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へりつにくこしにとつてへと [日々の暮らしで思うこと]

Tuesday, 6th July 2021

金曜日の夕方、YouTubeでMorrisseyのSuedeheadを見た。1988年頃から歌うそれは、ソロになってからの代表曲だと思う。ライヴではステージに上がりMorrisseyに抱きつく客がいて、The Smithsのときから近年に至るまで、映像として残っているものだけでも少なくなく、Morrisseyがステージに立てば客は抱きつくものと決まっている感さえある。そういう見慣れた場面だけれど、これは、と思う抱擁があり、その客の心底満たされた様子に何か胸を鷲掴むものがあって、私は不意に泣いた。感情の起伏が平板になっていたので少しびっくりしたものの、見知らぬひとの幸せそうなところを見て喜ぶことができるなら悪くない、そう思った。自分ではそれで終わったつもりで、普通に過ごして、普通に寝た。皆が皆Morrisseyを愛するひとと思えば何と言うこともないけれど容易くステージに上がらせ過ぎだ、警備はどうなっているのだと思ったりしながら。

土曜日に目が覚めてはじめに思ったのが、あれは同居人と私の抱擁に似ていたということだった。ひととひとが親しみの気持ちを示す仕草など大抵似たようなものに違いない気がするけれど、泣くほど心が動いたのはどこかでそれを感じたからかも知れない。そんなふうに気持ちを伝えていた日々が懐かしく、そうした心をひとつにするような時間が終わりの日にもあったのは、なかったよりは良いのかも知れない。終わりの日そのものがあってはならぬと思う私は、そこに良かったことなど認めようがないけれど。

大雨の予報に犬へ留守番を頼み、PさんとふたりでPさんの運転するPさんのクルマで食料品を買いに出かけた。さっさと買ってさっさと帰る話だったけれど、Pさんはいつもながらに時間がかかり、少しもさっさとしなかった。と言って先に買い物を終えた私がクルマで待つだけのことで何の問題もなく、Pさんは私に安売りスーパーマーケットで鰻丼を、とんかつ屋で蟹クリームコロッケを買ってきてくれてもいた。一万四千円使っちゃったなどと言って。私は好きなイチゴジャム2瓶を買いながら4577円なのだった。安売りスーパーマーケットは品揃えが安定せず、明治屋のつぶつぶイチゴジャムが三か月くらい売られず仕方なくアヲハタ55を買っていた。今週になってアヲハタ55は売られず明治屋が帰ってきたのである。無くなると惜しい気はして、明治屋もアヲハタも両方置けばよいと思う。

帰り道、会社での不満を熱中して語るPさんは、後方確認せずに車線を変えようとして、「クルマがいます」という私の声は耳に届かず、事故を起こしかけた。ごめん、本当にごめんと言うのでうんと答えるともう一度、ごめん、本当にごめんと言うので私もまたうんと答えた。すると直ぐに会社での不満に戻った。同僚のやる気のない仕事ぶりに苛立つ気持ちは解るので黙って聞いたら良いのかも知れないけれど、マインドフルネスなんてことが私の頭にあって、事故を起こしかけてもいて、殆どが何回か聞いた話でもあって、「どうにもならないことに目を向けず、そういうひとと諦めてはどうか」と言ってPさんを怒らせた。この場合、そういうひとと諦めなくてはならないのは私だった。そうは言っても、一週間後の歯医者で何が起こるか気に病んだり、雨が降りそう暑くなりそう寒くなりそうと、そうなってから考えてよいようなことも思い悩むなど、Pさんは心配や不満に心を奪われがち、負の気持ちの量産マシンのようで、心配性ならまずは安全運転をと思ってしまう。雨が降りそうだと気にしても降るときは降るけれど、安全運転をしたなら事故を起こす確率が減る筈なので。

安売りスーパーマーケットの鰻丼は養殖鰻の脂っぽさと小骨の多い雑な処理があったものの美味しく食べた。蟹クリームコロッケを鰻丼に添えるかしらと思いながらコロッケも美味しく食べた。そしてPさんの買ったものと私の買ったもので冷蔵庫がぎゅう詰めなので、私が肉を冷凍した。私は冷凍保存袋に肉を薄く平らに入れるのだけど、Pさんは裏返した袋で掴んだままのような拳状で保存する奇怪な派閥に属しており冷凍室が有効利用できない。日付すら書かないこともあって、私が冷凍するに限るのだった。それから犬に買った二週間分の豚のモモ肉と若鶏のムネ肉を圧力鍋で手で解れるまでに加熱、冷めたところを一回分ずつに分け、これも冷凍保存した。冷凍室に隙間なく肉を詰め込んだ。

白犬ちゃん

日曜日は犬のグルウミングの日で、私の運転する私のクルマで出かけた。Pさんも一緒だ。天候を案じるPさんに従いベビーカーに似た手押し車を持参、Pさんは駐車場から駅ビルにある犬の美容院まで手押し車に白犬を乗せて運んだ。複数の犬を乗せてよい造りだけれど、路面の凹凸でガタガタと音がして揺れる手押し車に乗ることができない茶犬は私が抱いて行く。元々Pさんに必要と説かれ買った手押し車で、Pさんが言わなければ使う機会はない。ひとりで白犬茶犬を運ぶときには白犬を手押し車へ茶犬を袋状のスリングへ入れ便利さを知るものと思う。

このところ保湿性があり毛もつれしにくく汚れ落ちもよいというシャンプーコンディショナーを使うオプションを頼んでいたけれど、茶犬の腰の辺りの抜け毛が再び十円ハゲとならぬよう、薬用シャンプーノルバサンとマイクロバブルバスと歯磨きの三つにオプションを変えた。仕上がりは前回と変わらぬふわもこで、会計は計算ミス無しで18260円だった。抜け毛を防ぐ策で前回より二千円くらい安いことになった。だからという訳ではないけれど、先月、九月までの予約をした私は、今回、十二月までの予約を済ませた。無職で出不精の私に忘れてならない用事は他になく、犬のことのみが予定表にある。

六月の茶犬ちゃん
とってもおりこうさんでした

犬を待つ間、とんかつ屋で昼食することが多かったけれど、最近は崎陽軒のシウマイ弁当やパン屋のパンを買い、クルマで食べている。駅ビルにはチェーン店で一番美味しいと思うパン屋、ポンパドウルがあるので都合がよい。今回は昼に食べるパンのほか、ラスクと瓦煎餅的な焼き菓子を買い、パンの耳をもらった。パンの耳は食パンの両端、全面に焼き色のあるもので、一番美味しいところを四枚ももらって嬉しい。十枚二百円くらいなら買ってもよいと思っている。

ワンピースと靴下は無印、下着はユニクロで済ませていたものの、経営方針に疑問を持てば買う訳にいかない。貨幣価値の違いで外国に工場を持つのはともかく、正しい雇用でないとしたら見過ごすことはできない。国内の労働者は職を失ったり条件や賃金を抑えられ、外国の労働者も不当に扱うしかないなら、企業を維持する意味はどこにあるのか。あまり多く稼ぐと税金がバカにならぬと聞いており、富は分配してはと無い知恵で考える。手芸が酷く苦手だけれど既に買ってしまったものがボロボロで使えなくなったなら、フェアトレードか何かの布を手に入れてワンピースや下着を拵えようかしら、靴下は編むのかしら。想像すると少し怖い未来に、靴下やパンツなど履かなくてもという逃げ道が既に心の拠り所となりつつある。果たしてワンピースは如何に。
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尼寺へ行け、雨靴で [犬のこと]

