から血が出たけれど、予期せぬ展開への動揺が大きく、痛みは感じなかった。白犬茶犬の喧嘩を仲裁して、或いは呼び鈴に興奮する両犬に突進されるなどして、噛まれるというよりは歯が思い切り当たるというような事例は幾たびかあって、腕や足に結構立派な青痣ができるのだけど、それに比べると何ということもない感じで、お嬢様はやはりお嬢様なのだわと思うのだった。しかし。どうにかして猫を捕まえ病院へ連れて行かねば。そう思うも猫は寝台下の奥の奥、手の届かぬところへ身を..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2022-09-10T13:53:53+09:00
年が明けて14日めの朝、猫を獣医へ連れて行くよう、Pさんに頼まれた。Pさんは出勤せねばならず、猫は数日軟便が続いていた。Pさんの猫はPさんによる身の回りの世話も、クッションやベッドなどの貢ぎ物も、抱いたり撫でたりのスキンシップも拒みがち、他人行儀なところがあるそれはそれは気難しいお嬢様で、Pさんは手入れのたびシャアッと脅されたりあちこち噛まれたりしており、私などはごはんを出したり飲み水を換えるくらいが精々、Pさんから留守中に愛でろ撫でろと言われているので時々撫でるけれど喜ぶ様子はなく、猫も私も動きが不自然で視線が定まらず気まずい。野性味がある分、白犬茶犬とは比べようもなく敏捷で、私が獣医へ連れて行くとしたらケージに入れておいてくれないと難しいと前々から伝えていた。それで正月14日の朝、ケージに入っているから獣医へと頼まれた。7時半頃のことだった。診察が始まるのが8時半なので8時前後に出かければよい。猫入りケージをクルマで運び、あとは獣医任せ、余裕だなと思った。
そろそろ参りましょうかと二階へ行くとケージは空で、蓋がぱっかり虚しく開いている。え?何?どういうこと?と慌てる私の前を優雅に歩くPさんの猫。咄嗟に胴を掴むと簡単に捕まえることが出来た。心配ご無用。猫の胴、左右の脇を左右の手で押さえ、引っ掻かれず咬まれず瞬時にケージへ戻してみせましょう、そう思った。けれど、爪。猫はYの形に床へしがみ付き、両手の爪を絨毯へめり込ませている。力任せに引く訳にはいかない。爪の絡まりを解こうと掴む手を前方へ動かそうとした瞬間、猫がスッと首を回して鋭い歯を私の左手に食い込ませるのだった。そんな角度に曲がるのとか、いきなり噛むんだという驚きで手を放してしまった。手の甲、人差し指の付け根、大の月の膨らみの辺りにふたつ犬歯の跡がついた。歯形の小さな穴から血が出たけれど、予期せぬ展開への動揺が大きく、痛みは感じなかった。白犬茶犬の喧嘩を仲裁して、或いは呼び鈴に興奮する両犬に突進されるなどして、噛まれるというよりは歯が思い切り当たるというような事例は幾たびかあって、腕や足に結構立派な青痣ができるのだけど、それに比べると何ということもない感じで、お嬢様はやはりお嬢様なのだわと思うのだった。しかし。
どうにかして猫を捕まえ病院へ連れて行かねば。そう思うも猫は寝台下の奥の奥、手の届かぬところへ身を隠してしまった。困り果てていると突然、噛まれた左手が痛み始めた。ずきーんずきーんとのんびり痛み出したかと思うと次第に忙しなくなってきて、ずきんずきんずきんずきん絶え間なく痛みが走る。それに合わせるように痛みは強まり、どんどん腫れてきた。下げていては耐えられず、用もないのに左手を上げていなくてはならない。ちょっと近年稀に見る痛みじゃない、これ。と他人事のように言って自分で自分を誤魔化そうとしたけれど誤魔化しきれぬ痛みだった。それで動物病院行きを諦め、「ケージを抜け出しており捕獲に失敗、病院へは連れて行かれそうにない」と左手を上げたままの間抜け且つ疲れる体勢でPさんに連絡した。「追伸、猫に噛まれました」など。Pさんからは了承とともに「どうしてケージにいないの?」と返信があり、それを聞きたいのは私ですけど、と思った。
仕事を終えて帰宅したPさんに左手を見せるとこれは大変ということになって翌日医者へ行くものと決まる。翌日は午前中に私の普段の通院、午後は犬と犬のグルウミングの予定があった。それでグルウミングの待ち時間に左手を診てもらおうとグルウミング店のある駅ビル近くで見つけたクリニックに行ってみた。土曜日の昼過ぎ、駅近のクリニックは酷く混んでいた。2階にある入り口から階段を伝って建物の外まで列ができている。他へ行っても似たようなものだろうと、診察を待つ。
医者は放っておいても痛む私の左手をぎゅうぎゅう揉んで腫れの中身を端から傷口に寄せて見せて、日に何度もこうして膿を絞り出すよう言ってから傷口に軟膏を塗り、絆創膏を貼り、破傷風のワクチンを打ち、飲み薬と塗り薬を処方した。揉まれただけ却って痛むくらいで、診てもらったからと言って痛みが和らいだり腫れが引いたりすることはなかった。時間が要るのだろうと思うものの、医者に診せてこんなものかとも思った。打つ手のなさに消沈する。膿の揉み出しに励むも中身が出た分一時的に腫れが小さくなるだけで直ぐ元通りになってしまう。
数日過ぎて何ら変わりなく、腫れと痛みが増している感じさえして、拙宅近くの医者へ行く。そこではどういう猫に噛まれたのか、家猫か野良猫か、家猫なら外に出るかどうか、ワクチンを打っているか否かなどの聞き込みがなされ、猫の口には犬よりよほど菌が多いと教えられ、指の曲がり具合や隣り合う人差し指と中指がくっつかぬ様子も確かめられ、初めの医者より診察っぽさがあった。腫れた部位にナイロンの糸を通して膿を皮膚の外へ導き出す試みが施された。ナイロンの糸では解決せず、後日切開してもらうことになったけれど。処置は台へ寝かされて行われ、ナイロンの糸にしても切開にしても何人かの看護師が取り囲むなどして、医者も看護師も皆真面目な顔で恐縮する。プロフェッショナル感のある動きに魅了され、術前に比して変わったところはほんの微かであるのに、術後の私は改造人間の気分だった。駄目な私が改良されたような気がした。
追加の処置や薬が効き、時間を経て、痛みも腫れも概ね消えた。今となれば、よく見て少しの膨らみと皮膚の変色が分かり、気付くと鈍い痛みや自分の手でないような違和感を覚えるに過ぎない。ケージは蓋にあるダイヤル仕掛けの鍵が、内(囚人)側からも回せるつくりで、猫が開錠できると判り、ファスナーで閉じる背負う形のケージに世代交代した。
Pさんの臍から膿やら血やらが出るようになって暫く経つ。Pさんは悲観して、治療せず死にたいとか手術なんて嫌だとか言って医者へ行かない。案外呆気なく治る可能性も否定できぬと適当な希望的展望を言って医者へ連れ出したのが月曜日9月5日のこと。私が三回目の破傷風のワクチンを打つ医者へふたりで出かけた。ワクチンは予約せずに行って打てるものでなく、次の月曜日を予約して、Pさんのみ受診した。「診察室へ一緒に来て」と言いかけてPさんは「いい大人だから、ひとりでいいや」と言い直した。私はわざとらしく周りを見回して「いい大人、どこ?」と聞いてあげた。
三回目のワクチンと言えばCOVID-19のような感じだけれど、予約したのは破傷風のワクチンで間違いない。三回目のコロナワクチンは春先にモデルナを接種してもらい、腕の痛み、発熱などで少し苦しんだ。破傷風は一回目を一月、二回目を二月に受け、次は半年後くらいにと言われていたものである。Pさんの臍は何かを分泌していては正体を確かめられぬそうで、化膿止めが処方され、臍が大人しくなってから検査することとなった。
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楽園
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-09-07
Wednesday, 7th September 2022先週火曜日のこと。昼間、勤務先のPさんから夕食についての心構えを問われ、何ら準備を始めていないことを伝えると、だったら帰途何か買って帰るとの連絡があった。勤務を終えたPさんはマクドナルドへ寄り、炙り醤油風ダブル肉厚ビーフLLセットをふたつ携えて帰宅した。そして高らかに「仕事が明日から休みになった」と宣言した。勤務先では勤続5年ごとに5日連続で休むことを許されるリフレッシュ休暇なんて名のお約束があり、Pさんはそれにより9/2から9/12まで休む予定だった。休日出勤した日の代休を連ねて。それが、何か知らぬが8/31から休んでよいと上司に言われたと言う。「新社屋への移動があるから、私みたいにうるさいのは邪魔なんじゃない、今日だって掃除なんかさせられて馬鹿らしかったし」と付け加えた。うるさい人間という自覚があったことに少し感心しながら私はマクドナルドの袋を受け取った。それから炙り醤油風ダブル肉厚ビーフを腕白に頬張り、口の周りを炙り醤油風ソースまみれにしつつ、明日からか、急だな、と小さく思った。永年勤続も連休も喜ばしいことだけれど、ただただ目出度いと言うとそれは嘘で、Pさんは何かと私を付き合わせたがるのに当たりが強く、一緒に過ごすと神経か心か見えない何かが摩耗する。泳いでいて息継ぎをしようとすると頭を押さえ込まれる苦しさみたいなものがつきまとう。そうか、二日増えたか。そう思った。当然ながら、私の思いとは無関係にPさんの今年二度目の夏休みは始まるのだ。日々、ピリピリした空気が漂うなか、ほどほどに気を遣いつつ、私はどうにか綱渡りをしている。Pさんの弁当を用意しなくなって曜日の感覚を失い、一昨日は月曜日で何のゴミの日でもなかったのに火曜日と間違えて可燃ゴミを捨てに出たりしたけれど。昨朝、Pさんに「明日から先は雨の予報だから海へ行くよ、45分後に出るけど支度できる?」と聞かれた。行くかどうかは問わずに。気乗りせぬけれど支度はできるので「うん」と答え、犬と犬とPさんと私はPさんの運転するPさんのクルマで海へ出かけた。海岸線まで南下して海沿いの道を西か東へ進む。はじめは西へ向かうつもりだったPさんは「そうしたらひねの好きな薩摩揚げが買えるからよいでしょ」と言うので「薩摩揚げは買わない」と答えた。以前は感激の味わいだったのが、あまり美味しく感じられなくなったというのもあるし、海へ..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2022-09-07T23:29:02+09:00
先週火曜日のこと。昼間、勤務先のPさんから夕食についての心構えを問われ、何ら準備を始めていないことを伝えると、だったら帰途何か買って帰るとの連絡があった。勤務を終えたPさんはマクドナルドへ寄り、炙り醤油風ダブル肉厚ビーフLLセットをふたつ携えて帰宅した。そして高らかに「仕事が明日から休みになった」と宣言した。
勤務先では勤続5年ごとに5日連続で休むことを許されるリフレッシュ休暇なんて名のお約束があり、Pさんはそれにより9/2から9/12まで休む予定だった。休日出勤した日の代休を連ねて。それが、何か知らぬが8/31から休んでよいと上司に言われたと言う。「新社屋への移動があるから、私みたいにうるさいのは邪魔なんじゃない、今日だって掃除なんかさせられて馬鹿らしかったし」と付け加えた。うるさい人間という自覚があったことに少し感心しながら私はマクドナルドの袋を受け取った。それから炙り醤油風ダブル肉厚ビーフを腕白に頬張り、口の周りを炙り醤油風ソースまみれにしつつ、明日からか、急だな、と小さく思った。永年勤続も連休も喜ばしいことだけれど、ただただ目出度いと言うとそれは嘘で、Pさんは何かと私を付き合わせたがるのに当たりが強く、一緒に過ごすと神経か心か見えない何かが摩耗する。泳いでいて息継ぎをしようとすると頭を押さえ込まれる苦しさみたいなものがつきまとう。そうか、二日増えたか。そう思った。当然ながら、私の思いとは無関係にPさんの今年二度目の夏休みは始まるのだ。
日々、ピリピリした空気が漂うなか、ほどほどに気を遣いつつ、私はどうにか綱渡りをしている。Pさんの弁当を用意しなくなって曜日の感覚を失い、一昨日は月曜日で何のゴミの日でもなかったのに火曜日と間違えて可燃ゴミを捨てに出たりしたけれど。
昨朝、Pさんに「明日から先は雨の予報だから海へ行くよ、45分後に出るけど支度できる?」と聞かれた。行くかどうかは問わずに。気乗りせぬけれど支度はできるので「うん」と答え、犬と犬とPさんと私はPさんの運転するPさんのクルマで海へ出かけた。海岸線まで南下して海沿いの道を西か東へ進む。はじめは西へ向かうつもりだったPさんは「そうしたらひねの好きな薩摩揚げが買えるからよいでしょ」と言うので「薩摩揚げは買わない」と答えた。以前は感激の味わいだったのが、あまり美味しく感じられなくなったというのもあるし、海へ行く口実に使われることが嫌だった。寝起きドッキリじゃんか。クルマの助手席で次第に目が覚めてきた私は少し機嫌が悪い。Pさんは、じゃあ東へ向かうと言った。
海沿いの道を東へ走りながらPさんは行き先の候補をいくつか並べたけれど、Pさんの運転で辿り着くことができるか分からなかった。Pさん自身も不安らしく「この辺にひねがよく来ていた駐車場があったよね」と聞いてきて、私は場所を伝えて、そこへクルマを停めた。
クルマから出て直ぐにPさんは「暑い」と言い出す。最高気温32度くらいの予報だから、午前10時ならこんなものでしょうという暑さで、明日から雨続きと知っていて気温は調べなかったのだろうか。歩道橋の向こう、防砂林の先に海があるというのに、発案者が全く乗り気でない。何なのだ。仕方なく私が「砂浜まで行ってみよう」と励ます。犬たちの首に冷水タオルを巻き、白犬をPさんが茶犬を私が抱いて歩く。ようやく砂浜が見えてきた辺りでPさんが「暑い、もう無理」と言って、クルマを降りて5分を経ず、海を少しも味わうことなく降参した。私は景色すら見ないPさんにがっかりしたけれど、代わりに砂浜をほんの少し歩いて、遠くに浮かぶ船や島や近くのサーファーをちらっと眺めて、クルマへ戻るPさんの後を追う。クルマへ戻るとPさんは「ショッピングモールか何かでお昼ごはんを買って帰ろう、さっさと家に帰ろう、暑過ぎる」と澄まして言うのだった。
帰り道、ファミリーレストランの向こうを右折と言ったつもりが手前を右折してしまうなどしたけれど、大して揉めることなくどうにかなった。「この道なら和菓子屋に寄りたい」と言って寄ってもらい、インコの練り切りを買うこともできた。ショッピングモールでは「くたびれたからクルマに居る」とPさんに買い物を任せて、その隙に私は楽器店へ行って陳列されている電子ピアノの鍵盤を叩いてPさんより先にクルマへ戻り、ずっとそこに居た顔をする。Pさんは何も気付かず「無能な店員でやたら時間がかかった」とぶつぶつ言いながら、ずっしり重い天丼を買ってきてくれた。
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陽炎のトイプードル
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-08-29
Monday, 29th August 2022自分で書いた過去の日記を読むと自分で書きながら何を書いているのか解読出来なかったりするけれど、様々なできごとに懸命に向き合おうとしている形跡はうっすら解り、日頃頑張りが足りぬと自嘲しがちながら、そうして否定的に捉えて落ち込む日も、後日見直せば持つ力すべてを注ぎ込んだと思えることがあるかもしれない。ブログや日記は自分自身を他人の目で見直すデータとなるかもしれない。そう思った。思ったようにならずとも備忘録として充分役立つ。ドッグフードがどのくらい持つとか、犬の給水器のフィルターをいつ交換すべきかなど、到底憶えていられぬことを思い出させてくれる。憶えていたことを整理することができる気もする。と言って、今年の手帳は空白ばかりなのだけど。白犬と茶犬は昨年全身麻酔にて歯のスケーリング(高圧の水で歯の汚れを取り去る処置)を受けた。白犬は抜歯せねばならない歯が数本あって、術後は常に舌が少し出ている顔になった。犬は基本丸飲みするので多少歯を抜いても大丈夫と獣医は言ったけれど白犬は魚の干したものなんかを齧るのが好きで、抜歯に至ってしまいどうにも申し訳ない。干し魚をこれまでと変わらず嬉しそうにガリガリ噛んでくれるのが救いである。また抜歯が元でありながら四六時中舌を出し放す白犬の顔は底抜けに愛らしい。転んでもただでは起きない。誰が転んで誰が起き上がったのか知らぬが。茶犬は歯を磨かせるのが割と上手だったためか一本も抜かずに済んだ。その後、これまで使ってきたどの歯ブラシより磨きやすい歯ブラシが見つかり、日々歯磨きに励んでいる。歯ブラシはトリマーさんに教えてもらった歯ブラシで、トリマーさんのペットショップでは六百円くらいで売られているけれどAmazonでは大抵三百円ちょっとなので、そちらで買ってしまっている。ペットショップにはいつからか他店から移ってきたらしいトリマーさんがいて、そのひとは店のルールを完璧に守りたいらしく、ショップ全体に緩さがなくなった。そう頼んだこともないまま白犬の頭はまん丸にカットされ続けて何年か過ぎ「いつも通り」と頼めばまん丸頭になっていたのだけど、そのひとに「いつも通り」とお願いしたら初回時に持ち込んだと思しき年代ものの参考写真を元に仕上げてくれて、少しもいつも通りにならなかった。また、2か月より先の予約は一切できなくなったし、書類や何かも期日ごとに確認される。ギッチギチ..
