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流刑地の密度の高い闇 [日々の暮らしで思うこと]

Tuesday, 5th January 2021

Pさんの家で寝起きした。苦しくて苦しくて苦しかったのに、何事もなく目が覚めた。熱は下がったように思うも「体温は何の参考にもならない、あってもなくても直ぐに動き回るのはよくない」とPさんに言われ、LINEで地域のコロナサポートから問われたときだけ体温計を使うことにする。体温計は何年も前に買ったものでいつまで使えるかわからない。また、五十代でCOVID-19に感染して亡くなった国会議員のひとは平熱のときもあったそうで、発熱が何に依るにしてもPさんの言う通りにしておこうと思う。ひとりでどうにかなりますと言える感じがない。死ぬにしてもここなら発見が早いというようなことしか思いつかず、未知の病と持病へ手玉にとられ弱気だ。

昼間、Pさんが犬と犬を散歩に連れ出してくれた。犬が分離不安だと思っていたけれど私がそれで、犬がいないと酷く不安だ。月曜日、まだ自宅に居るときにもPさんが散歩へ連れて行ってくれて、いつもの部屋にひとりでぽつんと待っていて淋しかった。Pさんの家だと孤独感は少し和らぐ。多分、この場所に居る犬のイメージが無いからだろう。買い物や用事を済ませると言って出たPさんは三時間近く帰って来ず、帰る寸前まで何の連絡もなく、ひとり待ちながら、どうなってるの?と勝手に声が出た。Pさんは唐揚げ丼を買って、犬と犬を連れて戻った。唐揚げ丼は油でギトギト且つボリュームがあった。受験日の朝食にかつ丼を出される受験生の心持ちで食べた。美味しかった。夕飯はポトフで有り難かった。

茶犬がPさんの熊のキーホルダーに心奪われ、じっと見つめ続けていて気の毒に思い自宅からウサギの玩具を持って来たけれど、熊がよいらしくウサギには見向きもしない。渡したところで茶犬がするのは激しく噛み、中綿を引き出すなどの残虐な仕打ちと判っており熊は渡せない。

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中学二年生からの友人は成人前後まで十年近く付き合いがあり、私にとっては長く続いた友人だ。浅野温子似の友人は名がサクヤであれば、皆からサクと呼ばれていたが、私はどうしてもそう呼べず、サクヤさんと呼んでいた。もうひとりをその名でクルミ(仮名)さん、与ひょうを熱演したひとをその名でコヤギ(仮名)ちゃんと呼んだ。何故ふたりがさん付けでひとりがちゃん付けなのか、自分でもわからない。三人は互いを呼び捨てし、私をちゃん付けで呼んだ。名前を呼ぶような日常の些細なことがすんなりできず、自分に苛立ったものの、ひねちゃんはそれでいいよと許された。クルミさんとコヤギちゃんは何代もその土地に続く家のひとで、広い敷地に建つ大きな家に暮らしていた。サクヤさんの家は彼女が高校生のときに両親が一軒家を建てた。要は実家がどこにあるかはわかっており、連絡の取りようがあるかもしれないということ。私は探偵でも雇ってもらわないと見つからないので、待っていては途絶えたままになる。思い出だけで充分と思うものの、今、どうしているのかなと思うことはある。

中学三年生のとき、サクヤさんとふたりで神社で話していた。特に用事もなく会ったと思う。鉄棒やブランコに触れ、手が鉄臭くなったとか、あそこの木は雷が落ちて大きな穴が空いたとか、そんなことを言い合って退屈しなかった。母は少しずつ統合失調症の症状が出ており、Pさんは長く学校へ行かずにいた。私は抱えているものを重く感じ、逃げ場の無さに疲れていた。それでどういう訳か、父が自殺したことを打ち明けた。進行中のことより完結したことのほうがよい、という判断はあった気がする。サクヤさんは「何だ、そうだったんだ」と言い、そんなの何でもないじゃんと続けた。あまりにも何も言いたがらないからもっと悪いことがあったかと思ったとも言って、もっと悪いこと?とオウム返しする私に「強盗殺人で刑務所に入っているとか」と答えた。父が死んでしまうより悪いことなどないよと思いながら、この軽い返事は私には途方もなく心地よかった。ずっと口止めされていた父の自殺を初めて打ち明けて気が楽になった。

