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パイ生地を概日時計回りに [日々の暮らしで思うこと]

Sunday, 10th January 2021

朝、酷く寒く、天気予報を見ると寒さが続きそうで冬眠したい。午前七時前の気温がマイナス五度で、これまでの冬にこうも冷える日があったろうか。夏の暑さも冬の寒さもおかしい気がする。地球が終わるものと思う。緊急事態宣言に沿い、混み合う土日を避けて平日に私が食料品の買い出しをする計画が、昨晩の発熱で予定が狂い、Pさんが犬の散歩のついでに割高スーパーマーケットで買い物した。逃亡脱走を防ぐ策か、Pさんはファンタプレミアピーチを買ってきてくれたうえに、昼食には穴子寿司と揚げイカ、夕食には海老料理を出してくれた。発熱のひと向きのメニューでない感じは置いておいて。揚げイカはエンペラが好きなのだけど出来合い惣菜の容器にひとつも入っておらず、ふたつの皿に分けるPさんは代わりにゲソをたくさんくれた。エンペラほどではないけれど、ソフトな胴の輪っかに比べ噛み応えがあってよい。安静を続けつつ、匂いも味もわかり続けている。

ファンタプレミアピーチの検索予測に「まずい」とあったけれど美味しく飲んだ。プレミアグレープの合わなかったPさんも美味しいと言い、まずいと言うひとは食生活の貧しい、味のわからないひとじゃないかと続けた。私はプレミアグレープも美味しく飲んでいて、日頃質素な食生活で、何とも返事をしかねる。好みの問題だと思ってはいる。

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同居人が釣ってくるイカは新鮮で、スーパーマーケットで売られているものとは質が違った。甘みがあって噛み応えもあって美味しい。ヤリイカとアオリイカが特に美味しく思う。同居人はヒヨコやタヌキや鳩を模した菓子を気の毒で食べられぬ情緒なので魚もイカも捌くことができない。それで私は、イカを切ったり皮を剥がしたりということを覚えたのだけど、始めは切るイカ切るイカ、プラスティックが出てきてどういうことかと謎だった。軟甲という、貝殻の名残りらしい、イカの一部とわかって安心した覚えがある。小学校四、五年生あたりにフナやカエルの解剖があったと思うけれど、解剖前の学校から解剖後の学校へ転校して、解剖をせずに小学校生活を終え、運がよいように思った。しかし、油断大敵、家庭に釣り人がいると、出刃包丁で格闘、頭を落とした魚へ肘まで突っ込んで内臓を引き摺り出すなど、事件並みの解体をせざるを得ない状況が、日常のうちに有り得るのだった。

食べるために調理は必要だけど、解体ショーは好きになれない。トリやウサギであればしないことを魚にならしてよい感じなのが理解できない。苦情があれば食文化やら食育やら持ち出す魂胆だろうと踏んでいる。随分前に、曜日ごとに和食、洋食、中華と分かれ、専門家が料理方法を教えるテレビ番組があった。中華料理は中国のひとが教えていたと思う。ある時、魚の頭を掴んで持ち上げ、エラから尾にかけて粉をまぶすと、頭を掴んだまま油の入った鍋で揚げた。魚は口をパクパクさせながらフライになった。狂気の沙汰なのだけれど、活けづくり生きづくりと言って刺身をつくることと何ら変わりなく、調理法、盛り付け方のひとつと言われればそれまでか知れず、人間は気を遣う必要がないと思ったところにはとことん遣り尽くして何も思わないことがあるから気をつけたい。揚げる側にしろ、揚げられる側にしろ、見る側にしろ。

解剖を避け、東京都大田区→地方→東京都港区→地方のように小学校を移ったが、地方へ行くと気取った都会人、都内に行くと地方の山猿のように言われ、「私は私、同じひとりの人間でありますよ、思い込みの民よ」と思ったりした。都内に住むひとは都内だけが人間の住めるところと思っている節があり、地方へ行くたび未開の地へ行くかの心配をされた。大田区で私の住んでいた辺りは長閑さがあり、そうそう都会な印象はないけれど、社宅のようなものに住んでいた私たちを除くと裕福なひとたちが優雅に暮らしており、転居先を事前に見に行って、思った以上に地の果てに見えて不安になりはした。

不安になりつつ、初めの転校は悪くなく、担任が変わって成績表に「動作が鈍い」と書かれなくなった。担任は同級生たちからカオルちゃんと名前で呼ばれる男の先生で、一年くらいでまた転校したためか同級生をあまり憶えていないけれど、先生のことは憶えている。先生が盲腸か何かで入院したときには直ぐに同級生と見舞いに出かけた。この時、花は花でも鉢花は見舞いに使えないと知った。先生に勧められ、クラス委員に立候補したりもした。同級生に「この間、授業中に泣いたからダメだと思います」と言われ、そこで悲しくなって泣いてしまい、ほらダメだとなって落選した。ダメと思われているのに立候補して失敗したと言うと「やってみようと思ったことが、やろうとして手を上げたことが立派なんだよ」と慰められ「やる気になれば何でもできる子」とも言われた。先生に言われると何となくそんな気持ちがしてきて、褒めて伸ばす手法だったのかもしれない。頭が痛いと保健室で寝ていると、どれどれと先生が自分の額を私の額にくっつけて「熱はないみたいだよ」と言われてほっとした。父といるかのような穏やかさがあった。早く教室へ戻らなくてはと思った。

ある時、同級生のみどりちゃんと喧嘩した。のんちゃんと私はみどりちゃんを憎んだ。放課後、みんなが帰ると、みどりちゃんのリコーダーを持ち出し、吹き口を金魚の水槽へ入れてかき回して元へ戻した。持ち出すまではみどりちゃんに復讐をという気持ちでいっぱいだったけれど、元へ戻すとみどりちゃんがリコーダーを使ったらどうしようという気持ちに変わっていた。のんちゃんも同じだったかもしれないけれど、お互いにそう言い出すことができないまま下校した。翌日、午後には音楽の時間があった。のんちゃんと私は相談もせずに四時間目の授業中に、みどりちゃんのリコーダーへしたことを自白して、汚れたリコーダーが使われることはなかった。みどりちゃんに謝り、許してもらった。こんなことがあれば、先生に何か言われた筈だけれど何も憶えていない。私は先生が好きだった。自分勝手なことに、みどりちゃんに悪いことをしたという思いより、先生をがっかりさせた、先生に嫌われた、そんな気持ちが強かった気がする。

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