Friday, 2nd July 2021

月初めには犬にフィラリア予防薬をあげる。忘れぬよう一日にあげましょうと獣医に指導されるので日本中の犬の多くが一日に予防薬をもらうのではと思っているけれど確かめてはいない。犬という犬が予防薬を飲み込む図を思い描くだけのこと。フィラリア予防薬はこれまで六月から十二月に飲ませるものだったが、私の通う動物病院では今年、五月からの服用に変わった。温暖化で五月にも蚊が出るためである。気候の変わり具合はこんなところにも遠慮なく影響するのだった。

フィラリア予防薬はノミ、ダニ、お腹の寄生虫の駆除もできるオールインワンを謳う薬で、昨年まではビーフ風味で食いつきがよいというネクスガードスペクトラを使っていたけれど、全く食いつかぬので栓なくキリクリームチーズで包んでいて、だったら錠剤でよいと思ってクレデリオプラスに変えた。少し値段が安くて得したような気でいると白犬が体重を増やし2.8kgまで対応の薬なのに2.75kgくらいになっており、浅薄にも今年の分の薬をまとめ買いした私はもう体重が増えませんようにと願うしかなく、ネクスガードスペクトラであれば1.8kgから3.6kgまで対応なので来年は元に戻したい。切実に減らしたいのは私自身の体重であるのは置いておいて。

今年の十月で十歳になる犬は徐々に老化していて、晩春辺りにごく初期の白内障との診断を受け、ピレノキシンという点眼液を使い始めた。これは治すのではなく進行を防ぐためのもので、効きめがあれば生涯使い続け、悪化したときには薬を変えるか手術することになるらしい。頼りになるのかそうでないのか判然とせぬ薬ながら、一日三回の点眼ではじめて効果に期待できて、二回では全く何もしないのと同じという癖がある。そして保管時は容器を立てて置かなくてはならず、使用前にはよく振らなくてはならない。犬のためと思えば何と言うこともないけれど効くかあやふやにしては容器を寝かせると駄目になる液体だなんてちょっと生意気な気がする。

これも老化ですかと獣医に聞いたのは白犬の毛の変色について。白犬と言っても血統書にはクリームと書かれており、幼い頃には背中に十字の色濃い部分があった。十字はやがて薄れて周りの毛に紛れ、ここ何年かは全体に白っぽく、膝裏など濃いところが部分的にある状態で落ち着いていた。それが今年に入った辺りだろうか、尾の付け根に濃い色が出始め、そこから背にも尾の先へも広がり、今は後頭部から背中を通り尾の先までが濃い色になっている。獣医は老化とも老化でないとも答えず、毛をくしゃくしゃ揉んだり、かき分けて皮膚を見たりしてから、痒がらなければ大丈夫でしょうと言った。耳を掻くのは時々見るけれど背中を掻いているのは見たことがなく、孫の手でもないと届かぬのではと思ったけれど、今のところ大丈夫なのだろうと理解してわかりましたと答えた。答えたあと地面に背中をこすりつける犬の映像を思い出して、痒がらなければの意味を悟った。白犬はジャーキーなんかを器用に掴んでかじるので孫の手だって使うか知れぬと思いながら。

長年通う犬の美容院は駅ビルの店子、ペット用品を扱うペットショップ併設で、ペットショップのひとたちは会計に慣れていて手際がよいのに比してトリマーさんたちは犬の扱いは上手いけれど会計はあまり芳しくない。支払いは毎回二万円を越えるのだけど、五月は18000円くらいで、おやつを買わないと随分違うことと思っていたら、駐車場へ向かう途中で戻ってほしいとの電話があって、一割引するところを三割引で会計してしまったのでやり直したいと言うのだった。かかった料金を踏み倒すつもりもなく、やり直しに応じたけれど、気軽に昇降出来る階でないためエレベータで行ったり来たりせねばならず閉所がつらかった。

行ったり来たりせず済ませるからねと待ち構えた六月の会計は6800円で、バビロニアとモンゴロイドの二匹ですがと言うと、それが何かという澄まし顔で、いつもと全く違う金額ですけど大丈夫ですかと踏み込んでやっと、んんんと考えて間違いに気付いてくれた。正しい金額は20700円であった。おやつを買わずに。どう計算したら6800円になるのか謎だ、七割引だろうか。トリマーさんからは耳の後ろにもつれ毛があったとかバブルバスでうたた寝したとか施術中の様子を手紙で知らせてもらうのだけど、獣医では悪名高い拙宅の犬について、今日もとってもおりこうさんでしたと毎回必ず書いてくれて、もらうたび気分が良い。私がトリマーさんについて手紙を書くとして、とってもおりこうさんでしたと書く気がなく恐縮だけれど。

私がPさんの台所へ寝泊まりしているばかりに犬もPさんの台所で寝泊まりするのだけれど、シートを多めに敷いてもシートでないところへ用を足すことがあって、このところPさんは仕事から帰るたび臭い臭いと何度も言って、申し訳ない気持ちと籠池夫妻かよという気持ちが同時に生じて、犬へ感情的に苦情を言うので直ぐに籠池夫妻かよの気持ちが勝って、犬に申し訳なく思って終わる。躾や生態については諸説あって絶対とは言えぬものの、叱ると排泄を我慢することがあり健康に悪いと見聞きしており、失敗は人間が解決するもので、百発百中シートにせぬだろうし匂いがしても仕方ないと思っていて、怒りをぶつけるPさんを理解できない。誰にもよいことのない暮らしで、方向性の違いを理由に解散すべきではと思う。

心も身体も健康に近付けて弱気になるあれこれを捨て去り、クルマで犬と犬と私で遠出したい。いつか海まで行くことが出来たらと思う。どんなにか幸せだろうと思う。犬と犬と同居人と私で海へ出かけると、いつもいつも楽しかったので。

犬がとってもおりこうさんでしたと書かれた手紙をもらう、いつか海まで行くことが出来たらのふたつを気分をよくするリストへ加えたい。
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ずぶ濡れて行き倒れる [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 1st July 2021

土曜日、愛車ニーチェの六か月点検に出かけた。昨年末納車された、持っているお金を使い果たしてしまえ野となれ山となれどうせ近々死ぬわと投げやりな気持ちで軽はずみに買ったクルマである。それまで乗っていたクルマの車検見積もりのついでに見せてもらい、乗り込んでみたり装備や機能を聞くうち売値を示された。滅多にない破格の値段だそうで、即決を渋る私に、逆に買わない理由は何かしら?と担当者上役が訊いてきて、担当者とPさんもどうして?と私の顔を覗き込み、何故Pさんが買わせる側なのかはさておき、三つのぽかんと間の抜けて見える顔へ、じっくり考えて決めたいと説明するのが面倒になった。車検の見積もりに来たのですと元へ戻すのが億劫だった。百円の消しゴムを買うにも熟慮の要る私の生き方を知ってほしいと思わなかった。それであっさり口車に乗る形で手に入れたクルマだけれど体調が今ひとつで大して乗らぬものの車庫入れに馴れてくるなどして愛車感は芽生え、その愛は日に日に増しつつある。

