SSブログ

美しくて白い牡牛の波乗り [日々の暮らしで思うこと]

Friday, 8th January 2021

Pさんの家で寝起きして家に帰りたい。昼間、家へ戻り、花の水を換えたりして心が随分落ち着く。旅行から帰ってウチが一番などという台詞を冷めた気持ちで聞いていたけれど、今は心底わかる気がする。それでも、すっかり体調がよくなるということがなく、弱気が続いてもいて、書き置きを書き直したりしている。従前、犬の面倒をみてほしいと書いてきたものを細分化して、薬はこのようにとか、保険の請求はこうとか書いてみて、誰がこれを引き受けるか疑問である。死ぬ気でいた五年前なら犬も五歳前で、新しい環境に順応できたかもしれない。今は九歳を過ぎて大きな変化は厳しく思う。犬と一緒に過ごしたい、そのことのみで生き延びるべきと思う。私が思って叶うことか知らぬけれど。

カローラの担当者から書類を作りに来店をとの電話があり、一週間くらい前に発熱したけれど行ってよいか聞くと確認したいとの返事で、次の電話で担当者がこちらへ来ることになった。担当者が郵便受けへ書類を置きクルマで待機、私が受け取り室内で署名捺印後郵便受けへ戻し室内へ、担当者が郵便受けから書類を回収という直接会わない方法で執り行う。書類そのものには双方で触れるため気になるもマスクの着用、手のアルコール消毒にて済ませた。カローラからの作成書類には朱肉と押印ゴムマットと年賀ふたつが添えられており手抜かりがない。これで一か月点検の日程調整も済めば万端整うものの体調次第になるかと思う。

小学校へ上がったかどうかという頃に夏祭りでスイカ割りをした。祭りの格好をした大人に手拭いか何かで目隠しをされ竹刀のような棒を渡された。前を見ると目隠しがズレていてスイカが丸見えだった。祭りのひとに目隠しがズレていますと言って二回直してもらったけれど、まだ前が見えて、もう一度見えますと言うと面倒になったのか、そのままやって大丈夫と見逃された。見えるスイカを割らないのも難しく、棒でスイカを叩いた。棒は弾かれスイカは上手く割れなかったけれど、当たりは当たり、クジを引かせてもらった。クジで引き当てたのは大人が履くであろうサイズの踵の高い白い靴で、いつか履くときが来るまでしまっておこうと父に言われて箱ごと靴箱の隅に置かれた。大人になったら履く靴のあることが楽しみだった。靴は転居や何かで履くときが来る前に有耶無耶になった。

その踵の高い靴を失ったからということではないが、踵の高い靴を殆ど履かない。多くのことを自己流で凌いできた。社員として働いたのは製造業の品質保証部門で主に外注先とのやり取りであるが名刺を持たされるくらいにはひとと会う機会があった。それでいて化粧せずに出社する日が少なからずあり、お茶くみを拒み、ひとりで女性社員の処遇改善を求め、頑なであった。兄弟で働くひとは数組いたものの、夫婦で働くひとはなく、結婚すると一、二か月のうちに女性が辞めていった。同居人と私が婚姻届を出すと、やがて私が辞めるに違いないと思うひとも多くいて、辞めないでいると嫌がらせがあった。上司に理解があったことと就業規則を盾に乗り切った。今では結婚後も辞めずにいるひとが普通にいて、私が苦労して切り拓いた道だよと勝手に思う。今していることに威張れるものが皆無で許されたく。

中途半端な田舎へ引っ込んだせいか、祭りなどが貧弱である。山車が無いのか、引くひとが無いのか軽トラックの荷台で太鼓を叩き、さっさと通過して行く。うるさくなくて結構だけれど。一日中どんどこどんどこ太鼓の音を流していた至近のパチンコ屋が太鼓の音を鳴らさなくなった。太鼓の音を流し続ける理由も、鳴らさなくなった理由もわからなかったけれど、COVID-19警戒下にあって大っぴらに開店していると嫌がらせがあると知り、密かに営業しているつもりかもしれないと気付く。ということは、どんどこ鳴らして開店中と知らせていたとも考えられ、スピーカーを使いながら原始的なお知らせを行っていた可能性が出てきた。狼煙を上げるのと変わりなく、そのようなものを合図にと面白く思う。合図を聞いた合図に、客の皆さんには、石で出来た棒状の武器を携え、片方の肩紐だけある毛皮風チュニックなどで通ってほしいと願う。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。