犬のこと
hinemosu-bomb
2022-08-29T22:37:50+09:00
自分で書いた過去の日記を読むと自分で書きながら何を書いているのか解読出来なかったりするけれど、様々なできごとに懸命に向き合おうとしている形跡はうっすら解り、日頃頑張りが足りぬと自嘲しがちながら、そうして否定的に捉えて落ち込む日も、後日見直せば持つ力すべてを注ぎ込んだと思えることがあるかもしれない。ブログや日記は自分自身を他人の目で見直すデータとなるかもしれない。そう思った。思ったようにならずとも備忘録として充分役立つ。ドッグフードがどのくらい持つとか、犬の給水器のフィルターをいつ交換すべきかなど、到底憶えていられぬことを思い出させてくれる。憶えていたことを整理することができる気もする。と言って、今年の手帳は空白ばかりなのだけど。
白犬と茶犬は昨年全身麻酔にて歯のスケーリング(高圧の水で歯の汚れを取り去る処置)を受けた。白犬は抜歯せねばならない歯が数本あって、術後は常に舌が少し出ている顔になった。犬は基本丸飲みするので多少歯を抜いても大丈夫と獣医は言ったけれど白犬は魚の干したものなんかを齧るのが好きで、抜歯に至ってしまいどうにも申し訳ない。干し魚をこれまでと変わらず嬉しそうにガリガリ噛んでくれるのが救いである。また抜歯が元でありながら四六時中舌を出し放す白犬の顔は底抜けに愛らしい。転んでもただでは起きない。誰が転んで誰が起き上がったのか知らぬが。茶犬は歯を磨かせるのが割と上手だったためか一本も抜かずに済んだ。その後、これまで使ってきたどの歯ブラシより磨きやすい歯ブラシが見つかり、日々歯磨きに励んでいる。歯ブラシはトリマーさんに教えてもらった歯ブラシで、トリマーさんのペットショップでは六百円くらいで売られているけれどAmazonでは大抵三百円ちょっとなので、そちらで買ってしまっている。
ペットショップにはいつからか他店から移ってきたらしいトリマーさんがいて、そのひとは店のルールを完璧に守りたいらしく、ショップ全体に緩さがなくなった。そう頼んだこともないまま白犬の頭はまん丸にカットされ続けて何年か過ぎ「いつも通り」と頼めばまん丸頭になっていたのだけど、そのひとに「いつも通り」とお願いしたら初回時に持ち込んだと思しき年代ものの参考写真を元に仕上げてくれて、少しもいつも通りにならなかった。また、2か月より先の予約は一切できなくなったし、書類や何かも期日ごとに確認される。ギッチギチのガッチガチ。とは言え事務的な整頓が行き届き、予約の空きが直ぐにわかるなど利点がないとは言えない。多分。
気になる白内障は昨年とは診断が変わり、茶犬の右目にだけ少し兆しがあるということだ。注意事項の多い目薬は茶犬の右目だけに使い、他は眼球の表面に傷がつくのを避けるための乾燥を防ぐ目薬になった。白犬は肝臓、茶犬は心臓が健診で引っかかったけれど再検査で治療が必要とまでは言えず様子見となっている。茶犬は六年前から命に関わる病に罹っていて、心臓の不具合が見つかったのは長生きした証と循環器科の獣医に言われた。喜んで良いのかよくわからない。次の金曜日、再診がある。
少し前、Pさんが夏休みだった。Pさんは何だかんだと出かけるのが好きなのだけど遠出もできず、書店やスーパーマーケットや蕎麦屋に行くくらいの夏休みだった。そうした外出に私は漏れなく道連れとなった。ある日どこかから帰って来たとき、見覚えのある人間と犬を見かけた。あれは確か、ムーちゃんとその飼い主だ。ひとの顔をなかなか憶えられないのだけど犬の顔で思い出した。
ムーちゃんは五月上旬ひとりでいるところをPさん宅隣接アパートメントの住人に保護された犬だ。二十代後半くらいの男性らしき住人がゴミを捨てに出たところ、気付くと傍に毛むくじゃらのムーちゃんが佇んでいたらしい。ムーちゃんにはリードが付いていて、これが我々に謎を投げかけた。我々と言うのは住人と住人が初めに相談を持ちかけたハナちゃんという名の犬のいる家のおっさんと、その後どうしたどうしたと集まった暇な人々である。リードが付いているということは散歩の途中だろうか。散歩の途中で犬がいなくなって飼い主はどこで何をしているのか。コンビニエンスストアでちょっとした買い物をしたとして、直ぐに出てくるだろうし、それで犬がいなくなっていたら必死で探す筈、どうなっているのだ云々。
しばらく待ってみても飼い主らしきひとは現れず、洗濯の途中だったと一旦家へ帰る主婦、あそこの家の犬に似ているとその家に向かう自転車乗りなどが出て、住人とおっさんは困り顔なのだった。特に考えがないようなので私は「防災無線で放送してもらえないか役所に聞いたら?駄目なら警察を呼ぶとか」と言った。で、私も一旦Pさん宅に戻り、携帯電話を持ってきた。それで?と住人とおっさんを見ると放送は人間の行方不明にしか使えぬ、警察が来るけど40分かかるとの返答だった。40分と鸚鵡返しをして時間を確かめると九時だった。自転車乗りがあそこの家の犬はご在宅でしたと肩を落とし、洗濯中だった主婦が戻り、新たにクルマで現れるひともいたけれど、犬を探しているらしきひとは全く見当たらない。
十時まで待っても警察は来なかった。私は以前、別の犬を見つけて警察に二回連絡したことがある。割と大きめの大人しい犬だった。初めの電話ではそういう犬がいることを把握しているし、数か月捕獲に動いているけれどなかなか捕まえられずにいるとの話だった。警察官を向かわせるとも言われたけれど本当に来たのかわからない。来たとしても捕まえるのに失敗したのは確かで、何故なら数日後に再び同じ犬を見つけたから。それで、もう一度電話して、今度は警察官が来るまで待った。30分くらいして警察官がふたり来たけれど、ふたりして及び腰、更には食器洗いに使うようなビニル手袋をする有様で捕獲には至らなかった。大きめの犬を数か月追い求めて用意したのがビニル手袋ひとつとは意外性があった。シュールなコントに見えなくもなかった。
そんなことがあったので警察官が来たところで解決するのか疑問だったけれど、他に打つ手も思いつかず、今度は私が警察署へ電話した。今向かっているとか、もう少し時間がかかるとか言って、どのくらいかかるか問うと40分くらいとの返答だった。住人とおっさんに「あと40分だって」と伝えるとふたりして空を仰いだ。他のひとたちも随分かかるわねとかどこから来るのかしらなど、あれこれ言った。ムーちゃんは分け与えられたハナちゃんのフードをモリモリ食べ、水をガブガブ飲み、路傍の草を喰み、雄犬の臀部へまたがり腰を振るなど自由気ままだった。「男の子同士で何してるの!」と大きな声で注意されても気にしない様子だ。
私が電話をしてからまた一時間が経とうとする頃、この辺で一番大きな家に住む地主っぽいひとが通りかかった。そのひとはムーちゃんを見たことがあるそうで、脱走の常習犯だと言い、コムギアパートの一階の犬だよと教えてくれた。ミニチュアダックスを飼うひとがコムギアパートへ出向き、飼い主かどうか聞いてくることになった。警察が来る前に解決しそうで、よかったよかったと安堵の空気が流れた。束の間。ミニチュアダックスのひとがささっと戻って来て、随分後ろに百歳を過ぎているかもしれない感じのひとがゆっくり歩いてくるのが見えた。ミニチュアダックスのひとは「探してなかった、いなくなったことを気にしてなかった」と早口で言った。
百歳のひとが辿り着くときになってやっと警察官がやって来た。それで、今、飼い主が見つかったところだと伝えた。警察官は発見者と飼い主に事情聴取を始めた。百歳のひとは自分の住所を覚えておらず、年齢も曖昧だった。飼い主さえ見つかれば安心と踏んでいたけれど、見つかって尚不安しかなかった。室内を掃除するため玄関先に繋いで置いたら逃げたようだというようなことをモソモソと時間をかけて言った。自分の名を何度か言い直し、犬の名はムーちゃんと答えた。そこまで聞いたところで警察官が「皆さん何の集まりですか」と聞いてきて誰も返事をしなかったので私が「通りすがりの犬好きです」と答えると「解散してください、もう帰って帰って」と追い払われた。何なの、急に。遅れに遅れて来ておいて。まあ、飼い主も見つかったのだからできることもないわね不安しかないけどと思い、白犬と茶犬の待つ部屋へ戻ったのだった。
今年の夏は酷く暑く、犬の散歩の儘ならぬ日が続いた。パン屋へ行くと外犬の暑さ避けに何か無いかと聞かれたりした。屋外というのがもう無茶なのだけど、何もしないよりはと、首に巻く冷水で冷やすタオルがあると提案した。百円ショップでも売られていると思うとか、頻繁に冷水で湿らせると少しは良いかもとか。そんな夏の夏休みの昼間、ムーちゃんと百歳のひとを見かけたのだった。ちょっと幻を見たような気がした。
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ガーベラのエリザベスカラー
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2022-08-21
Sunday, 21st August 2022お久しぶりです。ひねもすです。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はと申せば、冬眠も永眠もせず時々午睡をして夜は夜で寝て、どうにか生きています。大学芋の拵え方を覚えたり、犬の吐瀉物臭のする毛布を洗濯によりレノア臭に変えて物干し竿へぶら下げたり、風呂へ浸かっていると湯船の湯すべてが自ら流した涙のように思えてくる悲しい感じに苛まれたり、オギくんオギくんという音声に小木博明がいると期待したテレビ画面に尾木ママを見たり、そんな具合です。そんな具合ですが、また日記を書きます。書きやがります。読んでください。給湯器が壊れたのは一昨年のことだったと思う。風呂へ入れぬのは不便なのだけど、Pさんが私にPさんの住居で過ごしてよいと言って、お言葉に甘えて不便さを忘れた。それで愚図愚図していて重い重い腰をあげたのが昨秋終わり頃のことで、給湯器を買い替えたいとガス屋へ電話した。ガス屋が見積もりに来たのが12月になってからで、見積書を受け取ったのが二週間後くらい、受け取って直ぐに発注をしたけれど、報道にある通り給湯器は不足しており、交換されたのは5月であった。ただ大人しく待っているには時間があり過ぎた。ガス屋が置いていったチラシをめくるなどするうち、便器も交換したい、そう思いついてしまい、その旨ガス屋に伝えた。便器もご多分に漏れず品不足、こちらは未だ入荷待ちだ。なので涙を溜める湯船はPさん宅の湯船である。そう言えばホームセンターのリフォームコーナーに便器はひとりひとつまでなんて貼り紙を見たわねなんて思いながら。交換したいものの交換が済んだなら犬と犬と私は正々堂々帰宅する算段で、そのときにはPさんも私の家へ来て一緒に暮らすものと思う。入荷待ちの時間はこれからもPさんと暮らす気持ちを固めるための猶予期間と言える。疾うに決心していていいようなものだけれどやはり同居人以外のひととの同居はしなくて済むならしたくないのだった。血のつながりがあるとはいえ、或いはあるからこそ、Pさんとはなかなか気が合わない。例えば先日、Pさんの運転するクルマの助手席にのほほんと収まっていたときのこと。Pさんが自身の左肩あたりを顎で示しながら「肘を上げて」と言った。私は何の疑問も持たずPさんの左肘を掴んで持ち上げたのだけど「違うよ、肘掛けに決まってんじゃん」と言うのだった。左肘が肘掛けに当たり運転しにくいから座席横に格納せよという..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2022-08-21T22:22:00+09:00
お久しぶりです。ひねもすです。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はと申せば、冬眠も永眠もせず時々午睡をして夜は夜で寝て、どうにか生きています。大学芋の拵え方を覚えたり、犬の吐瀉物臭のする毛布を洗濯によりレノア臭に変えて物干し竿へぶら下げたり、風呂へ浸かっていると湯船の湯すべてが自ら流した涙のように思えてくる悲しい感じに苛まれたり、オギくんオギくんという音声に小木博明がいると期待したテレビ画面に尾木ママを見たり、そんな具合です。そんな具合ですが、また日記を書きます。書きやがります。読んでください。
給湯器が壊れたのは一昨年のことだったと思う。風呂へ入れぬのは不便なのだけど、Pさんが私にPさんの住居で過ごしてよいと言って、お言葉に甘えて不便さを忘れた。それで愚図愚図していて重い重い腰をあげたのが昨秋終わり頃のことで、給湯器を買い替えたいとガス屋へ電話した。ガス屋が見積もりに来たのが12月になってからで、見積書を受け取ったのが二週間後くらい、受け取って直ぐに発注をしたけれど、報道にある通り給湯器は不足しており、交換されたのは5月であった。ただ大人しく待っているには時間があり過ぎた。ガス屋が置いていったチラシをめくるなどするうち、便器も交換したい、そう思いついてしまい、その旨ガス屋に伝えた。便器もご多分に漏れず品不足、こちらは未だ入荷待ちだ。なので涙を溜める湯船はPさん宅の湯船である。そう言えばホームセンターのリフォームコーナーに便器はひとりひとつまでなんて貼り紙を見たわねなんて思いながら。
交換したいものの交換が済んだなら犬と犬と私は正々堂々帰宅する算段で、そのときにはPさんも私の家へ来て一緒に暮らすものと思う。入荷待ちの時間はこれからもPさんと暮らす気持ちを固めるための猶予期間と言える。疾うに決心していていいようなものだけれどやはり同居人以外のひととの同居はしなくて済むならしたくないのだった。
血のつながりがあるとはいえ、或いはあるからこそ、Pさんとはなかなか気が合わない。例えば先日、Pさんの運転するクルマの助手席にのほほんと収まっていたときのこと。Pさんが自身の左肩あたりを顎で示しながら「肘を上げて」と言った。私は何の疑問も持たずPさんの左肘を掴んで持ち上げたのだけど「違うよ、肘掛けに決まってんじゃん」と言うのだった。左肘が肘掛けに当たり運転しにくいから座席横に格納せよという指令だったのだ。考えれば他者に肘を持ち上げてもらう理由なんて思いつかないから間違えた私が悪い感じもするけれど、肘掛けを肘と言うからだよ、そもそも。とも思う。で、お互いにそそっかしいわねとか笑い合って終われば忘れてしまえる些細なことなのにPさんは結構きつめに怒ってくるから人生って厳しいなって石ころを蹴りたい気持ちになる。
何年か前に手帳のおまけで手に入れたサイコロがある。サイコロはふたつあって、ひとつには牛や野菜や魚などの食材の絵が描かれていて、もうひとつには煮る焼く揚げるなどの調理方法が書かれている。もらったまま使わずにいたサイコロを気まぐれに振ってみると食材は豚、調理方法はそのまま(=生)が出て、メニューに迷ったときの助けとなるべきサイコロが全く役に立たないことを知る。生の豚肉なんて食べませんよ、あたいは。と、サイコロを再び紅茶の缶へ仕舞い込んだ。さて夕食。Pさんが豚ロースのソテーを出してくれて食べたら生焼けなのだよね、サイコロについて何も伝えていないのに。私は生肉が供されるなんて思いもせぬからロースの切り身にフォークを突き立てて持ち上げがぶりと齧っていて、勢いでひとくち食べてしまってから生と気付いたのだった。Pさんに生だと伝えると食べてないよねと訊かれ、ひとくち食べちゃったと答えて叱られた。割とヒステリックに。大人はそんな食べ方をしないとか何とか。豚肉の生なんて死ぬとか何とか。生で出さなきゃ済む話ですよ、そもそも。と思うだけ思って言わない。大抵毎日そんな感じで、荷が重い。もっとふざけて暮らしたい。
過日、島田雅彦の現代ビジネスへの寄稿文を読んだ。私が思うことに近く、それが的確な言葉で的確に表現されていて少し感動した。全文をコピーして携帯電話のメモ帳へ保存するくらいに。それで島田雅彦の書いたものをこれまで読んだことがなかったのだけれど「パンとサーカス」を買ってみた。この後どうなるのだろうと最後まで興味を持たせ続けるので五百ページを超えるものの一息に読むことができた。では再び読むことがあるか或いは別の作品を読んでみたいかと言うとそうでもない。先のことはわからないけれど。
島田雅彦は安倍元首相の国葬についてTwitterで「政権がカルトと持ちつ持たれつであると世界へ発信することになる」と言っていたと思う。私は事実そういうことのようなのでそれを世界へ発信してもらって構わぬのだけど、国葬に値するようなひとではなかったと思っている。理由は異なるが私も国葬に反対だ。布マスクの配布さえ止めることはできなかったのだから反対してもどうにもならぬだろうけれど反対であると言ってはおきたい。
布マスクなんかはどういう疫病かわからない状況でしたことと言われれば仕方ないと思うこともできるけれど、結果として無駄になったことを悪びれもせず軽口を叩くみたいな態度は受け入れ難い。何事にしてもほんの一瞬も国民に対して誠実であったとは思えない。国葬なんてあり得ない。民主主義とは何なのか、少数意見はいつどこで尊重されるのか。さっぱりわからない。
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明日には明日の明太子フランスパン
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-09-23
