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鍵穴だけがぽつんと開いている [日々の暮らしで思うこと]

Saturday, 2nd January 2021

朝、蓮根とおからと胡麻を炒めて煮た。煮汁に年越し蕎麦で残った蕎麦つゆを使った。ひと粒で二度美味しいとはこのこと。鰹のだしがきいてか、どことなく普段とは違う味わい深さに思う。焼いた餅を醤油に浸けて焼いた海苔で巻いた。海苔を焼くときには母を思い出す。「中火の遠火で中表」というのが海苔を焼くときの彼女の教えで、海苔の表と表を内側に合わせて重ね、中火にした火へ離してかざす、そんな意味だ。枚数を焼かず、ストーブに当てて済ませたりで、そのように焼くことは少ないけれど、ストーブで焼いても「中火の遠火で中表」と教えられたことは思い出す。そう焼いた海苔がどう違うものか知らぬまま。

母は私が中学生の頃、統合失調症を発症して、完全に家を出て行くまでは自宅で療養したり入院したりしていた。母がいないと日常生活を取り戻すことが出来て、病院から戻って来てほしくなかった。けれど入院から戻ると落ち着いていて、会話の成り立つこともあり、人柄を見ることもあった。何回目かの入院から戻った母は「入院先であなたの友達のおかあさんに会った、お酒の問題に苦労されていた、約束したから誰とは言えないけれど」と言った。誰とは言えないと約束を守るところは病に操られていない母の言葉に聞こえた。もう母が帰ることがなくなっていたから何年か後、電話した友人の様子が明らかに違って、ああ彼女のおかあさんだったのかと察した。母は誰だか言わなかったけれど、友人の母親は友人へ言っていたのだと思う。強請られると思ったのか、引け目を感じてか、精神病患者の家族と関わりたくなかったのか、何だか解らないけれど、友人は久しぶりというだけでは説明のつかない余所余所しさだった。迷惑と言葉にしなくても私からの連絡は迷惑なのだと判った。後日、彼女の母親がアルコール依存症と知り、私の見当違いではなかったと思い、少ない友人のひとりを失くした。

彼女とは中学二年生の時からの友人で三年で別の組になっても、その後進路が別れても友人だった。中学二年からの友人は他にふたりいて四人で行動することが多かった。電話も四人のうちのひとりと話して四人で会おうとなり、分担して私が彼女へ連絡することになったのだった。彼女は背が高く、運動神経がよく、バレーボール部と演劇部を掛け持ちしていた。文化祭では夕鶴の与ひょうを与ひょう以外の誰にも見えない熱演で観客を惹きつけた。客席から拍手を送りながら、才能溢れる素晴らしいひとが私の友人で誇らしかった。他のふたりは年齢なりの軽はずみなところがあったけれど、彼女は少し大人で、思うことを言わぬ控えめなひとだった。見た目もよく、文化祭での成功もあり、芸能界を目指して不思議なかったけれど、そうした考えがなかったのか、地道に学校へ通い、大手企業に就職した。それからあとのことはわからない。

彼女の父親は私たちが友人となってから亡くなった。台風か何かで大変なときに山へ入って大怪我を負い、意識のない日が何日か続いた。中学生の中年男性への冷酷さだったのか自分の親がそうしたことで死んでは敵わぬとの苛立ちか何だったのか、あのような天気で出かけたのが悪い、絶対に助からない、馬鹿なことで死ぬ馬鹿などとあちこちで語られた。酷いことを言うものだと思ったけれど、何かあれば父を亡くしている私は彼女の相談相手になれるのでは、更には四人のうちふたりが父親を亡くすとはと一瞬のうちに思ってしまい、批判できない。実際に亡くなったとわかったときは、私が諦めたことがよくない結果を招いた気がした。だからと言って謝っても私の気が少し休まるだけで、辛い彼女へ無意味に負担をかけるだけと想像できて、このことは誰にも言わなかった。勝手なことに、電話で余所余所しくされて、荷が軽くなったような解放感があった。

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13時頃、犬と犬と散歩した。建物全体が冷凍庫らしいと聞くだけ聞く冷凍庫ビルディングの脇に山茶花が咲いていて蜜を吸いに来たのかメジロがいた。年末にも見た気がしたけれど飛び立つ後ろ姿で不確かだったが、今回は確かに見た。メジロは姿形と色が絶妙に可愛らしく、見かけると気分がよい。一度、野鳥の会の資料をもらってバードウオッチングは思ったよりお金の要る趣味のように思った。続けて届く資料を送らぬよう頼もうとして、メジロを見かけたりすると決心が鈍るけれど、双眼鏡を買えそうになく観察会に行かれそうもなく郵便代が勿体なく、断るべきだと思う。野鳥は単独で肉眼で薄ぼんやり見守ろう。

冷凍庫ビルディングでは年に一度、求人募集があって、ケーキにイチゴを乗せるだけのお仕事で、二日か三日で終わりで、多分クリスマスケーキとかなのだと思う。日がな一日イチゴを乗せ続けるということをしてみたいし、冷凍庫ビルディングの実情を知りたい気持ちがある。なかなかタイミングが合わず応募できずにいて、昨年末は募集がなかった気がするし、イチゴを乗せるなんてことは機械化されるかも知れず、私は年々寒さに弱くなっており、応募できる日があるのか微妙だ。焼売のグリンピースを乗せるだけのお仕事はどうだろうか、疾うに機械化されているだろうか。と思って、焼売であっても蒸し器の中で乗せる訳がなかった。冷凍庫でのお仕事なら寒さは同じで、小さい分イチゴより難しいに違いない。

14時前、犬の散歩の帰りにPさんに呼ばれて昼食をご馳走になる。正月らしい料理が並び、箸には箸置きが添えられていた。箸置きが枕のように箸頭の下へ置かれていたけれど、そこはスルーした。私の知らぬ流派の置き方かも知れず、前日揉めたとき、午後に元旦と言われて元旦は午前と返したら常にそうやって馬鹿にすると叱られたので。馬鹿にしたのではなく、彼女は周りのひとへ馬鹿だ何だと暴言を吐くので、そうしたひとたちに誤った言葉を使って侮られてはいけないという思いがあるのだけど通じない。私の日頃の行いが悪くて仕方ない。さて、ご馳走は一遍に30品目が摂れそうで栄養がありそうで、且つ、美味しかった。これこそ人間の食べ物、家庭料理だと思った。

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食休みのあと、置き入浴剤のバブを放り込んだ湯へ浸かった。身体のあらゆる痛みが和らぐようで二度と湯船を出られない気がした。頑張って出ようとすると力が入らないほどに緊張が解けた。二十回目の挑戦でどうにか風呂を出て髪を乾かし、二切分が板に残る蒲鉾をもらい、犬と犬と帰宅した。暫く椅子で休んで座ることが辛くなり、横になってあまりにも怠くて身動きが取れず、身体中の痛みが酷く、18時過ぎ、寝転んだまま試しに体温を測ると38.2度だった。んもーと干支の鳴き真似をして、地域のコロナ対策パーソナルサポートとLINEで友だち関係を結んだ。21時前、ハーゲンダッツミニカップのマカデミアナッツを食べると体温が0.3度下がり、もう五個頑張って食べたらと思うも直ぐにふざけている余裕がなくなり、心細くなりながら犬を残して死ねないと珍しく健気に考えた。
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