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瓶へ詰めた真夜中の音 [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 26th September 2022

気付くと九月も終わりかけており、どうして気付いてしまったのかと思う。何にも気付きたくない。というか失神していたい。何も考えたくないし何もしたくない、永眠なら永眠でいいよ、そんな気分。だけれど来年の手帳が売り出され、それらを買い、来年も生きていく備えをしている。2023年も生きていくのか分からないけれど生きていくとしたら、一年の間そばにおく手帳は好みのものであれば使うたび気分よくいられるに違いなく、好みのものが売られているうちに買う必要があった。こうしたことも未来への投資と言えるだろうか。鬼が笑う話に過ぎぬだろうか。

大晦日は正午前に行きつけの蕎麦屋へ出かけ年越し蕎麦をさっさと食べてしまい、夕飯にはえぼしの伊達巻を切るやら北九州から届く丸い餅を焼くやらというのが同居人との決まりごとであった。同居人とそうしたならわしをしなくなって、Pさんと別の蕎麦屋へ行くようになった。2019年がどうだったか忘れたけれど、2020年と2021年は蕎麦屋で蕎麦と蕎麦つゆと天麩羅を買って帰り、夕飯に茹でた蕎麦を食べた。2020年は自宅で自身で茹でた蕎麦を、2021年にはPさんのところでPさんの茹でた蕎麦を食べた。

大晦日であってもPさんは当たり前にPさんで、蕎麦の支度をしながら何度も溜め息を吐いたり、目や耳にする人類の殆どに文句を言う舌打ちするなどして、Pさんの台所で暮らす私は身の置き場がない遣る瀬なさを覚えた。背を向けて台所へ立つPさんの罵詈雑言がどこへ向けてのものか、彼女を怒らせているのが私なのか私は関係ないのかすらよくわからなかった。わからないけれど緊張で身体が固まり呼吸は浅く小刻みになって苦しく、そこへいることに限界を感じた。出来るだけ感じよく何でもないことのように自宅へ帰りたい旨申し出てみるとビッグバン、Pさんは泣き叫んで怒った。「いつも大事なときに大事なことを台無しにする」と般若がスローモーションで百面相しているような、ひとコマひとコマに怨念のこもるコマ送りの顔で言うのである。過去の行き違いやなんかもあれこれ並べ立てて。

であれば別々に過ごすとお互いにハッピーではと思うのだけど、それは冷酷非道で血も涙もない私だから思いつくことで、家族思いのPさんはそのようなことはしないと言うのだった。それからmuseは全然才能がないし、ひねには繊細な味覚がなく料理が下手で、常識がなく、思いやりがなく、将来設計がダメダメで、Pさんの猫を可愛がらずと続いた。私は私で、絶望的に絶望する最中それに乗じるように一緒に住まなくちゃと言われて嫌だったとか、楽しく過ごしたいのに愚痴と舌打ちの連続で気持ちが少しも休まらないと言い返しながら処方薬を大量に掌へ載せたりして(私は混乱する気持ちを頓服で鎮めたい一心なのだけど、Pさんには銃口を自身のこめかみに向け死んでやる的な脅しに見えて)、タチの悪い喧嘩になった。途中から、私が私の家へ帰るのは却下なのでしょう、早いこと終わりにならないかしら、しつこいわねと心のうちで思いつつ嵐が去るのを待つ感じになって、Pさんの大事が年越し蕎麦を食べつつ推しの出る紅白歌合戦を見ることだったのが少し面白かった。そうした考えを馬鹿にする訳でなく、私がいなくても充分に成立する話で。蕎麦は別々の部屋でそれぞれ食べるので。

Pさんはあまり大きくない鍋にあまり多くない湯を沸かして蕎麦を茹でて、思いやりから私の蕎麦もそこで一緒に茹でられ、ぶつぶつ短く切れてふにゃりと膨らんだ不細工な仕上がり、もう蕎麦とは呼べぬ何かとなって差し出された。不味かった。「蕎麦は大きな鍋に大量の湯を沸かしさっと茹でるのが肝心です」とPさんに私見を述べた。大抵誤りのない蕎麦の茹で方で、反論はなく、ごめんねと受け入れられた。蕎麦は散々だったけれど言いたい放題言ってスッキリした感じはあってビッグバンは真の忘年会だったかもしれない。


とは言え、私を傷つけるために、museに才能がないなんて言うのはどうかと思う。音楽なんかは合う合わないの話で、何を高く評価するかはひとそれぞれ、正解などない。それを好むと言うひとにそんなものはと貶すのは野暮で自分本位が過ぎるというもの。
そして少し前にファイナンシャルプランナーが出ているテレビ番組を見たのだけど、そのプランナーに相談してきた家族に限って言えば、定年前に住宅ローンを終わらせる計画は殆どなく、総数が何組か分からないけれどそのうちひと組ふた組と滅多にないそうで、大抵70歳から75歳まで払い続けるという話だった。で、同居人と私は定年前に払い終えるよう計画し、計画通り進めてきたのだ。欲しいものしたいことを、ときに諦めるなどして。将来設計がダメダメと言うけれど誰にも迷惑をかけていないのではと思う。

アルバイトはどこも土曜日と日曜日は働かないという条件を出して採用されていたのだけれど、引っ越し屋の電話係のとき途中で主任が変わり、土日のシフトに組み込まれることがあった。日曜日も仕事になったと同居人に言うと「どうして働くことにしたんだっけ」と聞かれて「暮らしを豊かにするためって言ったかな」と答えた。すると同居人は「そう言ってたよ」と頷いて「豊かな暮らしというのは食卓に果物を並べることじゃないよ」と言い、「そうなの?」と訊ねる私に「休日を家族で過ごせなくちゃ意味がないでしょう」と続けた。そうなのかと心のうちで思って、大切にされているように思って、嬉しかった。次の出勤時、土日は働かない約束ですと主任に伝えた。元々伝えるつもりでいたけれど確たる信念をもって伝えた。


過日、ガス屋から電話があった。来月中には便器の交換が叶いそうで、犬と犬と私が正々堂々帰宅する日は近い。
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