Thursday, 23rd September 昨日、町田さんの東山道エンジェル紀行が届いた。お願いしたことながら、ご署名と為書があって嬉しい。サインはお目にかかりいただくから有り難いのではと思ったりもしたけれど、郵送されたからと言って喜びが減るようなことは少しもなかった。町田さんの字で書かれる私の名はとても良い感じで、旧姓など何処へやら、生まれたときからこの名だった気がする。情緒がおかしいのか感激して当たり前か、ちょっと涙ぐんだりしながら、ご署名と為書を見るのだった。暫く読まずにと好きなものを後回しに食べるようなことを考えたけれど夜には読み始めてしまい夜半には読み終えた読書の秋。好きな食べ物は先に食べてしまいがちだ食欲の秋。そんな訳で明日品物を受け取りたいならこの時刻までとアマゾンの示す期限の一分半前に注文を確定させた秋の夜長。書類整理にファイルを頼んだ。昨夜で言う明日は今日なのでファイルは先程受け取った。メレルのジャングルモックこそ欲しい今日この頃。集中力の足りなさで本に没頭し難いのだけれど、読むことをケチらないと決めて楽しくなった。何も見逃さずじっくり読まねばと思うあまり、引き返して読み直すばかりで、いつまでも先に行くことが出来ず、中途で投げ出したりしたけれど、同じ本を何度も読めばよいだけのことだった。一遍に全て逃さずというのが無茶だった。軌道修正出来てよかった。町田さんも読書の会で同じ本を百回読むといいというようなことをおっしゃっていた。これで推定余命二百年が有効利用出来るというもの。とは言え、日々、今日でおしまいとの覚悟で暮らしてはいまするる。ワクチンの書類が届いたとき、打つか打つまいか考えていたら、Pさんが「打つに決まってんじゃん、さっさと予約しといて」と言って、そうなのかーと予約、ファイザーのワクチンを二回打ち終えた。一回目のときは迷いがあって、問診票の納得の上接種を受けるというような項目を空欄にしていた。医師の説明を聞いてから記入したいと係のひとに言うと、全て記入済みでないと受け付け出来ず、受け付けを通らずには医師の説明を受けられぬそうで、どうしようかなと考えていると係のひとが「レ点、入れときますね」と力業で納得済みに書類を整えてしまってくれて、受け付けやら問診やら形式的に流れ作業的にところてんに進み、呆気なく接種を済ませた。況んや二回目をや。予約は概ねすんなりで大した副反応もなく何の苦労もなか..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-09-23T19:38:00+09:00
昨日、町田さんの東山道エンジェル紀行が届いた。お願いしたことながら、ご署名と為書があって嬉しい。サインはお目にかかりいただくから有り難いのではと思ったりもしたけれど、郵送されたからと言って喜びが減るようなことは少しもなかった。町田さんの字で書かれる私の名はとても良い感じで、旧姓など何処へやら、生まれたときからこの名だった気がする。情緒がおかしいのか感激して当たり前か、ちょっと涙ぐんだりしながら、ご署名と為書を見るのだった。暫く読まずにと好きなものを後回しに食べるようなことを考えたけれど夜には読み始めてしまい夜半には読み終えた読書の秋。好きな食べ物は先に食べてしまいがちだ食欲の秋。そんな訳で明日品物を受け取りたいならこの時刻までとアマゾンの示す期限の一分半前に注文を確定させた秋の夜長。書類整理にファイルを頼んだ。昨夜で言う明日は今日なのでファイルは先程受け取った。メレルのジャングルモックこそ欲しい今日この頃。
集中力の足りなさで本に没頭し難いのだけれど、読むことをケチらないと決めて楽しくなった。何も見逃さずじっくり読まねばと思うあまり、引き返して読み直すばかりで、いつまでも先に行くことが出来ず、中途で投げ出したりしたけれど、同じ本を何度も読めばよいだけのことだった。一遍に全て逃さずというのが無茶だった。軌道修正出来てよかった。町田さんも読書の会で同じ本を百回読むといいというようなことをおっしゃっていた。これで推定余命二百年が有効利用出来るというもの。とは言え、日々、今日でおしまいとの覚悟で暮らしてはいまするる。
ワクチンの書類が届いたとき、打つか打つまいか考えていたら、Pさんが「打つに決まってんじゃん、さっさと予約しといて」と言って、そうなのかーと予約、ファイザーのワクチンを二回打ち終えた。一回目のときは迷いがあって、問診票の納得の上接種を受けるというような項目を空欄にしていた。医師の説明を聞いてから記入したいと係のひとに言うと、全て記入済みでないと受け付け出来ず、受け付けを通らずには医師の説明を受けられぬそうで、どうしようかなと考えていると係のひとが「レ点、入れときますね」と力業で納得済みに書類を整えてしまってくれて、受け付けやら問診やら形式的に流れ作業的にところてんに進み、呆気なく接種を済ませた。況んや二回目をや。予約は概ねすんなりで大した副反応もなく何の苦労もなかった。準備してくれた役所や接種してくれた医療関係者の皆様に感謝します。高齢だと副反応が少ないという話もあるけれど、丈夫な身体に生んでくれた両親にも感謝しておきます。
夏から歯医者に通っている。予約の受け具合に相当な工夫があるようで歯科医がひとりきりっぽいのに待ち時間が少ない。そして診察が丁寧、今のところ辛いことが殆どない。歯医者へ行くと身体がガチガチに固まって岩石となるのが常だった私だけれど操り人形くらいにはギクシャク動くことを覚えるリラックスムードで、先月には右上の親知らずをバキボキと抜いてもらって何ともなかった。信頼を寄せつつ、マスクした顔しか見たことがなく、それもじっくり見る訳でなく、人物像には靄がかかる。話す様子から、Pさんは武井壮、私は木下ほうかを軸にしている。声帯がごわついているかもという他共通点が見当たらず、ひとそれぞれ思うことが違うのだった。Pさんは木下ほうかが苦手と言い、歯医者通いに差し障るので悪い印象を刷り込まないでと怒って、私だって武井壮や木下ほうかが得意な訳ではないけれど、って武井壮や木下ほうかが得意って何だよって話だし、密かに※個人の感想ですを胸のうちに表示する。
空き地が区切られたかと思うと地は均され新たな建て売り住宅が次々並ぶ。戸建てが少し増えたからと空がなくなりはせぬけれど空き地は着実に減っている。かつて家庭菜園として貸し出された畑だったところにはパステルピンクの保育園と数軒の建て売り住宅が出来た。保育園と住宅の間には、あと四軒くらいは建てられそうな地面が残っており、1mはあろうかという雑草がボーボー生えていた。家庭菜園の名残りでキャベツっぽいものが菜の花を咲かせたりもした。二週間ほど前、その雑草が刈り取られた。更に家を建てるためか暑さが和らいで草刈りしやすくなってのことか知らない。散歩の犬を待たせて草の匂いの残る地面を眺め、随分見違えることと独語して見つけたのは一本の刈り残し。機械でやっつけながら一本だけ見逃がすとは。と、よく見るとアスパラガスなのだった。ボーボーの雑草のなかにアスパラガス一本となれば見逃がすどころか目敏いというものだけれど食用なのか観賞用か。見つけた日には売り場へ並ぶアスパラガスそのものという長さだったけれど数日のうちに1mくらいになり今では茎が四方八方へクリスマスツリーになるつもりかという具合に伸びている。細く細く頼りなく豆電球のひとつも飾れそうになく、クリスマスまで生きているか案じる危うさでひょろひょろと伸びている。
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部屋猫のそれよりヤワな私の肉球
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-09-22
Wednesday, 22nd September 2021しばしば、同居人を指して兄かと訊かれることがあり、身内ではありますが血のつながりは皆無ですよなどと返答してきた。はじめは全く似ていないのにと思ったものの訊かれ続けるうちに暮らしを共にすると外見が似通うものなのかと思うようになった。食べるものも見聞きするものも殆ど同じで似て不思議ない、似てきたのだろう、そういうことでいいや、そう思っていた。けれど出会って然程経っていない頃の古い写真を見てみるとその段階で割と似ていて拍子抜けした。全く違うので足りぬところを補い合うのに丁度よいような感じがあったが、見た目だけで言えば大差なかった。どちらが美でどちらが獣かなど分け隔てしたことはないけれど野獣と人間くらいの違いはありそうに思っていた。大人になりつつある娘が父親の匂いを嫌うのは近親婚を避けるため組み込まれたプログラムのようなものという話があるけれど、自分に似た人間を選ぶというのは何か意味があるのかないのか。自惚れか自暴自棄か気まぐれか。何にしても私にとって一番と思うひととおもしろおかしく暮らすことになって、私ひとりに限れば幸せな結婚をしたと言える。結婚なんて社会秩序を守るための制度策略でしかないと思ってはいても。そして思うのは策略であってもなくても結婚するなら好きなひととするのがよいだろうということ。別の脳みそを持つひとと過ごすとき、何の苦労もないということは殆どなく、それを和らげるなり何なりしようとしたなら、相手が好きなひとであるほうが好きでない或いは嫌いなひとであるより頑張りが利くように思うし、乗り越えたときの喜びが大きい気がする。好きなひとということで言えば眞子さんは正しい結婚相手を選んだ。生まれがどうあろうと幸せになるのも不幸せになるのも本人の自由である。求婚された訳でもないけれど私なら躊躇するわねと思うのは、太陽に例えられるのを受け入れて相手を月のような存在という物言いで、そう思っていたとして人前で言うのはどうかしら。太陽も月も同等という評価もあるだろうけれど、消えてなくなったときの影響で言えば大きく違うんじゃないかしら。と思ってしまうので、対等ではないと言い切ったように思うひとと仲良くやっていく自信がない。普通の暮らしをしてきたひとが記者会見なんかしたら思ってもいないことを言ってしまうのかもしれないと思いもするけれど、願い下げですわという気持ちのほうが強..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-09-22T15:52:42+09:00
しばしば、同居人を指して兄かと訊かれることがあり、身内ではありますが血のつながりは皆無ですよなどと返答してきた。はじめは全く似ていないのにと思ったものの訊かれ続けるうちに暮らしを共にすると外見が似通うものなのかと思うようになった。食べるものも見聞きするものも殆ど同じで似て不思議ない、似てきたのだろう、そういうことでいいや、そう思っていた。けれど出会って然程経っていない頃の古い写真を見てみるとその段階で割と似ていて拍子抜けした。全く違うので足りぬところを補い合うのに丁度よいような感じがあったが、見た目だけで言えば大差なかった。どちらが美でどちらが獣かなど分け隔てしたことはないけれど野獣と人間くらいの違いはありそうに思っていた。
大人になりつつある娘が父親の匂いを嫌うのは近親婚を避けるため組み込まれたプログラムのようなものという話があるけれど、自分に似た人間を選ぶというのは何か意味があるのかないのか。自惚れか自暴自棄か気まぐれか。何にしても私にとって一番と思うひととおもしろおかしく暮らすことになって、私ひとりに限れば幸せな結婚をしたと言える。結婚なんて社会秩序を守るための制度策略でしかないと思ってはいても。そして思うのは策略であってもなくても結婚するなら好きなひととするのがよいだろうということ。別の脳みそを持つひとと過ごすとき、何の苦労もないということは殆どなく、それを和らげるなり何なりしようとしたなら、相手が好きなひとであるほうが好きでない或いは嫌いなひとであるより頑張りが利くように思うし、乗り越えたときの喜びが大きい気がする。好きなひとということで言えば眞子さんは正しい結婚相手を選んだ。生まれがどうあろうと幸せになるのも不幸せになるのも本人の自由である。
求婚された訳でもないけれど私なら躊躇するわねと思うのは、太陽に例えられるのを受け入れて相手を月のような存在という物言いで、そう思っていたとして人前で言うのはどうかしら。太陽も月も同等という評価もあるだろうけれど、消えてなくなったときの影響で言えば大きく違うんじゃないかしら。と思ってしまうので、対等ではないと言い切ったように思うひとと仲良くやっていく自信がない。普通の暮らしをしてきたひとが記者会見なんかしたら思ってもいないことを言ってしまうのかもしれないと思いもするけれど、願い下げですわという気持ちのほうが強い。誇れるものなどこれと言ってないのにそういうことにはこだわりがあり、同居人について「ご主人」と言われると「主従関係にないのです」と言い張るなどして、ぽかんとされたり恐縮されたり、物事がすんなり進まないことが度々あった。一事が万事そんな私を面倒がらずに支えてくれた同居人を有り難く思う。
呼び名の不自由さは他にもあって、赤の他人にお父さんやらおばあちゃんやら言うのはどうにかならないかしら、名前で呼べばよいのにと思う。本名に限らず、本人の呼ばれたい名前で呼べばよいと思う。それが柿本だろうと人麻呂だろうとティラノザウルスだろうとアラン・スミシーだろうと。私がそう呼ぶよう頼んだことはないけれど、同居人にはみけとかたまとか、ちゃんを付けたり付けなかったりで呼ばれ、それには抗うことなく返答してきた。仕返しでも何でもないけれど私より二十センチは背がある同居人を私はチビと呼んだ。変形としてちーちゃんとか珍味とか。呼ぶひとと呼ばれるひとの間で納得があれば、どう呼んでも構わない。
コンビニエンスストアのアルバイト店員をしたときには胸ポケットに顔写真入りの名札を付けさせられた。姓が半径三十キロ以内に拙宅よりほか存在せぬ感じなので住む家が特定されそうで嫌だった。名札にはミケランジェロと書いて欲しかった。オフィーリアもしくは草枕でもよいけれど。何にしても個人情報の取り扱いとして接客業の名札などはもう少し気遣いがあってよい。付け入られ得る隙は出来るだけ無くしておきたい。
昨年末だったろうか、地域の店を応援する名目で、住民ひとりひとりに三千円分の商品券が配られた。滅多にないことと思い念入りに考え、ハーモニカ屋でギターの弦を換えてもらった。弦と手間賃で三千円丁度で若干の割高感は否めぬものの地域の店を応援するというのはこういうことだと思う。ハーモニカ屋でハーモニカを買わぬ話ではなく、ガツガツ得を求めぬ姿勢のことね。何の努力もせず社会の一員みたいな経済活動をしちゃいました。とヘラヘラ油断していると、滅多にないことと思われた商品券配りが再び行われるのだった。前回は参加しなかった行きつけのパン屋が応援を受ける店に加わったので三千円全てをパンに使おうと思う。
再度配るにあたり追加されたのが独居高齢者への支援で、三千円分の商品券とは別に千円分の商品券をあげるというもの。三千円の商品券は額面500円が六枚綴りなのだけど独居高齢者に配る千円は200円が五枚で、ご丁寧に色も変えてあるらしい。少額の買い物に小刻みに使えて他の商品券と間違えにくいという利点はあるものの不用心だ。応援を受ける店を出入りするひと皆が皆、安定した経済状態で安定した心持ちとは限らず、ひとり住まいとわかる目印をやり取りさせるのは暢気な役所仕事に思う。日々、防災スピーカーで特殊詐欺云々と放送していますよね。と両腕を掴んで揺らし目覚めさせたい。罪を犯そうとするとき、それはそれみたいな見過ごしや配慮などないと思う。分別を失うから犯罪に走るのでしょうと思う。
Pさんは洗濯物を都度洗濯槽に入れていき一回分とおぼしき嵩に増した頃合いで洗うひとで、私は洗濯かごに入れておいて一緒に洗えるものを選り分けるタイプのアライグマなのだけれど、Pさんの家で暮らしている今は郷に従う。故に洗い終えた洗濯物を干していて、わ!わ!わわわ!となることが少なからずある。マスク(ユニクロのエアリズムマスク)がバラでバラバラ出てくるのは当たり前、ハンカチやタオルに便座カバーが紛れ、時にはスリッパも一緒なんですの。洗い終えたならキレイと考えればアリなのでしょうけれど、闇鍋過ぎではないかしら。悉く、別の脳みそを持つひとだなあと思う。私はひとりなのだなあと思う。珍味、カムバック。
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幻想を完璧な現実にすり替える
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-09-20
Monday, 20th September 2021八月最後の木曜日に隣町の農産物直売所で買ったバラの花は私の経験における最短記録で儚く萎れた。昼に冷水と延命剤を使って花瓶へ入れながら夕方にはくったり萎れて虚しかった。酷い暑さに直帰せねばと思いつつハーゲンダッツクリスピーアーモンドバターサンドを探してローソンを四軒はしごしたのがよくなかったかもしれない。四軒回ってどこにもアーモンドバターサンドは売られていなかった。九月も後半となって何をという話だけれど。その前の木曜日にも隣町の農産物直売所へ切り花を買いに出かけている。道の両脇の木々が伸ばす枝々のふさふさの葉に覆われた緑色のトンネルのような坂を通るのだけど、帰途、緑色の葉と緑色の帽子を被る緑色のどんぐりの付いた小枝がフロントガラスに落ちてきた。葉もどんぐりも小枝も朽ちた感じがまるでなく落ちるには全く早い気がして、それにしても私は若死にさせるのが得意だよねと一瞬のうちに思う。雨男だとか晴れ女だとか自称するひとを自分の能力を高く見積もり過ぎでは、自然のなす業ですよねと白い目で見てきたのに。風か何かの仕業でしょうと客観的な考えも頭のどこかに微かにあるものの。土曜日は通院の日で、Pさんの運転するPさんのクルマで連れて行ってもらう話になっていたけれど七時半になってもPさんは起きて来ず、ひとりで行ってみますと書き置き、私の運転する私のクルマでひとりで出かけて自由だった。カウンセリングでどんぐりの話をして、何かが起こり自分が悪いと思ったときにはそれが正当な評価か考えてみましょうとの導きを得た。カウンセリングは今年の三月で終えることになっていたけれど情状酌量で何回めかの一年延長をされており、次の三月こそ正真正銘おしまいなので、よくない癖は改めたい。改めるのが難しいなら考え方に癖のあることを自覚しておきたい。全か無か極端なところと自分はこうあるべきという頑なさは変えていきたい。カウンセリングの先生は先生と呼んでも医師でなく、主治医は別にいる。四月に変わった主治医は先月今月と都合が合わず、代理の医者と面談、薬を出してもらった。三か月も主治医に会わないなんてことはこれまでなかったけれど、前の前の主治医のように心の拠り所という訳でもなく、気持ちの沈み具合やパニック発作に困ってはいても主治医に診てもらえないからと不安にはならない。これが医者と患者の適切な距離感なのかもしれない。医者の待合..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-09-20T23:15:11+09:00
八月最後の木曜日に隣町の農産物直売所で買ったバラの花は私の経験における最短記録で儚く萎れた。昼に冷水と延命剤を使って花瓶へ入れながら夕方にはくったり萎れて虚しかった。酷い暑さに直帰せねばと思いつつハーゲンダッツクリスピーアーモンドバターサンドを探してローソンを四軒はしごしたのがよくなかったかもしれない。四軒回ってどこにもアーモンドバターサンドは売られていなかった。九月も後半となって何をという話だけれど。