サクヤさんには歌手になりたいという夢があった。私の親戚の家が五反田かどこかにあったとき、ふたりでそこに泊まって、オーディションを受けに行ったことが二回あったと思う。親戚に泊まるから同行したのだけど、オーディション会場へ入れるのは受験者のみで、一緒にいてと頼まれ私もオーディションを受けた。付き添いが合格してしまったという話は何度か聞いたように思うけれど、私の場合そうした奇跡は起こらず順当に不合格となった。サクヤさんは目鼻立ちがはっきりしていて、簡単に言えば美人で、歌は意外性のある裏声使いで、歌唱力も個性もあって合格してよい感じなのだけど、何次予選かで不合格となり、テレビで放送される本選へ進めなかった。どうも、審査員のレッスンを受けていたり関係者の親類縁者など、コネのあるひとが優先的に出る感じで、何次予選かになって現れるシード権を持つひと、予選に出ずひとっ飛びに本選へ出るひとなどがいた。そのひとたちが優れているなら仕方ないと思えたが、そうではなかったので、実力を試す場所ではなかったのだと思う。

サクヤさんは歌手を諦めたあと、商業高校を出て、小さな会社で製図の仕事に就いた。酷い癖字だったのが、短い間に読みやすい字に変わって見違えた。勤務中、図面から目を上げて窓の外を見ると、その瞬間に奥に見える建物の屋根全部が一遍にずずずずずーっと滑り落ちて笑っちゃったと聞いて私も笑った。そんなことある?と聞かれて、あったんでしょと答えて楽しかった。朝7時前に電話してきて「馬刺しとタコわさだったらどっちが好き」と聞くだけ聞いて続きがないとか、同世代の見た目のよい心から好きなひとと付き合いながら十二歳上の同僚ともずるずる関係を持つなど予測不能で危なっかしい。中学から喫煙し、高校生になると万引きやキセル(電車賃の誤魔化し)を繰り返した。見知らぬ男性とホテルへ行って乱暴されそうになったこともある。泣いて嫌がったら「俺はやめるけど、他の男ならやめない、こんなことは二度とするな」と帰してもらった。馬鹿をすると思いながら、彼女のことが好きだった。中学生のとき、彼女と私は詩のノートを作っていて、お互いに書いたものを見せ合っていた。彼女の書いた詩に「あたしは小さな魔法をかける / だって、小さな魔法使いだから」とあって、何か、たまらなかった。無力感を覚えつつそこへ立ち向かう彼女そのものに見えた。何をしても彼女のどこかに小さな魔法使いがいるという思いは消えなかった。

クルミさんは農業高校を出て、新宿の百貨店に就職した。農業高校からそうした進路があるのは意外だったけれど、裕福な家柄なんかも加味されたかもしれない。十歳くらい上のひとと付き合って「処女を奪われた」とサクヤさん経由で聞いた。被害者かよと思い、奪われたと言ったのかサクヤさんに聞くと一字一句違いなくそう言ったらしかった。クルミらしいよねと言い、サクヤさんは、あれは多分、結婚すると思うよと続けた。その後、クルミさんがどうしたか知らない。コヤギちゃんは前に書いたけれど、学校を出て大手企業に就職した。きっと私とは縁を切りたいのだろうと思い、連絡をしなくなった。

私はアルバイトで入った会社で社員となり働いた。二部上場がどれほどのものかわからないけれど、勤務先にはそれなりの自負があり、入社時には興信所が身元を調べたと聞く。どういう訳か採用となり、仕事に遣り甲斐もあった。一生働ける仕事に就くのは中学生のときから考えていたことでもあって、定年まで頑張りたかった。中学生を過ごしたところを離れ、姓が変わり、具合のよくないときを除けば安穏と暮らしている。思い出されることさえある気はせぬけれど、安否を聞かれれば、私はどうにかなったと答えたい。
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