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地震体験車の地震は嘘でもそこに立てば実際に転倒する。 [愚]

Wednesday, 21 May 2008

番号通知などといった気の利いたサービスも受けぬのでかかってきた電話には
「ん?」という「気が向けば話してもいいが」な構えで出る。
ちょうどいいというか何というかYからの電話は前置きがない。
「荷物届いた?」「ううん」「米と豆、送ったから食べなさい」「うん」となる。
で「このしろ知ってる?」なんて話が急に飛ぶ。「うん」と答えると
「刺身にしたらってもらったけど面倒で。塩焼きでも大丈夫?」「いける、美味い」
「なら焼いて食べよ。豆は余ったら生で冷凍だから」「うん」「じゃあ」て感じ。
行間とか余白ってものを残さず埋め尽くす勢いで
「ん?」と余裕かましたつもりが押されまくり
言わないとマズイことを言い忘れていてかけ直さなくてはならない。
「このしろだけど骨が多いから切れ目入れないと駄目だよ」「二、三か所でしょ」
「そんなじゃなくてウィンナみたいに細かくでもないし」適切な表現をと考えていると
「あ!ハムみたいに?」「ハムって?」「は・も!」何だわかってるじゃん。
「そう。そのくらいしないと骨が危ないから」とやっと伝えるべきを伝える。

夕刻、様々の症状が存在を強く主張する。面倒である。
どう面倒かといえば無い傷の痛むことだ。
もっと具体的にいえば倒れ込むまで全力疾走したように心臓はどくどくと音をたて
呼吸は乱れ汗をかくが私は走ってはいないし心臓が悪い訳でもない。
これといって表立った理由もなくただ無駄に動悸するのである。
では原因がないのであるから苦しさがないかというとそういうことでもなく
心臓そのものは実際に早鐘のようであるから苦しい。
治まれば心臓は悪くないということができるが激しい動悸が続けば理性を失う。
今度は実際に心臓が悪いのではないか心臓ではなくとも他のどこかが悪いのではと思う。
しかし何も無い。健康と思われる身体を持ちながら病気の身体のような症状が出る。
どこかにカン違いする器官があるため我が身に全く不要な負荷を与える。疲れる。

いいといえばいいのであるが面白くないといえば面白くないのが同居人の外出である。
勝手な話だというのはわかるが昼間出かけていたのだからいいではないか。仕事だけど。
と時に思う。思わないことも多いが思うときは思う。
であるから同居人が出かけるときこれから会う相手に伝言する。
大した意味はなくX.X.によろしくといった感じの伝えなくとも困らぬものである。
本日も「K.H.に私からファキュウと」と言伝した。
実際にそのまま伝えたのか知らぬがK.H.から貢物の菓子が届いた。
なかなかよい心がけなので今日のところは許す。

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