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胡瓜は二本が限界かもしれないと思う、さすがに。 [愚]

Thursday, 8 May 2008

シリアルは牛乳に浸して食すものらしいがどうも苦手だ。
上前を撥ねておいて申し訳ないが牛乳そのものが好きではない。
特濃なんてものを飲んだ日には牛を舐めた思いがする。
牛を舐めた思いとはどのようなものかといえば「牛まみれ」な気分で
更に噛み砕くなら乳牛から直にという感じである。
実際そのような経験がなく試してみれば意外にいい場合がないとは言えぬが
どうぞと差し出されてそれではと吸い付く自信が私にはない。
そしてまた牛乳を吸ってふやけたシリアルの食感も苦手だ。
バリバリ齧る音がするくらいでなくてはと思う。
ではなぜシリアルに牛乳をかけるかといえば
牛乳のかかっていないシリアルを匙ですくう姿が嘘臭くマヌケなのである。
手掴みで済ませればいいものを仕込まれた芸当を見せんと張り切っているようで。
匙を使うことの自然であるよう取り繕いカルシウムを補う。
一石二鳥な感じの少しもしないのがまたいい。どういいか知らぬが何となくいい。

昼食の副食に迷う。冷蔵庫を開けると胡瓜が入っていた。
他にもきのこや肉なんかも入っていたがここは胡瓜だと思った。
洗うだけでいける。
青豆飯ひと口ごとに胡瓜ひと齧り、ガリとかバリボリなどと爽快な音がする。
調子に乗っていたら茶碗一杯終わる前に胡瓜がなくなってしまい
追加の一本を慌てて洗う始末。始末といっても全く苦でない始末。
やはり胡瓜は丸齧りに限るねと言ってみた。誰もいない部屋で。
するとどんな電波を受信したか同居人から電話が入り様子を訊ねられる。
「胡瓜を二本」と報告すれば「青豆ご飯があったはず」などと言うので
「そのおかずに」と答えれば「他にも様々な食材を保管しておいた」と
半ば責め口調で仕舞いには頭から皿が生えるなどと脅し言葉を吐くのだった。
生えてもいいけどね、皿。甲羅は重そうだから断るけど。
胡瓜といえば河童というのがまたいい。どういいか知らぬが何となくいい。

ヤフオクに100冊ちょっとの本を出品した。
全部売れたとしても壱万円に届くかどうかというところで
全部売れる可能性は非常に低い。
儲けよりは読まれることなく棚に置かれたままある本の
行き先を探すのに近いと胡散臭いことを言ってみるが
案外本当の気持ちに近かったりする。
でなくてはやってられないくらい手間がかかる。
というかかけなくてよい手間をかけてしまったりもする。
こういうときこそ胡瓜二本の大雑把さが出てくれればと思うが
三本目はさすがに無理。何が三本目で何がさすがなのか知らぬが。

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