忘れられない日。 [愚]
Sunday , 8 June 2008
迎えのクルマに乗り、駅前の駐車場へ着いてしまえば改札への通路は目の前で池袋では地下街を通るだけであれば雨を案じることなく出かけることができる。もっともここ数日、暑かったり涼しかったりして体温調節に不安は残る。暑ければ袖を切ってしまえと長袖を選んでみたが切ってしまってから寒くなったらどうするのだと思い直し袖は捲り上げて調節する。幾度か袖を引いたり伸ばしたりしたので切らなくてよかったと思う。
ロマンスカは指定席で近くに大声で話をするひとがいて同行者との会話もままならない。テレビタレントの詰まらぬ噂話はともかく知人の話は皆、陰口で耳障りである。そうまでして見知らぬ他人に馬鹿と認知されたいひとの気が知れぬ。「XXはストーカーだしぃ」とそのひとと縁が切れてほっとするなら解るがという話をする。そこで気付いたのは聞こえるのはそのひとの声だけで聞き手はいないかのように相槌が無い。確かめると数人の連れがいて、それらしきひとびとの眉間には皺が寄っているのであった。皺寄せに忙しくて相槌の暇などないらしかった。それほどなら誰か頭が痛いと仮病を使って黙らせる努力をしてみてはどうかと思った。
普段であれば町田さんにお目にかかる前に食事なんてことはしないのであるが同行者が空腹を訴え奢ると言うので折れた。折れるのはいいが好きな食べ物を問われても困る。食べたいものなどない。問答の末、二軒の候補を挙げられた私は値段の安い店を選んだ。
歯磨きを終えても時間があったのでロフトに寄る。同行者の手に取った商品棚を見ると「アンダーヘアのごわつきを抑える」などと書いてある。そういう商品があるのかっていうかそのような悩みがと同行者を見てみればそれとは全く違う商品を手にしているのであった。紛らわしいと思ったが早合点で文句は言えぬし、ごわつきであったとしても干渉はできぬ。
と、こちらは自主性を尊重しているのに「あなたの犬眉毛をどうにかしたい」などと言われる。眉毛犬への関心は多大なものがあるが、自身を犬眉毛と称されるのは合点がいかぬ。「ちょっ、まっ」と額の髪を上げて見せるが、返ってきたのは「全然なっちゃない」である。描いたものを消したら眉毛が無いなんてのが「なっている」なら「なっちゃない」で構わぬ。そんなことはどうでもいい、早く町田さんに会いたいなどと思っていると世話焼きは「メイクチップ」と「ボールペン」を買ってくれた。干渉同様、受理。
書店にはサイン会開催一時間十数分前に着いた。大抵は許される写真撮影が禁止されていて無人の席を何枚も撮る。サイン会は定刻通り始まり何番目と明記せぬがかなり早い段階でご署名いただく。目を見て「どうもありがとう」と言われると、いつものことながら、今、死にたいと思う。死ぬことを軽く言うつもりはないが、これだけ幸せな状態で死ぬなら後悔はない。しかし後ろには町田さんを待つひとびとがいるのであり迷惑になるので死ななかった。軽く言うつもりがないにしてはスイッチひとつで死ぬかのような言い方をして申し訳ない。
何故何番目と明記せぬかと言えば、以前、某掲示板に私のような取り立てて何も無い者の言動について書き込まれたためでその場で最善の対応をしたにも関わらず理解できぬひとにより逐一詳細にされたらしい。らしいというのはその掲示板を私は一切見ないからであるが見ないにしてもあの腐れ外道がこの腐れ外道かなどと特定されたり推定されるのは面白くないし周囲の人間も案じたりするので不要とは思うが安全策。
帰りのロマンスカでは緊張が一気に解けたせいか少し眠る。
大きい声で話すひともいなかった。
しばらくして「秋葉原の事件」を知る。「民主主義の法治国家」で全く無意味にひとの命が奪われるのをどう考えてよいかわからない。死にたければ全財産はたいて墓を買い、生きたままそこに入ればよい。「誰でもよい」なら自分を刺すべきだ。
迎えのクルマに乗り、駅前の駐車場へ着いてしまえば改札への通路は目の前で池袋では地下街を通るだけであれば雨を案じることなく出かけることができる。もっともここ数日、暑かったり涼しかったりして体温調節に不安は残る。暑ければ袖を切ってしまえと長袖を選んでみたが切ってしまってから寒くなったらどうするのだと思い直し袖は捲り上げて調節する。幾度か袖を引いたり伸ばしたりしたので切らなくてよかったと思う。
