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終末シウマイ万有引力 [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 25th May 2020

先週火曜日のレギュラーガソリンは1リットル112円だった。2000円で18リットル弱を給油して、油量計の目盛りランプが2から6になった。満杯は8だったと思うけれど千円札の持ち合わせがほかになく、一万円札を使ってお釣りをもらうのもいやで、と言うのも自動釣り銭機からは古地図かという皺くちゃのよれよれ、舐めた指で幾度数えられたろう、機械がよくこれを紙幣と認識したものだと感心するようなお釣りが頻繁に出るから。釣り銭の出ない給油が最善なのである。
土曜日に通りかかるとレギュラーガソリンは1リットル119円に値上がりしており、満タンにしておけばよかったかしら、あと9リットル入るとしたら63円の損失か、必要な量を入れたのだから問題ないか、みたいなことを帰宅してから少し考えた。運転しながらの考えごとは危ないからね。

食料品の買い物などにクルマへ乗せてくれるひとがいるのだけど、片手運転の癖があって、道の両側に路上駐車があったり、覚束ないヨロヨロ走る自転車や注意散漫に見える歩行者がいたり、当然慎重になるよねというときも片手。危ないと言えば機嫌を悪くしながらも両手で運転してくれるけれど、癖なので無意識のうちに片手運転になる。要所要所で。一回の乗車で二度くらい言ってしまうと私が難癖をつけているかの如く舌打ちされるし、片手プラス怒りで運転は尚危うく、言うも地獄言わぬも地獄。体調を整え、自分で運転する機会を増やしたく思いまする。

土曜日の運転は駅ビルにある犬の美容院へ片道10kmくらい。そのくらいの距離がどうにか大丈夫な感じ。駅ビルは休業の店が多く、犬の美容院も最近営業再開したばかり。プードルは抜け毛が少ないけれどボーボーに伸びるから直ぐ絡まりやすくなり、絡まってしまってからのブラッシングには犬も私も苦労するので再開はとても有り難い。

これまでは駅ビルで買い物したり昼食したりで待っていたのだけど、ぶらぶら歩いて眺めるようなところは開いていないし、用がなくて歩き回るのはまだよろしくない様子なので、ビスケットとシウマイ弁当を買い、高架下の駐車場へ戻り、クルマの中で弁当を食べた。おかずもごはんも全て美味しかった。
そんな話は全く聞かず取り越し苦労だけれど、あまりにも美味しくて、どうしても何か減らさなくてはならないときはカマボコにしてくださいと空になりつつある弁当の底を見つめながら心の中で願った。顔を上げると、道を挟んで斜向かいにある駐車場の業務車両で、やはり弁当を食べていたひとが同時に顔を上げた。ちょっと焦るくらいがっつりと目が合い、もしかしてと思い目を逸らさぬまま心の中でシウマイ弁当の神様ですかと問うたが何の反応もなかった。

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駐車場は駅ビル絡みのクレジットカードがあると三時間まで料金が無料になるけれど、駅ビルまで少し離れているしグルウミングはそこそこ時間がかかるしで、大抵間に合わない。なので一旦駐車場を出て、一方通行の矢印通りにぐるりと回って駐車場へ入り直して、三時間のタイマーを振り出しへ戻し、300円ちょっとを節約。これは今だから楽々こなせるものの、通常営業になれば満車が続く筈で、そうは使えぬ手になると思う。

贅沢だと思うものでもどうしても必要なら買い、無駄だと思うところは節約する。銀行の手数料なんかは極力払わなくて済むようにしているし、食料品や日用品は何がどのくらいの量でいくらか日頃から気にしていて、出来るだけ底値に近いものを選んでいる。と言うと賢い消費者のようだけれど、本当に必要かしつこく自問し続けて、欲しい気持ちの頂点で買うと、あんなに欲しかったものが手に入ったということのみで満ち足りた気持ちになってしまい、思ったほど出番がございませんねって買い物が割とある。

ちょっと高いかなと思って流石に止めるに違いないと同居人へ聞くと、勿論買っていいとか是非買うべきとか無くならないうちに急げとかアクセルベタ踏みなことしか言わなくて、大変なことになるなって自分でブレーキをかけたりギアを落としたりする。巧みにコントロールされたように見えるけれど、実際にやたら買い物をした時期であっても咎められも止められもしなかった。
同居人は私からすると超を付けたい楽天家で、大抵のことはどうにかなると考える。実際に殆どのことを概ねどうにかしてきたので、もっと慎重になどと言わずにいてよかったのだと思う。

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真に贅沢なのは犬と暮らすことで、例えば犬と散歩するときは無になる。前後左右の自転車や自動車やほかの犬やひとや猫、空の烏や猛禽類、地面にぺしゃんこに張り付いたカエルや有害そうな油染みに、機械的な脳の作業で注意を払うけれど、邪心や無駄な考えやどうにもならない思いが黙り、胸のうちはひたすら無。気持ちが落ち着くというよりは私そのものがない感じで、長い坂道を上りながら息が荒くなるなどして自分がいることに気付く。ひとに依っては癒しとか瞑想とか言うのかもしれない。
いつも犬に対して責任を果たさねばと思うが、世話も含めて大抵のところに面白さがあって、私の暮らしを豊かなものにしてくれる。責任を忘れてはならぬが、一緒に過ごす楽しさを感じないでいては、犬は不幸だろう。

同居人と私は犬との散歩を「お歩き」と言っていて、これは散歩という言葉に犬が興奮するからで、散歩できるかなと口にして確かめると外は雨なんてときがっかりさせてしまうのを避ける言い換えである。余所で「そろそろお歩きの時間なので」などとうっかり言って不思議な顔をされたことが少なからずある。

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先日のお歩きで小学校低学年女児と思しきひとにかわいいと声を掛けられた。散歩と聞いた犬に似た興奮具合で。「かわいい!かわいい!ワンちゃんとマルチーズ!!」って誰をどう呼んでいるか想像はつくけれど、どちらもワンちゃんで、どちらもマルチーズではないんですよ、これが。

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