その前の木曜日にも隣町の農産物直売所へ切り花を買いに出かけている。道の両脇の木々が伸ばす枝々のふさふさの葉に覆われた緑色のトンネルのような坂を通るのだけど、帰途、緑色の葉と緑色の帽子を被る緑色のどんぐりの付いた小枝がフロントガラスに落ちてきた。葉もどんぐりも小枝も朽ちた感じがまるでなく落ちるには全く早い気がして、それにしても私は若死にさせるのが得意だよねと一瞬のうちに思う。雨男だとか晴れ女だとか自称するひとを自分の能力を高く見積もり過ぎでは、自然のなす業ですよねと白い目で見てきたのに。風か何かの仕業でしょうと客観的な考えも頭のどこかに微かにあるものの。
土曜日は通院の日で、Pさんの運転するPさんのクルマで連れて行ってもらう話になっていたけれど七時半になってもPさんは起きて来ず、ひとりで行ってみますと書き置き、私の運転する私のクルマでひとりで出かけて自由だった。カウンセリングでどんぐりの話をして、何かが起こり自分が悪いと思ったときにはそれが正当な評価か考えてみましょうとの導きを得た。カウンセリングは今年の三月で終えることになっていたけれど情状酌量で何回めかの一年延長をされており、次の三月こそ正真正銘おしまいなので、よくない癖は改めたい。改めるのが難しいなら考え方に癖のあることを自覚しておきたい。全か無か極端なところと自分はこうあるべきという頑なさは変えていきたい。
カウンセリングの先生は先生と呼んでも医師でなく、主治医は別にいる。四月に変わった主治医は先月今月と都合が合わず、代理の医者と面談、薬を出してもらった。三か月も主治医に会わないなんてことはこれまでなかったけれど、前の前の主治医のように心の拠り所という訳でもなく、気持ちの沈み具合やパニック発作に困ってはいても主治医に診てもらえないからと不安にはならない。これが医者と患者の適切な距離感なのかもしれない。
医者の待合室でPさんから、お金は払うので何かしら昼食を買って帰ってはくれまいかという連絡を受け、花を買いに農産物直売所へ寄りますと返答した。農産物直売所には時にキッチンカーが来て、そこで売られる何とかライスをPさんが好んで食べるのを私は知っていた。薬局で薬をもらってから農産物直売所へ寄ると件のキッチンカーが来ており、何とかライスを大盛りでとか普通盛りをひとつとか頼んで3450円請求され、これを払った。作ってもらう間に野菜と花を買い、キッチンカーへ戻り昼食を受け取った。花は仏壇に供えそうなものばかりで、バラやガーベラがひとつもなかった。染色されたらしい気の触れた色合いの菊なんて誰が買うのかしらと心のうちで貶して、真ん中が赤く縁取りが白いスプレーカーネーションとカスミソウが束ねられたものを選ぶ。
帰途、それにしてもと思うのは現金のことで、医者へ行くのに持参したのは4500円だった。受診料と薬代なら足りる筈で、花はauPay払いするつもりであった。キッチンカーと病院の駐車場は現金しか使えず受診料と薬代をクレジットカードや何かで清算して駐車場へ三百円払い残金4200円で出向いたキッチンカーへ注文して3450円、ギリギリ足りましたよねと思う。そう思ってやっと昼食代にしては高過ぎではと思い至り、助手席へ置いた昼食の箱数を数え冷静に勘定して、多くても2800円にしかならないと気付いて信号待ちのクルマの中で頭を抱えた。
行く道も戻る道も混んでおり、キッチンカーはレシートを出さぬ店で、温かいうちに食べるから美味しいと思うメニューでもあって、払い過ぎたと思うので確かめてと言いに戻る気持ちにならなかった。小梅太夫のようにちっくしょーと言ったところで気の晴れる気がせず無言でモヤモヤしつつ、空いてきた国道をスイスイ走って帰った。事情を話すとPさんはどんぶり勘定なので構わぬ、自分なら一切気付かなかったであろうと言って彼女の財布にある細かいお金全てである3370円をくれた。少し遠慮したものの、ありがとうございますと頭を下げ、差し出されたお金を私の財布へしまった。これは頑なさを抑えたのではなく、一か月を十万円で暮らしたいからで、どこからか月に十万円が届くのだけど十万円より使ってしまうと貯金を下ろさなくてはならず、貯金が減るのは嫌だなあという都合のよい話なのだった。とは言っても私ひとりなら米飯に塩を振って海苔を巻くというようなもので事足りており、お金を受け取る理由がないとまでは言えぬのである。
Pさんが起きて来なかったのは午前三時過ぎまで起きていたからで、そんな時間まで何をしていたかと言えば、携帯電話の機種変更をしていたのだった。これまでのPさんの携帯電話は通話もテキストも翌日或いは翌翌日に気付くという具合で電話として意味が無かった。通常の電話と変わらず瞬時に届いてはいるものの着信を知らせる機能が芳しくないらしかった。であれば、ちょくちょく確かめれば良さそうなものだけど、そういう工夫はPさんに装備されていない。金曜日の昼にPさんから帰りに買い物をするけれど何か要るかと問われ、亀田製菓の技のこだ割りが欲しいとテキストを返してPさんは手ぶらで帰宅、先の待合室への連絡で金曜日のこだ割りに気付かなかったと言ってきており文明的でない。機種変更で改善されればと思う。
日曜日、冷蔵庫には食べ物が沢山あるけれどPさんが足りないものがあると言うので安売りスーパーマーケットへ出かけた。堅あげポテトチップスとハーゲンダッツクリスピーアーモンドバターサンドと羊羮を買って1500円くらいを現金で払った。100円ショップに柿の種サンダーがあったので一箱とジャンドゥーヤサンダーとナッツのサンダーをバラでいくつか買い、クレジットカードで756円を払う。不要不急で買い物へ出るとこういうこと(必需品以外のバカ買い)になる。
10%オフクーポンがあったのでロフトで手帳を買いもした。1500円をポイントで払い、残りの4143円をクレジットカードで払った。手帳は持ち歩くものと家で使うものの二冊で、家で使うものは一昨年辺りのカバーを転用するつもりで本体のみ購入、持ち歩き用は大抵濃い青を選んできたけれど、明るい青にしてみた。染色で気の触れた菊の色に似ている。二冊とも来年の手帳で、私はどうやら2022年も生き残る気でいるらしい。冷静に勘定して多分あと二百年くらいは生きるんじゃないかな。禁固刑だか懲役だかお気楽な余生だか知らないけれど。
鰻丼を断った私にPさんが買ってくれた牡蠣ごはんを昼食に、甘いものはと問われ小枝のシュークリームと答えた私にPさんが買ってくれた栗の入ったプリンタルトをおやつに、それぞれ食べた。美味しかった。会話のすれ違っている感じは置いておいて。
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へりつにくこしにとつてへと
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-07-06
Tuesday, 6th July 2021金曜日の夕方、YouTubeでMorrisseyのSuedeheadを見た。1988年頃から歌うそれは、ソロになってからの代表曲だと思う。ライヴではステージに上がりMorrisseyに抱きつく客がいて、The Smithsのときから近年に至るまで、映像として残っているものだけでも少なくなく、Morrisseyがステージに立てば客は抱きつくものと決まっている感さえある。そういう見慣れた場面だけれど、これは、と思う抱擁があり、その客の心底満たされた様子に何か胸を鷲掴むものがあって、私は不意に泣いた。感情の起伏が平板になっていたので少しびっくりしたものの、見知らぬひとの幸せそうなところを見て喜ぶことができるなら悪くない、そう思った。自分ではそれで終わったつもりで、普通に過ごして、普通に寝た。皆が皆Morrisseyを愛するひとと思えば何と言うこともないけれど容易くステージに上がらせ過ぎだ、警備はどうなっているのだと思ったりしながら。土曜日に目が覚めてはじめに思ったのが、あれは同居人と私の抱擁に似ていたということだった。ひととひとが親しみの気持ちを示す仕草など大抵似たようなものに違いない気がするけれど、泣くほど心が動いたのはどこかでそれを感じたからかも知れない。そんなふうに気持ちを伝えていた日々が懐かしく、そうした心をひとつにするような時間が終わりの日にもあったのは、なかったよりは良いのかも知れない。終わりの日そのものがあってはならぬと思う私は、そこに良かったことなど認めようがないけれど。大雨の予報に犬へ留守番を頼み、PさんとふたりでPさんの運転するPさんのクルマで食料品を買いに出かけた。さっさと買ってさっさと帰る話だったけれど、Pさんはいつもながらに時間がかかり、少しもさっさとしなかった。と言って先に買い物を終えた私がクルマで待つだけのことで何の問題もなく、Pさんは私に安売りスーパーマーケットで鰻丼を、とんかつ屋で蟹クリームコロッケを買ってきてくれてもいた。一万四千円使っちゃったなどと言って。私は好きなイチゴジャム2瓶を買いながら4577円なのだった。安売りスーパーマーケットは品揃えが安定せず、明治屋のつぶつぶイチゴジャムが三か月くらい売られず仕方なくアヲハタ55を買っていた。今週になってアヲハタ55は売られず明治屋が帰ってきたのである。無くなると惜しい気はして、明治屋もアヲ..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-07-06T16:05:08+09:00
金曜日の夕方、YouTubeでMorrisseyのSuedeheadを見た。1988年頃から歌うそれは、ソロになってからの代表曲だと思う。ライヴではステージに上がりMorrisseyに抱きつく客がいて、The Smithsのときから近年に至るまで、映像として残っているものだけでも少なくなく、Morrisseyがステージに立てば客は抱きつくものと決まっている感さえある。そういう見慣れた場面だけれど、これは、と思う抱擁があり、その客の心底満たされた様子に何か胸を鷲掴むものがあって、私は不意に泣いた。感情の起伏が平板になっていたので少しびっくりしたものの、見知らぬひとの幸せそうなところを見て喜ぶことができるなら悪くない、そう思った。自分ではそれで終わったつもりで、普通に過ごして、普通に寝た。皆が皆Morrisseyを愛するひとと思えば何と言うこともないけれど容易くステージに上がらせ過ぎだ、警備はどうなっているのだと思ったりしながら。
土曜日に目が覚めてはじめに思ったのが、あれは同居人と私の抱擁に似ていたということだった。ひととひとが親しみの気持ちを示す仕草など大抵似たようなものに違いない気がするけれど、泣くほど心が動いたのはどこかでそれを感じたからかも知れない。そんなふうに気持ちを伝えていた日々が懐かしく、そうした心をひとつにするような時間が終わりの日にもあったのは、なかったよりは良いのかも知れない。終わりの日そのものがあってはならぬと思う私は、そこに良かったことなど認めようがないけれど。
大雨の予報に犬へ留守番を頼み、PさんとふたりでPさんの運転するPさんのクルマで食料品を買いに出かけた。さっさと買ってさっさと帰る話だったけれど、Pさんはいつもながらに時間がかかり、少しもさっさとしなかった。と言って先に買い物を終えた私がクルマで待つだけのことで何の問題もなく、Pさんは私に安売りスーパーマーケットで鰻丼を、とんかつ屋で蟹クリームコロッケを買ってきてくれてもいた。一万四千円使っちゃったなどと言って。私は好きなイチゴジャム2瓶を買いながら4577円なのだった。安売りスーパーマーケットは品揃えが安定せず、明治屋のつぶつぶイチゴジャムが三か月くらい売られず仕方なくアヲハタ55を買っていた。今週になってアヲハタ55は売られず明治屋が帰ってきたのである。無くなると惜しい気はして、明治屋もアヲハタも両方置けばよいと思う。
帰り道、会社での不満を熱中して語るPさんは、後方確認せずに車線を変えようとして、「クルマがいます」という私の声は耳に届かず、事故を起こしかけた。ごめん、本当にごめんと言うのでうんと答えるともう一度、ごめん、本当にごめんと言うので私もまたうんと答えた。すると直ぐに会社での不満に戻った。同僚のやる気のない仕事ぶりに苛立つ気持ちは解るので黙って聞いたら良いのかも知れないけれど、マインドフルネスなんてことが私の頭にあって、事故を起こしかけてもいて、殆どが何回か聞いた話でもあって、「どうにもならないことに目を向けず、そういうひとと諦めてはどうか」と言ってPさんを怒らせた。この場合、そういうひとと諦めなくてはならないのは私だった。そうは言っても、一週間後の歯医者で何が起こるか気に病んだり、雨が降りそう暑くなりそう寒くなりそうと、そうなってから考えてよいようなことも思い悩むなど、Pさんは心配や不満に心を奪われがち、負の気持ちの量産マシンのようで、心配性ならまずは安全運転をと思ってしまう。雨が降りそうだと気にしても降るときは降るけれど、安全運転をしたなら事故を起こす確率が減る筈なので。
安売りスーパーマーケットの鰻丼は養殖鰻の脂っぽさと小骨の多い雑な処理があったものの美味しく食べた。蟹クリームコロッケを鰻丼に添えるかしらと思いながらコロッケも美味しく食べた。そしてPさんの買ったものと私の買ったもので冷蔵庫がぎゅう詰めなので、私が肉を冷凍した。私は冷凍保存袋に肉を薄く平らに入れるのだけど、Pさんは裏返した袋で掴んだままのような拳状で保存する奇怪な派閥に属しており冷凍室が有効利用できない。日付すら書かないこともあって、私が冷凍するに限るのだった。それから犬に買った二週間分の豚のモモ肉と若鶏のムネ肉を圧力鍋で手で解れるまでに加熱、冷めたところを一回分ずつに分け、これも冷凍保存した。冷凍室に隙間なく肉を詰め込んだ。
日曜日は犬のグルウミングの日で、私の運転する私のクルマで出かけた。Pさんも一緒だ。天候を案じるPさんに従いベビーカーに似た手押し車を持参、Pさんは駐車場から駅ビルにある犬の美容院まで手押し車に白犬を乗せて運んだ。複数の犬を乗せてよい造りだけれど、路面の凹凸でガタガタと音がして揺れる手押し車に乗ることができない茶犬は私が抱いて行く。元々Pさんに必要と説かれ買った手押し車で、Pさんが言わなければ使う機会はない。ひとりで白犬茶犬を運ぶときには白犬を手押し車へ茶犬を袋状のスリングへ入れ便利さを知るものと思う。
このところ保湿性があり毛もつれしにくく汚れ落ちもよいというシャンプーコンディショナーを使うオプションを頼んでいたけれど、茶犬の腰の辺りの抜け毛が再び十円ハゲとならぬよう、薬用シャンプーノルバサンとマイクロバブルバスと歯磨きの三つにオプションを変えた。仕上がりは前回と変わらぬふわもこで、会計は計算ミス無しで18260円だった。抜け毛を防ぐ策で前回より二千円くらい安いことになった。だからという訳ではないけれど、先月、九月までの予約をした私は、今回、十二月までの予約を済ませた。無職で出不精の私に忘れてならない用事は他になく、犬のことのみが予定表にある。
犬を待つ間、とんかつ屋で昼食することが多かったけれど、最近は崎陽軒のシウマイ弁当やパン屋のパンを買い、クルマで食べている。駅ビルにはチェーン店で一番美味しいと思うパン屋、ポンパドウルがあるので都合がよい。今回は昼に食べるパンのほか、ラスクと瓦煎餅的な焼き菓子を買い、パンの耳をもらった。パンの耳は食パンの両端、全面に焼き色のあるもので、一番美味しいところを四枚ももらって嬉しい。十枚二百円くらいなら買ってもよいと思っている。
ワンピースと靴下は無印、下着はユニクロで済ませていたものの、経営方針に疑問を持てば買う訳にいかない。貨幣価値の違いで外国に工場を持つのはともかく、正しい雇用でないとしたら見過ごすことはできない。国内の労働者は職を失ったり条件や賃金を抑えられ、外国の労働者も不当に扱うしかないなら、企業を維持する意味はどこにあるのか。あまり多く稼ぐと税金がバカにならぬと聞いており、富は分配してはと無い知恵で考える。手芸が酷く苦手だけれど既に買ってしまったものがボロボロで使えなくなったなら、フェアトレードか何かの布を手に入れてワンピースや下着を拵えようかしら、靴下は編むのかしら。想像すると少し怖い未来に、靴下やパンツなど履かなくてもという逃げ道が既に心の拠り所となりつつある。果たしてワンピースは如何に。
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尼寺へ行け、雨靴で
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-07-02
Friday, 2nd July 2021月初めには犬にフィラリア予防薬をあげる。忘れぬよう一日にあげましょうと獣医に指導されるので日本中の犬の多くが一日に予防薬をもらうのではと思っているけれど確かめてはいない。犬という犬が予防薬を飲み込む図を思い描くだけのこと。フィラリア予防薬はこれまで六月から十二月に飲ませるものだったが、私の通う動物病院では今年、五月からの服用に変わった。温暖化で五月にも蚊が出るためである。気候の変わり具合はこんなところにも遠慮なく影響するのだった。フィラリア予防薬はノミ、ダニ、お腹の寄生虫の駆除もできるオールインワンを謳う薬で、昨年まではビーフ風味で食いつきがよいというネクスガードスペクトラを使っていたけれど、全く食いつかぬので栓なくキリクリームチーズで包んでいて、だったら錠剤でよいと思ってクレデリオプラスに変えた。少し値段が安くて得したような気でいると白犬が体重を増やし2.8kgまで対応の薬なのに2.75kgくらいになっており、浅薄にも今年の分の薬をまとめ買いした私はもう体重が増えませんようにと願うしかなく、ネクスガードスペクトラであれば1.8kgから3.6kgまで対応なので来年は元に戻したい。切実に減らしたいのは私自身の体重であるのは置いておいて。今年の十月で十歳になる犬は徐々に老化していて、晩春辺りにごく初期の白内障との診断を受け、ピレノキシンという点眼液を使い始めた。これは治すのではなく進行を防ぐためのもので、効きめがあれば生涯使い続け、悪化したときには薬を変えるか手術することになるらしい。頼りになるのかそうでないのか判然とせぬ薬ながら、一日三回の点眼ではじめて効果に期待できて、二回では全く何もしないのと同じという癖がある。そして保管時は容器を立てて置かなくてはならず、使用前にはよく振らなくてはならない。犬のためと思えば何と言うこともないけれど効くかあやふやにしては容器を寝かせると駄目になる液体だなんてちょっと生意気な気がする。これも老化ですかと獣医に聞いたのは白犬の毛の変色について。白犬と言っても血統書にはクリームと書かれており、幼い頃には背中に十字の色濃い部分があった。十字はやがて薄れて周りの毛に紛れ、ここ何年かは全体に白っぽく、膝裏など濃いところが部分的にある状態で落ち着いていた。それが今年に入った辺りだろうか、尾の付け根に濃い色が出始め、そこから背にも尾の先へも広がり、今は..
