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大自然を背景にして私を見る八つの不自然な目。 [愚]

Sunday, 4 May 2008

寝てからそれほど時を経ず目覚めたのは誰かに説教されている気がしたからである。
起きてみればテレビジョンの電源が入っており画面には時事放談が映し出されている。
説教の主はどうやら塩川正十郎さんのようだ。
録画なのだろうが日曜日の朝には不釣合いな立て板に水的滑舌振りを見せ
電源を入れた覚えもないテレビジョンの中にいて騒々しく
夢らしきものにさえ侵入しているのであれば干渉もはなはだしいのである。
もっとも短く浅い睡眠から覚めたばかりの頭は普段以上のはたらき振りを見せ
ジジ放談に塩爺くらいなことしか浮かぶことはなく全ての言葉は虚しくどこかへ失せた。

今月に入ってこっち四六時中四頭のシロクマの視線を浴びている。
五月のカレンダには氷原に四頭のシロクマがいて彼らは皆、真っ直ぐに私を見つめる。
四日経ってようやくこの図の不自然さに気付く。
さてはフィクション、創作物であるなと思うと四頭の顔が同じに見えてくるが
そもそもシロクマの顔を識別できるほどの目が私に備わっていただろうか。
シロクマの奇妙な配置を疑いながらそうしたことを考える私自身を疑ってもいる。
冷静な第三者の登場を待つしかないが謎を全て解き明かすのも野暮ってものである。

胡散臭いシロクマ


絶縁した知己があっさりと歩み寄りを果たし我侭な頑固者の地位を独占する。
欲しいと望まぬものは存外に手に入れやすい。欲しくないものは尚更である。

両手の指の数では足りぬほど手洗に駆け込む腹痛より逃げ出したく思っていると
横になって天井が回り、目を伏せて船上の揺れを感じる目眩を起こす。
こうした些事は些事として片付けても繰り返しにより存在を忘れさせず
弱い心に生き続けることの難しさを印象付ける。
私のどうしようもない弱さを助けるのは文章や音楽のほかになく
それらを失ったとき生きていたとしても外見上の形式的なものであって
真に生きていることとは異なる。

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