これが同居人であれば打ち合わせ無しでどちらかは乗り気だけれどどちらかは迷っているという役割が即興出来て、もう少しよい条件を引き出したり、一旦帰って相談する流れに持っていくのだった。そうして最善と思えるときに最善と思えるものを選ぶのだけど、そんなことはもう私の暮らしには容易く起こり得ない。仕方ない。にしても前のクルマに乗り続けるのは難しかったし、今の暮らしにクルマは欠かせず、買うのは時間の問題と言え、私の納得を待って構わなかったと思う。短時間で商談を成立させ、担当者らはしてやったりと思ったか知らぬが、クルマに落ち度がないのに売り方で気分を悪くさせてはプロとして駄目だと思う。揃いも揃って間抜け面に見えては駄目だと思う。

間抜け面と言えば、昨朝、Pさんの前歯がどうにかなった。結構深刻な事象で歯科へ行くことになり、予約の電話をするよう頼まれた。そう、私は未だにPさんの台所に寝泊まりしているのだった。自宅へ戻りたいけれど戻るときにはPさんと一緒に暮らす決まりで、それには片付けが要るのだけど、これが捗らない。年内にはどうにかしようと思ってはいて、168袋のゴミと30個くらいの使えぬものを処分した。これは処分と決めるのが難しく、いちいち胸が張り裂ける。オープンリールのテープレコーダーとかツマミがいっぱいあるイコライザーとかデカくて重いスピーカーとか持っていたかったけれど、同居人でないと真価を活かせないので諦めた。Pさんからは早く転居をと急かされるけど、こういう片付けはさっさと済ませられない。いちいち胸が張り裂けているのだから。私の得たり失ったりしたすべてとそれらについての思いを知らないことにはわからない話で、理解が得られるとは思わぬけれど。

カウンセリングのとき、ロシア民謡の一週間の歌のような暮らしですと言うと先生がどういうことかしらという顔をして、木曜日に沸かした風呂へ金曜日に入るような歌ですと付け加えたら、ああと歌を思い出した顔になって、お湯が冷めますねとの返答があった。ささやかであっても何か出来たことを評価しましょうとも言ってくれた。甘やかされた気がするものの、望むような能力を持っていない感じはあって、何もかもが手に余り苦しい。小さな一歩を一歩と数えようと思う。携帯電話のヘルスケアという見張り機能によれば私の一歩は概ね60cmである。

昨日はPさんの猫に朝ごはんと水をあげ、Pさん宅のゴミを捨て、Pさん宅のガス料金を払いに郵便局へ行き、歯科へ電話をしてPさんと私の予約を取り、その日が茶犬の通院と重なったので獣医に予約変更の電話をして、夕飯に餃子を拵えた。割といろいろ出来た一日だった。餃子の皮はモランボンの大判で案外美味しい。Pさんは世界一美味しい餃子を作ると自惚れながら餃子用カット野菜を使った棒餃子などを出してきて、私には美味しさが全くわからず困っていた。あるとき、モランボンの皮を選び、野菜は私が切り刻むと言って以降、餃子作りは私に任されており、Pさんは世界一云々を言わなくなった。Pさんが単に手間を省いただけだとしてもカット野菜の棒餃子から解放され私は嬉しい。

クルマが欠かせぬ暮らしと言っても、ようやく760km走ったような具合で、給油したのは六か月で二回である。初回は確か二月で、1リットル125円くらいだったのだけど、二回めの先週は145円に値上がりしていて、ハイオクかよと思った。鳥の糞が付いていて洗車機に入れるか迷ったけれどやめた。カローラに行くしと思って。六か月点検に行って何か気になるところはと訊かれて洗車してもらえれば大丈夫ですと答えた。またどこかがキレイになる何とか剤とか薦めてくるのかしらと案じていると今回は担当者上役がおらず何とか剤の押し売りはなかった。ただ、地域でナンバープレートの盗難があり、一般工具では外せないナットに替えてはどうかという提案があって、交換してもらうことにして3300円払った。自分で決めたことで不満は無いけれど、盗もうとしたナンバープレートが思うように外れなかったとき、車体を乱暴に蹴ったりしないかしらと後になって思った。クルマ一台の管理にしても安心安全なんてことはなく、出来るだけそうあるよう心がけるしかない。生き物であれば生きていることが奇跡、偶々、幸か不幸か死んでいないだけだとも思う。だからどうということもないけれど。

クルマは点検料金がかからないようなサービスが付いていて、それを売りにしていたりするのだけれど、行くと無料項目だけで済ませる感じがなくて、本当に頭の悪いやり方だと思う。何も押し売りされなければ、純正品なんか野暮ったいものばかりだけれど、ドライブレコーダーとかスピーカーとか徐々に備えてもよいという考えが心のどこかにあったのに。ひとに聞かれたら私のカローラへ行きなさいよと言ってもよかったのに。

いつか、夜中に同居人と歩いていて、自販機で飲み物を買おうとしたら、硬貨を入れても品物が出ず硬貨は戻らないということがあった。自販機の真ん中辺りをぼこぼこと二回蹴ったところで、同居人がそんなことをしては駄目だよと言った。出てこないかなあとまだ蹴りたそうに聞くと、蹴っても出てこないと断言するのでそういうものかと納得した。同居人が言うならそうなのだろうと思えることが割と多くあった。とは言え自販機から戻らない硬貨が惜しくて貼られた連絡先に電話をかけた。夜中のことだから留守番電話であった。思いつくまま適当に苦情を言って切ったのだけど後日折り返しがあり、返金代わりにクオカードを送らせてくださいと言われ、嫌です、ケチリストへ載せるつもりでしょうと答えるとそんなことはしないそうで、何故なら大抵のひとは連絡せずにただ買わなくなってしまうけれど連絡があれば故障を直せて返金も出来て有り難いのですと言うので住所と名前を教え、300円のクオカードを受け取った。ケチリストへ載せられなかったかはわからない。ケチリストが存在するのかどうかも知らない。

何をしたら楽な気持ち穏やかな気持ちになれるかリストアップするのがカウンセリングの宿題で、百個くらい書きたいのになかなか思いつかずにいたけれど、餃子作りは悪くなかった。寝るときに使う氷枕も気持ちよい。このふたつはリストへ載せよう。
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こしにとりてつくへりにしと [同居人のこと]

Wednesday, 5th May 2021

セトウツミを見た。友人から誕生日プレゼントにDVDを貰って、体調のよいときに見ようと思い、体調のよかったのが数日前のことで、誕生日から九週間ほど過ぎてやっと見た。どういうひとも様々な事情を抱えて暮らしているらしいことが無駄に誇張せずさらりと描かれていた。どこにでもありそうな暮らしに、打てば響く心地よい会話があった。最適解の応酬に見えた。こういう言葉を交わしてどうにか、ひとは生きていくのかもしれない。機転や話術の巧拙でなく、ひととひととの関わりがもたらす妙を、何かしら糧にして。