犬のこと
hinemosu-bomb
2021-07-02T10:16:09+09:00
月初めには犬にフィラリア予防薬をあげる。忘れぬよう一日にあげましょうと獣医に指導されるので日本中の犬の多くが一日に予防薬をもらうのではと思っているけれど確かめてはいない。犬という犬が予防薬を飲み込む図を思い描くだけのこと。フィラリア予防薬はこれまで六月から十二月に飲ませるものだったが、私の通う動物病院では今年、五月からの服用に変わった。温暖化で五月にも蚊が出るためである。気候の変わり具合はこんなところにも遠慮なく影響するのだった。
フィラリア予防薬はノミ、ダニ、お腹の寄生虫の駆除もできるオールインワンを謳う薬で、昨年まではビーフ風味で食いつきがよいというネクスガードスペクトラを使っていたけれど、全く食いつかぬので栓なくキリクリームチーズで包んでいて、だったら錠剤でよいと思ってクレデリオプラスに変えた。少し値段が安くて得したような気でいると白犬が体重を増やし2.8kgまで対応の薬なのに2.75kgくらいになっており、浅薄にも今年の分の薬をまとめ買いした私はもう体重が増えませんようにと願うしかなく、ネクスガードスペクトラであれば1.8kgから3.6kgまで対応なので来年は元に戻したい。切実に減らしたいのは私自身の体重であるのは置いておいて。
今年の十月で十歳になる犬は徐々に老化していて、晩春辺りにごく初期の白内障との診断を受け、ピレノキシンという点眼液を使い始めた。これは治すのではなく進行を防ぐためのもので、効きめがあれば生涯使い続け、悪化したときには薬を変えるか手術することになるらしい。頼りになるのかそうでないのか判然とせぬ薬ながら、一日三回の点眼ではじめて効果に期待できて、二回では全く何もしないのと同じという癖がある。そして保管時は容器を立てて置かなくてはならず、使用前にはよく振らなくてはならない。犬のためと思えば何と言うこともないけれど効くかあやふやにしては容器を寝かせると駄目になる液体だなんてちょっと生意気な気がする。
これも老化ですかと獣医に聞いたのは白犬の毛の変色について。白犬と言っても血統書にはクリームと書かれており、幼い頃には背中に十字の色濃い部分があった。十字はやがて薄れて周りの毛に紛れ、ここ何年かは全体に白っぽく、膝裏など濃いところが部分的にある状態で落ち着いていた。それが今年に入った辺りだろうか、尾の付け根に濃い色が出始め、そこから背にも尾の先へも広がり、今は後頭部から背中を通り尾の先までが濃い色になっている。獣医は老化とも老化でないとも答えず、毛をくしゃくしゃ揉んだり、かき分けて皮膚を見たりしてから、痒がらなければ大丈夫でしょうと言った。耳を掻くのは時々見るけれど背中を掻いているのは見たことがなく、孫の手でもないと届かぬのではと思ったけれど、今のところ大丈夫なのだろうと理解してわかりましたと答えた。答えたあと地面に背中をこすりつける犬の映像を思い出して、痒がらなければの意味を悟った。白犬はジャーキーなんかを器用に掴んでかじるので孫の手だって使うか知れぬと思いながら。
長年通う犬の美容院は駅ビルの店子、ペット用品を扱うペットショップ併設で、ペットショップのひとたちは会計に慣れていて手際がよいのに比してトリマーさんたちは犬の扱いは上手いけれど会計はあまり芳しくない。支払いは毎回二万円を越えるのだけど、五月は18000円くらいで、おやつを買わないと随分違うことと思っていたら、駐車場へ向かう途中で戻ってほしいとの電話があって、一割引するところを三割引で会計してしまったのでやり直したいと言うのだった。かかった料金を踏み倒すつもりもなく、やり直しに応じたけれど、気軽に昇降出来る階でないためエレベータで行ったり来たりせねばならず閉所がつらかった。
行ったり来たりせず済ませるからねと待ち構えた六月の会計は6800円で、バビロニアとモンゴロイドの二匹ですがと言うと、それが何かという澄まし顔で、いつもと全く違う金額ですけど大丈夫ですかと踏み込んでやっと、んんんと考えて間違いに気付いてくれた。正しい金額は20700円であった。おやつを買わずに。どう計算したら6800円になるのか謎だ、七割引だろうか。トリマーさんからは耳の後ろにもつれ毛があったとかバブルバスでうたた寝したとか施術中の様子を手紙で知らせてもらうのだけど、獣医では悪名高い拙宅の犬について、今日もとってもおりこうさんでしたと毎回必ず書いてくれて、もらうたび気分が良い。私がトリマーさんについて手紙を書くとして、とってもおりこうさんでしたと書く気がなく恐縮だけれど。
私がPさんの台所へ寝泊まりしているばかりに犬もPさんの台所で寝泊まりするのだけれど、シートを多めに敷いてもシートでないところへ用を足すことがあって、このところPさんは仕事から帰るたび臭い臭いと何度も言って、申し訳ない気持ちと籠池夫妻かよという気持ちが同時に生じて、犬へ感情的に苦情を言うので直ぐに籠池夫妻かよの気持ちが勝って、犬に申し訳なく思って終わる。躾や生態については諸説あって絶対とは言えぬものの、叱ると排泄を我慢することがあり健康に悪いと見聞きしており、失敗は人間が解決するもので、百発百中シートにせぬだろうし匂いがしても仕方ないと思っていて、怒りをぶつけるPさんを理解できない。誰にもよいことのない暮らしで、方向性の違いを理由に解散すべきではと思う。
心も身体も健康に近付けて弱気になるあれこれを捨て去り、クルマで犬と犬と私で遠出したい。いつか海まで行くことが出来たらと思う。どんなにか幸せだろうと思う。犬と犬と同居人と私で海へ出かけると、いつもいつも楽しかったので。
犬がとってもおりこうさんでしたと書かれた手紙をもらう、いつか海まで行くことが出来たらのふたつを気分をよくするリストへ加えたい。
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ずぶ濡れて行き倒れる
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-07-01
Thursday, 1st July 2021土曜日、愛車ニーチェの六か月点検に出かけた。昨年末納車された、持っているお金を使い果たしてしまえ野となれ山となれどうせ近々死ぬわと投げやりな気持ちで軽はずみに買ったクルマである。それまで乗っていたクルマの車検見積もりのついでに見せてもらい、乗り込んでみたり装備や機能を聞くうち売値を示された。滅多にない破格の値段だそうで、即決を渋る私に、逆に買わない理由は何かしら?と担当者上役が訊いてきて、担当者とPさんもどうして?と私の顔を覗き込み、何故Pさんが買わせる側なのかはさておき、三つのぽかんと間の抜けて見える顔へ、じっくり考えて決めたいと説明するのが面倒になった。車検の見積もりに来たのですと元へ戻すのが億劫だった。百円の消しゴムを買うにも熟慮の要る私の生き方を知ってほしいと思わなかった。それであっさり口車に乗る形で手に入れたクルマだけれど体調が今ひとつで大して乗らぬものの車庫入れに馴れてくるなどして愛車感は芽生え、その愛は日に日に増しつつある。これが同居人であれば打ち合わせ無しでどちらかは乗り気だけれどどちらかは迷っているという役割が即興出来て、もう少しよい条件を引き出したり、一旦帰って相談する流れに持っていくのだった。そうして最善と思えるときに最善と思えるものを選ぶのだけど、そんなことはもう私の暮らしには容易く起こり得ない。仕方ない。にしても前のクルマに乗り続けるのは難しかったし、今の暮らしにクルマは欠かせず、買うのは時間の問題と言え、私の納得を待って構わなかったと思う。短時間で商談を成立させ、担当者らはしてやったりと思ったか知らぬが、クルマに落ち度がないのに売り方で気分を悪くさせてはプロとして駄目だと思う。揃いも揃って間抜け面に見えては駄目だと思う。間抜け面と言えば、昨朝、Pさんの前歯がどうにかなった。結構深刻な事象で歯科へ行くことになり、予約の電話をするよう頼まれた。そう、私は未だにPさんの台所に寝泊まりしているのだった。自宅へ戻りたいけれど戻るときにはPさんと一緒に暮らす決まりで、それには片付けが要るのだけど、これが捗らない。年内にはどうにかしようと思ってはいて、168袋のゴミと30個くらいの使えぬものを処分した。これは処分と決めるのが難しく、いちいち胸が張り裂ける。オープンリールのテープレコーダーとかツマミがいっぱいあるイコライザーとかデカくて重いスピーカーとか持..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-07-01T09:52:18+09:00
土曜日、愛車ニーチェの六か月点検に出かけた。昨年末納車された、持っているお金を使い果たしてしまえ野となれ山となれどうせ近々死ぬわと投げやりな気持ちで軽はずみに買ったクルマである。それまで乗っていたクルマの車検見積もりのついでに見せてもらい、乗り込んでみたり装備や機能を聞くうち売値を示された。滅多にない破格の値段だそうで、即決を渋る私に、逆に買わない理由は何かしら?と担当者上役が訊いてきて、担当者とPさんもどうして?と私の顔を覗き込み、何故Pさんが買わせる側なのかはさておき、三つのぽかんと間の抜けて見える顔へ、じっくり考えて決めたいと説明するのが面倒になった。車検の見積もりに来たのですと元へ戻すのが億劫だった。百円の消しゴムを買うにも熟慮の要る私の生き方を知ってほしいと思わなかった。それであっさり口車に乗る形で手に入れたクルマだけれど体調が今ひとつで大して乗らぬものの車庫入れに馴れてくるなどして愛車感は芽生え、その愛は日に日に増しつつある。
これが同居人であれば打ち合わせ無しでどちらかは乗り気だけれどどちらかは迷っているという役割が即興出来て、もう少しよい条件を引き出したり、一旦帰って相談する流れに持っていくのだった。そうして最善と思えるときに最善と思えるものを選ぶのだけど、そんなことはもう私の暮らしには容易く起こり得ない。仕方ない。にしても前のクルマに乗り続けるのは難しかったし、今の暮らしにクルマは欠かせず、買うのは時間の問題と言え、私の納得を待って構わなかったと思う。短時間で商談を成立させ、担当者らはしてやったりと思ったか知らぬが、クルマに落ち度がないのに売り方で気分を悪くさせてはプロとして駄目だと思う。揃いも揃って間抜け面に見えては駄目だと思う。
間抜け面と言えば、昨朝、Pさんの前歯がどうにかなった。結構深刻な事象で歯科へ行くことになり、予約の電話をするよう頼まれた。そう、私は未だにPさんの台所に寝泊まりしているのだった。自宅へ戻りたいけれど戻るときにはPさんと一緒に暮らす決まりで、それには片付けが要るのだけど、これが捗らない。年内にはどうにかしようと思ってはいて、168袋のゴミと30個くらいの使えぬものを処分した。これは処分と決めるのが難しく、いちいち胸が張り裂ける。オープンリールのテープレコーダーとかツマミがいっぱいあるイコライザーとかデカくて重いスピーカーとか持っていたかったけれど、同居人でないと真価を活かせないので諦めた。Pさんからは早く転居をと急かされるけど、こういう片付けはさっさと済ませられない。いちいち胸が張り裂けているのだから。私の得たり失ったりしたすべてとそれらについての思いを知らないことにはわからない話で、理解が得られるとは思わぬけれど。
カウンセリングのとき、ロシア民謡の一週間の歌のような暮らしですと言うと先生がどういうことかしらという顔をして、木曜日に沸かした風呂へ金曜日に入るような歌ですと付け加えたら、ああと歌を思い出した顔になって、お湯が冷めますねとの返答があった。ささやかであっても何か出来たことを評価しましょうとも言ってくれた。甘やかされた気がするものの、望むような能力を持っていない感じはあって、何もかもが手に余り苦しい。小さな一歩を一歩と数えようと思う。携帯電話のヘルスケアという見張り機能によれば私の一歩は概ね60cmである。
昨日はPさんの猫に朝ごはんと水をあげ、Pさん宅のゴミを捨て、Pさん宅のガス料金を払いに郵便局へ行き、歯科へ電話をしてPさんと私の予約を取り、その日が茶犬の通院と重なったので獣医に予約変更の電話をして、夕飯に餃子を拵えた。割といろいろ出来た一日だった。餃子の皮はモランボンの大判で案外美味しい。Pさんは世界一美味しい餃子を作ると自惚れながら餃子用カット野菜を使った棒餃子などを出してきて、私には美味しさが全くわからず困っていた。あるとき、モランボンの皮を選び、野菜は私が切り刻むと言って以降、餃子作りは私に任されており、Pさんは世界一云々を言わなくなった。Pさんが単に手間を省いただけだとしてもカット野菜の棒餃子から解放され私は嬉しい。
クルマが欠かせぬ暮らしと言っても、ようやく760km走ったような具合で、給油したのは六か月で二回である。初回は確か二月で、1リットル125円くらいだったのだけど、二回めの先週は145円に値上がりしていて、ハイオクかよと思った。鳥の糞が付いていて洗車機に入れるか迷ったけれどやめた。カローラに行くしと思って。六か月点検に行って何か気になるところはと訊かれて洗車してもらえれば大丈夫ですと答えた。またどこかがキレイになる何とか剤とか薦めてくるのかしらと案じていると今回は担当者上役がおらず何とか剤の押し売りはなかった。ただ、地域でナンバープレートの盗難があり、一般工具では外せないナットに替えてはどうかという提案があって、交換してもらうことにして3300円払った。自分で決めたことで不満は無いけれど、盗もうとしたナンバープレートが思うように外れなかったとき、車体を乱暴に蹴ったりしないかしらと後になって思った。クルマ一台の管理にしても安心安全なんてことはなく、出来るだけそうあるよう心がけるしかない。生き物であれば生きていることが奇跡、偶々、幸か不幸か死んでいないだけだとも思う。だからどうということもないけれど。
クルマは点検料金がかからないようなサービスが付いていて、それを売りにしていたりするのだけれど、行くと無料項目だけで済ませる感じがなくて、本当に頭の悪いやり方だと思う。何も押し売りされなければ、純正品なんか野暮ったいものばかりだけれど、ドライブレコーダーとかスピーカーとか徐々に備えてもよいという考えが心のどこかにあったのに。ひとに聞かれたら私のカローラへ行きなさいよと言ってもよかったのに。
いつか、夜中に同居人と歩いていて、自販機で飲み物を買おうとしたら、硬貨を入れても品物が出ず硬貨は戻らないということがあった。自販機の真ん中辺りをぼこぼこと二回蹴ったところで、同居人がそんなことをしては駄目だよと言った。出てこないかなあとまだ蹴りたそうに聞くと、蹴っても出てこないと断言するのでそういうものかと納得した。同居人が言うならそうなのだろうと思えることが割と多くあった。とは言え自販機から戻らない硬貨が惜しくて貼られた連絡先に電話をかけた。夜中のことだから留守番電話であった。思いつくまま適当に苦情を言って切ったのだけど後日折り返しがあり、返金代わりにクオカードを送らせてくださいと言われ、嫌です、ケチリストへ載せるつもりでしょうと答えるとそんなことはしないそうで、何故なら大抵のひとは連絡せずにただ買わなくなってしまうけれど連絡があれば故障を直せて返金も出来て有り難いのですと言うので住所と名前を教え、300円のクオカードを受け取った。ケチリストへ載せられなかったかはわからない。ケチリストが存在するのかどうかも知らない。
何をしたら楽な気持ち穏やかな気持ちになれるかリストアップするのがカウンセリングの宿題で、百個くらい書きたいのになかなか思いつかずにいたけれど、餃子作りは悪くなかった。寝るときに使う氷枕も気持ちよい。このふたつはリストへ載せよう。
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こしにとりてつくへりにしと
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-05-05
Wednesday, 5th May 2021セトウツミを見た。友人から誕生日プレゼントにDVDを貰って、体調のよいときに見ようと思い、体調のよかったのが数日前のことで、誕生日から九週間ほど過ぎてやっと見た。どういうひとも様々な事情を抱えて暮らしているらしいことが無駄に誇張せずさらりと描かれていた。どこにでもありそうな暮らしに、打てば響く心地よい会話があった。最適解の応酬に見えた。こういう言葉を交わしてどうにか、ひとは生きていくのかもしれない。機転や話術の巧拙でなく、ひととひととの関わりがもたらす妙を、何かしら糧にして。プレゼントしてくれたひとはセトウツミを菅田将暉の現在の代表作と言っていて、たしかにそうだと思った。池松壮亮も悪くなく、このふたりでなかったら他の誰が演じられるか心当たりがない。池松壮亮と染谷将太を見分けにくいというひとがしばしばいるけれど、憂いのあるのが池松壮亮で憂い少なめなのが染谷将太だと思う。憂いを基準にすると概ね見誤まらぬ気がする。私には確信のことだけれど、書きながら説得力がないとは思っている。プレゼントには不織布マスクもあって、洗ったものでない真っ新のマスクには小さな毛羽立ちが顔へ当たる不快さが全く無く、劣化していないマスクの肌触りの良さに感激した。通院や買い物など人混みへ出るときには新しいマスクを使わせていただいており、有り難いことである。大臣や何かが屋外でマスクを着用していても感染するというようなことを言ったとして私に出来ることは他になく、マスク外出・うがい・手洗い・ステイホームである。もうあれだなと自分でも意味のわからない曖昧な降参を言って派遣会社の登録を全て抹消しており職に就くつもりがさらさらなく、通院と犬の用事と必需品の購入だけが不要不急ではない外出だ。自宅待機の感染者に死者が出て、変異株が増え、ワクチン接種は進まぬ、と聞いて間近に迫る今夏、オリンピック・パラリンピックが出来るのか謎で、こうであれば開催或いは中止と決める具体的で明確な判断基準がどこかに必ずあると思うけれど、私などはただただ感覚的に当てずっぽうで案ずるしかなく、二年の延期としなかったのが運の尽きではと思ってしまう。東京でオリンピックと決まったとき、果たして私はそれを見ることがあるだろうかと考えたのは、自分の持ち時間がそれ程ないのではと思ったからだけれど、疫病が妨げになるとは思わなかった。予知能力が皆無と言うか、先を..