ロマンスカは指定席で近くに大声で話をするひとがいて同行者との会話もままならない。テレビタレントの詰まらぬ噂話はともかく知人の話は皆、陰口で耳障りである。そうまでして見知らぬ他人に馬鹿と認知されたいひとの気が知れぬ。「XXはストーカーだしぃ」とそのひとと縁が切れてほっとするなら解るがという話をする。そこで気付いたのは聞こえるのはそのひとの声だけで聞き手はいないかのように相槌が無い。確かめると数人の連れがいて、それらしきひとびとの眉間には皺が寄っているのであった。皺寄せに忙しくて相槌の暇などないらしかった。それほどなら誰か頭が痛いと仮病を使って黙らせる努力をしてみてはどうかと思った。
普段であれば町田さんにお目にかかる前に食事なんてことはしないのであるが同行者が空腹を訴え奢ると言うので折れた。折れるのはいいが好きな食べ物を問われても困る。食べたいものなどない。問答の末、二軒の候補を挙げられた私は値段の安い店を選んだ。
歯磨きを終えても時間があったのでロフトに寄る。同行者の手に取った商品棚を見ると「アンダーヘアのごわつきを抑える」などと書いてある。そういう商品があるのかっていうかそのような悩みがと同行者を見てみればそれとは全く違う商品を手にしているのであった。紛らわしいと思ったが早合点で文句は言えぬし、ごわつきであったとしても干渉はできぬ。
と、こちらは自主性を尊重しているのに「あなたの犬眉毛をどうにかしたい」などと言われる。眉毛犬への関心は多大なものがあるが、自身を犬眉毛と称されるのは合点がいかぬ。「ちょっ、まっ」と額の髪を上げて見せるが、返ってきたのは「全然なっちゃない」である。描いたものを消したら眉毛が無いなんてのが「なっている」なら「なっちゃない」で構わぬ。そんなことはどうでもいい、早く町田さんに会いたいなどと思っていると世話焼きは「メイクチップ」と「ボールペン」を買ってくれた。干渉同様、受理。
書店にはサイン会開催一時間十数分前に着いた。大抵は許される写真撮影が禁止されていて無人の席を何枚も撮る。サイン会は定刻通り始まり何番目と明記せぬがかなり早い段階でご署名いただく。目を見て「どうもありがとう」と言われると、いつものことながら、今、死にたいと思う。死ぬことを軽く言うつもりはないが、これだけ幸せな状態で死ぬなら後悔はない。しかし後ろには町田さんを待つひとびとがいるのであり迷惑になるので死ななかった。軽く言うつもりがないにしてはスイッチひとつで死ぬかのような言い方をして申し訳ない。
何故何番目と明記せぬかと言えば、以前、某掲示板に私のような取り立てて何も無い者の言動について書き込まれたためでその場で最善の対応をしたにも関わらず理解できぬひとにより逐一詳細にされたらしい。らしいというのはその掲示板を私は一切見ないからであるが見ないにしてもあの腐れ外道がこの腐れ外道かなどと特定されたり推定されるのは面白くないし周囲の人間も案じたりするので不要とは思うが安全策。
帰りのロマンスカでは緊張が一気に解けたせいか少し眠る。
大きい声で話すひともいなかった。
しばらくして「秋葉原の事件」を知る。「民主主義の法治国家」で全く無意味にひとの命が奪われるのをどう考えてよいかわからない。死にたければ全財産はたいて墓を買い、生きたままそこに入ればよい。「誰でもよい」なら自分を刺すべきだ。
死にたいと思う瞬間はあります。
私は、目の前にある幸せを逃さぬために、今この瞬間に死にたいと思ったこと、あります。
でも、ひねもすさんが死んだら、私は悲しいので、とりあえずやめておいてください。あなたには、もっといろいろ聞かせてほしいですから。
それに町田さんにも会えなくなっちゃいますし。
秋葉原の事件はいろんなところで物議を醸してます。これから様々な議論が起きるでしょうね。
彼は自分に勝てなかったんでしょうね。弱いことは罪ですか。私は違うと思います。
by 影斬 (2008-06-10 02:10)
影斬さん、こんにちは。
死は多くの面倒から解放してくれるのと同時に多くの愉しみを奪います。
いずれ死ぬのですから慌てる必要はありません。
と心得ていても時に弱い心が暗がりへと手招きして困ります。
弱いだけなら罪ではありませんが万能の免罪符でもないです。
by hinemosu-bomb (2008-06-10 07:56)