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世話もせぬのに二度目の薔薇 [日々の暮らしで思うこと]

Monday, 29th June 2020

朝5時前に起きた。そんな時間にすることもないが、していけないこともなく、花の水を換えた。そろそろ花を買いに行きたい。

昨晩ドライヤで完璧に乾かしておいたのに鏡の中の私の髪が飛び跳ねており、納得がいかない。時間をかけて乾かして飛び跳ねられては打つ手がない。もしかして鏡の中だけの事件ではと思い、鏡の外こちら側で手で触ってみても跳ねていて、世の中はうまくいかない。

6時半から7時15分まで牛の歩きで散歩した(4145歩)。茶犬が夜のうちに軟便をして、ウェットフードが合わないのかと思ったけど散歩では白茶ともに通常の排便だった。

7時40分頃、豚肉とズッキーニと胡瓜と魚ベースのドッグフードをあげた。フード以外はぱくぱく食べた。ロータスグレインフリーフィッシュレシピは在庫から言って少なくともあと3か月は出し続ける予定で、と言うのも月初に2.27kgを開封して直ぐに次の2.27kgを買っていて、買い足す前に買い続けてよいか考えるべきだったかもしれない。

昨日まであったマスクや体温計が商品棚から消えて全く戻ってこないというようなことがあると次に何が無くなるのかみたいな感じはどうしても心のどこかにあって、何にしても重要度の高いものは、これまでよりは早めに手に入れたり、少し多めに買ったりしてしまう。自分で作れるものと言ったら鼻のテカりとか癖毛とかで生産的でないこと甚だしく流通が止まれば犬を養えない。

気付いたことがあって、と言うのは、出したい答えを導くために気付いたようなものだけれど、床へ座っていて立ち上がると目が回ったりよろけたりしやすく、椅子だとそうでもないという発見をした。昨年のあるとき突然激しく老化した。これまでの眼鏡では文字が読めず、身体が重く常に怠く、鈍い痛みが消えない。しかし坐骨神経痛ではと思う痺れや痛みがあったけれど意識して椅子を使うと症状が気にならなくなった。血圧が高くなったのではと思っていたら椅子へ座って測るものと書かれていて、正座でなく椅子へ腰掛けて測ると問題なさそうである(検査で明確に血管年齢に問題があると出ていることは別にして)。神経痛や血圧を案じていたときは、起き上がる気力がなく、寝そべったり膝を抱えて座っていたりで、立ち上がることを余計に難しくしていたように思う。信じる者は救われる。救われたければ椅子を犬と取り合っている場合ではない。

10時20分、給付金を入れた封筒から3万円を取り出し、犬と一緒にクルマで出かけた。途中、コンビニエンスストアのATMで3万円をauPAYに入金した。

3週間考えてとうとう買うよと意気込んで家具屋へ行くと売り場にひとの気配がなく店員も客も見当たらない。こんにちはと大きな声で2回言うとどこからか返事があり、キョロキョロしているうちにスッと店員が現れ、どこから来たのだと思ったもののそれには触れず、この椅子を1脚くださいと頼んだ。

持ち帰るつもりが、今、頼んで店へ届くのが7月7日以降とのこと。展示品を持って帰ることが出来るけど、何か月も展示したので、せっかくなら新しいものをお使いいただきたいと店員が言う。店員は女優のふせえりに似ていて真面目な顔で何か言ってもふざけて聞こえる。言ったことはふざけた話ではなく納得できる説明なので新しい椅子を用意して貰うことにした。

と言うことは、また、ここへ犬と犬と私で来なくてはならないのか。そこだけがちょっと不安だけれど事前連絡不要で来たいときに来てよいと言うので、体調のよい日を選んで来ようと思う。auウォレットで28500円払った。ATMを入れなければ直行直帰で、正午頃帰宅した。96分、26kmの旅だった。

12時半、スパゲティに納豆と長葱と胡麻をのせて食べた。納豆入りのスパゲティは納豆ゲッティと書いてナトゲッティと読む感じで言っている。スパゲッティにしても小さいッがあると勢いがあって元気がよいように思い、パスタとは言わず、何ゲッティにしようかなと言う。大抵独語で。他者へ聞かせたい訳でなく元気っぽさの自己演出。

18時43分頃から19時07分頃まで夕方の散歩(2157歩)。茶犬がやたらと抱っこをせがむ。どこかへ痛みがあるのか、何かが怖いのか。

19時40分頃犬に豚肉と胡瓜とズッキーニと魚ベースのドッグフードをあげた。常に空腹の筈の茶犬が全く食べない。おやつを見せても無関心。どこか悪いのか、今晩だけのことか様子を見る。

夜、多分、納豆をのせたスパゲティを食べたと思う。憶えていない。20時半頃白くまデザートいちごを食べたのは確か。メモに書いてあった。

木村カエラのNIKKIを読んだ。まだ読みかけだけれど気に入っている。一瞬を切り取った写真、数行にまとめられた説明書きでなく、ひとつの命としてどうあるか、機械を通じて見聞きするひとの日常や思いや夢が書かれている。
とても考えていたり感覚的だったり、そのとき木村カエラが何をどう見たかどう感じたか思い浮かぶよう。今のことをしながら先のことも考えていて、どう生きたいか、それを実現するには、ということを、威張りもせず日常のこととして書いてある。
そして、そういう暮らしがどこにでもあるのだろうけれど、同居人と私のように互いを思い合うひとたちのいることが嬉しかった。愛と言ったら安っぽいな、何と呼ぶものかなと思う面白い暮らしがあって、嬉しかった。
一気に読むことが出来そうだけれど私の気持ちの問題で中断した。少し待って、大丈夫そうな日に続きを読もうと思い、Fさんから貰った赤い栞を挟んだ。
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