同居人のこと
hinemosu-bomb
2021-05-06T21:09:54+09:00
セトウツミを見た。友人から誕生日プレゼントにDVDを貰って、体調のよいときに見ようと思い、体調のよかったのが数日前のことで、誕生日から九週間ほど過ぎてやっと見た。どういうひとも様々な事情を抱えて暮らしているらしいことが無駄に誇張せずさらりと描かれていた。どこにでもありそうな暮らしに、打てば響く心地よい会話があった。最適解の応酬に見えた。こういう言葉を交わしてどうにか、ひとは生きていくのかもしれない。機転や話術の巧拙でなく、ひととひととの関わりがもたらす妙を、何かしら糧にして。
プレゼントしてくれたひとはセトウツミを菅田将暉の現在の代表作と言っていて、たしかにそうだと思った。池松壮亮も悪くなく、このふたりでなかったら他の誰が演じられるか心当たりがない。池松壮亮と染谷将太を見分けにくいというひとがしばしばいるけれど、憂いのあるのが池松壮亮で憂い少なめなのが染谷将太だと思う。憂いを基準にすると概ね見誤まらぬ気がする。私には確信のことだけれど、書きながら説得力がないとは思っている。
プレゼントには不織布マスクもあって、洗ったものでない真っ新のマスクには小さな毛羽立ちが顔へ当たる不快さが全く無く、劣化していないマスクの肌触りの良さに感激した。通院や買い物など人混みへ出るときには新しいマスクを使わせていただいており、有り難いことである。大臣や何かが屋外でマスクを着用していても感染するというようなことを言ったとして私に出来ることは他になく、マスク外出・うがい・手洗い・ステイホームである。もうあれだなと自分でも意味のわからない曖昧な降参を言って派遣会社の登録を全て抹消しており職に就くつもりがさらさらなく、通院と犬の用事と必需品の購入だけが不要不急ではない外出だ。
自宅待機の感染者に死者が出て、変異株が増え、ワクチン接種は進まぬ、と聞いて間近に迫る今夏、オリンピック・パラリンピックが出来るのか謎で、こうであれば開催或いは中止と決める具体的で明確な判断基準がどこかに必ずあると思うけれど、私などはただただ感覚的に当てずっぽうで案ずるしかなく、二年の延期としなかったのが運の尽きではと思ってしまう。東京でオリンピックと決まったとき、果たして私はそれを見ることがあるだろうかと考えたのは、自分の持ち時間がそれ程ないのではと思ったからだけれど、疫病が妨げになるとは思わなかった。予知能力が皆無と言うか、先を見越す思考が粗末と言うか。
うるう年でなければ二月の月末は私の誕生日で、これまで、というのは私がまだ終わっていなかった頃のことだけれど、その頃であれば、午前零時に誕生日へと日付が変わると同居人から「ひねちゃん、誕生日おめでとう、これで同じ歳になったね、今年もよろしく」と、新年を迎えたときと大して変わらぬ文言の挨拶が毎年あった。学校へ通わなくなって百万年くらい経った気がするけれど、そこを考えずに言えば同居人と私は学年が一緒で、端午の節句生まれの同居人がまず歳をとり、梅雨と夏と秋と厳冬を経て、私が目出度く歳をとる。同じ年齢である三月四月の二か月と一歳違いの残りの十か月の暮らしに何の違いもないものの、「同じ」であるのを喜んでいるかのような祝いの言葉を聞くと悪い気はしなかった。何があっても我々は常に同じ側、同じ立場、同じ場所に居るだろう、そう思えて「こちらこそよろしく」と素直に返事をするのだった。照れ隠しに肩をすくめるなどして。無精ひげすら愛らしいなどと心のうちで思って。
今年になって通院先の医者から三月末に転勤するとの話があり、その医者は私からするといつまでも"新しい医者”だったけれど、馴染めぬまま思いのほか年月は流れていて、前の主治医に診てもらわなくなって三年が過ぎていた。三年前、頼りの主治医を失い途方に暮れたとき、私の終わりは割と直ぐそこに迫っていた。最後に受診した三月三十一日の夕方、至近のカインズの駐車場から病院の方角にブルームーンと呼ばれる満月を眺め、先生がいなくなってしまう会えなくなってしまうと心細くさみしく思ったけれど、今となっては随分暢気だった。頼りの主治医を手始めに、大切な何もかもを失うとは考えていなかった。得たものはやがて失う。物の道理であるのに。
父と母とそれから子どもの頃に世話をした犬二匹は寿命を生きなかった。時に出会う打ち解けられるひととは何かしらの事情で離れた。私が思い入れを持つと去る。そうした決まりがあるような気がして出来るだけ何にも執着せぬよう心掛けた。それでも前の主治医などはどうにも好きで、転勤の話が出たときには失敗した好きになり過ぎたと思った。母との関係は複雑だったし、好きでも何でもない"新しい医者"も転勤した訳だけれど。
常々、いい加減にしてほしい、これ以上何も奪わないでほしいと思っていた。平均値など知らぬが、私は両親と犬を早く失ったと思っており、誰かと親しくなれば離れ離れになる気がしていて、そういう悲しみさみしさは充分に味わった。これよりまだ急な何かがあってはバランスが悪い。あからさまな狙い撃ちでやってられない。不公平だ。耐えられない。そんな思いが強く強くあって、もう大して酷い目には遭わないのではと期待した。そうであろうと信じてすらいた。どこかで誰かが運命を操ったりバランスを気にしたりしている筈もないのに。
小学生の頃、予防接種は出席番号順に注射されて、出席番号の後ろのほうだった私は順番待ちが嫌で面倒なことはさっさと済ませたかった。その小さな望みは一度も叶わなかったけれど、それとこれとは全く別の話ですよということに限って順番が早々と回ってくる。
それで二年前の二月に私は喪主を務めた。泣きもせずに。悲しんでいるか怪しいと詰られながら。でも、何て言うか、泣いたら本当のことになってしまう気がするんだよね、どうしても受け入れられないあれこれが。私は犬たちと留守番している。そう思っていたい。おみやげは何かなとか、電話がないなとか、待ちくたびれたねと言いながら。
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海のきゅうりとえんどう豆のカニ
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-14
Thursday, 14th January 2021マスクはできるだけ丁寧に押し洗いして、清潔を目指しつつ素材が傷まぬような手入れを心がけてはいるものの、そう思い通りになるものでなく、目詰まりか素材の劣化か何か、使うと息苦しくなるマスクが出てきた。初めはどれが何回目の洗濯とわかっていたけれど、次第にどれがどれだかわからなくなった。そんなものが三十枚くらいあって、総入れ替えできるほど未だマスクの入手は容易でなく、呼吸しにくくなったものを徐々に捨てていこうと思う。ウレタンマスクはいつまでも呼吸しやすさが続くけれど、感染予防に効果的でないと聞いて、散歩など外気に触れるときならよさそうに思って使う。見たところ劣化した気がせず半永久的に使えてしまうのではと淡く期待したら、そっと引っ張って耳へ掛ける部分が千切れて、こちらも順調に古くなっていた。マスクは元々消耗品だったことを思い出す。一回使って捨てていたなんて遠い過去のことのよう。私も順調に古くなっていて、ひとはどこで老化を思うか知らないけれど、前後に太る感じがして、あら、と思った。太るのは横へ広がるものと思っていると、前後へ厚みが増すように肥大する私、というものに気付いて歳をとるというのはこれだと思った。これだと見つけて喜べる宝物や隠し絵とは異なり、野放しに進まれては困る老化で、真面目に痩せるべきだと思う。正面から入れぬ幅だからと横向きになりスイスイ抜けようとして進路へハマるような悲喜劇が起こる前にどうにかしたい。それにしても、人生には様々なトラップが用意されている。癪なのでこれと言った反応をせずに、無表情で無感動にかわしていきたい。誰に対する意地だかわからないけれど。コンビニエンスストアがもう無理だなと思った頃、宅配便の中継センターで荷物を仕分けるアルバイトをした。一時的には重複しており、コンビニエンスストアへ行った後、荷物の仕分けへ出るなど、私にしては頑張った。センターは宅配便企業の中では最先端の設備を導入したものらしいのだけど、機械ができることには限界があり、と言うか、機械化自動化に現場を知るひとがいなかったとしか思えぬ設備だった。配送地域ごとに大きな滑り台みたいなものがいくつもあって、機械に振り分けられた荷物が滑り落ちてくる。伝票を読み取り、どの滑り台へ流すか、それだけが機械化されていた。じゃんじゃん滑り落ちてくる荷物を配送小型コンテナへ詰めるのは人間の仕事である..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-19T08:08:30+09:00
マスクはできるだけ丁寧に押し洗いして、清潔を目指しつつ素材が傷まぬような手入れを心がけてはいるものの、そう思い通りになるものでなく、目詰まりか素材の劣化か何か、使うと息苦しくなるマスクが出てきた。初めはどれが何回目の洗濯とわかっていたけれど、次第にどれがどれだかわからなくなった。そんなものが三十枚くらいあって、総入れ替えできるほど未だマスクの入手は容易でなく、呼吸しにくくなったものを徐々に捨てていこうと思う。ウレタンマスクはいつまでも呼吸しやすさが続くけれど、感染予防に効果的でないと聞いて、散歩など外気に触れるときならよさそうに思って使う。見たところ劣化した気がせず半永久的に使えてしまうのではと淡く期待したら、そっと引っ張って耳へ掛ける部分が千切れて、こちらも順調に古くなっていた。マスクは元々消耗品だったことを思い出す。一回使って捨てていたなんて遠い過去のことのよう。
私も順調に古くなっていて、ひとはどこで老化を思うか知らないけれど、前後に太る感じがして、あら、と思った。太るのは横へ広がるものと思っていると、前後へ厚みが増すように肥大する私、というものに気付いて歳をとるというのはこれだと思った。これだと見つけて喜べる宝物や隠し絵とは異なり、野放しに進まれては困る老化で、真面目に痩せるべきだと思う。正面から入れぬ幅だからと横向きになりスイスイ抜けようとして進路へハマるような悲喜劇が起こる前にどうにかしたい。それにしても、人生には様々なトラップが用意されている。癪なのでこれと言った反応をせずに、無表情で無感動にかわしていきたい。誰に対する意地だかわからないけれど。
コンビニエンスストアがもう無理だなと思った頃、宅配便の中継センターで荷物を仕分けるアルバイトをした。一時的には重複しており、コンビニエンスストアへ行った後、荷物の仕分けへ出るなど、私にしては頑張った。センターは宅配便企業の中では最先端の設備を導入したものらしいのだけど、機械ができることには限界があり、と言うか、機械化自動化に現場を知るひとがいなかったとしか思えぬ設備だった。配送地域ごとに大きな滑り台みたいなものがいくつもあって、機械に振り分けられた荷物が滑り落ちてくる。伝票を読み取り、どの滑り台へ流すか、それだけが機械化されていた。じゃんじゃん滑り落ちてくる荷物を配送小型コンテナへ詰めるのは人間の仕事である。
荷物には番号が振られていて、バラバラに落ちてくる荷物を番号ごとに指定のコンテナへ詰める。ひとつの滑り台に大抵ふたりが配置され輸送先別に十個くらいのコンテナへ詰めていく。荷物の大きさは様々あって組み合わせが難しいけれど、次々に滑り落ちてくる荷物を停滞させず、指定のコンテナへ誤りなく、無駄なく、隙間なく詰め込まなくてはならない。それらをしながら重さが規定を超えていそうなものや伝票の剥がれたものなどを選り分けもする。企業からの大口のものなど短時間に大量の荷物が流れると作業が追いつかず、滑り台に荷物が溜まり、溢れるばかりになっても機械は振り分けるのを滅多にやめない。溜まった荷物をコンテナ脇へ取り敢えず積み上げて、他の滑り台から手伝いに来てもらってこなす、逆に間に合わない滑り台へ手伝いに行くというのが日常的で、機械化してこの効率の悪さは何なのか疑問だったけれど、皆、荷物の流れに追いつかない人間が悪いと考えているようだった。
扱う荷物は冷凍品と冷蔵品で、小型コンテナは冷凍庫や冷蔵庫、作業する部屋は4℃から6℃くらい。詰め終えると荷出し口別に人間がぞろぞろ列をなしてひとつひとつコンテナを運ぶ。コンテナに轢かれたり押し潰されたりせぬよう指導を受けたけれど、コンテナの中に積み木のように荷を積むのは難しいにしても、詰め終えたコンテナを指定の荷出し口へ移動させるくらいのことは機械化すべきだ。化粧室へ行くと明かりが自動で灯ったり消えたり、手を出せば石鹸や湯が出たりしたけれど、どう考えても、そこじゃない。そんな気持ちと常に追われる感じと寒さに耐えられず、不甲斐ないように思ったけれど、荷分けのアルバイトは長く続かなかった。二か月働いて一か月休むような社保逃れを行う企業でもあって、もっと頑張るべきだったとも言い切れない。精神的に弱っていると不採用になることを過度に恐れ、採用されやすさだけで仕事を選んで失敗する悪循環のようなものは痛切に学んだ。
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焼きオオヤマネの蜂蜜漬け
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-13
Wednesday, 13th January 2021今月もガス料金が277円で、計測に来てもらって申し訳ない。留守がちであるのにタイミングよくと言うか悪くと言うか、玄関を出ると計測のひとがいて、請求金額277円とプリントした紙を手渡され、抗議行動だったりせぬかと慌てた。壊れた給湯器の交換を申し込んでおらず、帰宅も日に十分程度で、ガスを使う用途も暇もない。体調が戻り、自宅へ戻り、人間の生活を手に入れたなら、ガス給湯器を交換して毎日入浴して、それなりのガス料金を払いたい。書き初めの習慣があれば、その旨、毛筆でしたためたいほどの決意である。犬の医療保険の更新が近く、次からの保険料の知らせが届いた。一か月5560円+5690円がそれぞれ千円近く上乗せの見込みで厳しいが、持病があり、九歳を過ぎていて、必要な出費ではと思う。十月から手続きしていない家畜病院での自費支払いを今月中に清算しようと思う。年々、正月が短くなってきたように思う。私の今年の正月は二日くらいで終わった。せっかく無職なのだから一か月くらいは正月気分でいたい。ぬるま湯へ浸かりきりたい。数年前のコンビニエンスストアのアルバイトでは正月二日から働いて暇だった。煙草ケースを掃除して、埃にまみれて、蝉の亡骸と謎の豆が出てきて退屈した。そして、百円玉を入れたポチ袋を店長が配り不評だった。金額はともかく、宛名書きが呼び捨てで。何事もいちいち気遣いがなかった。コンビニエンスストアでは、混む時間ながらふたりで店を任されて、一緒に組むひとと気が合わず、することが多いうえに味方がなくて大変だった。前の時間帯のひとを親切なように思って頼りにしたこともあったけれど、知れば知るほど曲者で、私は円満な人間関係を築くことができなかったのだと思い出して、日々、右手にカメレオンのマペットを嵌めて行き、マペットとのみ私語するなどして凌いだ。人形とだけ会話して凌いだうちに入るかわからないけれど。曲者は田崎と言うひとで村上春樹を好きだと知り、村上春樹を読もうとしたけど馴染めないと言うと読み方を教えてくれると言ってメールアドレスを寄越して、ではと私のアドレスを教えた。中年と言うか言わないかくらいの独身男性で、メールアドレスの交換は初めて会った日のことで、一緒に組むひとには軽薄に見えて印象を悪くしたかもしれない。一緒に組むひとは曜日によって変わるけれど、女性ふたりのいずれかで、ふたりは同じ弁当屋で働..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-18T09:30:46+09:00
今月もガス料金が277円で、計測に来てもらって申し訳ない。留守がちであるのにタイミングよくと言うか悪くと言うか、玄関を出ると計測のひとがいて、請求金額277円とプリントした紙を手渡され、抗議行動だったりせぬかと慌てた。壊れた給湯器の交換を申し込んでおらず、帰宅も日に十分程度で、ガスを使う用途も暇もない。体調が戻り、自宅へ戻り、人間の生活を手に入れたなら、ガス給湯器を交換して毎日入浴して、それなりのガス料金を払いたい。書き初めの習慣があれば、その旨、毛筆でしたためたいほどの決意である。
犬の医療保険の更新が近く、次からの保険料の知らせが届いた。一か月5560円+5690円がそれぞれ千円近く上乗せの見込みで厳しいが、持病があり、九歳を過ぎていて、必要な出費ではと思う。十月から手続きしていない家畜病院での自費支払いを今月中に清算しようと思う。
年々、正月が短くなってきたように思う。私の今年の正月は二日くらいで終わった。せっかく無職なのだから一か月くらいは正月気分でいたい。ぬるま湯へ浸かりきりたい。数年前のコンビニエンスストアのアルバイトでは正月二日から働いて暇だった。煙草ケースを掃除して、埃にまみれて、蝉の亡骸と謎の豆が出てきて退屈した。そして、百円玉を入れたポチ袋を店長が配り不評だった。金額はともかく、宛名書きが呼び捨てで。何事もいちいち気遣いがなかった。
