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へりつにくこしにとつてへと [日々の暮らしで思うこと]

Tuesday, 6th July 2021

金曜日の夕方、YouTubeでMorrisseyのSuedeheadを見た。1988年頃から歌うそれは、ソロになってからの代表曲だと思う。ライヴではステージに上がりMorrisseyに抱きつく客がいて、The Smithsのときから近年に至るまで、映像として残っているものだけでも少なくなく、Morrisseyがステージに立てば客は抱きつくものと決まっている感さえある。そういう見慣れた場面だけれど、これは、と思う抱擁があり、その客の心底満たされた様子に何か胸を鷲掴むものがあって、私は不意に泣いた。感情の起伏が平板になっていたので少しびっくりしたものの、見知らぬひとの幸せそうなところを見て喜ぶことができるなら悪くない、そう思った。自分ではそれで終わったつもりで、普通に過ごして、普通に寝た。皆が皆Morrisseyを愛するひとと思えば何と言うこともないけれど容易くステージに上がらせ過ぎだ、警備はどうなっているのだと思ったりしながら。

土曜日に目が覚めてはじめに思ったのが、あれは同居人と私の抱擁に似ていたということだった。ひととひとが親しみの気持ちを示す仕草など大抵似たようなものに違いない気がするけれど、泣くほど心が動いたのはどこかでそれを感じたからかも知れない。そんなふうに気持ちを伝えていた日々が懐かしく、そうした心をひとつにするような時間が終わりの日にもあったのは、なかったよりは良いのかも知れない。終わりの日そのものがあってはならぬと思う私は、そこに良かったことなど認めようがないけれど。

大雨の予報に犬へ留守番を頼み、PさんとふたりでPさんの運転するPさんのクルマで食料品を買いに出かけた。さっさと買ってさっさと帰る話だったけれど、Pさんはいつもながらに時間がかかり、少しもさっさとしなかった。と言って先に買い物を終えた私がクルマで待つだけのことで何の問題もなく、Pさんは私に安売りスーパーマーケットで鰻丼を、とんかつ屋で蟹クリームコロッケを買ってきてくれてもいた。一万四千円使っちゃったなどと言って。私は好きなイチゴジャム2瓶を買いながら4577円なのだった。安売りスーパーマーケットは品揃えが安定せず、明治屋のつぶつぶイチゴジャムが三か月くらい売られず仕方なくアヲハタ55を買っていた。今週になってアヲハタ55は売られず明治屋が帰ってきたのである。無くなると惜しい気はして、明治屋もアヲハタも両方置けばよいと思う。

帰り道、会社での不満を熱中して語るPさんは、後方確認せずに車線を変えようとして、「クルマがいます」という私の声は耳に届かず、事故を起こしかけた。ごめん、本当にごめんと言うのでうんと答えるともう一度、ごめん、本当にごめんと言うので私もまたうんと答えた。すると直ぐに会社での不満に戻った。同僚のやる気のない仕事ぶりに苛立つ気持ちは解るので黙って聞いたら良いのかも知れないけれど、マインドフルネスなんてことが私の頭にあって、事故を起こしかけてもいて、殆どが何回か聞いた話でもあって、「どうにもならないことに目を向けず、そういうひとと諦めてはどうか」と言ってPさんを怒らせた。この場合、そういうひとと諦めなくてはならないのは私だった。そうは言っても、一週間後の歯医者で何が起こるか気に病んだり、雨が降りそう暑くなりそう寒くなりそうと、そうなってから考えてよいようなことも思い悩むなど、Pさんは心配や不満に心を奪われがち、負の気持ちの量産マシンのようで、心配性ならまずは安全運転をと思ってしまう。雨が降りそうだと気にしても降るときは降るけれど、安全運転をしたなら事故を起こす確率が減る筈なので。

安売りスーパーマーケットの鰻丼は養殖鰻の脂っぽさと小骨の多い雑な処理があったものの美味しく食べた。蟹クリームコロッケを鰻丼に添えるかしらと思いながらコロッケも美味しく食べた。そしてPさんの買ったものと私の買ったもので冷蔵庫がぎゅう詰めなので、私が肉を冷凍した。私は冷凍保存袋に肉を薄く平らに入れるのだけど、Pさんは裏返した袋で掴んだままのような拳状で保存する奇怪な派閥に属しており冷凍室が有効利用できない。日付すら書かないこともあって、私が冷凍するに限るのだった。それから犬に買った二週間分の豚のモモ肉と若鶏のムネ肉を圧力鍋で手で解れるまでに加熱、冷めたところを一回分ずつに分け、これも冷凍保存した。冷凍室に隙間なく肉を詰め込んだ。

白犬ちゃん

日曜日は犬のグルウミングの日で、私の運転する私のクルマで出かけた。Pさんも一緒だ。天候を案じるPさんに従いベビーカーに似た手押し車を持参、Pさんは駐車場から駅ビルにある犬の美容院まで手押し車に白犬を乗せて運んだ。複数の犬を乗せてよい造りだけれど、路面の凹凸でガタガタと音がして揺れる手押し車に乗ることができない茶犬は私が抱いて行く。元々Pさんに必要と説かれ買った手押し車で、Pさんが言わなければ使う機会はない。ひとりで白犬茶犬を運ぶときには白犬を手押し車へ茶犬を袋状のスリングへ入れ便利さを知るものと思う。

このところ保湿性があり毛もつれしにくく汚れ落ちもよいというシャンプーコンディショナーを使うオプションを頼んでいたけれど、茶犬の腰の辺りの抜け毛が再び十円ハゲとならぬよう、薬用シャンプーノルバサンとマイクロバブルバスと歯磨きの三つにオプションを変えた。仕上がりは前回と変わらぬふわもこで、会計は計算ミス無しで18260円だった。抜け毛を防ぐ策で前回より二千円くらい安いことになった。だからという訳ではないけれど、先月、九月までの予約をした私は、今回、十二月までの予約を済ませた。無職で出不精の私に忘れてならない用事は他になく、犬のことのみが予定表にある。

六月の茶犬ちゃん
とってもおりこうさんでした

犬を待つ間、とんかつ屋で昼食することが多かったけれど、最近は崎陽軒のシウマイ弁当やパン屋のパンを買い、クルマで食べている。駅ビルにはチェーン店で一番美味しいと思うパン屋、ポンパドウルがあるので都合がよい。今回は昼に食べるパンのほか、ラスクと瓦煎餅的な焼き菓子を買い、パンの耳をもらった。パンの耳は食パンの両端、全面に焼き色のあるもので、一番美味しいところを四枚ももらって嬉しい。十枚二百円くらいなら買ってもよいと思っている。

ワンピースと靴下は無印、下着はユニクロで済ませていたものの、経営方針に疑問を持てば買う訳にいかない。貨幣価値の違いで外国に工場を持つのはともかく、正しい雇用でないとしたら見過ごすことはできない。国内の労働者は職を失ったり条件や賃金を抑えられ、外国の労働者も不当に扱うしかないなら、企業を維持する意味はどこにあるのか。あまり多く稼ぐと税金がバカにならぬと聞いており、富は分配してはと無い知恵で考える。手芸が酷く苦手だけれど既に買ってしまったものがボロボロで使えなくなったなら、フェアトレードか何かの布を手に入れてワンピースや下着を拵えようかしら、靴下は編むのかしら。想像すると少し怖い未来に、靴下やパンツなど履かなくてもという逃げ道が既に心の拠り所となりつつある。果たしてワンピースは如何に。
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