プレゼントしてくれたひとはセトウツミを菅田将暉の現在の代表作と言っていて、たしかにそうだと思った。池松壮亮も悪くなく、このふたりでなかったら他の誰が演じられるか心当たりがない。池松壮亮と染谷将太を見分けにくいというひとがしばしばいるけれど、憂いのあるのが池松壮亮で憂い少なめなのが染谷将太だと思う。憂いを基準にすると概ね見誤まらぬ気がする。私には確信のことだけれど、書きながら説得力がないとは思っている。

プレゼントには不織布マスクもあって、洗ったものでない真っ新のマスクには小さな毛羽立ちが顔へ当たる不快さが全く無く、劣化していないマスクの肌触りの良さに感激した。通院や買い物など人混みへ出るときには新しいマスクを使わせていただいており、有り難いことである。大臣や何かが屋外でマスクを着用していても感染するというようなことを言ったとして私に出来ることは他になく、マスク外出・うがい・手洗い・ステイホームである。もうあれだなと自分でも意味のわからない曖昧な降参を言って派遣会社の登録を全て抹消しており職に就くつもりがさらさらなく、通院と犬の用事と必需品の購入だけが不要不急ではない外出だ。

自宅待機の感染者に死者が出て、変異株が増え、ワクチン接種は進まぬ、と聞いて間近に迫る今夏、オリンピック・パラリンピックが出来るのか謎で、こうであれば開催或いは中止と決める具体的で明確な判断基準がどこかに必ずあると思うけれど、私などはただただ感覚的に当てずっぽうで案ずるしかなく、二年の延期としなかったのが運の尽きではと思ってしまう。東京でオリンピックと決まったとき、果たして私はそれを見ることがあるだろうかと考えたのは、自分の持ち時間がそれ程ないのではと思ったからだけれど、疫病が妨げになるとは思わなかった。予知能力が皆無と言うか、先を見越す思考が粗末と言うか。


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うるう年でなければ二月の月末は私の誕生日で、これまで、というのは私がまだ終わっていなかった頃のことだけれど、その頃であれば、午前零時に誕生日へと日付が変わると同居人から「ひねちゃん、誕生日おめでとう、これで同じ歳になったね、今年もよろしく」と、新年を迎えたときと大して変わらぬ文言の挨拶が毎年あった。学校へ通わなくなって百万年くらい経った気がするけれど、そこを考えずに言えば同居人と私は学年が一緒で、端午の節句生まれの同居人がまず歳をとり、梅雨と夏と秋と厳冬を経て、私が目出度く歳をとる。同じ年齢である三月四月の二か月と一歳違いの残りの十か月の暮らしに何の違いもないものの、「同じ」であるのを喜んでいるかのような祝いの言葉を聞くと悪い気はしなかった。何があっても我々は常に同じ側、同じ立場、同じ場所に居るだろう、そう思えて「こちらこそよろしく」と素直に返事をするのだった。照れ隠しに肩をすくめるなどして。無精ひげすら愛らしいなどと心のうちで思って。

今年になって通院先の医者から三月末に転勤するとの話があり、その医者は私からするといつまでも"新しい医者”だったけれど、馴染めぬまま思いのほか年月は流れていて、前の主治医に診てもらわなくなって三年が過ぎていた。三年前、頼りの主治医を失い途方に暮れたとき、私の終わりは割と直ぐそこに迫っていた。最後に受診した三月三十一日の夕方、至近のカインズの駐車場から病院の方角にブルームーンと呼ばれる満月を眺め、先生がいなくなってしまう会えなくなってしまうと心細くさみしく思ったけれど、今となっては随分暢気だった。頼りの主治医を手始めに、大切な何もかもを失うとは考えていなかった。得たものはやがて失う。物の道理であるのに。

父と母とそれから子どもの頃に世話をした犬二匹は寿命を生きなかった。時に出会う打ち解けられるひととは何かしらの事情で離れた。私が思い入れを持つと去る。そうした決まりがあるような気がして出来るだけ何にも執着せぬよう心掛けた。それでも前の主治医などはどうにも好きで、転勤の話が出たときには失敗した好きになり過ぎたと思った。母との関係は複雑だったし、好きでも何でもない"新しい医者"も転勤した訳だけれど。

常々、いい加減にしてほしい、これ以上何も奪わないでほしいと思っていた。平均値など知らぬが、私は両親と犬を早く失ったと思っており、誰かと親しくなれば離れ離れになる気がしていて、そういう悲しみさみしさは充分に味わった。これよりまだ急な何かがあってはバランスが悪い。あからさまな狙い撃ちでやってられない。不公平だ。耐えられない。そんな思いが強く強くあって、もう大して酷い目には遭わないのではと期待した。そうであろうと信じてすらいた。どこかで誰かが運命を操ったりバランスを気にしたりしている筈もないのに。

小学生の頃、予防接種は出席番号順に注射されて、出席番号の後ろのほうだった私は順番待ちが嫌で面倒なことはさっさと済ませたかった。その小さな望みは一度も叶わなかったけれど、それとこれとは全く別の話ですよということに限って順番が早々と回ってくる。

それで二年前の二月に私は喪主を務めた。泣きもせずに。悲しんでいるか怪しいと詰られながら。でも、何て言うか、泣いたら本当のことになってしまう気がするんだよね、どうしても受け入れられないあれこれが。私は犬たちと留守番している。そう思っていたい。おみやげは何かなとか、電話がないなとか、待ちくたびれたねと言いながら。

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海のきゅうりとえんどう豆のカニ [日々の暮らしで思うこと]

Thursday, 14th January 2021

マスクはできるだけ丁寧に押し洗いして、清潔を目指しつつ素材が傷まぬような手入れを心がけてはいるものの、そう思い通りになるものでなく、目詰まりか素材の劣化か何か、使うと息苦しくなるマスクが出てきた。初めはどれが何回目の洗濯とわかっていたけれど、次第にどれがどれだかわからなくなった。そんなものが三十枚くらいあって、総入れ替えできるほど未だマスクの入手は容易でなく、呼吸しにくくなったものを徐々に捨てていこうと思う。ウレタンマスクはいつまでも呼吸しやすさが続くけれど、感染予防に効果的でないと聞いて、散歩など外気に触れるときならよさそうに思って使う。見たところ劣化した気がせず半永久的に使えてしまうのではと淡く期待したら、そっと引っ張って耳へ掛ける部分が千切れて、こちらも順調に古くなっていた。マスクは元々消耗品だったことを思い出す。一回使って捨てていたなんて遠い過去のことのよう。

私も順調に古くなっていて、ひとはどこで老化を思うか知らないけれど、前後に太る感じがして、あら、と思った。太るのは横へ広がるものと思っていると、前後へ厚みが増すように肥大する私、というものに気付いて歳をとるというのはこれだと思った。これだと見つけて喜べる宝物や隠し絵とは異なり、野放しに進まれては困る老化で、真面目に痩せるべきだと思う。正面から入れぬ幅だからと横向きになりスイスイ抜けようとして進路へハマるような悲喜劇が起こる前にどうにかしたい。それにしても、人生には様々なトラップが用意されている。癪なのでこれと言った反応をせずに、無表情で無感動にかわしていきたい。誰に対する意地だかわからないけれど。

