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ゼブラフィッシュの膨らまぬ浮き袋

Thusday, 7th January 2021

Pさんの家で寝起きして、家へ帰りたい。体力の無さが怠さ息苦しさを呼び起こすように今更思う。回復したなら、これまでより真面目に筋力なり運動能力なり、改善したい。自宅へ戻りマスクを手洗いして干し、犬と犬と最短コースの散歩をして、Pさん宅の洗濯機で身の回りのものを洗濯して干した。

人は女に生まれるのではない、女になるのだという言葉は、周囲の在り方によりそこへ導かれる或いは追い込まれる感覚と思ってよいのだろうか。その一文しか知らず、書いたひとの考えを知らない。私は自分が確かに女性なのか、判らなかった。今も確信してはいない。小学生のうちは、今に男になると信じていた。いつか勝手になると考えていて、そうなってこないからと悩んだり苦しんだりはしなかったけれど、習字の道具入れや体操服など、女子はこれと決められたものは使えなかった。男子のものを選んだり、全く別のところから持ってきたりした。小学生にはよくあることなのかもしれないけれど、何度か転校しても、学校中にそうしたひとは他にいなかった。何であれ、流れに身を任せる、決まり通りにすることがあまりできなかった。できないからと、決まりを無理矢理押し付けられることもあまりなかった。父がいなくなったからか、年齢なりの変化か、何かの諦めか、中学校の制服は女子生徒のものを然程嫌悪せずに着た。

ヒロミちゃんはひとつ年上の女の子で私たちの住む社宅のようなものに両親と兄と四人で暮らしていた。父と一緒に働く指の数の足りないひとの子で、学区内の私と同じ学校へは行かず、別の小学校へ通っていた。小学校一年生の終わりか二年生のときだった。小雨の降る日、空き地に置かれた廃車の運転席と助手席に乗って遊んでいた。初めは仮想のドライブをしていたと思う。中途で「いいことがある」とヒロミちゃんが言い、運転席の下から茶色の瓶を出した。コーヒーに入れるクリーム色の粉、クリープの瓶だった。ヒロミちゃんは着ているものを全て脱ぎ、瓶から粉を手に取り雨で湿らせて身体中に塗り伸ばした。何度も繰り返してクリープを塗り、うっとりしていた。何をしているのか、見ていてよいのかわからなかった。ヒロミちゃんはうっとりから冷めると私に「ひねちゃんは秘密を知ったから、もう普通には結婚できないから」と言い、わかり切るより先に「大人になったら夜のお店で働くしかないの、憶えておいて」と続けた。ヒロミちゃんは一連の行為を「え」と呼んだ。「えっちごっこ」の「え」と聞いて、薄々そういう何かと思っていたのが確からしいとわかる。この後、何度か「え」をやるからと誘われたけれど断った。ヒロミちゃんも、その行為も、普通には結婚できない云々言われたことも全部嫌で、自分で選んだことでないように思った。それで自分の何かが決まるとしたら酷い話だと思った。大抵何でも父へ話していたけれど、このことは父に言えなかった。

その少し前に近くに住む同じクラスのモチヅキ君と竹藪で迷子になった。竹藪と言っても幅5mくらい長さが20mくらいのものだと思うけれど、背の高い竹に囲まれて方向感覚を失い抜け出せなくなった。よりによって、そんなときに私は尿意を覚え、暫く我慢したけれど限界を感じ、モチヅキ君にその旨伝えた。そして直ぐ傍にいても困るけど、できれば近くを離れないでほしいとも言った。竹藪にひとり残って戻れる自信がなくての切実な頼みだったが、モチヅキ君はやだやだ絶対いやなどと言ったあと、ひゃあーーーとか悲鳴を上げて逃げ出した。その時は薄情なひとだと思ったけれど、モチヅキ君がヒロミちゃんに何かされたのだと思えばわかりやすい反応に思う。そう考えて自分がヒロミちゃんと同じように思われたかもしれないと思うと悲しかった。

同じ頃、子どもにいたずらをするひとがいるという話があって、公園でブランコに乗っているところをずっと見ているひとがいて怖かった。新聞を小脇にサングラスをかけていただけのひとなのに、外を向いていた爪先が私のいる方向へ変わっただけで緊張した。大人のひと、男のひとには、大抵、力では勝てないと知っていた。抑え込まれる感覚は抑え込まれたことのないひとにはわからない恐怖だ。

小学校へ通う前、台風か何かで、住んでいた社宅のようなものの居住者全員が水や食料を持ち寄り、同じ部屋で寝たことがあった。十歳以上年上の奥さんのいるチンピラみたいな男がいて、私の隣りへ寝て、避けても避けてもお尻を撫でられ続けた。何か意味のあることなのか、犬を撫でるようなことなのか判らず、何も言えなくて、ただただ避け続けた。その時その場で何も言えなかった自分が悪いと思い、誰にも何も言わなかった。

六年生のお楽しみ会のようなとき、机を教室の端へ寄せて、それぞれに床へ座っていた。彼方此方の同級生たちに声をかけたり、肩を叩いたりしていた担任教師が私の正面に膝をついて座った。十秒くらい私の顔を見て、駄目だと言った。続けて、ひねにはオンナを感じてしまうと言った。吐きそうな、泣きたいような、怒りたいような、よくわからないけれど嫌な気持ちがした。褒めたくらいのつもりらしかったけれど死ねばいいのにと思った。卒業して何か月も経たぬうちに友人と一緒にいて再会したが、友人にだけ話しかけて、私のことは忘れたようだった。演技だったのか本当に忘れたのかわからない。私は私で二度と話したくなかったので都合がよかった。

中学校は自転車通学で朝から度々露出魔が出た。避けて通り抜けることもできたが、時にはハンドルを掴まれ絶体絶命と目を閉じることもあった。見せたということで納得するのか、警察を呼ばれないためか、それ以上のことはせずにいたけれど、だからと言って安心できるものでなく、詮無く交通量の多い跨線橋を猛スピードで走り抜ける登校方法を編み出した。どうしても20分はかかっていた通学が10分以内でできるようになった。

高校は電車通学で、大袈裟でなく毎日、痴漢に遭った。中学生くらいから電車に乗るとオジサンに胸を揉まれるなどしたけれど、高校への通学では同世代にも痴漢がいて呆然とした。年齢の異なる、学生と接触の機会のないひとがしでかすことのように思っていて、欲求のままに見知らぬひとを傷つけるようなことを中高生がするとは思っていなかった。とても混む電車で一度に三四人から触られることもあり逃げるのに苦労した。よく、痴漢でないひとを痴漢と間違えるなどという話があるけれど、私が遭った痴漢は鼻息が尋常でなく、間違いなく痴漢だ。興奮した息を誤魔化そうと鼻で呼吸するのだけど、到底通常の鼻呼吸でなく、細かなハアハアを鼻からするのでコイツだというのは判る。判ってもこうしたことに対しての私はいつも無力で、逃げる、避けるよりほか何もできなかった。

三月ほどのうちに通学することができなくなり、母の状態の悪さもあって、何をどうしたらよいのか考えがまとまらないまま秋には退学した。大勢の生徒の中で何故か私の顔を覚えて親身だった事務の責任者のひとが私の家まで来て手続きをしてくれた。自分の弱さが招いたことと諦めたつもりでいたものの、そのひとに残念だと言われると泣きたくなった。勉強は続けてくださいと言われた。どう返事をしたか憶えていない。
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