コンビニエンスストアでは、混む時間ながらふたりで店を任されて、一緒に組むひとと気が合わず、することが多いうえに味方がなくて大変だった。前の時間帯のひとを親切なように思って頼りにしたこともあったけれど、知れば知るほど曲者で、私は円満な人間関係を築くことができなかったのだと思い出して、日々、右手にカメレオンのマペットを嵌めて行き、マペットとのみ私語するなどして凌いだ。人形とだけ会話して凌いだうちに入るかわからないけれど。
曲者は田崎と言うひとで村上春樹を好きだと知り、村上春樹を読もうとしたけど馴染めないと言うと読み方を教えてくれると言ってメールアドレスを寄越して、ではと私のアドレスを教えた。中年と言うか言わないかくらいの独身男性で、メールアドレスの交換は初めて会った日のことで、一緒に組むひとには軽薄に見えて印象を悪くしたかもしれない。一緒に組むひとは曜日によって変わるけれど、女性ふたりのいずれかで、ふたりは同じ弁当屋で働いてもいて、どちらともうまくいかなかった。ダブルワークや弁当屋を馬鹿にしていると勝手に思い込んでしまい、私は私で誤解を解く努力をしなかった。毎度ふたりで陰で私を批判したことを伝えてきて一貫性がなく、私が何をしても気に入らないのだとわかりやすかった(モップ拭きに時間がかかる/雑、ブラインドを開けるのが早い/遅い、コーヒー豆を混ぜた/混ぜない等々)。
田崎は先ずは海辺のカフカを読むように言った。深い深い意味、宇宙の成り立ち、生命の起源、あらゆるものの真実と解釈があると言われたのに、読み終えて何も掴めなかった。筋を追うだけだったと言うと、読み終えたことがすごい、ハルキニストになれると言われて喜べなかった。ハルキニストになりたい訳でなく、考察のヒントくらいもらえると期待していたので、深い深い意味があるのでは?読み方を教えるとは?と思い、ひとりで読むのと変わりなくがっかりした。「ポルノのような描写を読み飛ばせ」だけが教えられた読み方だ。続けてノルウェイの森を読み始めてピンと来ず、半分まで進んでもさっぱりで、読み進めながら村上春樹は合わないと諦めた。田崎はそれを知ると、読むに適した順序があるのにそれを破ったと、勝手に読んで挫折してハルキニストの道を真っ直ぐ進まないことを責めた。私が高熱を出して、急遽シフトを変わってもらったのがバレンタインデイに近く、猫の舌を模したチョコレートをお礼に渡して、海辺のカフカを読んだ後でもあって、私は「殺された猫の舌かもしれない」と言ったのだけど、それを持ち出して私を嘘吐きと言い、手に負えない。悪趣味だ笑えないと言われれば歩み寄る余地はあるけれど、チョコレートであるのは端から互いに承知で嘘に決まっており、随分過ぎてから立腹して発掘する話ではなかった。その後も不倫はよくないと私が田崎に好意があるかのように戒められたり、殺人事件へ触れたメールに「交換日記」「死体」の文言を用いたことから、私が田崎と「交換日記」を「したい」と言ったように受け取られるなど様々あり、こちらはできれば解きたい誤解だったけれど、没分暁と言うのか、関わるだけ誤解が増す感があり、マペットとふたりして困り果てた。わからずに読む本はいくらもあるけれど、村上春樹はわからないので読まぬと決めた。私にひとを見る目がなかっただけの話なのだけど、もやもやと嫌な印象が残り、ノーベル文学賞近辺の読者の集いなどが報じられると面白くない気持ちとなる後遺症がある。
コンビニエンスストアでは労基法が全く関係なかった。レジの集計に違いが出ると弁償する決まりで、代わりを見つけなくては何があっても休めず、勤務前後無給で働く時間があり、規定月働いて有給休暇は出ない。働くことはよいこと、仕事を選ぶなと聞くけれど、どう改善されていても、もう、コンビニエンスストアで働きたいとは思わない。無法地帯で働くのなら賞金首を追いかけたい。
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壺もコップも神である
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-12
Tuesday, 12th January 2021月曜日の夜から、Pさんの家に石油ファンヒーターが導入され、犬と犬と私の居場所に設置されて暖かい。ここを居間と呼んだりしたけれど、台所であることに気付いた。ソファとテレビに騙された。Pさんと猫は専ら二階に居て、犬と犬と私は台所及び食堂に寝泊まりしている。寝具は普通にあり、水道ガス電気完備で居心地は悪くない。好きなように食べてと言われて好きなように食べたら羊羹が無くなったと言われるとか、日曜日と月曜日に入らなかったので風呂へ入ったら咳が出るのはそのせいと言われたりという不自由はあるけれど。また、石油ファンヒーターの説明書を読んでおいてと言われて読むと「石油は室内の冷暗所に置かないと劣化する、劣化した石油を使うと異常燃焼の危険も」とあり、Pさんは玄関先かベランダに置くようなことを言っていたので「石油は冷暗所へ置かないといけないらしい」と伝えると不機嫌になるのはどうかと思う。羊羹と風呂は私の落ち度の可能性があるけれど、石油の劣化は自然の成り行き、太陽の光や熱や雨が悪くはたらくらしいという話で、不機嫌になられてもどうにもならない。早く家に帰りたい。石油ファンヒーターは私がいなければ不要だったかも知れず、申し訳ない。私の発熱をどう捉えてよいかわからず、COVID-19の流行もあり不安、というのは私もそうだけれど、Pさんは風邪をひかないひとなので、余計に混乱しているかもしれない。数日前にはホタテ貝柱の刺身を食べさせてくれたけど、体調の落ちている感じのときに生ものを食べたいとは思わない。美味しかったけど。私には、帆立貝はバターで焼くくらい、一年に一回食べるかどうかという食材で、貝柱が美味しいとはどういうことか、帆立貝など貝ひもを食べたら終わりであろうなどと思っていた。でも、刺身を食べたら、貝柱最高。びっくりした。ホタテについて、世の中の認識に追いついた気がする。Pさんが「オムレツを作ろうと思ったけれどスクランブルエッグにする」と言って、オムレツでもスクランブルエッグでも構わない感じだった私はわかったとか何とかと返事をした。するとPさんはコツコツコツとボウルの縁で割った卵の中の全卵をゴミ箱へポイっと捨てて、卵の殻だけ手に残して真顔で、二秒くらいして「間違えた、歳を取るって怖いね」と言った。何も言われなかったり、これが新しい生活様式の卵料理と言われたら嫌だけど、誤りと言ってくれたの..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-15T18:52:15+09:00
月曜日の夜から、Pさんの家に石油ファンヒーターが導入され、犬と犬と私の居場所に設置されて暖かい。ここを居間と呼んだりしたけれど、台所であることに気付いた。ソファとテレビに騙された。Pさんと猫は専ら二階に居て、犬と犬と私は台所及び食堂に寝泊まりしている。寝具は普通にあり、水道ガス電気完備で居心地は悪くない。好きなように食べてと言われて好きなように食べたら羊羹が無くなったと言われるとか、日曜日と月曜日に入らなかったので風呂へ入ったら咳が出るのはそのせいと言われたりという不自由はあるけれど。
また、石油ファンヒーターの説明書を読んでおいてと言われて読むと「石油は室内の冷暗所に置かないと劣化する、劣化した石油を使うと異常燃焼の危険も」とあり、Pさんは玄関先かベランダに置くようなことを言っていたので「石油は冷暗所へ置かないといけないらしい」と伝えると不機嫌になるのはどうかと思う。羊羹と風呂は私の落ち度の可能性があるけれど、石油の劣化は自然の成り行き、太陽の光や熱や雨が悪くはたらくらしいという話で、不機嫌になられてもどうにもならない。早く家に帰りたい。
石油ファンヒーターは私がいなければ不要だったかも知れず、申し訳ない。私の発熱をどう捉えてよいかわからず、COVID-19の流行もあり不安、というのは私もそうだけれど、Pさんは風邪をひかないひとなので、余計に混乱しているかもしれない。数日前にはホタテ貝柱の刺身を食べさせてくれたけど、体調の落ちている感じのときに生ものを食べたいとは思わない。美味しかったけど。私には、帆立貝はバターで焼くくらい、一年に一回食べるかどうかという食材で、貝柱が美味しいとはどういうことか、帆立貝など貝ひもを食べたら終わりであろうなどと思っていた。でも、刺身を食べたら、貝柱最高。びっくりした。ホタテについて、世の中の認識に追いついた気がする。
Pさんが「オムレツを作ろうと思ったけれどスクランブルエッグにする」と言って、オムレツでもスクランブルエッグでも構わない感じだった私はわかったとか何とかと返事をした。するとPさんはコツコツコツとボウルの縁で割った卵の中の全卵をゴミ箱へポイっと捨てて、卵の殻だけ手に残して真顔で、二秒くらいして「間違えた、歳を取るって怖いね」と言った。何も言われなかったり、これが新しい生活様式の卵料理と言われたら嫌だけど、誤りと言ってくれたのでよかった。別の卵が割られてボウルに入れられ、従来通りの方法でスクランブルエッグが作られた。スヌーピーの絵の描かれたハインツのケチャップを出してもらい食べた。美味しかった。
ふざけて遺書のようなものを書く訳でなく、パニック発作か何かわからないけれど苦しくて、もう死ぬのだと思って覚悟して書くけど死なない。犬と暮らし続けることができてどんなにか有り難いけれど、死刑囚のひとだって、それらしく連れ出され、刑場へ行くだけ行って房へ戻されるというようなことを繰り返されれば気が触れると思う。自分勝手に生じる発作や困惑や覚悟で、加害者も被害者も私で、訴え出るべき人権団体もなく八方塞がりで、もう終わりにしたい。全て勘違いとわかりたい。発作から解放されて楽になりたい。風邪の諸症状もなかなか治らず、踏まれたり蹴られたり。
前に、遺書のような書き置きのような紙切れを手帳型携帯電話ケースに入れていて、マツモトキヨシで会計時にレジへひらひら広がりながら落ちて気拙かった。いなくなってから読まれるつもりの、犬をよろしくとか、骨は海へ撒いてほしいなどとあるのが易々と読めて。
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日暮れのサメハダテヅルモヅル
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-11
Monday, 11th January 2021未だ、Pさんの家で過ごす。日に一度は帰宅するものの一時的に過ぎず、ホームシックは続く。11月から続いた気分のよさは消えたかのようで、胸とも頭とも身体とも決められぬどこかに涙や悲しみが溜まっていく感じがある。昼過ぎに犬と歩いたように思うものの写真の一枚も撮っておらず曖昧だ。歩数計の数字だけが昼過ぎに動いた裏付けである。今日のことを思い出そうとして、別の日のことを思い出す。犬と歩いていると、大きな声で「おはよう、おはよう」と聞こえた。声のほうを向くとこちらへ背を向けたひとが無人の部屋へ向かって「いやだ、おはようじゃないわ、こんにちはだわ」と言ったあと、振り向いて私たちに「こんにちは」と声をかけてきた。平野レミを黒髪にしたような見た目の、ひとりで賑やかな感じのひとだ。おはようも私たちに言ったようで、部屋の時計を見てこんにちはと言い直したらしかった。じょうろや移植ごてを手に取ったり置いたり、頻りに動くけれど、実際には何もしていないように見える。軒先に一抱えはある大きな丸い植物のような何かがふたつ吊り下げられていて、エアプランツであれば見たことのない異色なもの、随分立派なものに見えた。エアプランツは世話が少ない植物のように思い、手に入れてはどうかと思うものの、小さなものでも高額な印象がある。少し見栄えがすると更に値は張り、値が張るほどには見栄えせぬ気がして手が出ない。これほど大きなエアプランツがあったのかと「これは何ですか」と確かめるとコキアだった。言われてみれば所々が赤い。抜き取った根を上に吊るしたふたつ、植物のような丸い何かの正体はコキアだった。干してホウキをつくるそうで、コキアというとどこかの丘一面に植えられた景色を思うけれど、ホウキギという名もあって、ホウキの材料になるらしい。ホウキを使うことそのものが少なく、自分で作ってみることなど思いもしなかったけれど、この落ち着きのないひとはそうしたことを思いつくひとでもあるのだった。「これは何ですか」など教本のような質問は、個人的なところへ踏み入り過ぎずに会話が成り立って重宝する。場が持つばかりか、物を知らぬ私には知る機会も得られ、思うより使い道がある。私自身に成人式へ行きたい気持ちがなかったので、行くことのできない悲しみがわからない。自分では十歳で大人になった気でいて、それから十年して大人と認められても遅い。交友関係の広い..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-14T11:46:41+09:00
未だ、Pさんの家で過ごす。日に一度は帰宅するものの一時的に過ぎず、ホームシックは続く。11月から続いた気分のよさは消えたかのようで、胸とも頭とも身体とも決められぬどこかに涙や悲しみが溜まっていく感じがある。昼過ぎに犬と歩いたように思うものの写真の一枚も撮っておらず曖昧だ。歩数計の数字だけが昼過ぎに動いた裏付けである。今日のことを思い出そうとして、別の日のことを思い出す。
犬と歩いていると、大きな声で「おはよう、おはよう」と聞こえた。声のほうを向くとこちらへ背を向けたひとが無人の部屋へ向かって「いやだ、おはようじゃないわ、こんにちはだわ」と言ったあと、振り向いて私たちに「こんにちは」と声をかけてきた。平野レミを黒髪にしたような見た目の、ひとりで賑やかな感じのひとだ。おはようも私たちに言ったようで、部屋の時計を見てこんにちはと言い直したらしかった。じょうろや移植ごてを手に取ったり置いたり、頻りに動くけれど、実際には何もしていないように見える。軒先に一抱えはある大きな丸い植物のような何かがふたつ吊り下げられていて、エアプランツであれば見たことのない異色なもの、随分立派なものに見えた。エアプランツは世話が少ない植物のように思い、手に入れてはどうかと思うものの、小さなものでも高額な印象がある。少し見栄えがすると更に値は張り、値が張るほどには見栄えせぬ気がして手が出ない。これほど大きなエアプランツがあったのかと「これは何ですか」と確かめるとコキアだった。言われてみれば所々が赤い。抜き取った根を上に吊るしたふたつ、植物のような丸い何かの正体はコキアだった。干してホウキをつくるそうで、コキアというとどこかの丘一面に植えられた景色を思うけれど、ホウキギという名もあって、ホウキの材料になるらしい。ホウキを使うことそのものが少なく、自分で作ってみることなど思いもしなかったけれど、この落ち着きのないひとはそうしたことを思いつくひとでもあるのだった。「これは何ですか」など教本のような質問は、個人的なところへ踏み入り過ぎずに会話が成り立って重宝する。場が持つばかりか、物を知らぬ私には知る機会も得られ、思うより使い道がある。
私自身に成人式へ行きたい気持ちがなかったので、行くことのできない悲しみがわからない。自分では十歳で大人になった気でいて、それから十年して大人と認められても遅い。交友関係の広い人気者であったり、晴れ姿を見てほしい親類縁者でもいれば事情は変わったのか、それでも自治体に祝ってもらわなくてもと思ったか、わからない。私は振袖を買ったり借りたりする経済力がなく、別の余所行きを着てとも思わず、記念写真を撮っていない。無くて困ることは一切ないけれど、面白写真を残す機会を一回逃したとは思う。振袖や余所行きは着られるときに着て、写真を撮れば記念になるかもしれない。それよりほか、何も思いつかない。
写真や映像は忘れたようなことも記録しておいてくれる。食べてしまって、古くなって、捨てて、失くしてなど様々な理由で目の前から消えたもの変化したものの、食べる前の形、新品の見た目、失う前の姿形を見ることができる。ああ、こんなふうだったと思い出したり、こんなことがあったかしらと不思議に思ったりする。撮影してデータで残してよく、写真にしてもよい。拙宅の菓子の缶にあった古い写真の束を繰ると、どう見てもテレビ画面を写したように見える原辰徳の写真があって、原辰徳に思い入れのある身内や知り合いがおらず、何のための写真かわからない。旅行の写真に紛れていたので旅館のテレビを写したのだろうかと想像するけれど正解はわからないままだ。こんな謎を未来に残すのも一興に思う。
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パイ生地を概日時計回りに
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-10