コンビニエンスストアがもう無理だなと思った頃、宅配便の中継センターで荷物を仕分けるアルバイトをした。一時的には重複しており、コンビニエンスストアへ行った後、荷物の仕分けへ出るなど、私にしては頑張った。センターは宅配便企業の中では最先端の設備を導入したものらしいのだけど、機械ができることには限界があり、と言うか、機械化自動化に現場を知るひとがいなかったとしか思えぬ設備だった。配送地域ごとに大きな滑り台みたいなものがいくつもあって、機械に振り分けられた荷物が滑り落ちてくる。伝票を読み取り、どの滑り台へ流すか、それだけが機械化されていた。じゃんじゃん滑り落ちてくる荷物を配送小型コンテナへ詰めるのは人間の仕事である。

荷物には番号が振られていて、バラバラに落ちてくる荷物を番号ごとに指定のコンテナへ詰める。ひとつの滑り台に大抵ふたりが配置され輸送先別に十個くらいのコンテナへ詰めていく。荷物の大きさは様々あって組み合わせが難しいけれど、次々に滑り落ちてくる荷物を停滞させず、指定のコンテナへ誤りなく、無駄なく、隙間なく詰め込まなくてはならない。それらをしながら重さが規定を超えていそうなものや伝票の剥がれたものなどを選り分けもする。企業からの大口のものなど短時間に大量の荷物が流れると作業が追いつかず、滑り台に荷物が溜まり、溢れるばかりになっても機械は振り分けるのを滅多にやめない。溜まった荷物をコンテナ脇へ取り敢えず積み上げて、他の滑り台から手伝いに来てもらってこなす、逆に間に合わない滑り台へ手伝いに行くというのが日常的で、機械化してこの効率の悪さは何なのか疑問だったけれど、皆、荷物の流れに追いつかない人間が悪いと考えているようだった。

扱う荷物は冷凍品と冷蔵品で、小型コンテナは冷凍庫や冷蔵庫、作業する部屋は4℃から6℃くらい。詰め終えると荷出し口別に人間がぞろぞろ列をなしてひとつひとつコンテナを運ぶ。コンテナに轢かれたり押し潰されたりせぬよう指導を受けたけれど、コンテナの中に積み木のように荷を積むのは難しいにしても、詰め終えたコンテナを指定の荷出し口へ移動させるくらいのことは機械化すべきだ。化粧室へ行くと明かりが自動で灯ったり消えたり、手を出せば石鹸や湯が出たりしたけれど、どう考えても、そこじゃない。そんな気持ちと常に追われる感じと寒さに耐えられず、不甲斐ないように思ったけれど、荷分けのアルバイトは長く続かなかった。二か月働いて一か月休むような社保逃れを行う企業でもあって、もっと頑張るべきだったとも言い切れない。精神的に弱っていると不採用になることを過度に恐れ、採用されやすさだけで仕事を選んで失敗する悪循環のようなものは痛切に学んだ。
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焼きオオヤマネの蜂蜜漬け [日々の暮らしで思うこと]

Wednesday, 13th January 2021

今月もガス料金が277円で、計測に来てもらって申し訳ない。留守がちであるのにタイミングよくと言うか悪くと言うか、玄関を出ると計測のひとがいて、請求金額277円とプリントした紙を手渡され、抗議行動だったりせぬかと慌てた。壊れた給湯器の交換を申し込んでおらず、帰宅も日に十分程度で、ガスを使う用途も暇もない。体調が戻り、自宅へ戻り、人間の生活を手に入れたなら、ガス給湯器を交換して毎日入浴して、それなりのガス料金を払いたい。書き初めの習慣があれば、その旨、毛筆でしたためたいほどの決意である。

犬の医療保険の更新が近く、次からの保険料の知らせが届いた。一か月5560円+5690円がそれぞれ千円近く上乗せの見込みで厳しいが、持病があり、九歳を過ぎていて、必要な出費ではと思う。十月から手続きしていない家畜病院での自費支払いを今月中に清算しようと思う。

年々、正月が短くなってきたように思う。私の今年の正月は二日くらいで終わった。せっかく無職なのだから一か月くらいは正月気分でいたい。ぬるま湯へ浸かりきりたい。数年前のコンビニエンスストアのアルバイトでは正月二日から働いて暇だった。煙草ケースを掃除して、埃にまみれて、蝉の亡骸と謎の豆が出てきて退屈した。そして、百円玉を入れたポチ袋を店長が配り不評だった。金額はともかく、宛名書きが呼び捨てで。何事もいちいち気遣いがなかった。

コンビニエンスストアでは、混む時間ながらふたりで店を任されて、一緒に組むひとと気が合わず、することが多いうえに味方がなくて大変だった。前の時間帯のひとを親切なように思って頼りにしたこともあったけれど、知れば知るほど曲者で、私は円満な人間関係を築くことができなかったのだと思い出して、日々、右手にカメレオンのマペットを嵌めて行き、マペットとのみ私語するなどして凌いだ。人形とだけ会話して凌いだうちに入るかわからないけれど。

曲者は田崎と言うひとで村上春樹を好きだと知り、村上春樹を読もうとしたけど馴染めないと言うと読み方を教えてくれると言ってメールアドレスを寄越して、ではと私のアドレスを教えた。中年と言うか言わないかくらいの独身男性で、メールアドレスの交換は初めて会った日のことで、一緒に組むひとには軽薄に見えて印象を悪くしたかもしれない。一緒に組むひとは曜日によって変わるけれど、女性ふたりのいずれかで、ふたりは同じ弁当屋で働いてもいて、どちらともうまくいかなかった。ダブルワークや弁当屋を馬鹿にしていると勝手に思い込んでしまい、私は私で誤解を解く努力をしなかった。毎度ふたりで陰で私を批判したことを伝えてきて一貫性がなく、私が何をしても気に入らないのだとわかりやすかった(モップ拭きに時間がかかる/雑、ブラインドを開けるのが早い/遅い、コーヒー豆を混ぜた/混ぜない等々)。

田崎は先ずは海辺のカフカを読むように言った。深い深い意味、宇宙の成り立ち、生命の起源、あらゆるものの真実と解釈があると言われたのに、読み終えて何も掴めなかった。筋を追うだけだったと言うと、読み終えたことがすごい、ハルキニストになれると言われて喜べなかった。ハルキニストになりたい訳でなく、考察のヒントくらいもらえると期待していたので、深い深い意味があるのでは?読み方を教えるとは?と思い、ひとりで読むのと変わりなくがっかりした。「ポルノのような描写を読み飛ばせ」だけが教えられた読み方だ。続けてノルウェイの森を読み始めてピンと来ず、半分まで進んでもさっぱりで、読み進めながら村上春樹は合わないと諦めた。田崎はそれを知ると、読むに適した順序があるのにそれを破ったと、勝手に読んで挫折してハルキニストの道を真っ直ぐ進まないことを責めた。私が高熱を出して、急遽シフトを変わってもらったのがバレンタインデイに近く、猫の舌を模したチョコレートをお礼に渡して、海辺のカフカを読んだ後でもあって、私は「殺された猫の舌かもしれない」と言ったのだけど、それを持ち出して私を嘘吐きと言い、手に負えない。悪趣味だ笑えないと言われれば歩み寄る余地はあるけれど、チョコレートであるのは端から互いに承知で嘘に決まっており、随分過ぎてから立腹して発掘する話ではなかった。その後も不倫はよくないと私が田崎に好意があるかのように戒められたり、殺人事件へ触れたメールに「交換日記」「死体」の文言を用いたことから、私が田崎と「交換日記」を「したい」と言ったように受け取られるなど様々あり、こちらはできれば解きたい誤解だったけれど、没分暁と言うのか、関わるだけ誤解が増す感があり、マペットとふたりして困り果てた。わからずに読む本はいくらもあるけれど、村上春樹はわからないので読まぬと決めた。私にひとを見る目がなかっただけの話なのだけど、もやもやと嫌な印象が残り、ノーベル文学賞近辺の読者の集いなどが報じられると面白くない気持ちとなる後遺症がある。

コンビニエンスストアでは労基法が全く関係なかった。レジの集計に違いが出ると弁償する決まりで、代わりを見つけなくては何があっても休めず、勤務前後無給で働く時間があり、規定月働いて有給休暇は出ない。働くことはよいこと、仕事を選ぶなと聞くけれど、どう改善されていても、もう、コンビニエンスストアで働きたいとは思わない。無法地帯で働くのなら賞金首を追いかけたい。
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壺もコップも神である [日々の暮らしで思うこと]

Tuesday, 12th January 2021

月曜日の夜から、Pさんの家に石油ファンヒーターが導入され、犬と犬と私の居場所に設置されて暖かい。ここを居間と呼んだりしたけれど、台所であることに気付いた。ソファとテレビに騙された。Pさんと猫は専ら二階に居て、犬と犬と私は台所及び食堂に寝泊まりしている。寝具は普通にあり、水道ガス電気完備で居心地は悪くない。好きなように食べてと言われて好きなように食べたら羊羹が無くなったと言われるとか、日曜日と月曜日に入らなかったので風呂へ入ったら咳が出るのはそのせいと言われたりという不自由はあるけれど。

また、石油ファンヒーターの説明書を読んでおいてと言われて読むと「石油は室内の冷暗所に置かないと劣化する、劣化した石油を使うと異常燃焼の危険も」とあり、Pさんは玄関先かベランダに置くようなことを言っていたので「石油は冷暗所へ置かないといけないらしい」と伝えると不機嫌になるのはどうかと思う。羊羹と風呂は私の落ち度の可能性があるけれど、石油の劣化は自然の成り行き、太陽の光や熱や雨が悪くはたらくらしいという話で、不機嫌になられてもどうにもならない。早く家に帰りたい。

石油ファンヒーターは私がいなければ不要だったかも知れず、申し訳ない。私の発熱をどう捉えてよいかわからず、COVID-19の流行もあり不安、というのは私もそうだけれど、Pさんは風邪をひかないひとなので、余計に混乱しているかもしれない。数日前にはホタテ貝柱の刺身を食べさせてくれたけど、体調の落ちている感じのときに生ものを食べたいとは思わない。美味しかったけど。私には、帆立貝はバターで焼くくらい、一年に一回食べるかどうかという食材で、貝柱が美味しいとはどういうことか、帆立貝など貝ひもを食べたら終わりであろうなどと思っていた。でも、刺身を食べたら、貝柱最高。びっくりした。ホタテについて、世の中の認識に追いついた気がする。

Pさんが「オムレツを作ろうと思ったけれどスクランブルエッグにする」と言って、オムレツでもスクランブルエッグでも構わない感じだった私はわかったとか何とかと返事をした。するとPさんはコツコツコツとボウルの縁で割った卵の中の全卵をゴミ箱へポイっと捨てて、卵の殻だけ手に残して真顔で、二秒くらいして「間違えた、歳を取るって怖いね」と言った。何も言われなかったり、これが新しい生活様式の卵料理と言われたら嫌だけど、誤りと言ってくれたのでよかった。別の卵が割られてボウルに入れられ、従来通りの方法でスクランブルエッグが作られた。スヌーピーの絵の描かれたハインツのケチャップを出してもらい食べた。美味しかった。

ふざけて遺書のようなものを書く訳でなく、パニック発作か何かわからないけれど苦しくて、もう死ぬのだと思って覚悟して書くけど死なない。犬と暮らし続けることができてどんなにか有り難いけれど、死刑囚のひとだって、それらしく連れ出され、刑場へ行くだけ行って房へ戻されるというようなことを繰り返されれば気が触れると思う。自分勝手に生じる発作や困惑や覚悟で、加害者も被害者も私で、訴え出るべき人権団体もなく八方塞がりで、もう終わりにしたい。全て勘違いとわかりたい。発作から解放されて楽になりたい。風邪の諸症状もなかなか治らず、踏まれたり蹴られたり。

前に、遺書のような書き置きのような紙切れを手帳型携帯電話ケースに入れていて、マツモトキヨシで会計時にレジへひらひら広がりながら落ちて気拙かった。いなくなってから読まれるつもりの、犬をよろしくとか、骨は海へ撒いてほしいなどとあるのが易々と読めて。

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日暮れのサメハダテヅルモヅル [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 11th January 2021

未だ、Pさんの家で過ごす。日に一度は帰宅するものの一時的に過ぎず、ホームシックは続く。11月から続いた気分のよさは消えたかのようで、胸とも頭とも身体とも決められぬどこかに涙や悲しみが溜まっていく感じがある。昼過ぎに犬と歩いたように思うものの写真の一枚も撮っておらず曖昧だ。歩数計の数字だけが昼過ぎに動いた裏付けである。今日のことを思い出そうとして、別の日のことを思い出す。

犬と歩いていると、大きな声で「おはよう、おはよう」と聞こえた。声のほうを向くとこちらへ背を向けたひとが無人の部屋へ向かって「いやだ、おはようじゃないわ、こんにちはだわ」と言ったあと、振り向いて私たちに「こんにちは」と声をかけてきた。平野レミを黒髪にしたような見た目の、ひとりで賑やかな感じのひとだ。おはようも私たちに言ったようで、部屋の時計を見てこんにちはと言い直したらしかった。じょうろや移植ごてを手に取ったり置いたり、頻りに動くけれど、実際には何もしていないように見える。軒先に一抱えはある大きな丸い植物のような何かがふたつ吊り下げられていて、エアプランツであれば見たことのない異色なもの、随分立派なものに見えた。エアプランツは世話が少ない植物のように思い、手に入れてはどうかと思うものの、小さなものでも高額な印象がある。少し見栄えがすると更に値は張り、値が張るほどには見栄えせぬ気がして手が出ない。これほど大きなエアプランツがあったのかと「これは何ですか」と確かめるとコキアだった。言われてみれば所々が赤い。抜き取った根を上に吊るしたふたつ、植物のような丸い何かの正体はコキアだった。干してホウキをつくるそうで、コキアというとどこかの丘一面に植えられた景色を思うけれど、ホウキギという名もあって、ホウキの材料になるらしい。ホウキを使うことそのものが少なく、自分で作ってみることなど思いもしなかったけれど、この落ち着きのないひとはそうしたことを思いつくひとでもあるのだった。「これは何ですか」など教本のような質問は、個人的なところへ踏み入り過ぎずに会話が成り立って重宝する。場が持つばかりか、物を知らぬ私には知る機会も得られ、思うより使い道がある。