Sunday, 10th January 2021朝、酷く寒く、天気予報を見ると寒さが続きそうで冬眠したい。午前七時前の気温がマイナス五度で、これまでの冬にこうも冷える日があったろうか。夏の暑さも冬の寒さもおかしい気がする。地球が終わるものと思う。緊急事態宣言に沿い、混み合う土日を避けて平日に私が食料品の買い出しをする計画が、昨晩の発熱で予定が狂い、Pさんが犬の散歩のついでに割高スーパーマーケットで買い物した。逃亡脱走を防ぐ策か、Pさんはファンタプレミアピーチを買ってきてくれたうえに、昼食には穴子寿司と揚げイカ、夕食には海老料理を出してくれた。発熱のひと向きのメニューでない感じは置いておいて。揚げイカはエンペラが好きなのだけど出来合い惣菜の容器にひとつも入っておらず、ふたつの皿に分けるPさんは代わりにゲソをたくさんくれた。エンペラほどではないけれど、ソフトな胴の輪っかに比べ噛み応えがあってよい。安静を続けつつ、匂いも味もわかり続けている。ファンタプレミアピーチの検索予測に「まずい」とあったけれど美味しく飲んだ。プレミアグレープの合わなかったPさんも美味しいと言い、まずいと言うひとは食生活の貧しい、味のわからないひとじゃないかと続けた。私はプレミアグレープも美味しく飲んでいて、日頃質素な食生活で、何とも返事をしかねる。好みの問題だと思ってはいる。同居人が釣ってくるイカは新鮮で、スーパーマーケットで売られているものとは質が違った。甘みがあって噛み応えもあって美味しい。ヤリイカとアオリイカが特に美味しく思う。同居人はヒヨコやタヌキや鳩を模した菓子を気の毒で食べられぬ情緒なので魚もイカも捌くことができない。それで私は、イカを切ったり皮を剥がしたりということを覚えたのだけど、始めは切るイカ切るイカ、プラスティックが出てきてどういうことかと謎だった。軟甲という、貝殻の名残りらしい、イカの一部とわかって安心した覚えがある。小学校四、五年生あたりにフナやカエルの解剖があったと思うけれど、解剖前の学校から解剖後の学校へ転校して、解剖をせずに小学校生活を終え、運がよいように思った。しかし、油断大敵、家庭に釣り人がいると、出刃包丁で格闘、頭を落とした魚へ肘まで突っ込んで内臓を引き摺り出すなど、事件並みの解体をせざるを得ない状況が、日常のうちに有り得るのだった。食べるために調理は必要だけど、解体ショーは好きになれない。トリやウサギであれ..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-13T10:20:00+09:00
朝、酷く寒く、天気予報を見ると寒さが続きそうで冬眠したい。午前七時前の気温がマイナス五度で、これまでの冬にこうも冷える日があったろうか。夏の暑さも冬の寒さもおかしい気がする。地球が終わるものと思う。緊急事態宣言に沿い、混み合う土日を避けて平日に私が食料品の買い出しをする計画が、昨晩の発熱で予定が狂い、Pさんが犬の散歩のついでに割高スーパーマーケットで買い物した。逃亡脱走を防ぐ策か、Pさんはファンタプレミアピーチを買ってきてくれたうえに、昼食には穴子寿司と揚げイカ、夕食には海老料理を出してくれた。発熱のひと向きのメニューでない感じは置いておいて。揚げイカはエンペラが好きなのだけど出来合い惣菜の容器にひとつも入っておらず、ふたつの皿に分けるPさんは代わりにゲソをたくさんくれた。エンペラほどではないけれど、ソフトな胴の輪っかに比べ噛み応えがあってよい。安静を続けつつ、匂いも味もわかり続けている。
ファンタプレミアピーチの検索予測に「まずい」とあったけれど美味しく飲んだ。プレミアグレープの合わなかったPさんも美味しいと言い、まずいと言うひとは食生活の貧しい、味のわからないひとじゃないかと続けた。私はプレミアグレープも美味しく飲んでいて、日頃質素な食生活で、何とも返事をしかねる。好みの問題だと思ってはいる。
同居人が釣ってくるイカは新鮮で、スーパーマーケットで売られているものとは質が違った。甘みがあって噛み応えもあって美味しい。ヤリイカとアオリイカが特に美味しく思う。同居人はヒヨコやタヌキや鳩を模した菓子を気の毒で食べられぬ情緒なので魚もイカも捌くことができない。それで私は、イカを切ったり皮を剥がしたりということを覚えたのだけど、始めは切るイカ切るイカ、プラスティックが出てきてどういうことかと謎だった。軟甲という、貝殻の名残りらしい、イカの一部とわかって安心した覚えがある。小学校四、五年生あたりにフナやカエルの解剖があったと思うけれど、解剖前の学校から解剖後の学校へ転校して、解剖をせずに小学校生活を終え、運がよいように思った。しかし、油断大敵、家庭に釣り人がいると、出刃包丁で格闘、頭を落とした魚へ肘まで突っ込んで内臓を引き摺り出すなど、事件並みの解体をせざるを得ない状況が、日常のうちに有り得るのだった。
食べるために調理は必要だけど、解体ショーは好きになれない。トリやウサギであればしないことを魚にならしてよい感じなのが理解できない。苦情があれば食文化やら食育やら持ち出す魂胆だろうと踏んでいる。随分前に、曜日ごとに和食、洋食、中華と分かれ、専門家が料理方法を教えるテレビ番組があった。中華料理は中国のひとが教えていたと思う。ある時、魚の頭を掴んで持ち上げ、エラから尾にかけて粉をまぶすと、頭を掴んだまま油の入った鍋で揚げた。魚は口をパクパクさせながらフライになった。狂気の沙汰なのだけれど、活けづくり生きづくりと言って刺身をつくることと何ら変わりなく、調理法、盛り付け方のひとつと言われればそれまでか知れず、人間は気を遣う必要がないと思ったところにはとことん遣り尽くして何も思わないことがあるから気をつけたい。揚げる側にしろ、揚げられる側にしろ、見る側にしろ。
解剖を避け、東京都大田区→地方→東京都港区→地方のように小学校を移ったが、地方へ行くと気取った都会人、都内に行くと地方の山猿のように言われ、「私は私、同じひとりの人間でありますよ、思い込みの民よ」と思ったりした。都内に住むひとは都内だけが人間の住めるところと思っている節があり、地方へ行くたび未開の地へ行くかの心配をされた。大田区で私の住んでいた辺りは長閑さがあり、そうそう都会な印象はないけれど、社宅のようなものに住んでいた私たちを除くと裕福なひとたちが優雅に暮らしており、転居先を事前に見に行って、思った以上に地の果てに見えて不安になりはした。
不安になりつつ、初めの転校は悪くなく、担任が変わって成績表に「動作が鈍い」と書かれなくなった。担任は同級生たちからカオルちゃんと名前で呼ばれる男の先生で、一年くらいでまた転校したためか同級生をあまり憶えていないけれど、先生のことは憶えている。先生が盲腸か何かで入院したときには直ぐに同級生と見舞いに出かけた。この時、花は花でも鉢花は見舞いに使えないと知った。先生に勧められ、クラス委員に立候補したりもした。同級生に「この間、授業中に泣いたからダメだと思います」と言われ、そこで悲しくなって泣いてしまい、ほらダメだとなって落選した。ダメと思われているのに立候補して失敗したと言うと「やってみようと思ったことが、やろうとして手を上げたことが立派なんだよ」と慰められ「やる気になれば何でもできる子」とも言われた。先生に言われると何となくそんな気持ちがしてきて、褒めて伸ばす手法だったのかもしれない。頭が痛いと保健室で寝ていると、どれどれと先生が自分の額を私の額にくっつけて「熱はないみたいだよ」と言われてほっとした。父といるかのような穏やかさがあった。早く教室へ戻らなくてはと思った。
ある時、同級生のみどりちゃんと喧嘩した。のんちゃんと私はみどりちゃんを憎んだ。放課後、みんなが帰ると、みどりちゃんのリコーダーを持ち出し、吹き口を金魚の水槽へ入れてかき回して元へ戻した。持ち出すまではみどりちゃんに復讐をという気持ちでいっぱいだったけれど、元へ戻すとみどりちゃんがリコーダーを使ったらどうしようという気持ちに変わっていた。のんちゃんも同じだったかもしれないけれど、お互いにそう言い出すことができないまま下校した。翌日、午後には音楽の時間があった。のんちゃんと私は相談もせずに四時間目の授業中に、みどりちゃんのリコーダーへしたことを自白して、汚れたリコーダーが使われることはなかった。みどりちゃんに謝り、許してもらった。こんなことがあれば、先生に何か言われた筈だけれど何も憶えていない。私は先生が好きだった。自分勝手なことに、みどりちゃんに悪いことをしたという思いより、先生をがっかりさせた、先生に嫌われた、そんな気持ちが強かった気がする。
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ソーダと塩のナトロン湖
https://hinemosu-bomb.blog.ss-blog.jp/2021-01-09
Saturday, 9th January 2021大晦日に125kmまで走ったあと、新車ニーチェを動かしていない。動かさないクルマも動かしていない私もナマる気がして、昼前に犬と犬とPさんを乗せて隣町の農産物直売所へ行った。青森県産林檎ふじ二個入税込338円とガーベラ5輪@税込350円×2、合計1038円をauウォレットで払った。続けてカインズへ寄り、染髪剤ビゲンスピーディーカラー@税込398×2、合計796円をauウォレットで払った。そのままガソリンスタンドへ行って、ニーチェに初給油、レギュラーガソリン@123円を24.39L、3千円分入れて現金で払った。残り2目盛の燃油計が8目盛、概ね満タンとなったようだ。ガソリンスタンドはいつも行くセルフスタンドで、相変わらず店員が無闇に話しかけてくる。売りつけたいものがあるならまだしも、乗せている犬を指して「白いワンちゃんの名前って何でしたっけ?」などと一度も教えたことがないのに教えたことがあるかの口ぶりで、マスクの中の口をほぼ閉じたまま早口で「バビロニアデスマスクメロンパンナコッタ」と嘘を答えると、一度はダッとかバッとか聞こえたことを繰り返そうとして続きが出ず「へえ」と聞き取れたように態度を改め「茶色いワンちゃんは?」と懲りずに聞いてくる。同じように「モンゴリアンアンガーマネージメントメントール」と嘘を言うと今度は直ぐに「カッコいいですね」と言ってきて暖簾に腕押し、カッコいい訳がない。せめて「略して?」くらい言ってくれれば会話した感が出るであろうに全く気が利かない。何のために嘘の名を用意していると思っているのか。Pさんを苛立たせることが目的で話しかけたなら成功で、鼻を出したマスクで話しかけてくるなど感染予防意識が低いと怒っていた。13時頃帰宅、100分強、18kmの旅だった。ガーベラを自宅に飾る。10本のうち2本の茎が花の近くで折れていたので、2本は小さなコップに挿した。8本はまとめて大きめの器に。硬いセロファンで包んで売られているので茎の折れは帰宅するまでわからず運試しのようなもの。何にしても好きな花を好きなだけ買えて気分はよい。飾り終え、足りなくなった犬のごはんやおやつを持って、Pさん宅へ。Pさんのクルマへ乗り換えて弁当屋へ行く。先の帰り道に弁当屋はあったものの駐車場が入れにくくニーチェで寄るのは難しかった。何かいるか聞かれ、コロッケをひとつ頼んだ。Pさんの家へ戻り..
日々の暮らしで思うこと
hinemosu-bomb
2021-01-12T10:47:21+09:00
大晦日に125kmまで走ったあと、新車ニーチェを動かしていない。動かさないクルマも動かしていない私もナマる気がして、昼前に犬と犬とPさんを乗せて隣町の農産物直売所へ行った。青森県産林檎ふじ二個入税込338円とガーベラ5輪@税込350円×2、合計1038円をauウォレットで払った。続けてカインズへ寄り、染髪剤ビゲンスピーディーカラー@税込398×2、合計796円をauウォレットで払った。そのままガソリンスタンドへ行って、ニーチェに初給油、レギュラーガソリン@123円を24.39L、3千円分入れて現金で払った。残り2目盛の燃油計が8目盛、概ね満タンとなったようだ。
ガソリンスタンドはいつも行くセルフスタンドで、相変わらず店員が無闇に話しかけてくる。売りつけたいものがあるならまだしも、乗せている犬を指して「白いワンちゃんの名前って何でしたっけ?」などと一度も教えたことがないのに教えたことがあるかの口ぶりで、マスクの中の口をほぼ閉じたまま早口で「バビロニアデスマスクメロンパンナコッタ」と嘘を答えると、一度はダッとかバッとか聞こえたことを繰り返そうとして続きが出ず「へえ」と聞き取れたように態度を改め「茶色いワンちゃんは?」と懲りずに聞いてくる。同じように「モンゴリアンアンガーマネージメントメントール」と嘘を言うと今度は直ぐに「カッコいいですね」と言ってきて暖簾に腕押し、カッコいい訳がない。せめて「略して?」くらい言ってくれれば会話した感が出るであろうに全く気が利かない。何のために嘘の名を用意していると思っているのか。Pさんを苛立たせることが目的で話しかけたなら成功で、鼻を出したマスクで話しかけてくるなど感染予防意識が低いと怒っていた。
13時頃帰宅、100分強、18kmの旅だった。ガーベラを自宅に飾る。10本のうち2本の茎が花の近くで折れていたので、2本は小さなコップに挿した。8本はまとめて大きめの器に。硬いセロファンで包んで売られているので茎の折れは帰宅するまでわからず運試しのようなもの。何にしても好きな花を好きなだけ買えて気分はよい。飾り終え、足りなくなった犬のごはんやおやつを持って、Pさん宅へ。Pさんのクルマへ乗り換えて弁当屋へ行く。先の帰り道に弁当屋はあったものの駐車場が入れにくくニーチェで寄るのは難しかった。何かいるか聞かれ、コロッケをひとつ頼んだ。
Pさんの家へ戻り、農産物直売所で買ってもらった餃子と弁当屋のコロッケと直売所で買ったからとくれたいちご大福を食べる。口福堂の大福は要らない、親切にでも頼まぬ限り買わないでと断ったけれど、他はまだ断っていないので勝手に買ってくれる。大粒のいちごが小豆の甘さに丁度よく、いちご大福を思いついたときの期待通りであろう酸味と甘味の組み合わせで美味しかった。餃子は小ぶりで食べやすいものの特別美味しいことはないのに何故かたまに食べたくなる謎の味。マタタビでも入っているのだろうか。コロッケは冷凍食品の味だけど食べたかった味。外側がサクッとして中身が心持ちやわらかくて甘めで、型抜きのきれいな楕円形。
餃子は同居人のつくる餃子が好きで、包んでしまうと味が落ちるなどと言って、私が帰宅してから包んで焼いてくれるのだった。市販の気に入った皮でつくってくれる餃子はパリパリしてジューシー、いくつでも美味しく食べられて、一袋で売られる皮の数が決まっていて食べ過ぎずに済むという具合。これに負けまいとすると皮を自家製にするくらいしかなく、私がつくる皮など餃子と言うより小籠包で、どうしたって同居人の餃子には勝てぬのだけど、美味しく食べられれば勝たなくたって全く構わない訳で。と、暫く買わずにいたら気に入っていた皮が売られなくなっており、もう、自宅で美味しい餃子がつくられることはないのかもしれない。never ever.
カインズでPさんが蓄熱毛布的なものを二枚買ってくれていて寝具に追加された。以前、蓄熱と書かれて売られていたものとそっくりなのに、蓄熱の表示を無くしたような気がするそうで、珪藻土バスマットの一件があり、また、何かやらかさぬよう蓄熱の文字を無くしたのではと見てしまう。一度失った信頼はなかなか戻らないばかりか、不信感さえ抱かせる。間に合わせのものを買うには手ごろな価格が有り難いにしても。
Pさんは、珪藻土バスマットの返品返金で食品用ラップ30cm×100mというのをお詫びの印か何かにもらっていて、100mもあるので長々使わないと使い切ることができないのに、これが今ひとつ使いにくい。売り場で見たことがなく、カインズのPB商品だと思い込んでいたけれど、リケンファブロという会社の国産品だった。自社製品では気が引けたのか、それより安く仕入れたのかわからぬが、耐熱130℃と書いておきながら電子レンジへ入れるとくっつき合って剥がれず、冷蔵庫へ入れても剥がれが悪い。ぐにゃーっと引き伸ばしたところへ指を突き刺し非文明的に引きちぎっている。粗品としか言いようのない粗品で、と言うか嫌な気持ちにすらなって、粗悪品と呼びたいかもしれない。
Pさんの家ではタイマーでテレビがついたりして、見る気がなくても見てしまう。液体洗濯洗剤が殆ど水という宣伝を見て、何?何を?今なんて?となった。そんなの、あんまりだと思う。どういうことだよ。今までの宣伝をゆっくり時間をかけて再放送してもらい、改めて話を聞きたい。
19時過ぎに37.7度の発熱があった。身体の怠さや痛みは然程なく、咳もそう出ず、喉が少しだけ痛む。それでも熱が出たからとPさんには帰宅を先送りすべきと言われてしまった。こうなるとキリがない気がしてくる。最初の熱から一週間安静にして、もう家へ帰るつもりでいた。犬もひともいない自宅は寒々と静まり返り、廃墟めいてさみしい。早く帰り、犬と人間の住処らしく整えたい。
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