私自身に成人式へ行きたい気持ちがなかったので、行くことのできない悲しみがわからない。自分では十歳で大人になった気でいて、それから十年して大人と認められても遅い。交友関係の広い人気者であったり、晴れ姿を見てほしい親類縁者でもいれば事情は変わったのか、それでも自治体に祝ってもらわなくてもと思ったか、わからない。私は振袖を買ったり借りたりする経済力がなく、別の余所行きを着てとも思わず、記念写真を撮っていない。無くて困ることは一切ないけれど、面白写真を残す機会を一回逃したとは思う。振袖や余所行きは着られるときに着て、写真を撮れば記念になるかもしれない。それよりほか、何も思いつかない。

写真や映像は忘れたようなことも記録しておいてくれる。食べてしまって、古くなって、捨てて、失くしてなど様々な理由で目の前から消えたもの変化したものの、食べる前の形、新品の見た目、失う前の姿形を見ることができる。ああ、こんなふうだったと思い出したり、こんなことがあったかしらと不思議に思ったりする。撮影してデータで残してよく、写真にしてもよい。拙宅の菓子の缶にあった古い写真の束を繰ると、どう見てもテレビ画面を写したように見える原辰徳の写真があって、原辰徳に思い入れのある身内や知り合いがおらず、何のための写真かわからない。旅行の写真に紛れていたので旅館のテレビを写したのだろうかと想像するけれど正解はわからないままだ。こんな謎を未来に残すのも一興に思う。

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パイ生地を概日時計回りに [日々の暮らしで思うこと]

Sunday, 10th January 2021

朝、酷く寒く、天気予報を見ると寒さが続きそうで冬眠したい。午前七時前の気温がマイナス五度で、これまでの冬にこうも冷える日があったろうか。夏の暑さも冬の寒さもおかしい気がする。地球が終わるものと思う。緊急事態宣言に沿い、混み合う土日を避けて平日に私が食料品の買い出しをする計画が、昨晩の発熱で予定が狂い、Pさんが犬の散歩のついでに割高スーパーマーケットで買い物した。逃亡脱走を防ぐ策か、Pさんはファンタプレミアピーチを買ってきてくれたうえに、昼食には穴子寿司と揚げイカ、夕食には海老料理を出してくれた。発熱のひと向きのメニューでない感じは置いておいて。揚げイカはエンペラが好きなのだけど出来合い惣菜の容器にひとつも入っておらず、ふたつの皿に分けるPさんは代わりにゲソをたくさんくれた。エンペラほどではないけれど、ソフトな胴の輪っかに比べ噛み応えがあってよい。安静を続けつつ、匂いも味もわかり続けている。

ファンタプレミアピーチの検索予測に「まずい」とあったけれど美味しく飲んだ。プレミアグレープの合わなかったPさんも美味しいと言い、まずいと言うひとは食生活の貧しい、味のわからないひとじゃないかと続けた。私はプレミアグレープも美味しく飲んでいて、日頃質素な食生活で、何とも返事をしかねる。好みの問題だと思ってはいる。

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同居人が釣ってくるイカは新鮮で、スーパーマーケットで売られているものとは質が違った。甘みがあって噛み応えもあって美味しい。ヤリイカとアオリイカが特に美味しく思う。同居人はヒヨコやタヌキや鳩を模した菓子を気の毒で食べられぬ情緒なので魚もイカも捌くことができない。それで私は、イカを切ったり皮を剥がしたりということを覚えたのだけど、始めは切るイカ切るイカ、プラスティックが出てきてどういうことかと謎だった。軟甲という、貝殻の名残りらしい、イカの一部とわかって安心した覚えがある。小学校四、五年生あたりにフナやカエルの解剖があったと思うけれど、解剖前の学校から解剖後の学校へ転校して、解剖をせずに小学校生活を終え、運がよいように思った。しかし、油断大敵、家庭に釣り人がいると、出刃包丁で格闘、頭を落とした魚へ肘まで突っ込んで内臓を引き摺り出すなど、事件並みの解体をせざるを得ない状況が、日常のうちに有り得るのだった。

食べるために調理は必要だけど、解体ショーは好きになれない。トリやウサギであればしないことを魚にならしてよい感じなのが理解できない。苦情があれば食文化やら食育やら持ち出す魂胆だろうと踏んでいる。随分前に、曜日ごとに和食、洋食、中華と分かれ、専門家が料理方法を教えるテレビ番組があった。中華料理は中国のひとが教えていたと思う。ある時、魚の頭を掴んで持ち上げ、エラから尾にかけて粉をまぶすと、頭を掴んだまま油の入った鍋で揚げた。魚は口をパクパクさせながらフライになった。狂気の沙汰なのだけれど、活けづくり生きづくりと言って刺身をつくることと何ら変わりなく、調理法、盛り付け方のひとつと言われればそれまでか知れず、人間は気を遣う必要がないと思ったところにはとことん遣り尽くして何も思わないことがあるから気をつけたい。揚げる側にしろ、揚げられる側にしろ、見る側にしろ。

解剖を避け、東京都大田区→地方→東京都港区→地方のように小学校を移ったが、地方へ行くと気取った都会人、都内に行くと地方の山猿のように言われ、「私は私、同じひとりの人間でありますよ、思い込みの民よ」と思ったりした。都内に住むひとは都内だけが人間の住めるところと思っている節があり、地方へ行くたび未開の地へ行くかの心配をされた。大田区で私の住んでいた辺りは長閑さがあり、そうそう都会な印象はないけれど、社宅のようなものに住んでいた私たちを除くと裕福なひとたちが優雅に暮らしており、転居先を事前に見に行って、思った以上に地の果てに見えて不安になりはした。

不安になりつつ、初めの転校は悪くなく、担任が変わって成績表に「動作が鈍い」と書かれなくなった。担任は同級生たちからカオルちゃんと名前で呼ばれる男の先生で、一年くらいでまた転校したためか同級生をあまり憶えていないけれど、先生のことは憶えている。先生が盲腸か何かで入院したときには直ぐに同級生と見舞いに出かけた。この時、花は花でも鉢花は見舞いに使えないと知った。先生に勧められ、クラス委員に立候補したりもした。同級生に「この間、授業中に泣いたからダメだと思います」と言われ、そこで悲しくなって泣いてしまい、ほらダメだとなって落選した。ダメと思われているのに立候補して失敗したと言うと「やってみようと思ったことが、やろうとして手を上げたことが立派なんだよ」と慰められ「やる気になれば何でもできる子」とも言われた。先生に言われると何となくそんな気持ちがしてきて、褒めて伸ばす手法だったのかもしれない。頭が痛いと保健室で寝ていると、どれどれと先生が自分の額を私の額にくっつけて「熱はないみたいだよ」と言われてほっとした。父といるかのような穏やかさがあった。早く教室へ戻らなくてはと思った。

ある時、同級生のみどりちゃんと喧嘩した。のんちゃんと私はみどりちゃんを憎んだ。放課後、みんなが帰ると、みどりちゃんのリコーダーを持ち出し、吹き口を金魚の水槽へ入れてかき回して元へ戻した。持ち出すまではみどりちゃんに復讐をという気持ちでいっぱいだったけれど、元へ戻すとみどりちゃんがリコーダーを使ったらどうしようという気持ちに変わっていた。のんちゃんも同じだったかもしれないけれど、お互いにそう言い出すことができないまま下校した。翌日、午後には音楽の時間があった。のんちゃんと私は相談もせずに四時間目の授業中に、みどりちゃんのリコーダーへしたことを自白して、汚れたリコーダーが使われることはなかった。みどりちゃんに謝り、許してもらった。こんなことがあれば、先生に何か言われた筈だけれど何も憶えていない。私は先生が好きだった。自分勝手なことに、みどりちゃんに悪いことをしたという思いより、先生をがっかりさせた、先生に嫌われた、そんな気持ちが強かった気がする。

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ソーダと塩のナトロン湖 [日々の暮らしで思うこと]

Saturday, 9th January 2021

大晦日に125kmまで走ったあと、新車ニーチェを動かしていない。動かさないクルマも動かしていない私もナマる気がして、昼前に犬と犬とPさんを乗せて隣町の農産物直売所へ行った。青森県産林檎ふじ二個入税込338円とガーベラ5輪@税込350円×2、合計1038円をauウォレットで払った。続けてカインズへ寄り、染髪剤ビゲンスピーディーカラー@税込398×2、合計796円をauウォレットで払った。そのままガソリンスタンドへ行って、ニーチェに初給油、レギュラーガソリン@123円を24.39L、3千円分入れて現金で払った。残り2目盛の燃油計が8目盛、概ね満タンとなったようだ。

ガソリンスタンドはいつも行くセルフスタンドで、相変わらず店員が無闇に話しかけてくる。売りつけたいものがあるならまだしも、乗せている犬を指して「白いワンちゃんの名前って何でしたっけ?」などと一度も教えたことがないのに教えたことがあるかの口ぶりで、マスクの中の口をほぼ閉じたまま早口で「バビロニアデスマスクメロンパンナコッタ」と嘘を答えると、一度はダッとかバッとか聞こえたことを繰り返そうとして続きが出ず「へえ」と聞き取れたように態度を改め「茶色いワンちゃんは?」と懲りずに聞いてくる。同じように「モンゴリアンアンガーマネージメントメントール」と嘘を言うと今度は直ぐに「カッコいいですね」と言ってきて暖簾に腕押し、カッコいい訳がない。せめて「略して?」くらい言ってくれれば会話した感が出るであろうに全く気が利かない。何のために嘘の名を用意していると思っているのか。Pさんを苛立たせることが目的で話しかけたなら成功で、鼻を出したマスクで話しかけてくるなど感染予防意識が低いと怒っていた。

13時頃帰宅、100分強、18kmの旅だった。ガーベラを自宅に飾る。10本のうち2本の茎が花の近くで折れていたので、2本は小さなコップに挿した。8本はまとめて大きめの器に。硬いセロファンで包んで売られているので茎の折れは帰宅するまでわからず運試しのようなもの。何にしても好きな花を好きなだけ買えて気分はよい。飾り終え、足りなくなった犬のごはんやおやつを持って、Pさん宅へ。Pさんのクルマへ乗り換えて弁当屋へ行く。先の帰り道に弁当屋はあったものの駐車場が入れにくくニーチェで寄るのは難しかった。何かいるか聞かれ、コロッケをひとつ頼んだ。

Pさんの家へ戻り、農産物直売所で買ってもらった餃子と弁当屋のコロッケと直売所で買ったからとくれたいちご大福を食べる。口福堂の大福は要らない、親切にでも頼まぬ限り買わないでと断ったけれど、他はまだ断っていないので勝手に買ってくれる。大粒のいちごが小豆の甘さに丁度よく、いちご大福を思いついたときの期待通りであろう酸味と甘味の組み合わせで美味しかった。餃子は小ぶりで食べやすいものの特別美味しいことはないのに何故かたまに食べたくなる謎の味。マタタビでも入っているのだろうか。コロッケは冷凍食品の味だけど食べたかった味。外側がサクッとして中身が心持ちやわらかくて甘めで、型抜きのきれいな楕円形。

餃子は同居人のつくる餃子が好きで、包んでしまうと味が落ちるなどと言って、私が帰宅してから包んで焼いてくれるのだった。市販の気に入った皮でつくってくれる餃子はパリパリしてジューシー、いくつでも美味しく食べられて、一袋で売られる皮の数が決まっていて食べ過ぎずに済むという具合。これに負けまいとすると皮を自家製にするくらいしかなく、私がつくる皮など餃子と言うより小籠包で、どうしたって同居人の餃子には勝てぬのだけど、美味しく食べられれば勝たなくたって全く構わない訳で。と、暫く買わずにいたら気に入っていた皮が売られなくなっており、もう、自宅で美味しい餃子がつくられることはないのかもしれない。never ever.

カインズでPさんが蓄熱毛布的なものを二枚買ってくれていて寝具に追加された。以前、蓄熱と書かれて売られていたものとそっくりなのに、蓄熱の表示を無くしたような気がするそうで、珪藻土バスマットの一件があり、また、何かやらかさぬよう蓄熱の文字を無くしたのではと見てしまう。一度失った信頼はなかなか戻らないばかりか、不信感さえ抱かせる。間に合わせのものを買うには手ごろな価格が有り難いにしても。

Pさんは、珪藻土バスマットの返品返金で食品用ラップ30cm×100mというのをお詫びの印か何かにもらっていて、100mもあるので長々使わないと使い切ることができないのに、これが今ひとつ使いにくい。売り場で見たことがなく、カインズのPB商品だと思い込んでいたけれど、リケンファブロという会社の国産品だった。自社製品では気が引けたのか、それより安く仕入れたのかわからぬが、耐熱130℃と書いておきながら電子レンジへ入れるとくっつき合って剥がれず、冷蔵庫へ入れても剥がれが悪い。ぐにゃーっと引き伸ばしたところへ指を突き刺し非文明的に引きちぎっている。粗品としか言いようのない粗品で、と言うか嫌な気持ちにすらなって、粗悪品と呼びたいかもしれない。

Pさんの家ではタイマーでテレビがついたりして、見る気がなくても見てしまう。液体洗濯洗剤が殆ど水という宣伝を見て、何?何を?今なんて?となった。そんなの、あんまりだと思う。どういうことだよ。今までの宣伝をゆっくり時間をかけて再放送してもらい、改めて話を聞きたい。

19時過ぎに37.7度の発熱があった。身体の怠さや痛みは然程なく、咳もそう出ず、喉が少しだけ痛む。それでも熱が出たからとPさんには帰宅を先送りすべきと言われてしまった。こうなるとキリがない気がしてくる。最初の熱から一週間安静にして、もう家へ帰るつもりでいた。犬もひともいない自宅は寒々と静まり返り、廃墟めいてさみしい。早く帰り、犬と人間の住処らしく整えたい。

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